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【3:フィリップとの邂逅】

 夜の帳が降り、王宮の庭園には優雅な照明がともされていた。明かりの届かない一角には、闇が深々と広がっているが、噴水の近くや並木道のそばには柔らかな灯火が置かれ、散策を楽しむ貴族たちの姿がちらほら見受けられる。


 夕食会が進むにつれ、ホールの中だけでは飽き足りなくなった客人たちが、思い思いに夜気を求めて外へ出てくるのだ。そんな中、レオン・フォン・クラウゼルにエスコートされる形で庭へ現れたエリーゼ・ハウフマンは、胸の奥に複雑な感情を抱えていた。


 先ほどまでのホールでは、レオンとの親密そうな会話が周囲に大きな注目を集めていた。エリーゼが“悪役令嬢”というレッテルを貼られていることもあって、王族と二人きりで移動する姿は格好の噂の的。実際、彼女自身も“今度は冷酷王子ではなく、華やかなレオン殿下に狙いを定めたのか”などと陰口を叩かれる光景が頭をよぎって、憂鬱になっていた。


 レオンの目的が何であれ、これ以上一緒に行動しているとリスクが大きい。エリーゼは何とか一人になれる隙を探っていたが、彼はなかなか放してくれない。


 「ほら、あそこに噴水があるだろう? 夜になると水面に光が映えて綺麗なんだ」


 「こっちの並木道は、ちょっとした迷路みたいで面白いんだよ。君も歩いてみたいだろう?」


 そんな言葉巧みに誘われ、半ば強引に連れ回される形で庭園を歩かされる。周囲の取り巻きや、レオンの従者までもが遠巻きに見守っている。


(どうすればいいの……一人で戻ると言っても、この状況じゃ余計に目立つし……)


 そんな思いを抱きながらも、何とか言い訳を考えようとするエリーゼ。しかし、その瞬間、彼女の視線の先に、黒い衣装が目に入った。


 そこにいたのは、フィリップ・フォン・クラウゼル。


 噴水越しの少し離れた場所に、彼は控えめにただずんでいた。周囲には近習や警護の騎士数名が控えていたが、直接話しかける者はいないらしい。見たところ、薄い笑みも感情の色も乏しい。その姿はやはり“冷酷王子”と呼ばれるに相応しい、険しい雰囲気をまとっていた。


 (フィリップ殿下……こんな時間に外へ?)


 まるで意外な場所で鉢合わせたような気持ちが胸を満たす。一方で、フィリップの方もエリーゼに気づいたらしく、ほんの一瞬だけ視線が交差した。


 レオンはその瞬間を見逃さない。ニヤリとした笑みを浮かべ、さりげなくエリーゼの手を取り、さらに近寄るよう促す。


「やあ、フィリップ。ずいぶんお一人で寂しそうだね。今宵は客人も多いし、どこにいても話しかけられそうなものなのに」


 あえて大きめの声で呼びかけるレオン。エリーゼは慌てて手を振り払おうとするが、彼の指はしっかりと彼女の手首を押さえていた。


 フィリップはちらりとレオンを見やる。目つきは相変わらず冷たいが、その瞳の奥には何か苛立ちのようなものが宿っているようにも見える。


「……何の用だ。大勢の取り巻きを連れて、楽しそうだな」


 静かに投げつけられた言葉は、嫌味とも無関心ともつかない平坦な口調。だが、よく聞けばわずかにトゲがあるようにも感じられる。


「それはこっちの台詞さ。今日はどうするの? せっかくの夕食会なのに、あまり人と交わっていないんじゃない?」


 レオンは軽口を叩きながら、わざわざエリーゼとの距離を近づけてみせる。エリーゼは苦痛に近い表情になりながらも、状況を覆せずにいた。周囲の騎士や近習たちも、まさか王族同士のやり取りに口を挟むわけにもいかず、遠巻きに見守ることしかできない。


 そんな中、フィリップの視線は自然とエリーゼへ移る。彼女も思わず目を伏せたが、ほんの一瞬だけ眼差しが交錯し、時間が止まったように感じた。


 ──どうしてか胸が苦しくなる。あの夢の断片──処刑される自分の姿が、一瞬脳裏をよぎる。


 フィリップもまた、エリーゼの姿を見るたびに、あの悪夢の残像が押し寄せるのか、言葉が出てこない。結果として、二人の間には薄暗い沈黙が訪れる。


 (どうしよう、こんなふうに顔を合わせるのは、あの午餐会以来……。あの時も、はっきりした話なんてできなかったのに)


 その重苦しい空気を裂くように、レオンが言葉を投げかける。


「そうそう、フィリップ。実はエリーゼが君のことを気にしていたんだ。なあ、さっきも殿下はどう思っているのかって話になってね」


 あからさまに嘘ではないものの、明らかに誤解を招くような言い回しで煽っているのが見え透いている。エリーゼは内心焦って「いえ、それは……」と弁解しかけるが、言葉が続かない。


 フィリップはわずかに眉を寄せ、レオンを睨むように視線を向ける。その冷たい眼差しには“くだらないことを言うな”という暗黙の警告がこもっていた。


「殿下……お久しぶりです。その、先日の午餐会以来ですね」


 エリーゼは言葉を慎重に選びながら、か細い声で挨拶をする。フィリップの態度が厳かであるほど、ますます胸が痛くなる。


「……ああ。確かにあれ以来、ろくに話もしていなかったな」


 たったそれだけの短い応酬。しかし、その一言にかすかな安堵を覚える自分をエリーゼは自覚した。少なくとも、フィリップは会話を拒絶しているわけではないようだ。


 けれど、何をどう話せばいいのか分からない。冷酷王子という立場の彼と、悪役令嬢と噂される自分。こんな場所で、公衆の面前で、しかもレオンに挟まれた状態で何を語れるというのだろう。


 息を詰めるように沈黙が降りたまま、数秒が過ぎる。噴水の水音と、かすかな夜風が葉を揺らす音だけが聞こえてくる。レオンが狙ったかのようににやけて、その様子を眺めていた。


 すると、フィリップの方から先に声を発した。


「……おまえは、今日はよくレオンと一緒にいたようだな」


 まるで感情のない口調だが、言葉の内容には刺がある。レオンはそれを聞いて、まるで待ってましたと言わんばかりに笑みを深めた。


「そうなんだよ。エリーゼが僕と話をしてくれてね。“悪役令嬢”なんて噂ばかりじゃ、もったいないほど素敵な方だと思うよ。ねえ、フィリップ?」


 あからさまに挑発を含む台詞だ。フィリップは反論するでもなく、ただレオンとエリーゼを交互に見つめるだけ。何か言いたげに見えるのに、結局言葉を飲み込んでしまう。


 居たたまれないエリーゼは、申し訳なさそうに口を開く。


「その……レオン殿下が先ほどから色々とお気遣いくださって……わたしは、ただ、あまりみなさんのご迷惑にならないようにと思って……」


 言い訳にもならないほど弱々しい言葉だが、これ以上変な誤解を招くのは避けたかった。しかし、フィリップが何を思っているのかまでは分からない。


「……そうか。……おまえにとっては、その方がいいのかもしれないな」


 返ってきた言葉は、どこか突き放すようにも聞こえる。エリーゼは心がぎゅっと締め付けられる想いを抱えるが、その真意を問うだけの度胸はない。


 (わたしだって、殿下に嫌われたいわけじゃない。でも、どうしていいのか分からない。レオン殿下のように社交に長けているわけでもないし……)


 一方で、フィリップの胸には別の苦悩が渦巻いていた。──エリーゼとどう話せばいいのか分からない。自分からかかわれば、いっそう周囲の噂が激化し、彼女を危険にさらすかもしれない。


 だが、こうしてレオンと並んでいるエリーゼを見ると、何か抑えきれない焦燥がこみ上げる。


(いったい、俺はどうすれば……)


 冷酷王子を演じるフィリップが抱えるジレンマは決して小さくない。いずれにせよ、ここで率先して彼女に声をかけ、“守る”という行動を取れば、悪夢に近づいてしまうような恐怖も消せないのだ。


 気まずい空気に満ちたまま、しばしの沈黙が続いた。レオンはその間も楽しげに笑みを浮かべ、エリーゼのそばから離れようとしない。そこには“フィリップを揺さぶってやろう”という意図が透けて見える。


 痺れを切らしたのは、フィリップの従者だった。少し離れた位置からそっと近づき、「殿下、そろそろ戻られますか。先ほど公務に関する確認が……」と耳打ちする。


 フィリップは従者の顔を見もせず、エリーゼを一瞬見つめてから、また視線を外す。


「……そうだな。すまないが、俺は先に失礼する」


 冷ややかにそう告げると、フィリップは踵を返して騎士たちと共に立ち去ろうとする。


 その背中を見送りながら、エリーゼの唇がかすかに震えた。何か言いたい。何か伝えたかったはずなのに、あまりに突然すぎて声が出ない。


 (殿下……もう少しだけ、話をしたかったのに。せめて、誤解を解くチャンスが欲しかったのに……)


 不意に、フィリップが少しだけ振り返る。青白い月明かりの下、その横顔には寂しげな陰が落ちていた。言葉にならない感情が、エリーゼの胸を締め付ける。


 ──だが、結局彼は何も言わず、足早に夜の闇へ消えていく。レオンが隣で含み笑いを漏らすだけという、居心地の悪い結末で“再会”は終わりを告げた。


 フィリップが立ち去ったあと、レオンはわざとらしく肩をすくめる。


「ふうん……相変わらず無愛想だね、あの冷酷王子は。君のことをどう思っているんだろう。少し気にはなるけれど」


 エリーゼはその言葉に苦い思いをかみしめる。自分でもフィリップの気持ちが分からない。そもそも、なぜ彼があんなにも距離を保とうとするのか、その理由が見えないままだ。


 (レオン殿下はそれを利用して、ますますわたしを囲い込もうとしているの……?)


 そう思うと、エリーゼの心に嫌な寒気が走る。彼の思惑に巻き込まれながらも、ここから逃げ出せない現状がもどかしい。


 「さあ、エリーゼ。気を取り直して、もう少し庭を散策しようか。夜風が気持ちいいよ」


 レオンはさも楽しげに歩き出す。エリーゼもまた断るわけにいかず、渋々ながら後を追う。


(フィリップ殿下との再会がこんなにも短いなんて……まったく、何をしているんだろう、わたし)


 途方に暮れる思いを抱いたまま、彼女はレオンのペースに合わせるしかなかった。だが、その胸の内には、どうしようもない寂しさと、薄暗い不安が渦巻いている。もしこのまま誤解が解けず、王宮の陰謀に巻き込まれ、未来の破滅が現実になってしまったら──そんな悪夢のような思考が頭を離れない。


 ──こうして、エリーゼとフィリップの“気まずい再会”は短い言葉の応酬だけで終わってしまった。二人のすれ違いはより深まり、レオンの思惑だけが暗い夜に満ちている。

 エリーゼは自分の運命を変えるために王宮へ赴き、夕食会に出席しているというのに、なかなか手応えを得られない。レオンが見せる飴と鞭のような優しさと策謀、フィリップが抱える謎めいた距離感。それらが複雑に絡み合い、どこへ向かうのか分からない渦を作り出していた。


 夜風に揺れる庭園の花々が、小さくかすかに香りを放っている。まるでこの邂逅の結末を憐れむかのように。その光景をぼんやり眺めながら、エリーゼは歯がゆさに唇を噛む。

 ──誰もいないうちに、フィリップ殿下ともう一度だけでも話ができたら。


 そんな思いを募らせる彼女の耳に、夕食会の楽隊が奏でる曲が、遠くかすかに聞こえてきた。




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