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【1:夕食会の招待状】

 夏の盛りを迎える王都の街並みは、朝早くから活気にあふれていた。碧空を仰げば太陽の光がいっそう眩しく、軽やかな風が石畳を吹き抜ける。そんな晴れやかな一日、エリーゼ・ハウフマンの屋敷に届けられた一通の手紙が、やがて大きな波紋を呼ぶことになる。


 「お嬢様、王宮から正式な夕食会の招待状が届きました」


 執事が低く落ち着いた声で告げると、エリーゼは微かに瞳を見張った。王宮で近々開かれる夕食会は、規模こそ大がかりではないものの、王族や主要貴族が集う格式ある場だと聞いている。


 すでに“悪役令嬢”という汚名を背負っている自分が正式に招かれたとなれば、複雑な思いが胸をよぎる。


「わたしに……招待状が?」


 そっと封を開き、美しい金の縁取りに飾られた招待状を覗き込むと、やはり目が止まるのは“主賓には王族も列席する”との一文。フィリップ殿下やレオン殿下が当然出席するのは間違いないだろうし、ほかにも貴族社会を牛耳る有力者たちが顔を揃えるだろう。


 この一報が届く前から、エリーゼは「夕食会こそ自分の評判を変えるチャンスかもしれない」と考えていた。とはいえ、実際に正式な招待を受けてみると、想像以上の緊張が押し寄せてくる。


 それでも“悪役令嬢”という陰湿な噂を跳ね返す足がかりを得るためには、こうした公の場に出るしかない。


「……やっぱり、わたしが参加してもいいのかしら。ご迷惑にはならない?」


 不安げに呟いたエリーゼを見かねて、ちょうど執務室へ入ってきた父侯爵が低く喉を鳴らす。


「バカを言うものじゃない。正式に招かれたのだ、出席するのは当然だろう。それに……おまえが引きこもっていては、余計に悪評が高まるだけだ」


 侯爵の言葉は厳しげな響きを帯びていたが、その瞳には娘を心配する思いがにじんでいた。


 エリーゼは以前から、自分が抱える“未来の破滅”に関して家族に詳しく語ったことはない。占いの内容まですべて告げてしまえば余計な騒ぎを招くかもしれないし、何より父や妹を心配させたくなかった。


 しかし、父侯爵としても娘の不調や落ち込み具合を見ていれば、ただ事ではないと察していたらしい。それでも娘が自分で立ち上がろうとしていることを感じ取っているからこそ、背を押したのだろう。


「ありがとうございます。わたし……がんばります」


 しっかりと返事をしたエリーゼの横顔を、侯爵は穏やかに見つめる。


「招待状の用意など、細かいことは執事や侍女と相談しながら進めるといい。おまえの出席に難癖をつける輩もいるかもしれんが……堂々としていれば問題ない。おまえはハウフマン侯爵家の令嬢なのだからな」


 その言葉に胸を打たれ、エリーゼは何度も頷く。ずっと陰でささやかれる“悪役”のレッテルを振り払うためにも、ここで後ろ向きになってはいけないのだ。


 さて、夕食会の日取りが迫るにつれ、エリーゼは準備に追われることになった。とりわけ難航したのが“どのドレスを着るか”という問題だ。


 王族や主要貴族が集まる場に相応しい礼装を整えるのは当然だが、“悪役令嬢”のイメージを少しでも払拭するためには、あまりに派手な装いは避けたい。かといって地味すぎても「華やかな場にそぐわない」と陰口を叩かれそうである。


 エリーゼは自室のクローゼットを開け放ち、侍女たちとともに何着ものドレスを取り出しては、合わせ鏡の前で試着を繰り返していた。


「お嬢様、これなどいかがでしょう。シンプルながら仕立てが良く、刺繍も上品ですわ」


 そう言って侍女が広げて見せたのは、淡いクリーム色に繊細なレースがあしらわれたドレス。胸元からウエストにかけてのラインが優美で、エリーゼのやや細身な体型を柔らかく引き立ててくれそうだ。


 照明の下で一度羽織ってみると、いかにも貴族らしい品位は保ちつつ、過度に目立たない印象となる。


「うーん……少し地味かしら。でも派手すぎるのも考えものだし……」


 エリーゼが言葉を濁すと、侍女は困ったように首をかしげる。


「悪役令嬢だのと呼ばれているのでしたら、ここで地味すぎる色合いをお召しになると“あの人は後ろめたいことがあるから隠れようとしている”なんて言われるかもしれませんわ」


「そ、それは困るわね……」


 かと言って、赤や深い緑、ロイヤルブルーなどの鮮やかなドレスを試してみると、今度は「悪役令嬢が派手に着飾って……」と批判されそうで落ち着かない。どれを着ても、何かしらケチをつけられそうに思えてしまう。


 エリーゼは苦笑いしながら、数着を手に持ち、もう一度鏡の前へ向かった。


「殿下に嫌われたらどうしよう、とか……周りから変に思われたらどうしよう、とか……そんなことばかり考えちゃうのも、自分らしくないわよね。でも……」


 小さく吐息をもらし、彼女は眉をひそめる。どうしても“フィリップ殿下”と聞くと、胸の奥がざわついてしまうのだ。あの“処刑の未来”が心から離れず、殿下の前でどう振る舞えばいいか確信が持てない。


「……とにかく、これ以上暗い色はやめて、柔らかな色合いで落ち着いた雰囲気のものを選ぶわ。そうね……アクセサリーは控えめにして、その代わり刺繍やレースで品を出すのはどうかしら」


 侍女や仕立て職人とも協議を重ねながら、最終的にエリーゼは淡く上品なラベンダー色のドレスを選んだ。織り込まれた糸が光を受けてほのかに艶めき、華美すぎないが決して地味とも言えない絶妙な仕上がりだ。


 胸元には母の形見である繊細なペンダントを合わせ、耳には小粒の淡水パールを飾ることに。これなら過度に目立つことなく、“悪役”のイメージを少し和らげられる……はず。


「よし……これでいこう」


 鏡に映る自分の姿に微かに自信が芽生えると、エリーゼは胸を張ってみる。どうか、王宮の夕食会で怖気づかずに立ち回れますように。


 屋敷の廊下を足早に歩いていたエリーゼは、ふと途中で父侯爵と鉢合わせになった。父は公文書を手にしていて、少々疲れた顔をしている。


「おまえの夕食会への準備が整ったなら、手配しておこう。侍女たちも必死に支度を進めているようだしな」


「ええ、ありがとうございます。父さまこそ、お忙しそうですね」


「王位継承を巡る政治の駆け引きは終わりがない。あのレオン殿下も、ここ最近は活発に動いているらしいが……」


 侯爵がそう口に出し、ちらと娘を窺う。エリーゼとレオンの接触に関する噂は彼の耳にも入っているのだろう。レオンが“悪役令嬢”に気さくな態度を見せているという話は、王宮の貴族社会でちょっとした関心事になっているのだから。


 だが、その実態がどういうものかは誰にも分からない。素直に“彼女を擁護する姿勢”だと解釈すれば喜ばしい話だが、レオンの底知れぬ性格を知る者たちは、彼が単に利用価値を見出しているだけかもしれないと冷ややかに見ている。


「いずれにせよ、王宮の集まりでレオン殿下が近寄ってくるかもしれない。相手は王子だ、無碍にはできんが……よけいな隙を見せるなよ」


 侯爵が忠告めいた口調で言うと、エリーゼは控えめに頷いた。彼女自身も、レオンが持ちかけてきた「君を信じている」という言葉を額面通り受け取るべきかどうか、まだ判断しかねている。


 一方で、フィリップ殿下の存在もやはり重い。レオンと対極にある王子が同じ夕食会に現れれば、いよいよ自分を取り巻く人間関係は混迷を深めることになるだろう。


 使用人のひとりが廊下を駆けてきて「お嬢様、夕食会の日取りや開始時刻の詳細が王宮から届けられました」と報告する。


「もう詳細が? ありがとう……。私も準備を急がなくちゃ」


 エリーゼは再び足早に階段を上がり、自室へ戻った。半ば乱雑に置かれた書類の山には、王宮での礼儀作法や会話のマナーをまとめた手引き、そしてシミや皺がつかないように注意を払うべきドレスの管理方法などが綴られた覚え書きが詰まっている。

 山のような雑務に頭が痛くなりつつも、さすがに自分の未来を賭けた勝負だと思えば、集中力も湧いてくる。


(ここでわたしが頑張らなければ、いつかあの恐ろしい未来が本当に訪れてしまうかも……)


 そのイメージが脳裏によぎるたび、エリーゼは冷や汗が背筋を滴るような感覚を覚える。


 夕方も近づいた頃、ある使用人が「出席者リスト」を持ってきてくれた。夕食会に参加する主な貴族や令嬢・貴公子たちの名前が列挙されている。ちらりと視線を落とすと、フィリップ・フォン・クラウゼル殿下、レオン・フォン・クラウゼル殿下の文字が当然のように並ぶ。さらに、エリーゼが苦手とする噂好きの女伯爵や、彼女に何かといちゃもんをつけたがる公爵令嬢の名前もある。


(予想通り、面倒な相手が勢揃い。だけど……負けるものですか)


 呼吸を整え、恐怖を振り払うように頬を軽く叩く。


 人は噂話によって簡単に偏見を形成してしまうものだ。エリーゼがどれほど“悪役のような所業”から遠いところにいても、一度貼られたレッテルはなかなか剥がれない。だからこそ、今回の夕食会で少しでも「彼女は王族を陥れようとしているわけではない」「皆で言うほど危険な人間ではない」という事実を見せることができれば、風向きが変わる可能性もある。


 ただし、失敗すればさらなる悪評を招き、破滅へ突き進む道を早めてしまうかもしれない。それがまさに“陰謀”と呼ばれる王宮世界の恐ろしさだ。


「大丈夫、落ち着いて……。わたしはわたしの信じる道を行くしかないのだから」


 エリーゼはそう自分へ言い聞かせ、席を立つ。窓の外から差し込む陽光はすでに傾き始め、夕刻の訪れを告げている。


(夕食会まで残り数日……ドレスやマナーの最終確認をして、精神面の準備もしなくては。ああ、今から緊張していたら当日まで持たないわ)


 弱気になりそうな自分を奮い立たせ、部屋から出て侍女たちの待つサロンへ向かう。どんなに怖くても、恐ろしい噂に押し潰されそうでも、足を止めるわけにはいかない。


 夜の帳が降り、屋敷の大広間に灯りがともり始める頃。エリーゼは父や妹と共に夕食を囲むことになった。父侯爵は先ほどまでの忙しい表情を少し和らげ、「そういえば、あのレオン殿下が夕食会で何を企んでいるか分からないが、慎重にな」と再度釘を刺す。


「わたしは殿下のお気持ちを計りかねていますが、なんとかうまく乗り切ってみせます。……殿下だけじゃなくて、フィリップ殿下のことも、いつかきちんと話がしたいと思っています」


 その言葉に、父侯爵も少し面食らったようだったが、すぐに穏やかに微笑んだ。


「おまえは強いな。まあ、私があれこれ言うより、おまえが自分で道を見つけてくれたほうがいい。……ただし、決して無理はするなよ」


「はい、わかっています」


 エリーゼは力強く返事し、グラスに注がれたワインを一口含む。甘く芳醇な香りが、緊張した心を少しだけ解きほぐしてくれる気がした。


 王宮に渦巻く陰謀の足音は、その夜も静かに響き続けている。レオンの思惑、フィリップの焦燥、そして周囲の貴族たちが抱く期待や警戒心が交錯する中で、エリーゼがどのように立ち回るのか。


 そして、王宮の“冷酷王子”との対面は果たしてどうなるのか。




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