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【2:レオン王子の登場】

 朝の澄んだ空気に、王都の中心にそびえ立つ宮殿の尖塔がくっきりと浮かんでいた。幾重にも連なる高い石壁と美しいステンドグラスが施された窓。その一角に位置する“王族の私室エリア”は、華麗な装飾に満ちあふれる一方で、しんと静まり返った厳粛な雰囲気を湛えている。


 そんな私室エリアの奥にあるサロン。豪華なイスにゆったりと腰掛ける青年がいた。金糸を織り込んだ赤い上着を羽織り、栗色がかった明るい髪が窓から差し込む光を受けて優雅に輝く。彼の名はレオン・フォン・クラウゼル。フィリップ殿下と同世代の王子であり、王位継承権を保持するもうひとりの存在──しかも、その社交的で華やかな性格から、一部の貴族からは絶大な支持を得ていた。


 レオンは口元に微かな笑みを浮かべつつ、そばで控える従者と言葉を交わしている。


「いやあ、王宮に戻ったときは、いつもこのサロンから眺める景色がいちばん落ち着くね」


 穏やかな口調だが、その瞳にはどこか底知れない光が宿っている。


 従者は恭しく頭を下げつつ、テーブルに銀のトレーを置いた。そこには琥珀色の茶が注がれたカップと、いくつかの茶菓子が並べられている。


「殿下は、今日も王都を視察されるご予定と伺いましたが……」


「そう。近頃はフィリップ殿下の話題が尽きないからね。何かと目立たないよう、こそこそ動くのも億劫でね。むしろ、あえて姿を見せておいたほうが都合がいいこともある」


 レオンは楽しげに微笑むものの、その微笑はどこか本心を隠しているようにも見える。


 実際、レオンとフィリップは王族内でのライバル関係にあった。フィリップが“冷酷王子”と呼ばれ、近寄りがたい雰囲気を放つのに対し、レオンは表向き“朗らかで開放的な社交家”というイメージを貴族たちに植えつけている。


 しかし、その内面は一筋縄ではいかない。周囲に見せる笑顔の裏で、レオンは着実に自分の派閥を固め、フィリップを王位継承から引きずり下ろす機会を窺ってきたのだ。


 そんなレオンが今、とりわけ興味を抱いているのが“悪役令嬢”と噂されるエリーゼ・ハウフマンだった。


 もともと社交界では影の薄い存在だと見なされていたが、最近になって急激に噂が広がった。占いが得意で、王宮の文献を調べ回っている──さらには、冷酷王子フィリップ殿下と何らかの因縁があるらしい──。


 それがレオンの耳に届いたとき、彼はすぐにピンときた。

(あの侯爵令嬢には、何か“利用価値”があるかもしれない。少なくとも、フィリップにとって厄介な存在か、あるいは……)


 ほどなくして、従者がつつましく耳打ちした。


「殿下、先日の午餐会で起きたちょっとした騒ぎの詳細が判明しました。どうやら、あの悪役令嬢と呼ばれるエリーゼが、人前で貴族の青年を占ったとか……」


「ふうん。それで?」


「はい。占い結果が見事に当たり、その青年は酔いの勢いも手伝って“エリーゼに助けられた”などと語ったようです。しかし、そのせいで彼女の噂はさらに拡大してしまい、“王族に取り入るため怪しい術を使っている”と言われているとか……」


「ふっ……面白い」


 レオンは茶を一口含み、満足げに笑みを深める。噂というものは時に真実よりも強い力を持つ。自分が狙う王位への道筋の中で、これほど格好の材料はない。


「なるほど……それなら、僕も直接あの悪役令嬢と話をしてみたくなるね。フィリップとの関係にしても、確かめるに越したことはない」


 そう呟いたとき、サロンの扉が控えめにノックされ、レオンの相談役とも言える家臣が姿を現わした。


「殿下、そろそろ書庫へ向かわれたほうがよろしいかと。今朝は王都の関連資料をご覧になると……」


「ああ、そうだったね。少し退屈しないように、刺激的な何かがあるといいんだけど……」


 意味深な言葉を呟きながらレオンは立ち上がり、扉のほうへ向かう。自分の髪を軽く撫でてから、従者とともに廊下へ出て歩き始めた。


 廊下を進むたびに、通りかかる侍女や騎士たちが深々とお辞儀をし、「レオン殿下、おはようございます」と声を掛ける。柔らかな笑みを返しながらも、レオンは内心で情報を収集する目を光らせていた。王宮とは常に噂と利害で動く世界。一瞬の油断もできないが、それはすなわち面白い舞台でもある。


(さあて……悪役令嬢エリーゼ、どんな娘かな。フィリップにとって本当に脅威となる存在なら、僕から先に手を打つべきかもしれないし……)


 その頃、エリーゼ・ハウフマン本人は王宮の端にある小さな庭園のベンチで、ほっと一息ついていた。先日の図書室騒動から日も経たず、まだ不穏な噂が絶えない状況。だが、それでも王宮へ通い続けるのは、自身の“未来”を変える手掛かりを探すため──そして、できることならフィリップとも直接話がしたかったからだ。


 だが、いざ王宮に来てみると、噂に憑かれたように周囲から冷たい視線を浴び、なかなか落ち着いて文献を漁ることもできない。こうして外の空気を吸いに出たのは、“もう少し頑張ろう”と気持ちを立て直すためだった。


(私がここにいるだけで、怪訝な顔をされるなんて……。けれど、くじけてはいられないわ)


 エリーゼは心の中でそう自分を励ます。もしこのまま逃げ出せば、本当に“悪役令嬢”という烙印から抜け出せず、やがて王子フィリップによる処刑の未来が待ち受けるかもしれない。それだけは何としても回避したいという一心で、彼女は立ち上がる。


 すると、足音が近づいてくるのを感じた。優雅な衣擦れの音とともに姿を現わしたのは、抜きん出た美貌と穏やかな笑顔を湛えるレオン王子だった。


「やあ、これは失礼。お嬢様は……確か、ハウフマン侯爵家の令嬢だったね?」


 レオンは初対面にもかかわらず、飾り気のない好意的な微笑を浮かべながら声をかけてくる。


「は、はい……。あの、レオン殿下……でいらっしゃいますよね?」


 エリーゼは急なことに動揺を隠せない。いくら同じ王族とはいえ、フィリップほどの威圧感は感じないものの、ここまでフランクに話しかけられたのは初めてだ。


「うん、そんなに畏まらなくていい。僕も王宮にいたのだけど、ちょっと息抜きに外へ出てみたら、運よく君を見かけたんだ。こんな可憐な花を放っておくのはもったいないと思ってね」


 朗らかな調子に、エリーゼは思わず赤面しかける。だが同時に不安が胸をよぎる。“冷酷王子”フィリップとの因縁が取り沙汰されている自分に、もうひとりの王子が近づいてくる──それは決して穏やかな展開ではない気がしたからだ。


「先日の午餐会での事件、大変だったそうだね。あのときはフィリップ殿下が会場にいたとか……。ご苦労だったろう」


 レオンの言葉には、ほんのわずかにフィリップへの敵意のようなものがにじんでいる。エリーゼはそれを敏感に察し、「いえ、私は別に……」と返事を濁すしかなかった。


 ただ、彼の言う“事件”とは、酔った貴族の青年が絡んできた末にエリーゼが占いを披露し、一時的に会場の注目を集めた一件のことだろう。そこから尾ひれがついて、“悪役令嬢が危険な術を使った”という歪んだ噂へ拡がっている。


 レオンは微笑を絶やさず、エリーゼの反応をじっと観察するかのように瞳を細めた。

「ところで噂によると、君は占いに通じているらしいじゃないか。王宮の図書室で古い文献を調べたりしているとか……? よかったら、その話を少し聞かせてくれないかな」

「そ、それは……単なる趣味というか、私の家系に古くから伝わっている程度で……」


 エリーゼは戸惑いながら言葉を選ぶ。ここで「破滅の未来を変えたくて本気で予言書を読み漁っている」なんて告げれば、ますます不審がられるのは明白だ。


 しかしレオンは意地悪く問い詰めるわけでもなく、まるで“興味があるからもっと教えてほしい”とでも言うように親しげな態度を示す。


「へえ……。ぜひその占いとやらを見てみたいものだね。だって、午餐会であの青年を救ったんだろう? 君の才能は、ただの趣味の域を越えているんじゃないかな?」


 まるで誘導するような問いかけだ。エリーゼは、なぜこんなにも直球で迫ってくるのか理解できないながらも、拒絶する勇気も出せない。相手は王子という高貴な身分。下手に無礼を働けば、また新たな噂を呼ぶ材料になってしまう。


 内心で眉をひそめつつも、エリーゼはなんとかその場を取り繕う。


「……才能だなんて、とんでもありません。あの日も、ちょっとした占星術を口にしただけで、大した意味はないんです」


「そうかい? ふふ、謙遜しなくていいよ。あのフィリップ殿下すら、少し気にしていた風だったからね」


 この言葉に、エリーゼは小さく息を呑んだ。確かに先日の午餐会でフィリップから声をかけられ、何かと目を向けられてはいたが……。それをレオン王子がわざわざ話題にするのは、どういう意図なのだろうか。


 レオンはそんなエリーゼの心中を見透かすように優しく笑うと、さらりと付け加えた。


「フィリップには悪いけど、僕は君に興味がある。そうだな……今度、改めて話す機会を作らないか? たとえば、図書室や別の書庫で、王家に伝わる古文書を一緒に閲覧してみるのも面白そうだ」


「えっ……?」


 あまりに突然の提案にエリーゼは驚き、思わず言葉を失った。確かに占星術や占いに関する資料は王宮内に多く存在するが、より親密に調べるとなれば、それなりの立場と許可が必要になる。レオンが本気で協力してくれるのなら、自分にとっては悪くない話……かもしれない。


 しかし、そう簡単に踏み込んでよいのだろうか。相手は“もうひとりの王子”であり、フィリップと微妙な対立構造にあることは周知の事実だ。


「どうしたの、難しく考えることはないよ。僕は君が“悪役令嬢”だなんて噂されているのを信じちゃいないし、むしろその独特の才能に興味がある。役に立つかもしれないじゃないか」


 レオンの軽妙な口調の裏に、エリーゼははっきりと「利用価値」という言葉を感じ取る。だが、それを指摘する勇気も、にべもなく断る強さも彼女にはなかった。


 何より、ここで「怖いから関わりたくありません」などと言えば、さらに“悪役令嬢”の印象が強まるかもしれない。レオンが味方になってくれれば、“冷酷王子”との間に挟まれた状況を打開できるかもしれない。


「……あの、私は……」


 返答に詰まるエリーゼの姿を見て、レオンはゆっくりと歩み寄る。ほんの少し距離が近づいただけで、彼女はその華やかな香りと、王族特有の存在感に圧倒されそうになる。


「考える時間が必要なら、それでもいい。だけど、もし困ったことがあったら、遠慮なく僕を頼るといい。フィリップよりはずっと話しやすいだろう?」


 レオンの声は優しく響く。だが、そこには漠然とした“冷酷王子への対抗心”が感じられる。


「は、はい……お気遣いありがとうございます」


 やっとの思いでそう返すと、レオンは満足げにうなずき、「ではまたね」と言い残して去っていく。


 レオンが去った後、エリーゼはまるで嵐のような熱気を残していった空気を感じながら、庭園にひとり取り残された。


(さっきのは……何だったの?)


 両手を握りしめたまま、その場で立ち尽くす。つい数分前まで感じていた不安とは別の種類の“ざわめき”が胸に広がっていた。自分のことを“利用価値がある”と評するような人物に近づかれるのは、危険な匂いがする。一方で、自分の窮地を救ってくれる可能性も捨てきれない。


(フィリップ殿下との関係がどうにも進展しない今、もしかしたらレオン殿下が鍵になるのかもしれない。でも……)


 エリーゼは頭を振って不安を払いのけようとする。何より、レオンが見せたあの笑顔の裏にある計算高さを考えると、軽々しく信頼していいのか分からない。


 しかし、彼女の占いの才能を本気で評価し、それを欲している王族がいるという事実は、少なからず魅力的でもあった。いつも“悪役令嬢”と疎まれているだけだった自分が、誰かの“力”になれるかもしれない──そんな願望が、小さく胸をくすぐる。


 そうしてひとときの迷いを噛みしめつつも、エリーゼは再び王宮の廊下へ足を向ける。次はどこへ行けば何を得られるのか。それすら分からないまま、ただ運命を変えたいという思いだけが彼女を突き動かしていた。


 一方、レオンはエリーゼと別れたあと、さも満足そうに口笛まじりで廊下を歩いていた。後ろに従う従者や家臣は、そのあまりに上機嫌な様子に少し驚いている。


「殿下、ハウフマン侯爵令嬢とお話しされたのですか……?」


「うん、なかなか面白い娘だったよ。まあ、冷酷王子を引き合いに出せばすぐに反応してくれそうだし、占いの力が本当に使えるなら、どこかで僕の役に立つかもしれない。どうやって活かそうかは、これから考えるとしよう」


 レオンは目を細め、まるで思惑をめぐらせるように遠くを見つめる。その華やかな外見とは裏腹に、内心でどんな野望を膨らませているのか、従者たちもはかりかねるところがある。


 それでもレオンはあくまで“にこやか”な王子として振る舞うのだろう。表の顔は気さくで社交的な青年王子、裏の顔はフィリップを出し抜こうとする狡猾な策士。


(フィリップは何かを隠している。僕にはない何かを──そしてそれは、おそらくあのエリーゼ・ハウフマンにも関係している。ならば、二人の間に割って入れば面白い展開が期待できそうじゃないか)


 そんな邪推を胸中で巡らせながら、レオンはくつろいだ足取りで次の用務へと向かう。


 かくして、もうひとりの王子であるレオンがエリーゼに本格的に接近を始める。フィリップを出し抜きたい思惑を秘めながらも、彼の底知れぬ人当たりの良さは、エリーゼにとって新たな波乱への扉を開く鍵となるかもしれない。


 この日を境に、王宮の人々はますます彼女に好奇の眼差しを向けるようになる。エリーゼ自身も、レオンからの突然の好意的アプローチに戸惑いを隠せない。


 一方で、フィリップはレオンの動きを静観しながらも、内心穏やかではいられない。冷酷王子の無表情の裏で渦巻く焦りは、エリーゼを巡る複雑な感情をますます増幅させていくのだった。



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