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【6:不意のアクシデント──流れを変える微かな救い】

 まだ午餐会の熱気は冷めることなく、華やかに盛り上がり続けている。庭園の中央では、貴族令嬢たちが色とりどりのドレスを揺らし、談笑しながら噴水のまわりを行き来する。シャルロッテをはじめとする人気の令嬢たちは、話題の中心で優雅な笑顔を振りまき、取り巻きや貴公子から絶えず視線を浴びていた。


 一方、エリーゼ・ハウフマンは、先ほど殿下とわずかな言葉を交わしてからというもの、心が落ち着かず庭園の隅で時間を過ごしていた。彼女は小さく背筋を伸ばし、再度噴水付近へ戻ろうと足を踏み出す。

(何も行動しなければ終わってしまう……やっぱり、もう一度殿下にきちんとお礼を伝えるくらいはしたい。噂になるのは怖いけれど、最後まで逃げ出すわけにはいかない)


 足元は震えがちだが、先ほどより多少の落ち着きを取り戻した。殿下がくれた「もし何かあれば近衛兵に声をかけろ」という一言が頭から離れない。まるで彼女の安全を暗に保証するような響きにも感じられ、占いで視た処刑の未来とは真逆の優しさを感じてしまっているのだ。


 (本当に殿下が私を斬る運命があるなんて、信じたくない……。もしほんの少しでも、殿下が私を守ろうとしてくれているのなら……)


 そんな思いを抱えたまま、エリーゼが噴水へ向かって歩み出そうとしたとき、不意に見覚えのない貴公子が話しかけてきた。


 「あの……ハウフマン侯爵令嬢ですよね? 少しお時間、よろしいでしょうか」


 金茶色の髪を持ち、中背のすっきりした顔立ち。派手な装飾をつけているわけではないが、どこか小綺麗な印象を受ける。くせの強い笑みが、その口元に張りついているようで、やや警戒心が生まれた。


 エリーゼは怪訝に思い、「ええ……どちらさまかしら」と控えめに問いかける。


 彼は名乗りもそこそこに、「私、あなたの噂を耳にしておりましてね。ずいぶん殿下に気に入られているとか……」と早口で切り出す。その口調には好奇心と何かしら別の下心が混ざっている風で、エリーゼは思わず眉をひそめる。


 「そ、そんな……私が殿下に気に入られているなど、ありえません」


 少し強めに否定するも、貴公子はまるで聞く耳を持たず、笑みを深くする。


 「いえいえ、殿下があれほど冷酷と呼ばれながら、あなたに声をかけられたとか……ねえ、もしよろしければ、殿下の好みに合う贈り物について何かご存知ないかとか、教えていただきたいのですよ。僕も殿下のご機嫌を取りたい立場でして」


 そんな無遠慮な言葉にエリーゼは困惑を隠せない。関係があるわけでもない相手に、殿下の好みを教えられるはずがない。


 「殿下のことなど……私、ほとんど何も知りません。お役に立てる情報は何もないです」


 恐縮して頭を下げるが、相手は「そうですか……いやはや、残念です」と口の端だけで笑う。まるでエリーゼの否定を信じていないようだ。


 (また面倒な噂が広がる予感……)と直感したエリーゼは、できるだけ自然に退こうと一歩下がる。その貴公子は「もし何か思いついたら、お教えくださいね」と軽く手を振って人混みへ消えていった。


 その背中を見送ると、エリーゼはぞっと嫌な気配を感じた。自分に近づいてきた理由が純粋な情報交換というよりも、殿下と“悪役令嬢”がどういう関係なのかを探り、利用しようという意図が含まれているのではないか──そう疑わしい。


(私が殿下とほんの少し話しただけで、こんなにも変な人が寄ってくるなんて……早くどうにか対策をしなくちゃ)


 やがて、エリーゼが再び噴水の周辺へ足を運び始めたころ、どこかで金属の落ちる音と、低い悲鳴が上がった。「きゃっ!」という女性の声と「危ない!」という誰かの声が重なる。


 エリーゼがそちらを振り向くと、どうやら庭の一角に設置されていた飾りの一部が倒れかかったらしく、テーブルが不自然に傾いているようだった。何かの拍子で飾り柱が崩れかけたのかもしれない。場がざわめき、小さな悲鳴があちこちで起こる。


 貴族の令嬢や子息が慌てて散り散りに避難する中、エリーゼは一瞬「何か手伝わなきゃ」と思うが、あまりにも混乱していて何がどうなっているのか把握できない。


 ちょうど噴水の裏側で何名かが危ない様子だ。誰かが足を捻って倒れ込んでいるようにも見える。


 (どうしよう……私が行ったところで役に立つかしら)と逡巡するが、心に宿った“放っておけない”という思いが背中を押す。


 エリーゼは少しだけ勇気を振り絞って人混みをかき分け、倒れ込んだ女性らしき姿を確認する。


 「だ、大丈夫ですか? 足が……どこか痛めました?」


 その女性はドレスの裾が絡まって転んだらしく、涙目で「ええ……ちょっと足首を……」と震えている。飾り柱が倒れかけたショックで周囲はバタバタしており、使用人らが慌てて駆け寄ってくる最中だった。


 エリーゼはしゃがみこんで手を差し伸べ、慎重に「立てますか?」と声をかける。咄嗟の行動であり、周りに多少の視線が集中しているのは承知の上だが、今は気にしていられない。


 「ありがとう……ハウフマン様……」


 その女性は貴族の令嬢というよりは、使用人か内々の家族かもしれない。痛む足を少しずつ動かしながらエリーゼの腕を借りて立ち上がろうとする。


 一方、この騒ぎに気づいた近衛騎士が駆け寄り、飾り柱がどのように倒れたのかを調べ始める。実はそこには何者かが悪意で仕掛けた細工があるのか、それとも単なる不手際なのか──真意は定かでないが、警戒すべき事態であると判断したらしい。


 そして、その報告が素早くフィリップの耳にも届く。「殿下、噴水裏の飾りが倒れ、怪我人が出たようです」と囁かれ、フィリップは淡々とした面持ちで頷く。


 (こういう不測の事態……何かの陰謀の一端だろうか。もしエリーゼが巻き込まれていれば……)


 思わず足を速めて現場へ向かうフィリップ。その目にはいつになく焦燥が混じっていたが、やはり周囲には“殿下が警備状況を確認しに行く”程度にしか映らない。


 そして彼が到着したとき、視線の先に見えたのは──エリーゼが転倒者を助け起こそうと懸命に支えている姿だった。騎士が柱を支え直している最中で、地面には散らばった装飾品の破片が転がっている。


 周囲の令嬢・子息は巻き込まれるのを嫌がってか離れ気味で、エリーゼが唯一その女性を支えている格好だ。


 (彼女が……危なくないか?)


 フィリップはその場の状況を一瞥し、転倒した女性がさほど重傷ではないらしいと察すると、そっと息をつく。人命に直結する深刻な事故ではなさそうだ。


 殿下が来たと分かり、人々が小道を開ける。その空気のなかで、エリーゼも意識せず目を上げてフィリップに気づく。


 「殿下……すみません、私……」


 どう言い訳したらいいか分からず、半ば呆然とする。まるでまた厄介ごとに巻き込まれたと思われるのでは、と怯える気持ちがこみ上げる。


 フィリップは騎士らに短く指示を出し、倒れた飾り柱の部分を取り除かせると、エリーゼのほうへ視線を移す。


 「そちらは……無事か?」


 またしても問いかけられた言葉には冷淡な響きがあるが、先ほどと同じ、どこか内面での心配をうかがわせる抑えた声。


「……はい、私もこの方も、軽い捻挫のようで……もう大丈夫みたいです」


 実際、痛がっていた女性は騎士や使用人に支えられ、庭園の外れへ移動を始めていた。エリーゼはほっと安堵しつつ、殿下が自分に敵意を向けていないように感じ、心が少しだけ軽くなる。


 しかし、二人が会話している場面に周囲の視線が集中しており、特にシャルロッテは遠目でそれを見つめ、顔を強張らせている。


 (また……殿下があの子と話している……)

 シャルロッテは怒りを抑えられないが、すぐに動くわけにもいかず、歯噛みするように見守るしかなかった。


 エリーゼは勇気を振り絞って、折よく言えずにいたお礼を口にしようとする。


 「あの……殿下。先ほどは、助言というか……お気遣い、ありがとうございました。おかげで……落ち着くことができました……」


 声がやはり震えてしまうが、それでも彼女にとっては大きな一歩だった。殿下がまっすぐ彼女を見つめていることが分かり、顔が熱くなる。


 フィリップは小さく息を吐き、ほんの少し周囲を気にするように目を巡らせる。多数の貴族が見守っているのを承知のうえで、冷たい仮面を崩さず短く答える。


 「……礼には及ばない。……だが、今後も何かあれば近衛や使用人に頼るといい。下手に一人で背負いこむな」


 その台詞はまるで、“余計なトラブルに巻き込まれるな”という注意でもあり、“何かあっても自分が守る”とも取れるような含みが感じられる。しかし、周囲からは「やはり殿下は冷酷。あれは警告の言葉か」と憶測されかねない内容にも聞こえる。


 エリーゼの耳には、わずかな優しさとして響いたが、彼女は怖くてその感触を確かめられない。


 「……はい、ありがとうございます。お気をつけて……殿下も、どうか……」


 自分でも何を言っているのかよく分からないまま言葉が途切れる。するとフィリップはさらに深く言葉をつなげるでもなく、「では」とだけ言い残し、再び人々が待つ場所へ歩み去る。


 ふと我に返ると、エリーゼの回りには半ば呆然とした令嬢や子息が小さな円を描いて遠巻きにしていた。彼女が怪我人を助け、殿下と短く言葉を交わした光景を目の当たりにして、どう反応すればいいか困っているようだ。


 シャルロッテは遠目に眉をつり上げ、“いつか必ずあの子を出し抜いてやる”という思いを宿したまま、取り巻きたちに視線で合図を送っていた。


 (殿下があの娘に二度も声をかけた……これはもう見過ごせないわ)


 一方、噴水近くの政治派閥の面々は、“悪役令嬢”と噂されるエリーゼに殿下が接触しているのは何か裏があるのではと怪しむ。さらには、伯爵派閥の一部が「この混乱を利用できるかもしれない」と密かにささやきあうのだった。


 エリーゼの耳にはそんな陰謀じみた声は届かず、胸を撫で下ろすように小さく息をつく。殿下の言葉にこそ冷たさがあったが、その中にほんの少しだけ彼女を気遣う風情が感じられ、曖昧な安心感が胸を満たす──一方で、占いで視た“処刑”の映像が頭の片隅から消えない。


 (どうしよう……このまま何度か会話を重ねても、未来が変わるとは限らない。でもあの人が冷酷王子と言われながらも優しさを持っているなら……きっと何とかなるかもしれない)


 まるで救われたいような切望と、自分が抱く不安のギャップに押しつぶされそうになるが、今はまだ会場に残っている以上、逃げずに済ませるしかない。



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