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【5:陰謀の気配と錯綜する感情──噴水の後ろで交わる疑惑】

 短い言葉を交わしたものの、結局そのまま離れていった王子フィリップとエリーゼ・ハウフマン。


 冷酷な仮面を崩さずに去ったフィリップの背を見送るしかなかったエリーゼは、きゅうと胸を締め付けるような混乱に揺れていた。ほんの数言であっても、彼がまるで自分を気遣うような言葉を投げかけてくれたのだ。あの処刑の未来を思えば、あり得ないほど穏やかなやりとり──だが、逆に言えばまだ何も解決してはいない。


 噴水の近くでは華やかな笑い声が途切れず、演奏を楽しむ人々や、軽食をつまみながら談笑するグループで賑わっている。まるで宮廷の平穏な休日を象徴するかのような光景だが、その裏では特定の相手に向けられた視線が飛び交っていた。


 エリーゼに向けられる視線は、以前にも増して好奇の色を帯びている。なにしろ、“冷酷王子”がわざわざ声をかけたという事実が伝わり始めたからだ。


 「殿下、あの悪役令嬢を心配していたように見えたわ」


 「まさか、殿下が彼女に興味を持っている……? それはないと思うけど」


 そんな囁きが飛び交う中、エリーゼはどうにも落ち着けず、近くにある空いているチェアに腰を下ろして浅い呼吸を繰り返す。


 (あの方は、一体なにを考えてるの……。私を処刑するはずなのに、さっきはなぜあんなふうに……)


 混乱とわずかな温もりが、エリーゼの胸を切なく締めつける。どうしても自分が視た占いの未来と、ほんの少し感じ取ったフィリップの優しさが噛み合わないのだ。


 一方、ピンクのドレスに身を包んだシャルロッテは取り巻きたちと少し離れた噴水の反対側で悔しそうに眉をひそめていた。先ほどの殿下の一幕を目撃し、心中に複雑な火が燃えている。


 「どうして殿下が“わざわざ”あの子のそばへ……? 私や他の貴族の挨拶をあまり受けないのに、エリーゼには声をかけるなんて……」


 いかにも不満げなその声に、取り巻き令嬢が「でも殿下、本当に素っ気ない態度でしたわ。きっとエリーゼ様が目立ちそうだったので、周囲を騒がせないために声をかけただけかも……」と慰めるが、シャルロッテの表情は晴れない。


 ──悪役令嬢と呼ばれるエリーゼが殿下の視線を引くなど、あってはならない。ライバル意識というには少々苛立ちが強い。


 「いえ……あの子、なんだか殿下とのあいだに秘密があるような気がする。私には分からないけれど……でも放っておけないわ」


 そう呟いて、シャルロッテは噴水の際をぐるりと回って、再びエリーゼを探して目を凝らす。すると、今まさにエリーゼが単独でチェアに座り、じっと俯いている様子が見て取れる。絶好の時機だ──そう考え、シャルロッテは軽やかにステップを踏んで近づき始める。


 さらに庭園の片隅では、シャルロッテと親しい伯爵派閥の者たちが何やら小声で話し合いをしている。彼らの中には、王位継承争いでフィリップを苦々しく思う者も混じっており、“悪役令嬢”の噂に乗じてエリーゼを利用できないかと考えているらしい。


 「もし殿下があの娘を少しでも気にかけているなら、そこに付け入る余地があるかも……」


 「大公派とは別の動きを見せられるかもしれん。シャルロッテ様も殿下に近づきたいようだし、あの子を引きずり下ろす形にできるなら……」


 不穏な囁き合い。しかし、当のエリーゼはそれを知る由もない。彼女自身はただ、自分の破滅を避けるため殿下と話をしたいだけなのに、周囲の政治的な陰謀が徐々に絡み始めていた。


 エリーゼが一人でチェアに座り、沈んだ表情で庭を眺めていると、ピタリと足音が止まる気配がした。振り向けば、やはりシャルロッテがそこに立っている。


 「こんにちは、エリーゼ様。先ほどは殿下にお声をかけられていたわね。すごいじゃない。あの冷酷な殿下から心配されるなんて」


 その言葉は一見褒めているようにも聞こえるが、含み笑いが混じっており明らかに侮蔑のニュアンスがある。取り巻きの令嬢たちも距離を置いた位置で見守っている。


 エリーゼは眉を曇らせながら、ごく短く「……そんな大した話でもありません」と答えるしかない。


「そうなの? 私には見えたわよ。殿下、あなたのことを本気で心配しているように感じたのだけれど……。ねえ、どういう関係かしら? 教えていただけない?」


 シャルロッテは笑いを含んだ口調で問い詰める。あたかも“悪役令嬢の策略”を暴こうとするような鋭さがある。


 エリーゼは驚いた。まさかそんなふうに見えたのだろうか。自分としては、ほんの一瞬言葉を交わしただけで、むしろ殿下は彼女を遠ざける雰囲気さえ感じたのだが──それを周囲がどう解釈するかなど、制御できない。


「関係なんて……何もありません。殿下がちょっと、お優しい言葉をかけてくださっただけで……」


 声が震えるのを感じながら弁解するが、シャルロッテの笑みがますます増していく。


「あら、そう? でも悪役令嬢であるエリーゼ様が殿下に気に入られるという噂は、周囲も大きく関心を寄せているみたいよ。何か企んでいるんじゃないかって」


 その言葉にエリーゼの胸は痛み、唇を噛んだ。何を言っても失敗に繋がる気がして、逃げ場がないような圧迫感を感じる。


 (どうしてこんなに私を追い詰めるの……私が殿下に近づくなんて考えられないのに。むしろ私は処刑される可能性があるというのに……)


 言葉を失いかけたエリーゼだったが、ここでまた逃げ出せばますます“怪しい行動”と思われるだろう──彼女は精一杯震えを抑えて、シャルロッテに向き直る。


 「……シャルロッテ様。殿下に接近したいのなら、ご自由になさって。私に何の企みもありませんし、噂になるのは心外ですけれど……」


 静かな口調を装いながら伝えるが、内側では涙がにじむほど怖い。シャルロッテの微笑には毒が混じり、取り巻きたちが「まあまあ、強気ね」「今さら何を」などと小さく呟いているのが聞こえる。


 だが、ここで引くこともできず、エリーゼは逃げずに姿勢を保ち続ける。何か言い返されるなら受け止めようと腹をくくっている。


 一瞬、シャルロッテの表情が変わる。強気な笑みの奥に、いぶかしむような色が走った。「どうしてこんなに毅然としていられるのかしら」と疑っているようでもある。


 しかし、その直後、通りかかった令嬢が「シャルロッテ様、お連れ様があちらでお待ちですよ」と声をかける。手伝いを頼まれていたらしい。


 シャルロッテは一瞬エリーゼを睨むようにしてから、柔和な笑みを作り直して「では、失礼するわね」と踵を返す。取り巻きも「ごきげんよう、エリーゼ様」と口先だけの挨拶を残しながら去っていった。


 エリーゼはそっと肩から力を抜く。心拍が痛いほど速まっており、ほっとした半面、「こんな場面がずっと続くなら私、耐えられないかも……」という気持ちが大きくなった。


 (やっぱり殿下との会話も、周囲の影響が大きすぎる……私が一方的に動いても騒動になるだけ。どうしたらいいの……)


 やがて、エリーゼは少し離れた位置にある噴水の裏手へ回り、彩られた花壇の陰に寄る。そこは人目が少なく、心を落ち着けられる小さな隅であった。


 近くに誰もいないことを確かめると、もう我慢できず、大きく息を吐き出す。何もかもが息苦しい。殿下の冷たい態度の裏に何があるのか確信を得られず、シャルロッテや噂好きの令嬢たちからは“殿下に取り入ろうとする悪役令嬢”のように揶揄される──。


 (本当は、処刑されるかもしれないっていうのに……誰にも話せなくて……)


 涙がこぼれそうだが、ここで泣き出してはもっと騒がれてしまう。必死に目を閉じ、地面を見つめる。


 しかし、その様子を物陰からひそかに盗み見ている視線があった。先ほど伯爵派閥らしき一団が、エリーゼを観察するよう命じた小姓が、その花壇の角で目を光らせている。どうやら彼女の動揺を楽しむかのように、あるいは何か弱みを探っているのかもしれない。


 エリーゼがそんな陰謀に気づくはずもなく、ただ苦しみをこらえて息を殺しているのを見て、小姓はにやりとほくそ笑む。それは、エリーゼを陥れる策を考える派閥の意を酌んだ行動かもしれない。


 こうしてエリーゼはまたしても事態を打開できず、負の連鎖に陥っていた。殿下の言葉は確かに少し優しかったが、それは周囲に気づかれぬ微妙なニュアンスだけ。彼女は依然として“王子に殺される未来”から何の進展も見出せない。


 庭園の豪奢な音楽と人々の笑い声が遠くから聞こえる。誰もが優雅に午餐会を楽しむなか、エリーゼは木陰でうずくまるように息を整え、もう一度だけ奮い立とうとする。だが、その先にあるのは再び立ち塞がる壁の連続──シャルロッテや取り巻き、そしてフィリップの冷やかな身分差。


 (まだ……終わらないわ。私がここで諦めたら、ほんとうに未来視どおりになってしまうかもしれないもの。何があっても、もう一度だけでも……殿下と話せる機会を探さないと)


 そこにどんな危険や陰謀が待ち受けているかも知らず、エリーゼはゆっくりと立ち上がる。ぎこちなくスカートの裾を正して、再び噴水のある中央へ戻ろうと決心した。


 明かりの見えない道を進みながら、ほんの少しでも運命を変えられるチャンスがあるなら、エリーゼは決して逃さない──そう、決意した。



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