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【2:冷酷王子の到来──噴水前で交錯する視線】

 王宮の中庭は、華やかな午餐会の雰囲気に満ちていた。


 青空の下でテーブルクロスが白く映え、色とりどりの花飾りが視界を彩る。貴族たちの会話や軽い笑い声がそこかしこに湧き、噴水の水音が柔らかいリズムを刻んでいる。それなのに、エリーゼ・ハウフマンの胸は重苦しいばかりだった。


 (もう、殿下がお越しになるころかも……)


 そう思うたび心臓が痛んでしまう。周囲ではさまざまな噂が飛び交い、彼女をちらと見て「やっぱりあの悪役令嬢が来ている」「よく堂々と出席できるわね」と囁き声が聞こえてくるようだが、いちいち気に留めても仕方がない。エリーゼはテーブルに腰掛けたまま、何とか動揺を抑えようと自分を言い聞かせていた。


 しばらくすると、噴水の東側のアーチ門あたりで、数名の近衛騎士が動き出すのが見えた。何やら配置を整えるような素振り──どうやら王族が来場する直前に行われる動作に近いらしい。


 「ねえ、もう殿下がいらっしゃるのかしら?」


 「そうかもしれないわ。そろそろかもしれない……」


 周囲の令嬢たちがささやき合い、少しずつ庭園の空気がピリッと引き締まる。エリーゼの隣に座っていた令嬢が小声で「ハウフマン様、失礼ですが、わたくし今のうちにお手洗いに行ってきますね」と席を外してしまった。どうやら殿下の到着直後に席を立つのは失礼とみなし、先に済ませようという考えなのだろう。


 置いて行かれた形のエリーゼは、独りぽつんとテーブルに取り残されたように感じる。(どうしよう、殿下に挨拶はどうすれば?)焦る気持ちが大きくなるが、慌てた素振りを見せては逆効果になると思いこらえる。心の中で必死に唱える──落ち着いて、平常心を保つのよ、と。


 やがて、近衛騎士の一人が芝生の上で姿勢を正す。その背後から、漆黒の髪を持ち、厳粛な雰囲気をまとった青年──フィリップ・フォン・クラウゼル王子の姿が見えた。


 いつもと同じく、頑なに人を寄せつけぬ冷たい表情でゆっくり歩を進める。控えめな正装の装いはシンプルだが、どこか威厳が漂い、見る者の息を呑ませる。


 「おお……殿下がお越しになった……」


 「あれが“冷酷王子”……」


 周囲の貴族たちがざわめき、とりわけ令嬢たちの間には「あの姿を拝みたい」「なんとか言葉を交わしたい」という思いが込み上がる者も少なくない。もちろん、シャルロッテをはじめとするグループはさらに熱い視線を送っている。


 フィリップはいつも通り、どこか淡白にあたりを見回す。恭しく礼をする下級貴族にはかすかに頷くだけで応じ、華やかな装いの令嬢たちが微笑みかけるのにも応えることはほとんどなく、通り過ぎていく。


 その冷厳な態度がまた、“冷酷王子”の呼び名を確かなものにしているのだろう。だが、心の内面では彼もまた、別の感情に駆られていた──(エリーゼはどこに? どうしても探してしまう)と思いつつ、それを表情には出さない。


 一方、エリーゼは噴水の近くに設えられたテーブルからその姿を認めた。黒々とした髪、凛とした立ち姿──夢に見た“殺意の表情”とは違う。彼の容貌は端整すぎるほど端整なのに、その白皙の顔に湛えられた冷ややかな雰囲気が周囲を圧倒する。


 (……来た……殿下が……)


 心拍が一気に跳ね上がり、口内がカラカラに乾く。手元のジュースグラスを持とうとしても震えてまともに掴めそうにない。


 遠目にも、王子はほとんど笑みを浮かべずに会場を見回しているように見える。あちこちで礼をする人々をわずかに頷きながら通り過ぎていく──まるで自分に干渉することを拒絶しているかのようだ。


(ああ、やっぱり怖い……あの表情のまま、何かのきっかけで私を処刑する運命に繋がっているなんて……けれど、私は彼とどうにか言葉を交わさなければならない……)


 何度も深呼吸をしようとするが、うまくいかない。両手を膝の上でしっかり組んで、少しでも震えを抑える。いま立ち上がって挨拶に行くのは、かえって注目を浴びるかもしれない──特に“悪役令嬢”のレッテルを貼られたエリーゼにとって、その行動は危うい。


 (殿下のほうから私へ声をかけてくださるなんて、想像できないし……このまま席に座っていたら、結局すれ違いで終わるのかも……でも、それって運命を変えられるの?)


 思考が堂々巡りする中、シャルロッテのグループが殿下のすぐそばに集まり始めたのが見えた。


 華やかなピンクのドレスに身を包んだシャルロッテは、取り巻きの令嬢と共にフィリップへ近づき、優雅にお辞儀をしながら明るく声をかける。

「ごきげんよう、殿下。お忙しいなか、こうして午餐会へいらしてくださるなんて、とても光栄ですわ。王宮の噴水も、きっと殿下をお迎えする喜びで溢れていることでしょうね」


 取り巻きたちが「そうですわ」「殿下がお越しになると会場がより華やぎますわ」と同調し、あたかもフィリップを称える小さな輪ができる。


 殿下は淡白なまなざしでシャルロッテを一瞥し、「ああ、そうだな」とだけ短く返す。特に微笑みもせず、それ以上踏み込んだ会話をしない。だが、それだけでも十分に貴族たちは嬉しがるのか、軽く頬を染めている令嬢もいる。


(やはり、シャルロッテ様は積極的にアピールしに行くのね……)


 少し離れたところからその様子を見ていたエリーゼは、胸にチクリとした痛みが走るのを感じた。自分も“ああして振る舞う”ことで何かを変えられるかもしれない──しかし、それには大きなリスクがある。


 もしも今、席を立ち上がって殿下のもとへ行けば、周囲は絶対に「悪役令嬢が何を企んでいる?」と目を光らせる。殿下自身がどう思うかも分からない。


 だからといって、黙って見過ごせば運命は変わらないのではないか。どちらを取っても危うい二択に、エリーゼの頭は熱を帯びる。



                ◆



 一方でフィリップは、シャルロッテへの対応をそこそこに切り上げたあと、視線だけをすっと周囲に巡らせていた。彼にしては珍しく、近衛の護衛たちが「殿下、もう少しこちらへ……」と促すのを軽く無視して、噴水周辺を見回している。


 この場にエリーゼがいるかもしれない──そう思うと落ち着けず、彼女を一目見つけなければ心が騒いで仕方がない。


 だが、冷酷王子としての仮面をかぶったままでは、あからさまに探すそぶりはできない。彼はあくまで自然に体を回して、軽く首をひねる程度に留める。


 (どこにいる? あれが彼女か……? 違う、別の令嬢だ……)


 心のなかで焦りながらも、表情には微動だに出さず、隣に立つ騎士の話を聞くふりをしている。シャルロッテは殿下に気に入られようと笑顔を向けるが、フィリップは既に興味を失った風に振り向きもしない。


 そのまま噴水の向かい側へ歩みを進めるフィリップ。その先に、控えめにテーブルに腰掛けるエリーゼの姿をようやく捉えた。


 一瞬──ほとんど誰も気づかないほどの刹那、フィリップの瞳がかすかに柔らぐ。しかし、すぐにそれを打ち消すように冷然とした眼差しに戻り、無言を貫く。


 “彼女は……相変わらず元気がない顔をしているな……”と胸が軋む。だが、ここで急に話しかけに行けば、周囲を驚かせるだけでなく、エリーゼ本人を困惑させるかもしれない。


 フィリップは迷いに迷い、結局、すぐには行動を起こさず、別の貴族が差し出す挨拶へ儀礼的に応じはじめる。



               ◆



 一方、エリーゼもようやく気づいた。フィリップの立ち居振る舞いが、微かにこちらへ目を向けたように感じたのだ。


 (殿下が、私の方を見た……?)


 それだけで息が詰まりそうになる。このまま目を合わせたら、彼が向こうから近づいてくるだろうか。それとも、拒絶の視線を投げて終わるのか──考えても答えは出ない。


 動けずにいると、隣のテーブルで「殿下はいまだに冷淡ですね。でもそこがまた素敵だわ」などと令嬢たちが囁いているのが聞こえる。


 (本当は冷酷なんかじゃなくて、もっと別の理由があるかもしれない……そう思うのは甘い考えかしら?)


 そんな思いが頭をよぎるが、占いで見た“彼が私を殺す未来”が、彼女の希望に深い影を落としている。どちらにせよ、最悪の場合、このままでは何も変えられない。


 噴水の音が静かに響き、そしてそれぞれの胸で響く動悸もまた高まるばかり。


 王子はシャルロッテら貴族からの挨拶を受けながらも、ほんの一瞬エリーゼを見つけ出し、どうやって声をかければいいか策を練っている。エリーゼは椅子から立つタイミングを掴めず、結局彼女も動けずにいる。


 ほんの数メートルの距離が、まるで大きな隔たりにも思える。お互いに“もし今、言葉を交わしたらどうなる?”と考えながら、周囲の視線が気になり、一歩が踏み出せない。


 ──こうして王宮の午餐会は華やかに始まったが、二人のもどかしい距離は埋まらないままだ。シャルロッテや他の令嬢たちは殿下への接近を狙い、エリーゼは悪評を気にして何もできず、フィリップも王子の立場を思えば自ら動くことに慎重にならざるを得ない。


 それでも運命という歯車が音を立てて回り始めているのを、二人はうっすら感じ取っていた。かつて夢や占いで示された破滅を、本当に回避できるのか──答えはまだ見えない。



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