銀河の片隅にて
「やはり、きっかけは春の暖かい風でしょう。この風がなかったら、こんなことにならなかったと思います」
中野は、こう切り出した。
この日、仕事を終えた中野と渋谷、大塚は、晩酌の相談をしていた。三十路手前の同期三人で、いっしょに飲むのは、週一の楽しみなのだ。
「給料日前だから、安くすませたいな」と大塚。
「そうだよな。なら、駅前の『虎の子』でいいんじゃないか」と渋谷。
渋谷の意見に、中野は異を唱える。
「えー、最近『虎の子』の使用率、高くない? 別のところがいいよ。」
異を唱えた中野に、すかさず大塚が異を唱える。
「でも、『安い・うまい・店員がかわいい』の三拍子そろった店なんて、『虎の子』くらいだろ。今日は新しい店を開拓する気分じゃないよ」
異を唱えた大塚に、今度、異を唱えたのは渋谷だ。
「新しい店を開拓する気分ではないのは認めるよ。でも『虎の子』の気分でもないんだよな、正直」
「……、わかる、正直。理論的には『虎の子』一択なんだけど、生理的には違う」
大塚も認めた。
とりあえず、三人は駅に向かって歩きはじめた。暗黙で「駅前まで向かって、なにか別の案がでなかったら『虎の子』」になっていた。桜は散って、木々は新緑をつけていた。吹いている風に、冷たさを感じさせない。そして、熱くもない。暖かい。月が綺麗だ。
「こんな日は、外の席で飲みたいね」
渋谷は言った。大塚も同意する。
「なら、『四つ葉バル』で飲む。あそこ、テラス席充実してるし、店員もかわいいよ。給料日前にちょっと無理することになるけど」
大塚の意見に、すかさず中野があやまる。
「ごめん、今月はもう無理できない」
大塚と渋谷は、気分は『四つ葉バル』のテラス席だ。そこで、春の風を感じながら酒と肴を堪能する気しかない。だから、中野には帰ってもらうのがいい。別に金がないなら、いっしょに飲まなくてもいいのだ。給料日まで、家でおとなしくしてもらおう。
中野は、大塚と渋谷が考えていることを、しっかりと察した。このままだと、むりやり帰される。察すると同時に、新しい案も浮かんだ。
「この先の公園で、外飲みしないか。駅前の総菜屋でつまみを買って、酒屋で酒買って飲もうよ。ちょっと贅沢しても、店で飲むより安上がりだろ」
中野の案に、二人は賛同した。
「そうだな。あそこの公園、イスにテーブルもあるから、外飲みにいいよな」
「あそこの総菜屋、肉じゃがうまいよ」
「こうして僕たちは、駅前の総菜屋で枝豆と肉じゃが、唐揚げ、オクラとながいものポン酢和えを購入しました。酒屋では各自、自分の飲む分の酒を購入しました。僕は、缶ビール二本、レモンサワーの缶を購入しました」
中野の告白は続く。
「僕たちが公園に着いたとき、すでに、四組あったイスとテーブルの内、二組先客がいました。空いていたテーブルに座って、酒盛りを始めました。総菜屋で買った料理は、どれもおいしく酒がすすみました。酒屋で買った酒はすぐになくなり、なくなったら各自、公園のとなりのコンビニで買っていました。僕も、缶のハイボールと、……、あとなにか色々、買いました。一時間くらい過ぎたときは、三人とも、いい具合に酔いがまわっていたと思います」
「いやあ、風、気持ちいい」
そう言って、大塚はイスにもたれた。自然に、大塚の目線が空に向かった。月に釘付けになった。
「こうして、じっくりお月さん見るの、何年ぶりかな」
大塚につられて、中野、渋谷も空を見上げた。
「綺麗だな。満月だ」と中野。
「いや、満月は二日前だったから、ちょっと欠けた月だね」
渋谷が訂正した。
「月は綺麗だけど、やっぱり星はよく見えないな。まあ、東京では無理か」と中野。
「あそこに見えている星、あれ、北極星かな?」と大塚。
「いや、方角が逆だから、さそり座のアンタレスだよ」
渋谷が指摘した。
「そうか、さそり座があの辺なんだ。では、オリオン座はどこだ?」と中野。
「オリオン座は、冬の星座だよ。ギリシャ神話では、オリオンはさそりにやられたから、さそり座が夜空にあらわれると、オリオン座は隠れていく」
渋谷は解説した。
「……、ひょっとして、渋谷、星座とか星のこと詳しい?」
「いや、これくらい常識だろ」
どうも、渋谷の常識と、二人の常識に格差がある。というか、元々、渋谷の知識は偏っていた。会社内で、日本の未解決事件でもっとも詳しいのは渋谷だ。
ただ、中野も大塚も、星座に興味がない。ここで話は終わった。ただ、三人とも空を見上げたままだ。そのまま、チューハイを飲みながら、次の話題を探している。
「宇宙人っているのかな?」
先に動いたのは中野だった。この質問に渋谷が素っ気なく答える。
「いるんじゃないか。宇宙は広いから」
「なら、なぜオレたちは宇宙人に会えない?」
「そりゃ、宇宙は広いから」
渋谷の答えに、二人は顔をしかめる。渋谷は詳しい説明を始めた。
「まず、地球みたいに生命が誕生できる星ができるのが、そうとうな、奇跡らしい。そして、そこから宇宙を探索できるほどの文明ができるのが、さらに奇跡だろう。しかも、その文明の生物が地球に来るのなんて、日本からアメリカまで、風船で横断が成功するくらい、確率は低いとおもう。そんな星があったとしても、地球までどのくらい、距離があるんだって」
渋谷の説明に、二人は強くうなずいた。
「でも、地球に来れる高度な文明をもっているなら、仮に、地球に来ていても、オレたち地球人の相手なんか、まともにしないだろう」
そう言って、大塚は低く笑った。
「なるほど。実は地球に宇宙人は来ているけど、地球人の相手にメリットがないと考えているから、スルーしているのか」
渋谷も笑った。中野は笑っていなかった。
「いるとしたら、出会える可能性があるということだよな」
中野の言葉に、二人も笑いが止まった。
「いや、そんな超文明をもっている宇宙人なら、地球人の相手をしないだろう」
大塚は反論した。しかし、中野は揺るがない。
「そこは、オレたち地球人の誠意次第ではないか。誠意も見せず、会ってください。こんなの、全宇宙、通用しないよ」
中野の言うことも、もっともに聞こえた。
「なら、円陣を組んで呼びかけるか、それとも、地球の珍しい資源でも供えるか」
大塚の提案に、すかさず渋谷が反論する。
「いや、宇宙人なら、そんな手垢のついた呼びかけなんて興味ないし、地球の珍しい資源なんて、宇宙を渡り歩いていたら、そんな珍しくないだろう」
「なら、どう誠意を見せればいい?」
大塚の質問に、中野は迷いなく答えた。
「誠意なんて心意気だろ。親兄弟にも見せられないモノをささげるのだ!」
「……、え、それって、……、ちんち」
「馬鹿野郎! それは親兄弟には見せられないけど、ある方面ではじっくり見てほしいだろう」
「……、では何をささげれば?」
「このような経緯で、公園という公衆の面前で、僕たちはケツの穴を空へ向けていました」
ここで、中野の独白は終わった。警察署の取り調べ室で、年配の警官はそれを聞きながら調書をつくっていた。つくりながら、しかめっ面が止まらない。
年配の警官は中野に聞く。
「あのさ、どんな事情でも、いい大人が下半身露出していたら、即、逮捕だから。というか、いい大人が三人いて、だれも尻を空に向けるのを、止めなかったの?」
「ちがいます。向けたのは尻ではないです。ケツの穴、肛門ですね」
「細かいところ、どうでもいいよ」
「ちょっとお巡りさん、調書は細かいところが重要という話だから、なるべく細かく話したのに、そこ、どうでもいいって、どういうことですか」
「まず、質問に答えて」
「いや、三人とも宇宙人よぶのに、マジになっちゃって。宇宙人を呼ぶ行為だと思っていたのが、まさか、来たのが警視庁」
「ちょっとキミ、すこし反省した態度見せてよ」
二人のやり取りを、若い警官が黙って見ていた。見ていて思うところがあったけど、言わないことにした。言うメリットがないからだ。
「肛門は、親兄弟には見せられないけど、ある方面ではじっくりせめてほしいだろう」
若い警官は、思っていたけど言わないことにした。