流れていく方向は
「なんだかこちらの気持ちも明るくなるような足取りですね」
と後ろから声がかかる。
振り返るとレイモンド殿下がいて、ニコニコと笑っていた。
「ごきげんよう。準備は整いましたか?」
「はい。あとはこの身とこの鞄を詰め込むだけです」
「同じ馬車になりますが、研究の邪魔はいたしませんので」
「では、研究のお手伝いをお願いしてもいいですか」
「あら、それは喜んで」
「では、車のなかでいくつか質問と資料の確認をお願いいたします」
「かしこまりました」
堅苦しい内容の会話なのに、レイモンド殿下とは滑らかに物事が進む気がする。
周りの音が少し消えた気がして、そろそろ出発かしらと顔を上げて外を眺めると、少し離れた回廊の柱にもたれこちらを見ているユリウスに似たシルエットの人物が目に入った。
・・まさかね。もし本人だとして、何かの感情に動かされて来たとも思えない。私の気持ちがあまり動かなかったように、彼もきっと動いていない。失望も何もそこにその現実があるだけ。
過去へとつい引っ張られそうな気持ちを振り落とすように軽く頭を振り、また資料へと目を落とす。
土地の特徴と、採れる作物、伝統行事、人口など、一見関係がないような質問を受けたりしながら、地質についてまとめた資料を読ませてもらう。いつの間にか出発していて、旅が始まっていた。
たまに眠くなったら寝て、夜は宿でご飯をみんなで一緒に食べて、だんだんと仲間意識が育っていくのがわかる。一度、レイモンド殿下が軽くいびきをかいたことがあり、それがなんだかとても可愛らしく思えて、指先で唇を押さえて笑みをこらえた。
私だって・・いびきをかいているかもしれないけれど。
2回宿を取るともう北の端へ付き、何かできることはないかと尋ねたら、土地の話を聞いてきて欲しいと請われ、畑仕事をしている人や、果実を木から採集している人に声をかけた。最初は訝しげな目で警戒されるけれど、調査だと説明して土や作物のことで困っていることなどを書き留めて行くと、じわじわと色んなことを話してくれる。
王女として着飾り、城で社交をこなすよりもなんだか楽しく、レイモンド殿下と宿で夜ご飯を食べながら、お互いの成果を報告し合う。採取した石や土を見せてもらい、次はこういう質問をしてみようと思いついたことはメモをして、楽しい夜は更けていった。
□ □
今日は少し移動して川辺を調査するらしい。野草をいくつか見つけてほしいと言われ、採取していく。
お昼になれば木陰で宿に用意してもらったランチを食べる。取ってきた野草は欲しいものが揃っていたらしく、午後は適当に休んでいていいと言われた。
横になって休もうかと思ったけれど、レイモンド殿下が汗を流しながら重い石を持ち上げたり、金槌で粉砕したりと動いている。いくら王女として育ったとはいえ、同じ王族である彼があそこまで自分で動いているのを見て、何も感じないほど鈍感ではないけれど、同じように体を動かす気にはなれず、久しぶりに絵を書いてみることにする。
採取した野草を並べて、色鉛筆で一つずつ描いていく。
たまに手を休めてはレイモンド殿下の様子を眺め、また野草を描いているとあっという間に薄暗くなってきた。単純作業をこなしていると、いろいろな記憶や想いが浮かんでは消える。
そんな風に街を移動しながら調査を進めていくうちに、王族としての意識が少し薄れていることに気がついた。
南の街に着いて2日目、大雨のため調査に出られず資料整理のためにレイモンド殿下の部屋で作業をすることになる。何か手伝うことはないかとたずねると、今日は整理するだけで、あとは書き留めていくので、もし何かあれば声をかけるからとのことで、また絵を描きながらたまに手伝い、殿下の顔に疲れがでていると感じたらお茶を用意したりして、降りしきる雨の音を聞きながらどこか心が落ち着く時間を過ごした。
作業が終わると今日は二人きりで部屋で食事をすることになり、みんなが食堂へと下りた後、静かに質素な夕食を摂る。
「雨が上がってもぬかるんだままでは調査は難しいのでしょうか?」
「そうですね、色々と判別も難しいのですが、水はけについてだけは調べやすいかな」
「レイモンド様がこのように地質学に傾倒されたのはいつ頃でしょうか?なにかきっかけが?」
「小さいころからアリの動きを1日中眺めるような子供だったんだ」
「はい」
「アリの巣がどうなっているのかどうしても見たくてね」
「土を掘った?」
「そう。アリの巣を横から眺められるように、大きく深く毎日掘った」
「根気強いのですね」
「まあなんというか、しつこいよね」
「興味あることにしつこいのって、才能なんですね」
「でも、気持ち悪がられることもあった」
「そうでしたの・・」
「でもやり遂げたんだ。ちょうど地面の断面を眺められるぐらいに深く、ちゃんと上り下りしやすいように階段も作って。我ながらなかなかの出来だった」
「ふふ」
「アリは慌てていたけど。それも眺めて。しばらく経つと、土の色が違うことに気がついた」
「はい」
「なぜ色が違うのか、なぜアリはこの深さを選んだのだろうか、なぜ硬さが違うのだろうか。そこからはもうなぜ?の嵐だった」
「それらの答えはご自分で見つけられたのですか?」
「本に書いてあることもあった。だけど、答えがわかれば次の疑問が湧いてくる。それの繰り返しでどんどんのめり込んでいきました」
「とても・・・幸せなことですね」
「そうですね。のめりこめることも、それを許される環境にも感謝しています」
「羨ましいですわ」
「というと?」
「わたくしにはそのように夢中になれることも、熱意もありませんもの」
「こう考えてみるのはいかがでしょう」
「?」
「人間、なんらかの目的をもって生まれてきた。人によってタイミングややりたいことが違うけれど、目的が見えなくなっているのであれば、余計なものを取り払って素直になれば必ず見つかる、と」
「なんだか似たようなことをプリシラに言われたような・・」
「どのように?」
「本当の気持ちがわからなくなっているのでしょう、と。だから小さなことでも自覚するために書き出すことになり、それはもう細かく書きましたわ」
「なにか気になることは見つかりましたか?」
「そうですわね・・・よろしくない感情や出来事というのは、そこに焦点を当てれば引きずられるように次々と浮かんでしまうということがわかりました」
「気になることはそこですか」
「ええ。プリシラには『全部出しちゃいましょう』と言われて書き続けましたけれど、それはもう自分がこんなにも嫌なことをたくさん抱えていたのかと、おかしなことに自分で自分にびっくりしたんです。どこかで自覚していたのに、それを見ないようにしていた」
「ふむ。それは私も書いてみたくなりますね」
「レイモンド様が私のように負の連鎖を起こすでしょうか?・・起こさないような気がいたします」
「わかりませんよ。私も王族の端くれです。この社会には思うところがたくさんありますからね」
「その視点だと・・確かにあるかもしれませんね」
「ところで」
「はい?」
「旅行もこうやって一緒に穏やかに過ごせていますし、深い話もできていますよね?」
「わたくしとレイモンド様が?・・・ええ、そうですね。とても穏やかに楽しく過ごしています」
「良かった。ではお願いなのですが。私のことはレイモンドと呼んでいただけませんか?」
「少し照れますわね」
「そこをなんとか」
「ふふ。わかりました。ではレイモンド、わたくしのことはスカーレットと呼んでいただけますか?」
「スカーレット、もう一つお願いが」
「あら、なんでしよう」
「もっと気を遣わない話し方で旅を過ごそう」
「な、なんだかドキドキと緊張してしまうのですが・・」
「そこをなんとか」
「が、頑張ります・・」
「よし!じゃあこの食事が終わったら、私が書き出すのを見ててください」
「よ、よろしいんですの?」
「じゃなくて?」
「あ、ええっ・・と・・いいの?それを私が覗いていても」
「人はこんなことを考えるのかと笑ってくれるといい」
「・・・わかり・・わかったわ」
いつもより口を大きく開けて笑うレイモンドは、なんだかとても楽しそうに見えた。
読んでいただき感謝です。