転換期は混乱。
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「久しぶりね、ユリウス」
「ご無沙汰しております」
優雅に私の手を取り、王宮の庭園の隅にある東屋へと移動する。
花が咲き乱れ、木々は新しい葉の香りをまとい、虫たちが飛び交う。
新しい生命の香りを思い切り吸い込んで、できるだけ足元を移動するアリやダンゴムシを踏まないように歩いていく。
元々そこまでは気にしていなかったけれど、レイモンド殿下の本を読み、全ての生き物や地中活動がこの世界を作っているのだと思うと自然に全てが愛おしくなり、少し気をつけるようになった。王女としての在り方より、人間としての在り方を意識する転換期なのかもしれない。デリケートすぎるのも今だけかしら。
私がたまに歩調を乱すのが気になるのか、
「どうかされましたか?」
と尋ねられる。
「全ての生き物を愛おしいと感じたことはある?」
と尋ね返してみると
「経験がありませんね」と答えられてしまった。
そうね、それもわかるわ。
それからは少し目線を先に置いて、生き物は避けつつなるべく歩調を乱さないように歩いた。
東屋にはお茶の用意がされていたので、お茶をカップに注ぐ。
「単刀直入に訊くけれど、ユリウスは真剣に恋をしたことがある?」
「・・ありませんね」
「・・そう」
「ですが、スカーレット様にはちゃんと向き合っています」
「そうね。私がそう頼んだから。でも・・」
私があなたに惜しみなく愛を注ぐ自信もないの。それだけははっきりとわかった。
「でも?」
「あなたを解放すると言ったら?」
「え・・」
「いざとなると、私は何を求めているのかわからなくなってしまったの」
「・・・」
「無知なのか、臆病なのか、恋に恋をしていただけなのかわからないけれど。これ以上あなたの時間を奪うのはやめます」
「私のことはもう必要ではない?」
「わからない。けれど・・私は王女だもの。わたしに言われると断れないでしょう?」
権力を使うつもりはなくても、使っていることと同義になってしまう。
そして、それを利用してもいた。
けれど、もう充分。
全ての生き物を愛しいと感じる感情も共有できない。そのことがなんとなく「違う」と感じた今。
「今後、このように会いに来いと呼び出すことはないから安心して」
「・・では、私から会いにくるのはお許しいただけますか?」
「そうね。それは構わないわ」
「ありがとうございます」
きっともう来ないだろう。王女に対する礼儀で愛想良くしてくれたのだ。
偉そうに「あなたの心が欲しい」なんて言って、結局格好がつかない結末になってしまったわ。そう思いながら少し冷めた紅茶を飲み下す。
王女としてのプライドをごっそり捨てたような気分になったけれど、ユリウスを振り回したのだから当然よね。
□ □
「スカーレット様?」
つい大きくため息を吐き出してしまい、プリシラに問われた。
「あ、ごめんなさい。プリシラの前だとどんどん王女としてまとっているものが剥がれ落ちてしまうわね」
「大きくため息をつくのも大事なことかもしれませんよ?」
「ふふ。そうね、ありがとう」
「で、どうされましたか?」
「あら、尋ねてくれるの?」
「はい。もしも『私に構って。私の憂いに気がついて』というなんか気持ち悪い感じでついたため息なら無視させていただくのですが」
「・・・」
「今のは思わず出たため息だったので、理由を尋ねてみました。でも言いたくなければ構いません」
「こいつ、ユリウスを手放したんだよ」
「えっ!そうなのですか」
「いたわよね。知ってる。お兄様がプリシラの椅子と化していたのは知っていたはずなの」
「まあ、あの盛り上がりに欠ける関係じゃ手放したのが正解だろう」
「椅子が偉そうに話してる。・・何かが違う気がするのに相手の時間を奪うのは申し訳なかったの」
「それでいいと思いますよ?」
「そう?自分で決めたのに、たまに違ったかしら?って後悔することもあるのよ」
「プリシラを手放すなんて考えられないがな」
「シリル様はもし私がどこかへ逃げたらどうします?」
「泣く!」
「泣くのね・・・」
「泣くだけですか?」
「どうにかしてプリシラを取り戻す方法を考える」
「方法?」
「もし、万が一、考えたくないが・・・」どんどん声が小さくなっていく。
「お兄様、しっかり」
「万が一・・・嫌われたとして」
「お兄様、ハンカチをどうぞ」
「嫌われた原因を探してそれを完膚なきまでに排除し、土下座して戻ってくれるように頼み」
「シリル様、私のハンカチもどうぞ」
「それでもだめなら拉致監禁・・」
「え、そっちに行くの?」
「したいけど、プリシラが悲しむようなことはできないし、したくない!」
「さすがシリル様!大丈夫です!私が嫌いになることなんてありませんし、離れません。ずっとそばにいます」
「プリシラ!」
今日のハグはいつもよりドラマチックだこと。
お茶を入れ直してチョコレートを口に運ぶ。
まあでもそうね・・ユリウスはここまで追いかけてくれるようなことはないだろうし、私も泣いてすがってやり直したいとまでは思わない。
「ちょっと!いつもより長すぎるわ」
結局、お兄様は時間がなくなるまでずーっとぎゅうぎゅうと抱きしめていた。
□ □
レイモンド殿下の希望に沿った観光計画が出来上がった。
我が国の地質を調べたいとのことで、海辺や川の近く、山と丘稜地、平野部、できるだけ広範囲を回れるように、北からぐるっと時計回りで一周することになる。
幸いこの国は東西南北十字路のように太い縦貫と横貫の主要道が走っていて、さらに国境や海辺にも国を丸く囲むように整備された道が走る。
すべてをゆっくり回っても3週間ほどで旅程を組めた。
仰々しく行進するのではなく、お忍びで研究者を装って旅をするため、護衛もあまりつかない。国は安定しているし、他国との争いもないので、軽装で回るとのこと。
リチャード兄様が同行する予定だった。
だけど、お兄様はお腹が弱い。
頭もよく、鍛えていて剣術にも優れているお兄様なのに、お腹は弱い。
万が一のこともあるからと、私にも心と荷物の準備をお願いされた。
万が一のことがあっても、まさか異性と3週間も旅をさせることはないだろうと思っていたのに・・・
出発当日、お兄様はお腹を壊して私が同行することになった。
「策略の匂い」
「まあそうだろうな」
「シリル兄様が行けばいいのに」
「行くわけがないだろう」
「期待はしていませんでしたけれども!」
「ちょうど気分転換になるんじゃないか?」
「・・そうですわね。この国の隅々を見て回るのは楽しみですし」
庶民に扮装し、髪はゆるく三つ編みにし、足は柔らかい革のブーツ、旅行中は王族であることを忘れていい気がして体の余計な緊張がなくなる。
王家の馬車では目立つので、内装だけ柔らかくて居心地良く、最先端のスプリングをふんだんに使い、外から見れば普通の馬車に見えるように改装した馬車が待つ裏門まで進む。
荷物は同じような馬車に積みこむようで、みんながせわしなく準備中だ。
気持ちと足が軽くて、弾む足取りで近づいていくと、
「なんだかこちらの気持ちも明るくなるような足取りですね」
と後ろから声がかかる。