この愛の先
最終話です。ちょっとあけすけな部分もあるかもです。
「うーん・・何を伝えればここを開けてくれる?」
「・・・」
「今、良い機会だと思うの。かっこよくないかもしれないユリウスの姿を見て、お互いになにか変わるかもしれないじゃない?」
「・・・」
「少なくとも、本当のあなたを見せてくれるようになってからのほうがとても好ましいのよ?」
「・・・」
「かっこ悪くたっていいじゃない」
「・・・」
どれくらい時間が経ったのだろう。2時間は経ってる気がする。一方的に話しかけているから、のどがカサついてきたし、足も疲れた。これ、日を改める?
でも、そうしたらまた綺麗なユリウスしか見られない気がする。
こんなことで無理を通しても、何も変わらないかもしれないけれど、何もせずに変わることも難しいのではないかしら。
「決めたわ」
「え?」
「王族として命令します」
「え」
「ここを開けなさい」
「・・・」
「5分待つわ。それでも開けないなら、鍵を持ってこさせるか扉を壊します」
「・・・」
ガチャ
解錠の音がした。
扉は開かない。
気が変わらない内にとすぐに把手を握って回す。
恐る恐る開けたドアから入ると、カーテンは閉めたままで薄暗く、なんだか空気がこもって重苦しいカビのような匂いが立ちこめている。
「ユリウス、窓を開けてもいいかしら?」
「い、嫌です」
「そう・・」
どこにいるのかと暗い部屋を見回す。ベッドの足元のほうに蹲る人影を見つけた。
ゆっくり近づいていくと、わずかに身体が動く。
目の高さを同じにしたくて、私も座り込んだ。
じわじわ暗さに慣れてきた目で無言でユリウスを確認する。
着ている服は白いシャツと黒いシンプルなパンツ。俯いて顔は見えないけれど、髪は乱れてなんだか清潔感に欠けているわ。
おヒゲは生えてたりするのかしら?さっと表面の観察が終わると、異臭に気づく。なるほど、これはお風呂に長く入っていないのね。
いい匂いとは決して言えない。
はっきり言うと・・
臭い。
だけど、我慢できる。人間はお風呂に入らないとこんなにも臭くなるのかと冷静に思う。
あのいつも爽やかな香りをまとっているユリウスがこんなにも臭いなんて。
ふと、脳裏によぎる。あのときのプリシラの言葉。
【キスが臭かったら・・】
「ユリウス、顔を見せて」
「・・・」
「もう、いまさらあなたのことを嫌いになったりしないわ」
「・・・」
「おヒゲ、生えてる?」
「・・・」
もう!まどろっこしいわね。
そろりと少し近づいて、ユリウスの髪を撫でた。
爽やかな感触ではない。予想通りと言ってもいいぐらいの重たい感触。
そのまま顔を少し持ち上げるようにして、頬を触るとかたいヒゲの感触。
嫌がってのけぞったりはしていない。
「ユリウスって結構毛深かったのね」
思わず笑いながら言った。
「だから嫌だったのに」
「いいじゃない。思ってた以上に生えてるけど、野性的でいいわ」
「・・・」
本当に、この人はあんなにスマートな立ち振る舞いをできるのに、中身はとても弱い。
「どうしてユリウスは部屋に閉じこもっていたの?」
「・・それは」
異臭が漂った。
ああ、歯も磨いていないのね。やはり物語の中とは違い、現実には匂いを伴うし、ロマンチックな要素なんて頑張って作り出さない限りは存在しないのね。
臭いのは嫌い。だけど、ユリウスの匂いなら耐えられる。
これってもう愛なのでは。
匂いで確認するなんて、どうかしてるわね。
ユリウスが小さい声で言う
「あなたが結婚の準備に行ったと聞かされて・・」
「結婚の準備?・・だれが?」
「スカーレット様はレイモンド様と婚約して隣国に嫁ぐのだとシリルが」
「ああ、そういうことね」お兄様ったら。
「それで、あなたは拗ねちゃったの?」
「・・・そうかもしれません」
やだ・・可愛いかも。
追いかけてくるわけでもなく、奪いにくるわけでもないただの臆病な人。そして優しい人。
「結婚はユリウスがしてくれるのではないの?」
「え?」
びっくりしたのかやっとしっかりと顔を上げてこちらを向いた。
目はなんだか光が消えたようにどんよりとしているし、ヒゲで清潔感もなくなっている。
「私に結婚を申し込んでくれた記憶があるのだけれど、私の記憶違いかしら」
「でも」
「あなたからの愛情など全く感じないけれど、結婚するならあなたがいいと思ってる」
「ど、どうして?」
「そうねえ・・一生をかけてユリウスを愛していくのって、とてもやりがいがありそうだから。かしら」
「・・・」
「あなたが私に愛を返してくれなくても、私はあなたに愛を注いで行こうと思うの」
「・・・」
「あ、でも!もし浮気をしたなら
離縁ね。それはまた違う問題だと思うから、浮気はなしで。他に好きな人ができたなら、速やかに離婚しましょう?」
「・・・」
「臆病で、少しナルシストで、こんなふうに引きこもっちゃって、なんだか清潔感もないけれど、私はあなたのことが好き・・みたい。たぶん」
「・・たぶん?」
「たぶんじゃダメかしら?」
「・・・」
正直に言ったのだけど、この場面では適切ではなかったのね。
まあいいわ。私はもうきちんと決意したの。
ユリウスの顔を両手で優しくすくい、頬にキスをした。
「チクチクするわ」
反対側の頬にも。
「肌に届く感じがしない」
ユリウスの瞳を覗くと、びっくりしているけれど嫌悪の色はない。
今度はおでこにキスをする。
次は鼻に。
「嫌じゃないんですか?」
「言ったでしょう?あなたのことが好きだと。たぶんだけど」
「たぶん・・」
だけど、初めての口づけを今の状態のユリウスにする勇気は出てこなかった。初めてなのに臭いなんて嫌。
「ユリウス、臭いからお風呂に入って来なさい?」
「すっ、すみません!」
「いつものユリウスに戻ったら、クッキーを食べましょう?金輪際焼かないと言ったのに、わざわざあなたのために焼いてきたのよ」
「ありがとうございます」
「噛めるかどうか確かめて、また一緒に・・・作りましょう」
「・・っ」
了承を得ずに、カーテンを開けて窓も開ける。
明るい部屋で目にするユリウスはやっぱりなんだか薄汚れているけれど、立ち上がるようにと手を取ると、しっかりした足取りでどこかへと進んで行った。
しばらくして、髪も洗って良い香りをまとったユリウスが戻る。
少し濡れた髪もボタンをしっかり留めていない清潔なシャツも、全てがプラスに作用していて、これぞ理想のユリウス。
さっきの姿も私だけが知っていると思えば、なんだか愛しい。
そして、臭くない!
やはり、臭くないというのは大事ね。
「おヒゲが消えたわ」
「お見苦しい顔を・・」
「結構好きよ?たまには見たい」
「そう・・ですか」
「ええ」
「あの」
「何?」
まだ座ってもいないのに。
「本当に、私と結婚してもらえるのでしょうか」
「ええ。あなたが嫌じゃなければ」
「助かります」
こちらからプロポーズしたかのような流れで【助かります】なんていう返事ってどうなの。とは思ったけれど、ユリウスなら仕方ないわね。
「一応念の為に確認するけれど」
「はい」
「付き合っている女性はいるの?」
「まさか!いません」
「誰かを妊娠させてる?」
「・・なぜそのようなことを」
「ユリウスは口下手だし、不器用だし、肝心なところで臆病だから、何かトラブルにでも巻き込まれているのかしらと思って」
「スカーレット様の信頼を損ねるようなトラブルはありませんし、この先起こす予定もありません」
「そう。じゃあユリウスも結婚後は誠実でいるつもりはあるのね?」
「約束します」
「では」
「はい?」
「えーっと・・」
「はい」
「あのう・・」
この流れでキスをするのは難しいのかしら?この時だけ、定型ユリウスに登場して欲しいけれど、無理よね。
しょうがない、私は王女だけど・・ユリウスの王子様なの。
立ち上がり、テーブルを回ってユリウスの前に立った。
ユリウスからは石鹸のいい香り。
やっぱりこうでなくちゃ。
「この先、離縁することになったとしても。今は、あなたを全力で愛していくと誓います」
しっかり目を見て静かに宣誓を。
コクリと頷いて、ユリウスが跪く。
私の手を取り優しく唇を寄せ、
「浮気はしませんし、離縁されないよう努力していきます」
やはりロマンチックには欠けるけれど、優しい宣誓。ユリウスの温かい手とひたむきな瞳に
この人と結婚する
という実感をやっと得た。
ユリウスから「好き」という言葉も何ももらっていないけれど、この先の人生でもらえるようにじっくり頑張って生きていこう。
静かな想いを胸に、私がしゃがむ。キスしていいのにとじっと見つめると、やっと唇を合わせてくれた。人生初めてのキスはちゃんと良い香りがした。
ユリウスと一緒にかじったクッキーは、焼いたときより硬化が進んでいて、1枚を食べきるのに30分かかっていた。ユリウスが。
わたくし?1分もかからなくてよ。色々と丈夫なの。
□ □
派手な結婚式はゴールじゃない。大事なのは一緒に作り上げていく人生、生活。
一緒に生活を始めてもユリウスが中々手を出してこなかった。
先に新妻になっていたプリシラに相談すると、どっさり官能小説がユリウスに届いた。
そんなことは知らずに、肉体的に結ばれなくても愛情を持ち続けるにはどう考えればいいかしら?なんて達観の方法を考えていたら、ある日の寝室でユリウスが土下座してきた。
「練習したのでお願いします!」
と。
「はい?練習?」
よもや浮気か?結婚してまだ3カ月なのに。もう離縁かしら。それはそれで仕方がないと思いつつ、悔しさも味わっていると
「送られてきた本でしっかり練習しました」
「誰と?」
「スカーレットと」
結婚してからスカーレットと呼んでもらってはいるけれど、このわたくしスカーレット本体に練習した記憶などないけれど?
「どこのスカーレット?」
「私のスカーレットと」
ダメね。なにか平行線だわ。
「そのスカーレットを連れてきてもらえる?」
「はい」
そう言ってどこかに消えた。
え?
浮気相手を連れてくるつもり?
怒ればいいのかどうしたらいいのか混乱して、手のひらが汗をかいて冷えていく。その奇妙な冷えが足先まで到達した頃、ユリウスが部屋に戻ってきた。
なにか持ってる。
「このスカーレットです」
「え・・」
「プリシラ様が作ってくれて」
「は?」
「大体のサイズ感には自信があるそうで」
「嫌な予感しかないけれど、確かめさせてもらっても?」
「はい、どうぞ」
渡されたそれは割と重量感もあり、顔に「ス」と描いてあった。
「本当にこれと練習したの?」
「はい」
「何を?」
「服の脱がせ方に始まり、甘い言葉の囁き、スカーレット様の喜ばせ方、アフターケアなど」
・・・
え
え?
ええ?
恐る恐るネグリジェのようなワンピースの裾から覗くと、ちゃんと下着をつけていた。
「えーっと・・」
「【勉強しろ、チキン!】という手紙とともにたくさんの本が送られてきて」
「・・・」
「全て読んで頭には入ったので実践したいと相談したところ、【これで練習してからにしろチキン!】と言われ」
「プリシラ・・」
「完璧にできるまで時間がかかってしまいましたが」
「ユリウス・・」
何をやってくれてるんだという呆れにも似た気持ちと、プリシラへの感謝とユリウスの努力への温かい気持ちがぐるんぐるんと胸でもんどり打つ。
混ざらない・・こんなの混ざり合わない。
だったら、選べばいいのよね。
ユリウスへの温かい気持ちを今は選ぼう。
「じゃあ・・よろしくお願いします?」
□ □
翌朝、ユリウスが私ではなくスカーレットちゃんを抱きしめていたのは見なかったことにした。
一緒にパーティに出ると、定型ユリウスがたまに顔を出す。
私を最優先してくれるけれど、条件反射のように令嬢たちにスマートに接してしまうのだ。
中身あんなに残念なのに、
「憧れのユリウス様と一曲踊ってみたいのです」と頼まれると
「では、ぜひそれを叶えましょう」と、エスコート。
ちなみにこれ、何パターンかある受け答えのひとつで、予想外の言葉には対応できない。
「ユリウス様の汗の匂いを嗅ぎたい!」
などというトリッキーな声かけをされたとしたら、
「・・・」
無言で、でも内心では【あうぅ】って困りまくっているだろうことがわかるようになった。
頼まれたら踊って、私の元に戻ってきた途端に
「浮気じゃないですよね?踊りたくて踊ったわけじゃないんです!断れないだけで。怒ってます?機嫌悪いですか?離縁しないで」
と必死に言い訳するからだ。
言い訳するならダンスを断ればいいじゃないかと最初の頃は思ったけれど、今はもうこれがユリウスなのだと思うようになった。
私の前だけ不器用なのも愛せる。
□ □
結婚2年目に妊娠した。
つわりがひどくなってユリウスに愛情を注ぐ余裕がなくなる。
「辛い。いつになったらつわりが終わるの」
「・・・」
無言で側にいてくれるだけのユリウスに、ホルモンのバランスのせいかイライラしてしまう。
吐きそうになる私の背中を撫でてくれるような優しさはあまり沁みないの。
そんなふうに日々の気持ち悪さにやさぐれていると、
「私達の可愛いベイビーのために頑張ってくれるハニー」
という歌を作ったと、またか細い声で歌ってきた。
イライラが沸点に達した後、そうだった・・私が愛することを選んだユリウスはこういう人だったと思い出し、あまりの歌詞のひどさと声の小ささに噴き出してしまい、歌われるたびに笑い転げるようになった。
笑い転げるとお腹が空いてしまう。私でも食べられるようにと、野菜やハーブを入れて柔らかいクッキーを作ってくれた。
生まれてきてくれた子アシュトンは、ユリウスによく似た男の子で、夜泣きがひどかった。乳母に任せていても、泣き声が気になり毎晩のように起きて子供部屋に行く。
すやすやと眠るユリウスにイライラするようになったので、子どもといっしょに夫婦の寝室で寝るようにした。
いつものように真夜中になると泣き出したけれど、必死に起きずに我慢していると、ユリウスが起きた。
か細い声で何か歌うので、何を歌っているのか起き上がらずに尋ねたら、「ベイビー夜中に泣いたら困ります」という新曲だった。いつもいつもどうしてそう単純な曲名なのだと笑ったら、ずっと感じていたイライラが少しだけ消えた。
そんな夜を続けて、バイオリンを持ち出してギィギィと演奏するようになったので、使用人たちのために子供は子供部屋に戻したけれど、その頃には夜泣きも治まっていた。
子供ができても、私に対する態度は変化なし。いえ、どこか怖がっている感じは増したかもしれない。
3回出産を経験した後、2人きりの寝室でふと尋ねてみた。
「そう言えば、あなたが結婚しないと困る事情ってなんだったの?」と。
「特にないですよ」
おかしいではないか。蹲っていたり、突然プロポーズしたり、私がユリウスと結婚しないと勘違いして引きこもったりと、奇行をどう説明するのだ。
「思えば・・スカーレットを失うことがどうしようもなく怖かった」
まあ、後では何とでも言えるわよねと思ったけれど、そんな風に思うなんて愛よねと思ったほうが幸せなので
「大丈夫。あなたが不誠実にならない限り、わたくしはずっとユリウスを好きでいるから」
そんな風に言ってみた。
もうここまで年月を重ねていると、「愛している」なんて言葉はもらえなくても「愛している」という行動はずっとしてもらえている。そうやって示してもらえた愛を、またユリウスへと回していくだけ。
死ぬ前に「スカーレットのことが大好きだったんだな」とぼんやり思ってもらえれば、なんとなく幸せな気がする。
そう思ったのに、その日からユリウスがおかしい。
どこか上の空で、話しかけても生返事が返ってくるようになった。
おかしい・・浮気かしら。でも浮気している様子はないんだけど。
「お父さまが変よねー」とアシュトンに言う
「ちちうえはずっと人形に愛してるって言ってます」という、やばそうな答えが返ってきた。
とうとう・・そういう感じに?
ユリウスを愛していく覚悟の進化を迫られている。
人形を愛するユリウスを愛する。
・・浮気じゃない?・・それとも浮気?
眠る前、こっそりと子供部屋の隣の部屋に忍び込む。
この部屋で「ちちうえをみた」と言うから。
息を殺して潜んでいるとユリウスが入ってきた。
部屋の電気もつけずにごそごそと何かをしている様子。
すーーっと深く息を吸った。
「スカーレット、愛してる。ずっとずっと好きだった」
聞こえてきた言葉に一瞬で涙が溢れる。
「結婚してくれてありがとう」
「私の方が君を愛してる」
「ずっとそばに」
飛び出て行って抱きしめようかと思った。でも、溢れる涙を寝衣で拭いながら、思いとどまる。
ユリウスが部屋を出て行ったので、そっと様子を伺うと、月明かりにほんのり浮かび上がるスカーレットちゃんが、きちんと壁にもたれて座っていた。
涙のあとを綺麗に消して、濡れた寝衣を着替えて、何食わぬ顔をして寝室へ戻ろう。
いつか、この練習が完了したときに伝えてくれるのを楽しみに。
Fin
読んでいただき本当にありがとうございました。また現れます。




