受動的、能動的。どこへだっていける。
ゆらりゆらりと揺れる気持ちは、「幸せになれるのか」という不安から来ている気がする。
今のままで何も決めず、何も選ばず流されるように生きても、そこそこの幸せとそこそこの不安を手にして「充分幸せだったわ」と今際の際に呟けるだろう。
ただ、私は本当にそうしたいのか。
幸せでいたいとは思う。
だけど、人に幸せにしてもらいたいとは思っていないと気が付いた。むしろ、私が人を幸せにしたい。この気持ちなら強くある。そして私が幸せにしたいと思う相手が笑顔でいてくれるなら、私も幸せだと感じるのではないだろうか。
レイモンドと共に歩む人生はとても穏やかで充実しているだろうと簡単に想像できる。
その人生はきっと素晴らしい。
それでも、わたくしはそれを選ばない。
レイモンドはきっと、私以外の女性でもそんな穏やかで幸せな人生を送ることができる人。
ユリウスもそういう人なのだろうと思っていた。私という王女を娶ることで得られる名誉のようなものは欲しいのかもしれないけれど、私という人間を特に欲することはないのだろうと。
ところが、ポツポツと話すユリウスは、こちらが恥ずかしくてどこかの穴にでも隠れてしまいたくなるようなか細い声で歌い、雑音多めの演奏、穴をさらに掘って進みたくなるような詩を口にし、サンドイッチを必死に作り、私の傷に塩を塗り込んでまでクッキーを焼いてくるような人だった。
正直、幸せになれる気がしない。
いえ、気持ちをきちんと整理して言葉で表すのなら、
「幸せにしてもらえる気がしない」
だろうか。
【女性としての幸せな結婚】
そういう概念に当てはめてしまうから、幸せになれるかどうかを気にしてしまうのだ。
財力があって、地位もあって、できれば優しくて、さらに贅沢を言うなら顔も好み。
この「幸せな結婚」という凝り固まった概念をできる限り取り除いてみたら・・
あの不器用で、女性からの評価でしか自分の価値がわからなくて、私のことなんておそらく好きではないであろうユリウス。ユリウスを幸せだと思わせることに全力を注ぐ人生は、
もしかしたら死ぬまでわたくしのことを好きかどうかすらわからないままかもしれない。
そんな不満を抱いてしまうかもしれない人生を私は選べるのだろうか。
答えはここにある。胸の奥に。まだ淡くても。
心が決まりつつあるのを感じながら、次に会う日はユリウスとクッキーを作ってみようと準備をお願いすることにした。
□ □
「そろそろ焼ける頃かしら?」
いつもより長く一緒に過ごしている。
ユリウスに教わりながら作るのは、とても楽しかった。どんな風に教えてくれるのだろうと不安に思っていなくもなかったのだけれど、元々料理をする人ではなかったからか、とても丁寧に忍耐強く優しく教えてくれた。
生地の端に粉が残っているのを見て、「もう少しバターを増やしましょうか」と準備してくれたり、私が「違う味も食べたい」とわがままを言っても、「紅茶を混ぜても美味しいです」と提案してくれたり。
途中、お兄様とプリシラがやってきて、ユリウスが準備していた生地を横取りし、二人でキャッキャと型抜きをして、プリシラが「絵を描きたいわ!」と言い出して、チョコレートや砂糖衣を用意して、耳の生えた人間みたいな絵や、なんともゆるい気分になる動物の絵を描いたプリシラをお兄様が「天才!」と抱きしめて、指に付いたチョコレートを舐めたり、わざと付けたり、舐めたり、わざと付けたり・・・
あ、意識が遠くなりそうになったわ。
それをユリウスと眺めながら、わたくしもやったほうがいいのかしらとチョコレートを片手に小首をかしげてみると、「つまみ食いする?」と尋ねたと思われたのか、「いりません」と拒否され、私の人生にあのプレイは一生プレイされることはないのだと一瞬さみしく思い始めて、特にしたいプレイではなかったと思い出して、いつも通り優雅に微笑んでおけたと思う。
いけない。プリシラがよく「そういうプレイなんです」って言うものだから、私も脳内とはいえつい使ってしまったわ。
こうして特に話すこともなく、お茶を飲むだけにも慣れてきた。
こんな時間をユリウスはどう思っているのかしら。




