温度の記憶
「今度はこっちに遊びにおいでよ」
「私が、レイモンドの国へ?」
「そんなに戸惑うようなことかな」
「いいえ。・・そうね、外からみた自分の国・・」
「王族として招待するけど、個人として滞在する気持ちでいて欲しい」
「個人?」
「せっかくこの調査旅行で仲良くなったんだし、友人として遊びに来て欲しい」
何か思惑でもあるのかしら?と少し考えてしまうけれど、色んな思考を纏わずシンプルに考えたら、楽しそうだと思う気持ちが浮かんでくる。
「そうね。見てみたいものもたくさんあるし、ぜひそうさせて」
実現するかどうかはわからないけれど、流れるままに進むのもいいかもしれない。自分がどこに進みたいのか、どう生きたいのか、考えて考えて混乱して動けなくなるよりずっと。
寝る前にそんな風に思ったことを、翌朝は頭の中のどこかわかりやすいところに掲示するように「流れるまま進んでみる」と意識して、帰りの道は穏やかな気分に合わせたようにゆったりと進んで夕刻に着いた。
□ □
疲れと汚れを落としてすっきりと目覚めた翌日
「なんだかすっきりとした目をされていますね」
久しぶりにプリシラと楽しむティータイムに、珍しくお兄様がいない。
「そうね、精神的な疲れがない旅行だったし、レイモンドと話すのは楽しくて、少しだけ心が軽くなったような気がしているの」
旅行中には味わえなかったお気に入りのチョコレートを久しぶりに味わっていると、プリシラにしては珍しく迷っているようなニュアンスで
「スカーレット様がお留守の間の会合で話題になったのですが・・」
「ええ?」
「委員会の数人、私は本人を見かけましたが確かに様子は変わられたかと」
「・・誰のこと?」
「ユリウス様です」
久しぶりの名前に際立った感情がわいてくることはないけれど、トクンと脈が跳ねる。
「どんな様子なの?」
□ □
毎晩のように夜会や怪しげな紳士のクラブに顔を出していて、委員会に情報は上げてくれるけれどなんだかどんどんぼんやりとした様子だと噂になりつつあり、ユリウスの妹に確かめてみると「お兄様がおかしいの」と落ち込んでいた、と聞かされた。
「私がもう縛り付けていないから、本来の様子に戻ったということはないかしら?」
「本当にそう思われますか?」
「・・いいえ。そうね、遊び回ることへの違和感はないけれど、『ぼんやり』というのは、本来のユリウスからかけ離れた様子かもしれないわね」
「スカーレット様が原因だとは思われませんか?」
「全く。私が原因のわけがないもの」
「会いたいとは思われませんか?」
「気にはなるけれど、もう呼び出すことはないと宣言したのだし、会いたいとは思わない」
「本当に?」
「・・気になるわ。でも、会わない」
「そうですか。では、次回の委員会が来週ありますので、それには参加してくださいね」
「もちろんよ。ところで、お兄様は?」
「お仕事です」
「仕事があったっていつもいるじゃない」
「三日前から少し遠くに行かれてるんです」
「さみしい?」
「はい」
「いつ帰ってくるの?」
「明後日の予定です」
「二人が揃っているのが当たり前すぎて、なんだか私の調子が狂うわ」
・・・いつもならここで登場するわよね?と思いながらきょろきょろと2つあるドアを交互に見てしまう。でもドアが開くことはなく
「本当にいないのね」
と改めて認識してから呟いた。
「なので、私はシリウス様の部屋に泊まります!許可を下さい」
「・・好きにしたらいいとは思うけど、理由を聞いてもいいかしら?」
「シリウス様の香りに包まれて眠りたいからです」
「そ、それは・・」
どんな香りだというのかしら。そう言えばユリウスからはいつも爽やかな清涼感がある香りがしていたなと思い至る。あの香りはとても好きだった。
「私にとっては香りも声もとても大事なものなので」
「そう」
お兄様の香りなんて意識したことがないけれど、それは体臭の話なのか香水の話のどちらなのかしら。
きっとプリシラにとっては体臭のような気がする。
ユリウスの体臭なんて想像もつかないけれど。・・考えたこともなかったわ。
「そういえば・・嫌いだったり苦手だったりする人が好きなタイプの香りをまとっている場合、嗅覚と感情のどちらが優先されるのでしょう?」
コテンと首を傾げながら真剣に考え始めるプリシラ。
「さあ?」
「あいつはどうでしたか?」
「あの時は・・・できるだけ全ての感覚を閉じていたから」
「匂いは感じなかったと?」
「そうね、忘れてしまったのかもしれない。あと、子供の頃からの訓練と習性みたいなものかしら」
「なるほど。まだ少し時間がかかりそうですね」
「何が?」
「色々です。良ければシリウス様のベッドで一緒に寝ますか?」
「なぜ」
「一緒に嗅ごうかと」
「・・遠慮しておくわ」
「本当に?」
「なぜ疑われているのかしら。断ることに迷いはないわよ?」
「いい香りなのに」
「普段うっとおしいぐらいだと思っていたのに、ここで『プリシラ!』って乱入されないのが調子狂うわね」
その後はお兄様に邪魔されることなく、久しぶりにゆっくりと2人で話しながら、あのときに触れたユリウスのあたたかい手の感触を思い出していた。
□ □
久しぶりの委員会はいつものメンバーとサロンでお茶を飲みながら報告を終え、部屋を出たところでレイモンドにばったり出会う。