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6、満鉄調査部

 南満州鉄道株式会社調査部

この組織は、日露戦争の結果誕生した半官半民の国策会社「満鉄」と、その誕生をほぼ同じくしている。

それは戦後、列強各国の利権と謀略が渦巻く大陸において、情報こそが機先を制し相手を打ち負かす要と、初代総裁、後藤新平が考えたからに他ならない。

以来30年あまり、激動する極東情勢に対し常に政府の政策決定に関わりつづけ、後に東洋一のシンクタンクと言われるまでとなった。

それは、広く門戸を開き、人を問わず、思想を問わず、過去をも問わずに、集められた英邁俊才が、知を競った結果だった。



「何か気になる事でも有るのか」

 

上海憲兵隊本部へと向かう車中で長嶺は話掛ける。


「いえ、昨日お話した中西と言う男の事で少々気に成る事がありまして」


「其れは、如何いう事だ」


「ええ、昨日、僕も面識が有るとお話しましたが、少々込み入った話に成りますが宜しいですか?」


「構わんよ、忙しい訳で無し」


「そうですか、では」


 脇屋は話をはしめる。


「彼に会ったのは、関東軍が満鉄調査部に委託した日中双方の総力戦継続能力研究における席です。

僕は関東軍測量隊の派遣にて出席しておりました。

地勢と兵站の関係が此方の主な説明事項です。

その会議で満鉄側の実質的取りまとめを行っていたのが寺西という男です。

これは、支那抗戦力調査という調査報告に纏められる予定でしたが、その内容は詳しく知りません。

此方は参考人と言った立場でしたし、僕はその後大陸を去りましたから。

ただ、伝え聞く所によると、この内容は日本が蒋介石に対し完全勝利を得がたい事を結論付けた物の様です。

まぁこの泥沼の戦です、少し目端の利くものなら、そんな事は感覚的に解りますがね」


「それで」


 話をつづけるよう長嶺が促す。


「そのような訳で、この男は関東軍の覚えめでたい優秀な男と評判なのですが、前歴を見ますと少々不穏な物が有ります。

彼が東亜同文書院出身な事は前にもお話しましたが、昭和五年に左翼活動で逮捕されています。

若気の至りといってしまえばそれまでですが。

しかし、同文書院は学生の反帝活動て有名ですし、満鉄調査部自体、一昨年関東軍肝入で調査部を規模拡大した際、内地を追われたマルクス主義者などの所謂「思想的前歴者」を大勢雇用しております。

外地に好んで来るインテリ等おりませんし、大陸で優秀なホワイトカラーは万年人手不足です。

使える人間なら過去は問わない。

数多の重要案件を抱えた満鉄としては、「背に腹は」と言うことでしょう。

とにかく、彼と彼が所属する満鉄調査部には、そういった側面も多分に有ると言う事です」


「寺西が、コミュニストのスパイだと言うのか?」


「いえ、其れは解りません。

何しろ此れから尋ねる憲兵隊の小渕大尉と親しくしている位ですから。

寺西がスパイなら、彼はよい面の皮ですよ、泥棒が羅卒と仲良くする様なものです。

しかし此処では何事も疑ってみるべきです。

最悪、中共かソ連に通じてる可能性も折込ませんと」


「なるほど、其れは気になる話だ」

「さりとて寺西から手を引くつもりも無いんだろ、お前?」


「そうですね、最悪彼がスパイでも、差し当たり此方の任務に支障は無いでしょう。

其れよりも、彼の持つ中央アジアの情報です」


「相変わらず割り切りの良い奴だなお前は」

 

 長嶺は苦笑いをしつつ、気になっていた別件を問いかける。


「それで、昨夜相談した彼女の方はどうなった」


「リルですか、彼女は予定通り鳴沢と76号を洗ってもらってます」


「危険は無いのか?」


「大丈夫です、彼女にはあの主人がついています、彼らはヤクザですが筋金いりです」


「やはりお前、会議にいたお姫様を疑っているのか?」


「其れはそうですよ、あんな御伽話の様な事、今時寄席の戯作者だってもう一寸ましな筋書きを考えます。

とにかく、先ず鳴沢の話した事の裏をとりませんと、発端は其処ですから」


「本部と八課長の言う事は、信じられんと」


「課長は信じられますか ? こんな仕打ちをされて。

僕は無理ですね、人間が狭量ですので」


「そうだな、用心に越した事はない」


 会議での八課長とのやり取りを思い出し、何の反論も無い自分に気がづいた。



 大橋大楼に有る七階建ての憲兵隊本部に到着すると、玄関先には大尉の当番兵が待っており、直ぐに大尉の応接室に通された。

其処にはテーブルに向かい合い、タバコを吹かし談笑する二人の姿があった。

小渕大尉は脇屋を見つけると、親しげな笑顔で話しかけてきた。


「やぁ中尉久しいね、内地に栄転したと聞いていたが、又トンボ帰りかい。

まあとにかく、貴官が私を頼ってくれるなんて嬉しいかぎりだ。

何しろ君には大きな借りが有るからね、内地に帰ったと聞いて不義理をしたと気に病んでいた所だ」

 

「所で其方の方は」と、大尉は言いかけたが、後ろに控える課長の階級章を見つけると、急いで直立不動の姿勢を取り敬礼を奉げた。


「こちらは、私の上司である測量部一課長の長嶺少佐です」


「長嶺だ仲介の労感謝する、手間を取らせて済まんな」


 脇屋の紹介の後、手短な挨拶をすると、


「長嶺、あの長嶺閣下ですか、測量部にいらっしゃるとお聞きしていましたが、お目にかかれて光栄であります。

また、中尉と測量部の皆様には日ごろ大変お世話になっております。

手間などと、何程の事もこざいません、用向きの寺西も其処へ控えて降ります。

どうぞ、ご存分に」


 大尉は、緊張した面持ちで答える。


「閣下は辞めてもらえんか、何もそんなに畏まらんでくれ、父は軍籍に有る時は憲兵畑だったから此方では有名かもしれんが、私は万年少佐の地図屋だよ」


「いえそんな」


 長嶺がくだけた口調で返すと、大尉はすっかり恐縮していた。


「君が寺西君ですか、家の脇屋が如何しても合ってお聞きしたい事があるとかで、今日は御足労かけます」


 視線を寺西に合わすと長嶺は穏やかに話しかけた。


「いえ私の様な者が、如何程のお役に立てるか、何でもお聞き下さい」


 如何にも優秀そうな男が切れの良い返事をすると、頃合を見計らっていた脇屋が話しかける。


「小官を覚えていらっしゃいますか、いつぞや継続能力研究の際、お目にかかっておるのですが」


「ええ覚えておりますとも、軍の将校にしてはソフトな方だと思いましたので、印象深く覚えております」


「少佐殿、とにかく立ち話もなんです、此方にお座りになってください」


 大尉が椅子を進めてきた。


「では遠慮なく」


 二人は肘掛にもたれながら深々とソファーに腰を掛けた。


「それで、どの様なご用件なのでしょう、やはり満州関連のお話ですか。」


 寺西が早速たずねて来た。


「いえ、そうではありません。満鉄の仕事とは関係の無い事です。

実は寺西さんが中央アジア方面の事情にお詳しいとのお話をお聞きしまして。

それて、小渕大尉に紹介願った次第です」


 脇屋が何時もとは違った、将校然とした口調で対応する。


「ほう、測量部が中央アジアに御興味が御有りですか、其れは又。

関東軍は西域遠征の計画でもあるのですか」


 少々驚きを込めて寺西は問いかける。


「いえいえ、そのような事は」

 

脇屋が少し微笑みながら答える


「実は陸地測量部にて、地勢、資源の調査を兼ねて、小規模な調査隊の派遣計画が持ち上がって居りまして、その事前調査の役を少佐と私が仰せつかった次第です。

所が、内地にもそちら方面に明るい者は皆無でして、それで貴方にと言うわけです。

寺西さんは同文書院の学生時「大旅行」と呼ばれる調査行で中央アジア方面に行かれたとか、是非詳しいお話をお聞かせ願いたいのです」


「なるほどそういう事ですか、喜んでご協力をさせてい頂きます。

是非、満鉄の上海事務所までお越しください。

私的な物ですが当時の資料も全て揃えて置きます」

 

 寺西は何か好機を掴んだと言う顔をすると、満面の笑顔で承諾した。

そして、流石満鉄のエリートと言った所か、抜け目無く切り出してきた。


「それで、此方からもお願いと言っては心苦しいのですが、是非満鉄も会社としてその件に協力させて頂けないでしょうか?

私も宮仕えの身ですので、その様なお話を聞いては上に報告せぬ訳にはいきません。

参謀本部の肝いりと成れば上も放ってはおけませんでしょうし、いかがでしょう」


 脇屋に返答を促す様な視線を投げかける中西に対し、隣に座る長嶺が気勢を制するように発言した。


「お話の程は理解しました。

先ずは協力いただけるとのこと、感謝します。

お話の満鉄と我々の今後については、残念ながら私にその決定権は有りませぬので、本部の判断を仰ぐ事になります。

いずれにせよ、ご返答は私が責任をもってお約束します」


「そうですか、それはお気遣い有難う御座います。

満鉄としても、少佐殿とは今後とも是非良い関係を築かせて頂きたいものです」


 これが引き際と見たのか、寺西は話題を変えてきた。


「所で、内地の方は如何ですかな、私も長く帰っておりませんので」


 脇屋は、少々くだけた感じで答えた。


「そうですねえ。

余り良い話は聞きませんね、特高あたりも盛んに動いて居るようですし、きな臭い限りです。

軍人の私が申すのも何ですが、統制も進み歌舞音曲の類は店じまいです。

上海の様な自由な雰囲気はもうありませんよ」


「そうですか」


寺西の表情に、一瞬緊張が走るのを脇屋は見逃さなかった。



「寺西を如何見ますか課長」


 帰りの車の中で、脇屋は話しかけた。


「如何と言ってもな、中々抜け目の無い人物とは思うが」


「何か嫌な予感がします」


「念の為、最後の会話で特高の話題を出しましたが、奴はその時僅かですが反応しました。

スパイなんて話は、冗談半分のつもりだつたのですが」


「之はひょっとするとか?」


「はい」


「不入虎穴,不得虎子か」


夕日の照らす町並みを見ながら、二人は沈黙した。











































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