3.月の聖女
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わたしの名前はルナマリナ。
ある人たちからは、マリナと呼ばれてる。
しがない旅人で、特に特筆すべき何かがあるわけでもない。
背中まで伸ばした黒髪と赤い瞳、女性としては平均的な身長と身なり。
見た目で特筆することがあるとすれば、わたしが左手にはめているこの指輪。
真ん中に白く光る小さな宝石が嵌められていて、その左右を挟むようにさらに小さな青と赤の宝石が埋め込まれている。
さらにリングの内側には、とても微細な文字が所狭しと達筆な筆遣いで描かれている。
これは、安易に外すこともできない大事な物。
そんな貴重な物を身に着けてどこに行くかというと、誰しもが必ず通うあの場所。
「見えた……あれが、アークノルン教会」
そう、目指した先は教会。
大通りに面した場所にそれはあった。
教会といっても、教会らしいのは大きな八芒星が刻まれた塔になっている中心部分だけ。
それ以外は、大きくはあるけれどどこか質素であり、壁面に描かれている神々の絵と神をたたえる文言は古くなって、だいぶボロボロになっている。
古くはあるけれど、手入れ自体は行き届いているようで、目立った汚れはなく、綺麗なもの。
教会には、数多くの信者と教会所属の騎士、いわゆる聖騎士が多くいて、この教会は街の治安維持を支える重要な場所となっている。
初めて来た教会、入る前に少しばかり周囲を回って観光してから、高いところに付けられた八芒星に向かって手を合わせて軽く礼をする。
わたしは信心深いほうじゃない。
神はいない、というわけじゃなく、単に神以上に信じたい人たちがいるから、必然的に神の優先順位が下がってしまうというだけ。
「一日にどれだけ稼げるかの勝負。……二人に勝てる気がしないけど、精一杯頑張ろう」
アークノルン教会はただの教会じゃなくて、いくつかの施設が含まれた複合施設で、単純な教会としての役割のほか、先にも言った治安維持を担う騎士の拠点や怪我人の治療を行う病院、孤児を育てる孤児院としての機能も併せ持っている。
上から見て長方形のこの建物を四分割して、それぞれの区画で役割が分かれている。
といっても、基本的には教会なので、どこの区画にも小聖堂があってどこでも祈れるようになっている。
今回、わたしがやってきたのは、このうちの病院と孤児院の区画に用があったから。
「えっと、こっちかな……?」
まず最初は、怪我人の治療を行う病院区画。
そこでは――
「ああ、【悪魔】どもめぇ、いつか絶対に復讐してやる」
「うぅ、怖い。死にたくないよ」
「痛いよォ、お母さーん!」
外傷を負った人たちが苦痛にうめきながら大部屋で横になっている。
空いているベッドもあるけど、ほとんどは埋まっていた。
「平和な街だと思っていたけど、ハンターにはやっぱりけが人が多いんだね」
幾人かのベッドの傍には、弓矢とか槌とか剣があったりする。
重い鎧がないことから、彼らは騎士ではなく魔獣を狩るハンターなんだと思う。
「あ、あの、ここには何用でしょうか。どこかお怪我を?」
辺りを見回していると、看護師が声をかけてきた。
「怪我を治すお手伝いをしようと思って……今日一日働いたら、手当は貰える?」
「手伝い、ですか? 今日一日だけ? ……何とも言えませんが、今日一日働いても、すぐには手当て貰えませんよ? 基本的には月給ですので」
「そっか……どうしよっかな」
「それに、ここは現状手が足りてます。基本的にここは外傷を負った人が一通りの手当てを終えて静養するための場所ですから。時折鎮痛薬を処方するときはありますが、それだけです」
「……つまり、あとは自然治癒に任せるだけ?」
「? ええ、そうですね。【加護】持ちの神官様はこの町にはおられませんから」
うん……なるほど。
この町には【加護】持ちの神官はいないんだ。
それなら、わたしは役に立てるかも。
でも普通に働いたら、今日中にお金は稼げないから、仕方ないけど裏技を使おう。
「教えてくれてありがとう」
「いえいえ、こちらこそ、あなたのような心優しき方と出会えたこと、運命の神に感謝いたします」
聖職者でもある看護師がアークノルンを示す八芒星を切り、小さく礼をしてから去っていく。
一人になり、近くに教会の人がいないことを確認してから、怪我人の元へ歩み寄る。
「こんにちは」
「ちくしょうめ……ん? っお!? な、なんだい?」
手始めに近くに居た足を怪我した人に声をかけると、彼は一度驚いてから、用件を問うてくる。
「あなたはもし、このケガがすぐに治るとしたら……どうする?」
「決まってる。むかつくあの【悪魔】どもをぶっつぶす!!」
「じゃあ、今から治してあげる……見返りはもらうけど」
「え――」
左手の中指に嵌められた指輪を外す。
すると、途端に――
「――ッ!? 君は一体!?」
「なんですか!? この気配は!?」
「神様が来たのか!?」
大部屋が騒がしくなる。
同時に、わたしの体が一気に軽くなり、体の底から力が湧いてくる。
わたしの体から【神気】といわれる力が放たれたのだ。
でもこれだけじゃ、ちょっと部屋の雰囲気が変わる程度。
あの二人以外に使うのは初めてだけど、きっと多少の怪我なら治るはず。
「癒して……」
目を閉じて、精一杯祈れば、大部屋内に神聖な光が満ち、厳かな雰囲気に包まれる。
騒がしかった大部屋も、一瞬にして静寂に支配され、誰しもが息を飲む。
やがて眼を開ければ、飛び込んできたのは顔を驚きで染め上げ、体の調子を確認する怪我人たち。
……元、ね。
「な、治ってる!?!?」
「一瞬で折れた骨が治ったぞ!?」
「奇跡だ! 奇跡の【加護】を賜ったんだ!!」
まるで空気を爆発させるかのように一斉に元怪我人たちが立ち上がり、手を挙げて喝采を上げた。
対して仲良くもない近くの人と、治った体の調子を確かめ合うかのように手を叩きあう。
「【加護】持ちの神官様! それも【聖人】様だよ!!」
「なんて美しいっ! 聖女様よ!!」
「ありがたやありがたや!」
喜ぶ人たちを見れば、悪い気はしないね。
ただ、彼らにとってはともかくとして、この教会の人たちにとってはあまり大手を振って喜べることでもない。
……早いところ、対価をもらって退散しよう。
「みんな、お大事にね。……でもその前に――」
「お布施だ! 聖女様に感謝のお礼を!」
「ありったけ貰っていってください! かかるはずだった入院費丸ごと捧げます!」
「お名前教えてくださーい!!」
対価を求める言葉も言い終えることなく、彼らが私のもとに殺到し、我先にと手を出し、お金を渡してくれる。
中には握手しようとしてくる手もあったけど、残念ながらわたしの手はすでにお金で膨らんで重くなった巾着でいっぱいだから遠慮した。
止まない人の嵐。
だけどそこで――
「何の騒ぎですか!? ――ッ!? 皆さん! お怪我はどうなされたんですか!?」
「あ! 看護師さん! 聞いてくれよ、俺たちみんな怪我が治ったんだ!!」
「なんですって!? 一体どうやって――」
「【加護】持ちの聖女様が治してくれたんだ!」
あまりの騒ぎに引き寄せられて、さっきの教会の人が戻ってきてしまった。
……潮時かな?
「聖女様!? そんな方が来るとは聞いてませんが、どちらさまですか!?」
「こっちこっち! ものすごい美しく神々しい方で――」
看護師の手を引いてわたしがいた場所に戻ってきた一人の元怪我人。
しかし、彼の言葉と足は途中で止まる。
「あれ?」
「誰もいないじゃないですか」
人混みをかき分け、辿り着いた先には聖女らしき人はいない。
だって、わたしはもう指輪を付けて部屋の出口に逃げていたから。
幸い、人が多かったから、紛れて逃げるには容易かった。
「聖女様! どこですかー!?」
「探すんだ!! 聖女の誕生は一大事だぞ!!」
「祝福されていない以上、聖女なんていませんよ! 皆さん、落ち着いてください!」
教会の人も混ざって大騒ぎになった療養所。
「……教会側からしたら、患者を横取りされたのだから、あまりいい気はしないよね」
まあ、わたしから聖女と名乗った覚えはないから、詐欺にはあたらないかな?
♥ ☽ ♥
次にやってきたのは、孤児院。
孤児院でお金を稼ぐやり方は、さっきとは違って胸を張って言えること。
「まあ! これはとてもわかりやすいですわね! ご自身でお作りに?」
「複製したのはわたしだけど、原本はわたしじゃない。……どう? 買い取ってもらえる?」
「ええ! もちろん買わせていただきます! これなら、子供たちもきっと勉強したくなりますわ!」
やっていることは、わたしがかつて使っていた教科書を売ること。
孤児院担当のシスターは、わたしが渡した本を見て目を輝かせている。
「この本を書かれたのはどなたでしょうか。一度お話を伺ってみたいですわ」
「残念だけど難しい……人嫌いだから」
「そうですか。残念ですわ」
少しだけ肩を落とすシスターから、本の代金を受け取って、そそくさとその場を後にした。
「お金……ふふっ、ふふふ」
ズシリと来るお金が入った袋を見ると、自然と口が笑ってしまう。
「結構溜まった……でもあの二人は、きっともっと稼いでるんだろうなぁ」
今頃町で好き放題してる二人を想えば、お金のとき以上に笑みがこぼれる。
足取り軽く、わたしは教会の正門へと向かう。
悔しいけど、ここでできる資金調達はここまで。
窓の外を見れば陽が傾き始めているから、今から待ち合わせ場所に向かえばきっとちょうどいい頃合いだ。
聖女と騒がれてしまったし、そっと静かに帰ろう。
と、思っていると――
「ほら、キリキリ歩け」
「二回だからな、今回は被害も馬鹿にならない。覚悟しておけよ」
「ちくしょう……」
正門から、数人の騎士に脇を固められた一人の男がやってきた。
一見して地味な男性だけど、その顔はひどく険しく苦渋に満ちていて、唇は血が出るかと思うくらいに強く噛み締められていた。
「ほら、まずは聴取だ。告解部屋で待ってろ」
男は正門から屋内に入ってすぐにある小さな部屋、外からは見えないようになっているいわゆる懺悔室に入れられる。
騎士たちは尋問官を呼ぶために席を外したので、今告解部屋には彼一人。
わたしは、なんとなく興味を惹かれて、男が入ったのとは反対側の告解部屋の扉を開ける。
中は木の匂いに満ちていて、どことなくかび臭かった。
「こんにちは」
「……? なんだ、もう来たのかよ」
木戸で遮られた向こう側から投げやりな声が返ってくる。
「あなたは何をしたの?」
「知ってんだろ、スリだよ。……家族を食わせるのには、これしかなかったんだ。学もねえ俺には碌な働き口なんてないからな」
「学が無い? ……字が読めないということ?」
「馬鹿にしてんのかよ。ああ、そうだよ、字は読めないし数遊びだってできない。ここに預けられてる子供以下だ。……それでも一緒にいるって言ってくれた女と子供くらい、どんな手を使ってでも食わせてやりたかったんだ」
……事情があった、ということ。
この人の詳しい事情は知らないし、犯した罪も知らない。
今聞いた言葉だけでこの人物の功罪を判断するのは難しい。
そもそも、あまり興味もない。
だけど……
「ならこれをあげるね」
「え?」
木戸の隙間から、一冊の本を差し込んだ。
「字と数字を学べる本だよ……仕事するのに最低限の知識は、この本を読めばわかるようになる」
「な、なんで?」
この狭い部屋なら、いいかな?
わたしは指輪をとった。
「わたしは元孤児なんだ。あなたの気持ちはよくわかる。……家族にくらい胸を張りたいでしょ?」
「――ッ、あなたは……!」
見えてないだろうけど、わたしは微笑んで、再び指輪を付けて部屋を出た。
出る瞬間に、湿ったうめきが聞こえた気がするけど、きっと気のせい。
振り返らずに、正門に向かい、そのまま門を潜った。
空を見上げればもう夜のとばりが空の頂点までやってきていた。
「早く帰ろう……家族のもとに」
わたしは大地を踏みしめて、駆け足で街を抜けていく。
――旅って、楽しいね。
マ「やっと二人に会える。三人そろえばなんだってできるよね」