4 捨てられ聖女と病んだ聖獣
そして、やって来ました聖獣が御座す聖域に。アストリアはこの聖域をぐるっと囲む様に国土がある。元々聖獣と聖女によって興された国なのだそうだ。王族はその聖女の末裔で、聖域と聖獣を守ることを第一としているらしい。
聖域は、日当たりの良い庭の様になっていて、あちこちに大きな木があって、涼しげな木陰を作っている。小道がいろんな方向に伸びていて、短い下草が陽の光にキラキラと反射している。
「この奥に聖獣ニャオラニャオンテ様がいらっしゃる。今は国王陛下のみお会いになる事が出来るのだが、聖女は別であろう。だがしかし、拒絶されたらすぐに引いて戻ってくる様に」
聖域の手前で立ち止まった宰相さんが、ムッツリとした顔で説明してくれる。どう見ても自分が会いたいって思ってる顔だ。きっとみんな聖獣を愛しているんだろうな。一つ頷いて、先を歩く王様に付いて、ゆっくりと歩を進める。
爽やかな風が吹き、あちこちを蝶が飛び回る。シャラシャラと不思議な音が風に乗って聞こえてくるが、何の音だろう。陽当たりが良いらしく、ぽかぽかと暖かい。猫じゃらしが奥で揺れているのが見えて、あー、おはぎが好きそうな場所だなぁ、と考えて、また涙がジワリと湧いて来た。ダメダメ。こんな所で泣いてる場合じゃない。
「居られたぞ。あれに見えるが、偉大なる聖獣、ニャオラニャオンテ様だ」
「は、はいっ。……ってえええええええぇぇぇぇえっ?!」
王様の指し示す方を見ると確かに居た。恐らくあれが聖獣なのだろう。……どう考えてもおっきな猫にしか見えないが。その大きさが異常なので間違いではないはずだ。……多分。両手両足を投げ出して、ゴロリと日陰に横たわる姿は紛れもなくお昼寝中の猫であるのだが。
(名前がニャオニャオしてるから、もしかしたらって思ってたけど、やっぱり猫だった……)
「ニャオラニャオンテ様、新たな聖女を連れて参りました。お側に寄っても宜しければ手を、否でしたらば尻尾をお上げください」
王様は良く通る低い声で聖獣ニャオラニャオンテに問いかける。聖獣だと思われる猫は億劫そうに右手をあげた。許可が出たぞ、と王様が言うと私だけ先に進む様に促した。私は恐る恐る歩を進める。
近くで見ても、どでかいだけの猫だ。赤味の強い薄茶色の体毛は長く、所謂茶のハチワレ柄である。胸元の真っ白な毛に埋もれたい。ムクムクとしたその姿は、ノルウェージャンフォレストキャットを思い起こさせる。今は寝そべっているが、お座りしたら三メートルくらいはあるだろう。ぶっとい足は、私が腕を回してなんとか指先が届くかな?と言うほどに大きい。
日向ぼっこしているだけかと思ったら、違った様だ。寝ているわけでは無く、ぐったりと伏せてる。舌がぺろりと垂れ下がり、はっはっはっと浅い呼吸をしていた。
「だ、大丈夫……?」
「大丈夫に見えてるならお前の目は腐り落ちた方がマシよ」
心配して声を掛けてみたら、中々に辛辣な言葉が返って来た。ニャオラニャオンテ様は高飛車なお嬢様猫っぽい、と心のメモ帳に書きつけた。
「だよね。どこが辛いの?お腹痛い?おはぎがお腹壊した時に似てるけど」
「あら、わたしの言葉が判るのね?そうよ、お腹が痛くて苦しいの」
同意して、おはぎに照らし合わせて尋ねると、ようやくわかる人間が来た、と思ったのか頭を上げて答えてくれた。尻尾がイラつく様にぱったんぱったんしてる。魔法薬生成のスキルでどうにかならないかな、と思ったけど、先ずは原因から聞かないといけない気がする。
「何が原因かとか判る?それによってお薬とか変えなきゃいけないから、できたら教えてほしいんだけど」
「簡単よ、人が悪意を貢物に込めたのよ。毒を盛られた、と言った方がお前にはわかりやすいかしら?」
「毒?!」
詳しく聞くと、聖獣ニャオラニャオンテに、この国の人達は良く貢物を献上するのだそうだ。食べ物だったり、布だったり、お酒だったりするらしい。それを一通り愛でて、欲しい物は貰って、それ以外は特定の場所に置いておけばこの国の為に使われるそうだ。
最近、その中に、抗い難い程芳しい香りの木があり、その香りに夢中になってしまったんだとか。その横には、魚と肉が置いてあり、木の香りを楽しみながら少しずつ摘んで食べたのだそう。そのどちらかに、あるいは両方に毒が仕込まれていた様で、食べ終わる頃には異常な倦怠感がニャオラニャオンテを包んでいた。
それ、多分だけどマタタビだよね。マタタビで思考力を奪って、毒を盛るとか悪意の塊じゃん。猫(聖獣だけど)になんて事するのよ。絶対許せない。
了承を得てお腹に触れると、目の前にウィンドウが現れた。そこにはニャオラニャオンテの異常ステータスが表示されていた。
『 即死毒
腹痛
呪い
衰弱 』
いやいやいや、おかしいでしょう。なんで死んでないのこの子?すごくない?即死毒喰らって腹痛で済むってすごくない?しかも呪いまであるじゃない。それで衰弱、なのかな?いや、腹痛での衰弱?ちょっと判別つかないけど、原因取り除いて、美味しい物いっぱい食べたらすぐに回復しそうだね?
症状の表示されたウィンドウに触れると、魔法薬を生成しますか?と、更にウィンドウが現れたので、『はい』を選択する。目の前で光が集まり、あっという間に解毒・解呪ポーションが出来上がった。おはぎのノミ・ダニ駆除薬みたいなスポイト式の入れ物に入っている。サイズはだいぶ大きくて、メロンパンくらいあるけど。中央を押せば中身は出るはず。
「あのね、お薬が出来たんだけど、飲んでくれる?美味しくはないと思うけど、喉の奥に流し込めるからそんなに辛くないと思うの。魔法薬だからきっとすぐに効くと思うの。……多分」
「多分ってなんなのよ、もう。はっきりしない子ね。でも良いわ、飲んであげる。それでこの痛みがマシになるならね」
がぱりと開いた口に腕を突っ込んで、出来るだけ舌に当たらない様に薬を流し込む。側から見たら腕を食べられている様に見えるだろう。ごくりと中に落ちていったのを確認して腕を引くとニャオラニャオンテの全身が光っていた。
「にゃにゃにゃにゃにゃーーーーーっ?!」
本人……本猫?本獣?にも何が起こっているのかわからないらしい。全身の毛を逆立てて、きゅうりに驚いた猫ばりに垂直にジャンプする。私はその勢いに吹き飛ばされて、尻餅をついてしまった。
した、と三メートル級のあの巨体が飛び上がったにしては有り得ないくらい静かに着地したニャオラニャオンテは、もう光ってはいなかった。あちこちを点検する様にフスフスとお腹や足、腰の辺りを嗅いで、きょとんと顔を上げた。
「あら、治ったのかしら。もうちっとも痛くないわ。お前凄いのね。名前を教えなさい?」
「え?!あんな一瞬で?」
「そんなことはどうでも良いから。名前はなんなのよ?早く答えなさい」
前足でツンツン突かれて、気分は弄ばれるネズミだ。
「泉名寺美沙ですっ、美沙ですってば!ちょっ!ちょっとっ教えたじゃないっ突かないでぇ〜〜っ‼︎」
「うふふ、楽しくなって来ちゃったわ」
「やめてよ〜〜っ!」
全然本気ではないツンツンなんだけど、でっかい猫の手だから、ボディにすごいダメージが来る。猫って、実はとっても力が強いから、本当に痛い。それから救ってくれたのは意外にも王様だった。
「ミサよ!ニャオラニャオンテ様は回復あそばしたのか?!」
「あら、そういえばあの子が居たわね。ミサで遊ぶのは今度にしましょ。行くわよ、ミサ」
律儀に、最初居た位置から一歩も動いていない。ニャオラニャオンテは私を突くのをやめて、しゃなりしゃなりと歩き出す。尻尾がピンと立っていて、ご機嫌だ。ゆらゆらと歩くのに合わせて揺れる尻尾はとても美しい。天使の羽と言われるのもわかる神々しさである。
(ああ、おはぎもこうやって私の前を歩いてたなぁ……)
そう思うと涙がポロポロ溢れて来て、どうしようもなく悲しくなった。立ち止まり、袖で涙を拭うも、後から後からおはぎとの思い出が出て来て、涙は止まらない。とうとう声が我慢できなくなってしまった。
「ううううっ、お、おは、ぎにっ会いたいよおぉっ!うわーんっ!」
いい歳なのに、こんなに泣いてしまうのは恥ずかしい、とか、王様がいたんだった、とかそんな事を頭の隅で考えながら、それでも、おはぎが居なくなってしまった事が悲しくて止まらない。
「泣かないのよミサ。猫は七生を生きるのよ。貴女の猫はすぐに貴女の元に戻ってくるわ」
むぎゅっと大きな手で引き寄せられ頭を優しく舐められる。そんなに優しくされて、日向ぼっこした猫の匂いを嗅いだらますます涙は止まらなくなった。
「ニャオンテ〜っ、でもっく、やっばり寂じいよぉ〜っ!ぅわーーーーんっ!」
「そうね、それでも居なくなるのは寂しいわね。でもその子は死を惜しんでくれる貴女が居てきっと幸せだったはずよ」
大きくてもふもふの胸毛に抱きついてひたすらに泣く。背中を肉球がむにむにと撫でていった。その温かな優しさに甘えて泣きながら、私は泣き疲れてニャオンテの胸で眠ってしまった。
聖獣の名前を考えていた頃、某集めて育てるモンスターのアニメ新シリーズが公開されて、「ハ」→「ラ」に変更せざるを得なかったという事情がありました。
ニャオニャオした名前にする予定ではあったのですが、まさかの被りには驚きました。
でっかいお嬢猫のニャオラニャオンテ様でした。