万年2位の公爵令嬢は氷の貴公子を負かせたい! 〜好きになった方が負けなら私は絶対に負けないから!〜
ぱっと思いついたものを詰め込んだ話です。
間違って消してしまった話でもあります。
ハイゼリオン王国にある公爵家。その公爵家には数年前に駆け落ちしたとある公爵令嬢がいた。
彼女は自身に仕えていた護衛騎士との恋仲が認められないと着の身着のままで家を飛び出した。幸いにも彼女には婚約者はおらず、他家に被害はなかったが、まだ18歳だった娘が家出をしてしまった事実に父親である公爵は何にも手が付けられないほどひどく落ち込んだ。
『ああ……、私がもっとあの子の気持ちに寄り添えていたのなら……』
騎士は平民であったが、勲章を授与され、貴族の地位を得ていた。公爵が彼女たちの仲を認めていれば娘が家出をするということはなかったのかもしれない。
しかし彼女は公爵令嬢だった。その身分の高さゆえに自分の気持ちだけで相手を決めることは許されていなかった。
彼女はそのことを頭では理解していたが、添い遂げたい相手とではない結婚は心が強く否定した。
『あの人との結婚以外は考えられません。別の誰かと共になっても私はその方を見ながらあの人のことを見てしまう。それは、相手の方にも失礼です』
自分の気持ちに蓋をすることもできないし、あの人以外の誰かを愛することなどできない。
『だとしても貴族として、公爵令嬢としてなすべきことを考えろ!』
『…………すみません。お父様には申し訳ないと思っています。ですが、私には無理です……っ。今まで公爵家のために、お父様のために、国のために! 私ができることをしてきたつもりです』
『ならどうして……! 今になって!』
『もう限界なのです。これ以上、私は自分の気持ちに嘘はつけない。最後の最後で親不孝者になってしまい、ごめんなさい……っ』
これが親子の最後の会話だった。その日に彼女は護衛騎士を連れてパタリと姿を消した。
父親である公爵はふたりを連れ戻そうとしたが、うまく痕跡を辿れずに結局は月日だけが経ってしまった。
公爵はひどく嘆き、悲しんだ。たった一人の愛娘として育ててきた彼女が目の前からいなくなってしまったのだから。
しかしどれほど嘆こうとも彼女は戻ってこなかった。
* * *
少女ミリアはなぜか高級な馬車に乗せられ、黙ってこちらを見続けている男性と対面していた。
買い物のために街に出てきただけなのに急に知らない男たちに囲まれたかと思ったらふかふかの馬車に乗せられたのだ。
(え、なにこれどういう状況?)
俯きながら考える。どう考えても不釣り合いな格好をしているミリアをどういう意図で馬車に乗せたのか全く分からない。
それに初対面のはずだ。
(どこかで会ったこともないのに。……これから売られるとか?)
一部の貴族の間では平民を連れ去り、人身売買を行っているという噂がある。だからミリアは不必要に外出はしないようにしていた。
けれど運悪く、こうして連れ去られてしまっている。
(……染髪料はまだあったから、わざわざ買いに来るんじゃなかった。お母さんは髪の色を茶色にして瞳を見られないように注意しなさいって言ってたのに)
ミリアは母親の言葉を思い出していた。
『いいミリア? あなたの髪と瞳は私と全く同じ色でここでは珍しい色合いなの。だからあなたの身を守るためにも、必ずこれを使ってね。瞳の色は隠せないから、なるべく前髪で隠して』
『でもお母さんと同じ色好きだよ? それにとってもきらきらできれい!』
『……そうね。でもだめなの。……ほら、こうするとお父さんと同じ色』
『ほんとだぁ! 私、こっちも好き!』
『私たちの可愛い可愛いミリア。どうか健やかに成長してね』
あれはミリアが5歳の誕生日を迎えた日だったと思う。父親となら外出しても良くなり、その日からミリアは母親との約束で髪を染めている。
ミリアの本来の髪は母親と同じ色合いだ。茶髪ではない。どうして髪を染めるのかを自分なりに考えたこともあったが、外出してみると母親の言う通り地毛はとても目立つことを知った。
だから下手に注目を集めないように子どもながらに注意を払っていた。
(なんでこんなことになったんだろう。きっと風が吹いたときに瞳でも見られたのかな。お貴族さまからすればいい商品になると思うし)
それほど珍しい瞳の色をしていると思う。街の人たちは落ち着いた色の茶色が多いから、ミリアの瞳はなかなか見ない色だ。
(馬車から飛び降りれば逃げられるかもしれないけど、この速さじゃ私が怪我する)
大人しくしているしかないのかと思っていると、ずっと黙ったままだった男性が声をかけてきた。
「…………君の、その瞳は誰譲りだ?」
「……? お母さんです」
「そうか……」
「あの、それがどうし───」
言葉を続けようとしたが馬車が止まり、口を噤む。どこに着いたのか確認しようと俯きがちだった顔を上げると、そこには見たことのある瞳の色があった。
(この瞳の色……)
まるでこの世の全ての光を集めたかのように輝く金色の瞳。母親以外でその瞳の色の持ち主は見たことがなかった。
それなのに初対面のこの男性は同じ瞳を持っている。これは単なる偶然なのかとミリアは疑問にかられる。
そうしていると馬車の扉が開かれ、一気に中が明るくなる。反射的に目を瞑ったが、その後すぐに目を開ける。すると、目に映るその光景は今までに見たことがないほど美しかった。
「すごい……」
「降りるぞ」
「え、あのっ、待って───!」
近づいてきたかと思ったらいきなり抱き上げられた。少し不安定で思わず彼のシャツを握ってしまう。
そのまま馬車から降りるとずらりと数え切れないほどの人たちが頭を下げて彼を出迎えていた。
「「お帰りなさいませ」」
「!」
これほど多くの人がたった一人の人間に対して頭を下げている光景をミリアは見たことがなかった。その様子に僅かに緊張が走る。
(逃げ出す……とかできる雰囲気じゃない)
がっちりと抱えられているし、ミリアもつい反射的に彼のシャツを掴んでしまっている。おまけに両側にはたくさんの人がいて、後ろには剣を帯びている騎士までいる。
「この子のために風呂と服を準備しろ。あと食事もだ」
「失礼ですがその子は……」
「───……」
近くにいた人に声をかけると執事らしき人が代わりに声を上げる。彼は何も言わずに代わりにミリアの前髪をかきあげた。
「うわ……っ」
「こら隠すな」
思わず顔を背けそうになるが、顔を固定されそうもいかない。そしてミリアの瞳はばっちりと周りの人たちに目撃された。
「! 閣下……その方はもしかして……」
「まだ分からない。だから連れてきた」
「ではお嬢さまは……」
「それよりも早く準備をしろ」
有無を言わせないその口調に周りは糸が切れたように動き出す。ミリアはもう何が何だか分からなくなり、思考を放棄していた。
(この人だけじゃなくて他の人にも瞳を見られてしまうなんて。もうなんでもいいや。売られるときは売られる。そういうものだよね、私たち平民は)
もう家族がいないミリアには本当に帰る場所はない。家族と過ごしていた家はあるが、帰ったとしても家族はいない。あそこにいたのは過ごす場所がないのと、両親と過ごしていた思い出があるからだけに過ぎない。
(あとは運に任せよう)
もう考えることをやめ、運ばれるままに運ばれていく。大きなシャンデリアに高そうな壺。どこを見ても貴族の家だ。
階段をのぼり、右に曲がったり左に曲がったりする。もう目が回りそうだ。そしてとある部屋の前に立つとそこで降ろされた。
彼はついてきた人たちに声をかける。
「あとは任せた。私も着替えてくる」
「かしこまりました」
こちらを一度だけ見ると、彼はミリアに背を向けて去っていく。そして数人の使用人とミリアだけが残された。
何かを考える間もなく、ミリアは部屋の中に案内される。
(これが、一部屋……!?)
あまりの広さに言葉を失った。大人五人くらいは余裕で寝れる天蓋付きのベッドにふわふわの絨毯。白い大理石の床はぴかぴかで下を向くと自分の顔が映る。
今まで自分が暮らしてきた家よりも大きいかもしれない。これが貴族の生活。
(場違い感がすごい気がする……)
あの人に抱き上げられていたから屋敷内は汚れずに済んでいたが、降ろされた今、この汚れた靴でこの部屋を歩き回るのは気が引ける。それに明らかに誰かが使っていた形跡のある部屋だ。
(お客さんのための部屋って感じがしない。まるで、誰か大切な人のために残しておいているかのよう)
そんな部屋をただの平民である自分が足を踏み入れてはいけない。そう思っているとミリアの後ろにいた人たちは後ろから優しく話しかける。
「大丈夫です。ここは閣下があなたさまのために使うよう、指示された部屋です」
「でも、明らかに平民である私が使う部屋ではありません」
「そんなことはありません。あなたさまは閣下の大切なお客さまなのですから」
「でも……」
戸惑いが隠せないミリアの手を引いて、彼女たちはミリアを部屋へと入れる。その瞬間、ミリアはなんだが懐かしい気持ちに襲われた。
(お母さん……?)
なんでそう思ったのかは分からない。けれど一瞬、母親の影が見えた気がした。
そしてそのまま浴室へと案内され、抵抗する間もなく服を脱がされていく。
「ちょっと待ってください! どうしてお風呂に……」
「閣下からご命令ですから」
「タオルとお湯だけ貰えれば大丈夫です!」
「そう仰らずに私たちにお任せ下さい。前髪も長いようなのであとで切りましょう」
「あ、髪は……!」
染髪料で髪を茶色くしているが、髪が濡れてしまうと色も落ちてしまう。このままでは瞳の色だけでなく、髪の色まで知られてしまう。
どうにかして髪が濡れることを回避しようとしたが、彼女たちからは逃げることもできず、ミリアはここに来て二度目の思考放棄をした。
「やはりこの御髪の色は……!」
「間違いなくお嬢さまと同じよ!」
「ではこの方は───」
ぶくぶくとお湯に浸かるミリアは彼女たちの話をまるで他人事のように聞いている。髪を洗われ、すっかりと染髪料が落ちたところに香油を塗られている。
もう一人になり、髪の手入れも面倒になって毛先のほうが痛み始めていたが切る気にはなれなかった。
(お母さんが手入れをしてくれていた髪だから)
しかし香油を塗られ、丁寧に手入れをされた髪は以前のようなつやつやとした天使の輪の髪へと変わった。
薄汚れていた肌も甘い香りのする石鹸で洗ってもらうともちもちとした何度も触りたくなるほどの肌へと生まれ変わった。
(名前も知らない平民相手にどうしてここまでしてくれるんだろう。やっぱり売り飛ばすためなのかな)
けれどなぜかそんなことはしないと思っている。根拠のない考えだが、ミリアの本能がそう告げていた。
お風呂から上がり、しっかりと髪の水気をとる。櫛で何度も梳かされるとさらさらになっていく。
その傍らで彼女たちが用意した服に着替えさせられる。レースがたくさんついたワンピースは所々に花の刺繍が施されていて可愛らしい。
腰をとめる大きなリボンは後ろから見ると蝶がくっついているように見える。
「とても可愛らしいです。髪も瞳も、とってもきれいです」
「───……」
鏡に映るミリアは自分を見て、思わず鏡に触れてそこに映る姿が自分のものなのか確かめてしまった。
(小さなころの、お母さんを見ているみたい)
金色に光る瞳は太陽を、月を、星々を集めたようで、銀髪に近い薄桃色の髪は光を反射して一部が七色に見える。
本来の姿で鏡を見るのは久しぶりかもしれない。今までは髪が染っているか、瞳が隠れているかの確認のために鏡を見ていたから。
「閣下がお待ちです。参りましょう」
「……きれいにしてくれたのは嬉しいですが、やはり平民の私は貴族に会える身分ではないはずです」
「いいえ。あなたさまは誰よりも閣下にお会いする権利がある方だと思います。大丈夫です。こんなにも可愛らしいのですから」
その言葉に不覚にもミリアは頷きそうになった。
(だってあんなにきれいなお母さんにそっくりなんだから。瞳の色も髪の色も全部)
でもここに来て瞳の色だけはあの人と同じだということに気づいた。一度も親戚の話を聞いたことがなかったミリア。
母親が言わなかったってことはいないってことだと思うし、わざわざ聞こうとも思わなかった。だってミリアには家族がいたから。
けれどその家族もいなくなって、もしかしたらという希望が僅かに宿った。
だからミリアは彼女たちの言葉を信じて、あの人に会うことにした。
「……分かりました。案内してくれますか?」
「もちろんです。こちらへ」
笑顔で案内され、ミリアは一階へと降りる。この時期には様々な種類の花が咲くことを知ってはいたが、案内された庭園はその想像を超えるほどの花で賑わっていた。
本で見た事がある花もあれば全く知らない花まである。その花たちに囲まれたところにあの人はいた。
「───……」
彼はこちらを見ると時が止まったかのように動かなくなった。しかし突如として襲った突風に目を瞑り次に目を開けると、彼はミリアに向けて手招きをしていた。
「こちらに来て座りなさい」
(……行っても大丈夫だよね?)
手をぎゅっと握りしめ、ミリアは彼の向かい側に用意された席に座る。丸いテーブルには見たこともない甘い香りのする食べものが数多く用意されていた。
(まるいパン一つだけだったから、ぜんぶ初めて見る)
ミリアの斜め前にある透明なグラスには透明な赤い飲み物が入っている。色と香りからしていちごのジュースだと思う。
こんなにも多くの食べものと飲み物を前にして、今からなにが起きるのか全く想像できない。ミリアは微動だにせずに黙っていると、徐に彼は口を開いた。
「食べなさい。君のために用意したものだ」
「へ……?」
「手が届かないのなら私が取ってあげよう。どれが食べたいんだ?」
(どういう展開……!?)
確かにお腹は空いているが、何がどうなったらこの人に食べものを取ってもらう話になるのか。
(どうするのが正解なの……)
後ろに控えているミリアの入浴を手伝った彼女たちを振り向くが、なぜか微笑ましそうにされるだけだ。それなら左にいる執事らしき人を見るがこっちも同じ。
(……っ、ここで断ったら平民の私は処罰されてしまうかも……っ!)
ミリアは頭を回転させ、目の前の食べ物を見る。そして目に入ったいちごのお菓子を指さした。
「こ、これがいいです!」
「! ……そうか」
なぜか懐かしいものを見るように目を見開かれたがミリアのためにいくつか取ってくれる。おまけでクッキーも何枚かお皿に乗せてくれた。
「また食べたいものがあったら言いなさい。いくらでも取ってあげよう」
「あ、ありがとうございます」
両手で皿を受け取り、きらきらとしている食べ物に目を向ける。甘くて美味しそうないちごをふんだんに使ったケーキは生地がクッキーとなっていて、食べたらサクサクとしていそうだ。
「……いただきます」
「ああ」
たくさん並べられている食器の使い方も知らないし、ケーキを綺麗に食べる方法なんて知らない。だから近くにあったフォークを手に取って、なるべくケーキの形が崩れないように注意を払ってひと口の大きさに切り分ける。
それをフォークに乗っけて口へと運ぶ。見られている緊張と落としてしまわないかという不安から手が僅かに震える。しかしその前にケーキが口の中に入りミリアは小さく安堵する。
そしてもぐもぐと咀嚼するとミリアは目を輝かせた。
(お、おいしい……っ!)
いちごは少し甘酸っぱいが、ケーキのクリームが甘くて見事に調和している。クッキー生地も想像通りサクサクとしていて食感が楽しい。
「……美味しいか?」
「はい!」
「ならいい。時間はあるから慌てずに食べなさい」
その言葉にミリアは夢中になってケーキを食べ進める。やはり食べ方を知らないせいで途中でケーキを崩してしまったが、なぜかそれも微笑ましい様子で見られる。
いちごには多くの水分が含まれているがクッキー生地がそれよりも多く口の中の水分を奪い、喉が渇く。ミリアはずっと気になっていたいちごの飲み物に手を伸ばした。
(大丈夫、ケーキを食べても怒られなかったから飲み物も───)
ゆっくりと飲み物を口へと移す。やはり見た目通りにいちご味だったが、それよりも驚いたことがあった。
(いちご味でおいしいけど、お花みたいな甘い香りもする! というか口のなかで花が咲いているみたいになる!)
口に含むとふわりと甘く香るのだ。それが癖になり、ミリアは何度も飲みものを飲む。
そのとき、ずっとミリアの様子を見ていた彼は徐にミリアに尋ねた。
「それは、好きか?」
「……? はい。甘くておいしいのもありますが、まるで口のなかでお花が咲いているような気分になります」
「───……」
するとなぜか目頭を抑えて俯いた。その様子にミリアは驚き、慌てて椅子から飛び降りて彼の元へしゃがみこむ。
そして空いている彼の片手を優しく握りこんだ。これは母親がミリアにしてくれていたことだ。なにか悲しいことがあったらすぐにこうしてくれた。
「大丈夫ですか? どこか具合が悪いのですか? 私に手伝えることがあれば仰ってください。それか近くにいる人たちに声をかけてきましょうか?」
「……っ、いいや大丈夫だ。すまない」
「でも……」
大丈夫だと言いながら悲しそうな表情をしている彼にミリアも悲しくなる。
急に連れてこられて今も疑問は晴れていない。けれどこの人にはそんな悲しい顔をしてほしくないと思った。
(……お母さんからだめだって言われてきたけど)
大きく息を吸い、心を一度落ち着かせる。そして握っている手からミリアは『力』を流した。
うっすらとミリアから光を放たれ、やがてそれは彼の手から全身を優しく包み込む。
「! この力は……」
ミリアはこれがどういう力なのかは詳しくは知らなかった。けれど母親から少しだけ教えてもらったときに、この力は相手を元気にする力があると言われたことがあった。
(これでこの人が、元気になるのなら)
家族以外では決して使ってはいけないと言われていて、それをずっと守ってきた。なのになぜか、この人には使ってもいいような、使ってあげないといけない気がした。
やがて力を流すのを止めるとミリアは顔を上げ、彼に尋ねる。
「もう、大丈夫ですか?」
「ああ、すまない。君のおかげで元気になったよ」
「なら良かったです」
先程よりも明るそうな表情にミリアは嬉しくなる。しかし『力』まで知られたとなるといよいよ売られてしまうのかと不安がっていると、彼はミリアの頭にぽんと手を乗せた。
「あ……」
「少し、この年老いた人間の話に付き合ってくれないか」
迷った末にミリアは頷いた。
庭から屋敷内に戻り、案内された部屋へと入る。そこにはミリアと彼しかいない。他の人たちは中には入らなかったのだ。
対面するような形でソファーに座ると、彼は最初に謝罪をした。
「……突然連れてこられて、さぞ不安だっただろう。すまなかった」
「なにか理由があるんですか? 私は平民であり、あなたは貴族です。どう考えても接点なんてないはずです」
「そうだな。私もないと思っていたよ」
彼はそう言い、胸もとにあるポケットからペンダントを取りだした。なかに写真を入れることができるもので、平民であるミリアは見たことがあるだけだった。
それをミリアへと渡し、興味深そうにペンダントを眺める。
「きれいなペンダントですね」
「なかを開けてみてくれ」
「でもこれは中に写真が入っているものではないですか? とても大切なもののはずです」
「……君に知って欲しいんだ」
そう言われるが開けてもいいものかと考える。けれど彼が開けて欲しいと言う瞳でミリアを見ていたため、悩んだ末に開けることにした。
「わかりました」
「ありがとう」
傷をつけないように気をつけながらふたを開ける。そこにはミリアよりも少し年上くらいのとても可愛らしい少女の写真があった。
将来は誰もが振り返ってしまうようなほどの美女に成長すること間違いなしと言えるほどに彼女の容姿は美しかった。けれどミリアは彼女の美しさにも目を引かれたが、それよりも顔立ちや色味に目を引かれた。
(……似てる)
恐らく数年経てばミリアも彼女のように美しく成長するだろう。まるで瓜二つのように。
「君はこの子のことを知らないだろう。しかし知っているはずだ」
「…………」
言わんとしていることはわかる。なぜなら写真の彼女はミリアの母親をそのまま幼くした姿にそっくりだったからだ。
「───……」
前々から自分の母親は平民とは思えないと思っていた。父親は平民だと思えるが、母親の持つ美しさと気品は隠せそうもなかった。
(でも、お母さんは私のお母さんだから)
なにか事情があったとしても関係なかった。でも、こうしてミリアはいま、自分の母親について知ろうとしていた。
「───この国に生まれたある公爵家の令嬢がいた。彼女はとても優しく聡明で、まるで妖精のような可憐さも持っていた」
物語でも語るような口調だが、ミリアはペンダントの写真を見つめながら彼の話を聞いていた。
「父親は娘のことをとても大切にしていた。彼女が結婚しても幸せに暮らせるように、あらゆる手筈を整えていた。しかし───」
目線を落とし、手をふるわせた。
「あの子の本当の幸せを、見れていなかったんだ。公爵家は国においても王族に次ぐ地位を持つ。そんなあの子には地位の釣り合った相手が相応しいと、思い込んでいたんだ」
「…………」
ミリアが今よりも幼かったころ、噂話程度に聞いたことがある。
───公爵家の一人娘が護衛騎士とともに失踪したと。
あのころは他人事のように聞いていた。けれど今思うとその話は何よりもミリアに関係していたのだ。
「結局あの子は愛する相手の手を取り、家を去ってしまった。私は後悔したよ。あの子の話を、あの子の幸せとは何かを、もっと考えるべきだったと」
(一人称が変わってる……。やっぱりこの話は───)
ペンダントに映る彼女は幸せそうだ。
(お母さんもお父さんと一緒にいるとき、こんな顔してた)
この話はミリアの母親と父親の話だった。
「あの子に会いたかった。けれどあの日から、私はもう二度とあの子に会えなくなってしまった」
「…………」
その言葉にミリアは目線を下げる。
「ようやく情報を掴めたと思ったら、あの子はもう……。私は最期を見届けることができなかった。心の底から自分を殴りたかった。───けれどそのときだった」
声色が変わった。ずっと自分を責め続けている、悲痛な声だったのに一筋の希望を見出したかのような声に変わったのだ。
「あの子に子どもがいることを知った」
「…………!」
思わず顔を上げる。彼と視線が重なり、ミリアはその瞳に、母親と同じ瞳を見て泣きそうになった。
「初めは信じられなかった。だが、会えるのなら、会いたいと思った。君を偶然見かけ、あの子と同じ瞳をしたあの子とそっくりの子どもだと思った」
突然連れさられて恐怖を抱いたし、平民だからと諦めていても後に起きる出来事を考えたら手の震えは止まらなかった。
それでもミリアは心のどこかで大丈夫だと思っていた。それはこの人の瞳を見る前から。きっとあれはミリアの本能が告げていたのだ。
「本当は君と顔を合わせて、君がどうしたいのかを聞いてそれで終わるつもりだった。けれど、言い訳にしか聞こえないが私は嬉しかったんだ。こうして孫の姿を見ることができて」
「……っ、」
その途端ミリアは目が熱くなり、涙を零した。ずっとずっとひとりだと思っていた。家族がいなくなってしまって、でも頼れる相手もいなくて。
一人で生きていかないといけないと分かっていても、寂しかった。
「わ、私の、おじいちゃん……っ?」
「ああ、そうだ。私は君のおじいちゃんだ。すまない、すまなかった」
「私、ひとりはもういやだよ……っ。寂しかった、怖かったの……っ!」
「これからは一緒に住もう。もっと早くに会うべきだった。すまない」
ミリアの祖父は涙が止まらないミリアを優しく抱きしめる。その優しさは家族が抱きしめてくれたものと同じだった。
「うぅ、ひっく……」
「これからはずっとそばにいる。家族なんだから」
家族。その言葉がそれが持つ意味が何よりもミリアは嬉しかった。
だから糸が切れたようにミリアは泣いた。ようやく、ミリアにも家族ができたと。
「おじいちゃん、おじいちゃん……っ」
「ああ、ここにいるよ」
「……っ、」
これまで我慢してきた感情が溢れ出し、ミリアは泣き疲れて眠るまで、祖父に抱かれて泣き続けた。
そして後日、ミリアは正式に祖父クリストヴァールの孫としてノインシュタイン公爵家に迎え入れられた。
「おじいちゃん、おはよう!」
「おはようミリア。よく眠れたかい?」
「うん! お母さんとお父さんのお墓を公爵家のお墓にいれてくれてありがとう! ふたりも喜んでるよ」
「本来ならもっと早くそうするべきだったんだ。遅くなってしまって申し訳なく思うよ」
クリストヴァールの執務室の扉を軽くノックをして中へと入る。本来であればそれは無礼な行為として罰せられるが、ミリアは彼の唯一の孫だ。
家族の中にも礼儀は必要だが、誰よりもクリストヴァールがそれを許している。公爵である彼が許すのであれば誰も何も言えない。
「大丈夫だよ。それよりも話ってなに?」
「まだここに来て間もないが礼儀作法を学ぶ教師をミリアにつけようかと思ってな」
「礼儀作法?」
「ああ。ミリアの希望で君を公爵家に迎え入れたことは陛下しか知らない。だがいずれは明かすときが来るだろう」
ミリアが公爵家に来て泣き疲れて眠りについて、目が覚めて。そしてミリアとクリストヴァールが祖父と孫関係だったことを知り、正式な公爵家の娘として処理が行われるはずだった。
けれどミリアは家族になるのは嬉しいが、それを周りに公表しないで欲しいと頼んだ。
『まだ貴族について、この家について知らないことがたくさんあります。だから、おじいちゃんと家族になるのは嬉しいけど、周りの人にはあまり知られたくないです』
『ミリアがそういうのならそうしよう。確かに時期を考えなければ私利私欲のために行動する貴族連中からミリアへの誹謗中傷が起きかねん』
『そんなに貴族社会は怖いんですか?』
『ああ。だからミリアの言う通り、ミリアが家族になったことはまだ秘密にしておこう。なに、私は公爵だ。それくらいの秘密は隠し通せる』
そしてミリアは公爵家の娘として国王から正式に認められたが、それを知るものは国王と公爵家の人間しかいない。
「礼儀作法は貴族相手でなくとも大切なものだ。学園に行ったときも必要になってくる」
「学園……」
「そうだとも。だから少しずつ学んでいかないか? 強制はしない。あくまで提案だ」
「…………」
ミリアは母親から聞く世界を知ることが好きだった。
(その国に行ったことがなくても、そこがどんな国でどんなものがあるのかを知ることができた。だから私は大きくなったらその国たちに行ってみたいと思っていた)
もちろん家族でだ。けれど父親が事故で死に、母親は娘のミリアを育てるために昼夜を問わずに働いた。その過労と早い病を拗らせて父親のもとに行くように眠るように死んでしまった。
(もう家族で行くことはできない思っていたけど……)
ちらりとクリストヴァールを見る。彼はミリアの知らなかった祖父。つまり家族だ。
(知ることは楽しいから好きだし、多くのことを学べばいつかおじいちゃんと他国に旅行に行ったときにお母さんみたいにお話できるかもしれない)
新たなことを知ることは自分の世界が広がる気がする。その感覚がミリアは好きだ。
「私、やってみたい。いろんなことを知ってみたい」
「そうか。ならすぐにでも手配しよう」
「ありがとう、おじいちゃん!」
ミリアはクリストヴァールに抱きつき、頬にキスをした。これはミリアが家族内で「ありがとう」を伝えるときにしていたものだ。
「喜んで貰えて嬉しいよ」
「お母さんからの話も好きだったの!」
「知ることが好きなら公爵家にある図書室に行ってみるといい。あそこには多くの本があるから。まだ文字は読めなくても絵がある本はたくさんある」
「大丈夫! お母さんから文字の読み書きは習ってたから。本は読めるよ」
だからたまに街に出かけた時に落ちている新聞を読むのが好きだった。
「! それは凄いことだ。まだ幼いのに読み書きが既にできるとは」
「お母さんがね、隣で一緒に教えてくれていたんだ。お母さんの書く文字はとっても綺麗だったの」
「ルリアーナは手先が器用だったからな」
こうして家族の話ができてミリアは嬉しい。クリストヴァールに頭を撫でなれると心が落ち着く。
「ところでミリアはルリアーナから『力』について詳しく知っているか?」
「ううん、知らないよ。ただ相手を元気にさせる力なんだよって」
「なら、初めにそれについて話しておこう」
クリストヴァールは執務机の引き出しから一冊の本を取り出した。鍵がついているその本はとても古びていて、大切に保管はしていたのだろうが背表紙や表紙が少し傷ついていた。
「ミリアの持つ力は公爵家の始まりが関係しているんだ」
「始まり?」
「このことを知るのは公爵家の直系血族と国王陛下のみだ」
「とっても重要なお話なんだ」
「ああ。だからミリアもこのことは内緒にするんだ」
「わかった」
ミリアが頷くとクリストヴァールは本を開いた。1ページ目には髪の長いきれいな女性が描かれていた。目を閉じていて何かを祈るような姿をしている。
「『ラウレンシア』」
「古代文字も読めるのか。さすがは私の孫だ」
「この人がラウレンシア?」
「ああ。彼女がこの公爵家の初代当主だ」
次のページをめくるとそこにはびっしりと文字が書かれている。しかし母親から文字を習っていたミリアはその全てが読める。
「『彼の者は光に愛されしもの。彼の者の力は豊穣と浄化であり、光を与えるもの』」
「初代当主ラウレンシアはこの本の通り、光に愛されていた。そして彼女の子孫は彼女と同じく、あらゆる光を集めた瞳をしていた」
「おじいちゃんや私のように?」
「ああ。彼女の直系はその瞳を持っていたが、彼女の力を引き継ぐものは稀にしか生まれなかった。それも女子だけだった」
ミリアは手のひらを握ったり開いたりする。いつからか呼吸をするように使えるようになった力。初めてその力を母親に使った時、とても驚かれ、外では決して使ってはならないと言われた。
「彼女の力は豊穣と浄化。その力を狙い、昔は争いが起きた。だから私たちはその力を、力を受け継いだ子たちを守るために全てを隠蔽した」
「だから公爵家と国王陛下しか知らないの?」
「そうだ。ルリアーナのときも私と国王陛下しか知らなかった。あやつ、ミリアの父は後から知っていたかもしれないがな」
すごい力だとは思っていた。ミリアは人よりも少しだけ特殊なだけだと思っていた。けれど少しだけではなかった。
(私の力はいろんな人を救えるかもしれないけど、同時にいろんな人を不幸にしてしまう)
手をぎゅっと握り、クリストヴァールを見上げた。
「教えてくれてありがとう。やっぱりこの力はみんなに知られちゃいけないものなんだね」
「ミリアの力はとても希少で優れたものだ。けれどそれを我がものにしようとする連中もいる。自分の身を、周りを守るためには秘密にしたほうがいいものだ。だが、それと同時にその力はミリアが公爵家の血筋だと示すものでもある」
「うん。おじいちゃんの話を聞いてそう思ったよ」
ミリアはクリストヴァールの膝から降りると、少し皺になったワンピースを直して言った。
「お話してくれてありがとう。おじいちゃんも仕事があると思うし、私も図書室に行ってみたいからここまでにするね」
「そうだな。ミリアと夕食を食べるためにも早く終わらせなければいけないな」
「無理しないでね。おじいちゃん、頑張りすぎたから」
「ああ、わかっているよ」
ミリアは手を振って執務室を出た。
そしてその足で図書室へと向かい、膨大な本の数に圧倒された。
「〜〜〜っすごーい!! いったい何冊くらいあるんだろう。数えてたら何日かかることか」
とりあえず時間はあるため、端から端までどんな本があるのか見てみる。どれもこれも知らない本ばかりだが、そのどれもに興味を引かれる。
「『周辺国のおすすめ観光地』だって。なにこれ面白そう! 『ベイル・ロンの社会学理論』は難しそうな名前だけど綺麗な表紙で読んでみたい」
クリストヴァールは絵がたくさんついている絵本にミリアは興味を持つと思っていたようだが、ミリアはそれよりももっと世界について興味があった。
(お母さん、お父さん。私ね、ふたりがいなくなって寂しかった。でも、おじいちゃんに会えて、こうしてまた家族として暮らせて。私とっても幸せだよ)
あの本に描かれていたラウレンシアと同じように目を瞑り、祈る姿勢をとってミリアは空の上にいるであろう両親へと告げた。
(この先に何があるのか分からないけど、きっと大丈夫な気がするの。だから、お空の上から見守ってくれると嬉しいな)
これはミリアの、両親への最後のわがままだった。
* * *
あれから早くも10年が経ち、ミリアはすっかり16歳へとなっていた。
「忘れものはないか? やはり一人で住むのは危険じゃないか?」
「もう、おじいちゃん! 学園は全寮制なんだし大丈夫だよ」
「だが……」
「まあ確かに結局、私が公爵家の人間だって知らせるタイミングをことごとく逃してしまって、ただの一般生徒として入学することになったけど。むしろ変に絡まれないと思うから安心だよ」
明日はついに学園の入学式だ。そのためミリアはこれから3年間を寮で過ごすために多くの荷物をまとめていた。
「何かあったら直ぐにいいなさい。私が懲らしめてあげるから」
「いや私は一般生徒として入学することになってるし。それにもし虐められてもそれは私が身分を隠してしまっていたからで、知っていたらそんなことは誰もしないから懲らしめるのは可哀想だよ」
「だがミリアを傷つけたんだ。当主として看過できない」
何を言ってもだめだと分かり、ミリアは肩を竦めた。
「変なことにならないように気をつけるね。でも良かったの? 髪も瞳もそのままで。瞳の色は公爵家の直系血族の証じゃないの?」
「今の直系は私しかいないことになっているから問題はない。それにせっかく妖精のようにかわいいんだ。私の孫がこんなにも可愛いのだと自慢しなければいけない」
「誰に自慢するっていうの……。まあいいや。長期休暇には帰ってくるからね」
馬車に乗り込み、荷物も入れる。そして扉を閉めようとした時、クリストヴァールはミリアに言った。
「楽しんできなさい。3年間は長いようで短い。そこでしか作れない思い出がたくさんあるはずだ」
「おじいちゃん……。うん、たくさん思い出作ってくるね。友達も!」
「長期休暇での話を楽しみにしているよ」
「いってきます!」
「気をつけて行ってきなさい」
扉を閉めると馬車は動き出す。窓から顔を出して公爵家にいるみんなに手を振る。この日のために仕事を中断して見送りに来てくれた。
ミリアはそのことを嬉しく思い、これからの学園生活に期待で胸を躍らせた。
そして楽しい学園生活が始まり、友達もできた。好きな人はいないけど、十分に青春を送っている気がする。
「おはようミリア。今日は随分とご機嫌ね」
「あ、シエラ。ふふん、それがね。今日は───」
「試験結果の発表日、だからでしょ?」
「ニケ!」
「おはようミリア、シエラ」
シエラとニケ。ふたりはミリアの最初の友達だ。侯爵家の令嬢であるシエラと平民のニケ。そしてミリア。3人は身分は違えど相性が良く、3人で過ごすことが多かった。
(ふたりには私が公爵令嬢だってことは伝えられてないんだけどね)
ただ縁があって公爵家の人たちが後見人になってくれているとだけ伝えてある。理解の速いふたりはそれ以上のことは何も聞いてこないで、ただのミリアとして接してくれた。
いつかは話さないといけないと思いつつも、なかなかタイミングが見つからないという言い訳でのらりくらりと避けていた。
「ミリアが楽しそうにしているときは図書館で新しい本を見つけたか、試験結果発表日かの二択しかないよ」
「そ、そんなことはないよ! 二人と一緒にいるのも好きだから」
「またミリアの無自覚攻撃が始まった。私とシエラは耐性かある程度ついてきたけど、知らない人にそんな可愛い顔を見せちゃダメだよ」
「友達の二人にしか見せないよ。それよりも早く行こう! 今回こそは自信があるの!」
ミリアは二人よりも早く駆け出し、結果が貼られた掲示板へと急ぐ。置いていかれたふたりは顔を見合せてため息をついた。
「今回こそは、っていったい何回目かしら」
「少なくとも5回は聞いたかな」
「容姿端麗な上に成績優秀ときて。私たちがいなかったらあの子、あっという間に飲み込まれてしまっていたかもしれないわ」
「それに平民の私から見てもミリアの所作は綺麗だよね。シエラもそう思う?」
「ええ。でも本人は普通に接してほしいようだから」
ミリアは気づいていないかもしれないが、何度か事件に巻き込まれそうになったことはあった。それは全てミリアの持つ容姿と頭脳によるものだ。
しかしそれをミリアには気づかせずにふたりが内々に処理をしていただけで。
「ミリアを狙っている子息はまだまだ多いんでしょ? せめてまともな人間なら良かったのにね」
「そうね。寄ってくる貴族はミリアの容姿に惹かれ、頭の良さに惹かれて。そして優しさに惹かれて」
「ミリアに劣等感を抱いているくせにそんな彼女を屈服させたいという性格に難アリな人間しか、なんでいないんだか。ミリアが恋愛に興味がないことが唯一の救いかな」
「でなければ、あっという間に純白のあの子が汚されていたわ」
そんなことを話しているうちにミリアの姿はどんどん離れていく。今日が試験結果発表日だとすると、また前回と同じことが起きる可能性がある。
「……とりあえず今はミリアを止めるために急いだ方がよさそうだね」
「同感だわ」
ニケとシエラも毎回起きるある出来事のためにミリアを急いで追いかけた。
ミリアは今までにないほどに自信があった。
(予習復習を欠かさずに試験前は図書館にこもりまくった。今回こそは!)
学園に入って年に6回という試験があることを知った。公爵家の令嬢として祖父からは惜しみないほどの支援をしてもらい自他ともに認める秀才へと成長した自負はある。
礼儀作法は完璧にマスターして、諸外国の言語も完璧。学園で学ぶものは家庭教師から少し先取りで教えてもらい、おかげで学園での授業で困ったことはない。
一般生徒ではあるが成績優秀なミリアを頼り、クラスメイトも好意を持って接してくれていることは知っている。
自分の実力は数字となって現れるこの試験結果でわかるものだ。より上位になればなるほど自分の実力がはっきりとし、より勉学に励もうと思えた。
(今回は1学年最後の試験。絶対におじいちゃんに伝えるんだ!)
そう意気込んでミリアは掲示板を見た。そこには多くの人が集まっていたが、ミリアが来るとその場にいた人たちは道を開けてくれた。
それと同時にミリアから距離をとる。もう既に結果を知っている生徒たちはこれから起きることを想像して離れたのだ。
「ふふん、今回は間違いなくいち……じゃない!? なんでまた2位なの!? 間違いなく満点なはずなのに!!」
「朝から騒がしいな」
「うわ出た」
「ここが学園じゃなかったら不敬罪だと毎回言ってるよね?」
自信満々に掲示板を見上げて自分の名前を探して、ミリアは絶対に一番上にあるはずだと思った。それなのにミリアの名前は栄えある一番上ではなく、その下。
それを見て思わずその場に崩れ落ちてしまった。そしてミリアの上にある、1番を示す場所には別の人物の名前。
「なんで分かりきっていることにそこまで落ち込むんだか。僕にはさっぱり分からないな」
「くっ、嫌味ったらしい。相変わらずむかつく」
「まあ僕としてはこうして面白いものが見られてありがたいよ。それに関しては感謝してもいい」
ミリアを小馬鹿にしたような笑みを浮かべるこの男。この学園でミリアを知らない生徒がいないのと同じように、この男を知らない生徒もいない。
(なんで毎回負けるのよ!)
彼の名前はジェレミア。青みがかった銀髪と氷のような青い瞳をもつ青年。その美しい外見から『氷の貴公子』の二つ名を持つこの国の第2王子だ。彼は何をしても天才と呼ぶしかないほどに完璧に物事をこなす人物だ。
学園に入って芽生えた彼に対しての負けず嫌いのミリアでもそれだけは認めざるを得なかった。けれど過去の試験のどれを見てもずっとミリアは彼に勝てたことがなかった。
(間違いなく見直しもして間違いがないことを確認したはず。自己採点でも満点だったのに!)
悔しそうにしながらもジェレミアの前でその姿を見せればまた馬鹿にされる。彼は第2王子かもしれないが、こっちだってその気になれば公爵家の令嬢として権力をふるえるのだ。
しかしそれをしないのはそれでは完全に彼に負けを認めてしまっているも同義になるから。
(おじいちゃんにはまた2位だって伝えることになるのか……)
長期休暇になると宣言通りに公爵家に帰って学園での出来事を毎日話していた。けれど試験の結果だけは「おじいちゃんが心配しないようにしてるから大丈夫だよ」とはっきりと伝えることはできていなかった。
「おやおや、いい加減自分の実力を認めたほうがいいんじゃないかな? ほら、2位だって十分すごいよ?」
「あなたに言われると無性にいらつく」
「ひどいな。僕は提案してあげてるのに」
「だいたい、なんで私は毎回2位なの? 自己採点でも満点だったのに!」
また始まったと言わんばかりに周りはサササっとさらに距離をとる。そこにミリアを追いかけてきたニケとシエラは言い合いをしている二人を見て、ため息をついた。
「まーたやってるね」
「ミリアは負けず嫌いだものね。それもあの方に対しては特に」
下手に巻き込まれないようにふたりも遠くから離れて見守ることにした。どうせ成績は前回とさほど変わらないことを知っているため、見物するように二人を見た。
「満点? あれ、この学園の試験の採点方式を知らないとか?」
「それくらい知ってるわよ。それがどうしたって言うの?」
「知っているくせにそんなことを言うんだね。まあちょっと抜けてるからね、君。仕方がないから説明してあげるよ」
やれやれと肩を竦める姿にミリアはいらっとする。しかしどうして自分が2位なのかは知りたいため、黙って聞くことにする。
「この学園の試験は基本的には100点満点の試験だ。しかし試験の教科それぞれは専門性の高いものばかり。ゆえにその教科の専門家が試験の採点をすることになっているが……」
「そんなことは誰でも知っていると思うけど?」
「まあ話は最後まで聞きなよ。その採点者の専門家が生徒たちの回答で授業よりも高度な回答や彼らが思わず感激してしまうような回答をすると、加点が貰えるんだ」
「加点ってそれ、満点よりも上になるってこと?」
「そう。だから君がいくら満点を取ったとしても僕が加点で満点以上をたたき出しているから無駄ってこと」
簡単に話しているが、その分野の専門家が加点を与えてもいいと思えるほどの回答をしなければ満点以上なんて出せない。授業だけを受けて授業で学んだことを試験で書いたとしてもそれは普通だったのだ。
(加点ってそんなのどうしたら貰えるって言うの。その科目を端から端までみっちりと勉強して、その上で自分のなかで新しい方法を生み出さないと加点なんて貰えない)
つまり彼は本当の天才なのだ。
(試験期間だけじゃなくて普通の日でも常に勉強してるのを知ってる)
ミリアも負けてないと思うが、彼もそれに匹敵するくらい努力していた。周りはジェレミアをただの天才だと思っているようだが、ミリアは知っている。
その天才を天才と言われるほどに引き上げているのは周りが信じられないと思うほどの努力の上に成り立っていることを。
(だから余計にむかつく)
ミリアはふうっと息をはき、一度冷静になる。これ以上感情的になってしまっても仕方がない。
「わかったかな。だからいちいち───」
「ならあなたの加点をも上回るほどの回答をたたき出すだけ」
「───……」
絶対に次は負けないと彼を睨みつける。するとミリアを見た彼は目を見開き、そして小さく声を上げて笑った。
「はは、だから君は面白い」
「なに笑ってるの」
「いーや、なんでもない。せいぜい頑張りなよ。でも勝つのは僕だけど」
彼の笑いに周りは悲鳴をあげる。誰もが振り返る美丈夫の彼が素の笑顔を見せたのだ。当然周りは頬を染めて悲鳴をあげる。
しかも『氷の貴公子』の名の由来は彼があまり笑わないことからも取られている。正直ミリアはジェレミアが憎たらしい笑顔ばかりこちらに向けてくるため、笑わない、なんて信じられない。
しかしミリアは彼の姿に対して何も思わず、ただ勝つことだけに闘志を燃やしていた。
「ふん、次はあなたの名前の上に私の名前があるから」
「知ってる? そういうのってフラグっていうらしいよ?」
「変なこと言ってないでさっさとどこかに行って」
「君ねぇ、いい加減僕を敬うことを覚えたら?」
「……ここは学園です。もちろん外では礼儀正しく接しているので。だからさっさとどこかに行って」
しっしっと虫でも払うかのような仕草にまたしても彼は笑う。
「はは、僕にそんな態度をとれるのは君くらいだね」
「ふん、余裕ぶって1位から転落でもしなさい!」
「それはできないな。僕は手を抜いていても君に勝ってしまうだろうからね」
「くっ、馬鹿にして」
そのとき授業の開始5分前を告げる鐘が鳴った。まだまだ言い足りないことがたくさんあるがミリアは授業には遅れられないとグッと言葉を飲み込む。
そして先程までの姿は幻だったかのようにミリアは優雅にその場を離れる。ニケとシエラは2人のやり取りを見て、ようやく終わったと思い、ミリアを追いかけた。
その場に残された残りの生徒たちは授業のためにその場を次々と離れていく。ジェレミアはミリアの姿が見えなくなるまでその場で彼女の姿を追っていた。
* * *
「はあぁ、結局勝てなかった……」
「3年間ずっと2位を維持していたのもすごいと思うけど」
「ありがとうニケ。それよりもそのドレス可愛い。やっぱりニケにはその赤いドレスが似合うと思ってたよ」
「ありがとう。でも良かったの? ミリアは公爵家の人たちが後見人だからドレスくらいは買えると思うけど、私はただの平民だよ」
「大丈夫! 私の友達って言ったらすぐに了承してくれたから」
今日はミリアたちの3年間の学園生活の終わりを迎える日、つまり卒業パーティーの日だ。貴族の卒業生は卒業パーティー用のドレスを買えるが、一般生徒のニケたちはドレスを買うのも一苦労。
そういう生徒のために学園はドレスを貸し出しているが、ミリアはニケのためにクリストヴァールに頼んでドレスを作ってもらったのだ。
(こういうときのための公爵家だよ。ニケにぴったりのドレスで良かった)
友達のドレスが自分の用意したものだと思うとミリアは嬉しくなる。そのとき、美しくドレスアップをしたシエラがやってきた。
「2人とも卒業おめでとう」
「シエラもね。そのドレスとっても綺麗」
「ありがとうミリア。でもあなたの方が多くの人の視線を集めているわよ? あまりの可憐さに」
「そうだと嬉しいかな。それよりもニケのドレス見て! 私が用意したの! ニケにぴったりでしょ?」
ミリアは今は自分よりもニケのドレス姿に注目して欲しかった。ニケのドレスは公爵家お抱えの口の堅いデザイナーと二人で相談して決めたものだ。
ミリアのドレスのデザインは全てデザイナーとクリストヴァールたちに一任して、ミリアはニケのドレスに力を入れていた。
「あら、ミリアの言う通り美しいわね。ニケは元々フリルよりもレースの多いドレスが似合うと思っていたけれど、私の予想は当たったようね」
「ふんだんに使っているから。ニケのドレスは歩くと何重にもなったレースがひらひらとするの」
「これほどのドレスとなると私でも頼めるかどうか。公爵家の財力を知るわね」
「そんなに高価なドレスだったんだ……。汚さないようにしないと……」
ニケはシエラの話を聞いてさっきまであんなに楽にしていたのにすっかり緊張してしまっている。その様子がなんだか面白くてミリアは軽く言いのけた。
「大丈夫。それはもうニケのだから。心配ならもう一着でも二着でも作る?」
ミリアだってクリストヴァールから毎年使い切れないほどのお小遣いを貰っている。ニケのドレスを私財で作れるくらいにはある。
「いや、もういいよ……。それよりも今日はドレスが汚れないように気をつけるから……」
「汚れてもいいのに」
ミリアは近くのテーブルに置かれていたグラスを取り、飲み物を飲む。これはミリアが公爵家に初めて行ったときに出されたいちごのジュース。
あとからクリストヴァールから聞いた話によるとミリアの母親もこのジュースが好きだったようだ。
「ほんと、ミリアは黙っていたら妖精みたいなのにね」
「ええ。今だって何人もの令息がミリアを見ているというのに」
「……卒業したらミリアに多くの貴族たちが求婚するんだろうね。いや、今でもあるのかも」
「あると思うわ。でも本人がずっと興味なさそうだから、きっと公爵家の方々が拒否しているのかも。それとももう一人が、手を回しているか」
ニケはシエラの言う、もう一人という人物を思い浮かぶ。
「ミリアは鈍いから、あの人も苦労しそうだね」
「もう十分に苦労していると思うわよ? ほら、特に今日のミリアはあんなに可愛いんだから」
目を輝かせて美味しそうにジュースを飲むミリアの姿は庇護欲を掻き立てられる。
今日のミリアは桃色のドレスを着ているがデコルテが露出しているもので、至るところに真珠が散りばめられている。珍しい金の瞳に合わせた首飾りは瞳同様にあらゆる光を集めたかのようだ。
銀髪に近い薄桃色の髪を主張するように髪は下ろしたままで代わりに花の飾りが付けられている。付けている手袋もレースだからこそ、色香をわずかに感じる。
ミリアはクリストヴァールからニケを連れて公爵家に戻ってくるように言われていた。それもこれもクリストヴァールたちが卒業パーティーではミリアが最も美しく可憐になるように仕上げたかったからだ。
おかげでミリアは鏡を見て、「お母さんみたい!」と嬉しそうにしていた。
「公爵家の方々は後見人だとしてもミリアをとても可愛がっていたよ」
「あの姿を見ていれば容易に想像がつくわ。卒業後はさすがに私たちもミリアに干渉することは難しくなるから。ミリアを守ってくれる存在がいることは心強いわね」
ふたりはそんなことを話していると、第2王子であるジェレミアが入場してくる。相変わらず美しい顔をこれでもかとさらに主張していた。
「なんであの人はミリアと言い争うことはできるのに、肝心なことは言えないのかしらね」
「最初の出会いから問題があったからじゃない? むしろ第2王子は下手なことを言って、いまの関係が壊れてしまうのが怖いんだと思うよ」
「それはヘタレよ。なんでもこなす天才なら、そこも完璧にこなしてほしいものだわ」
ため息をつき、ミリアに話しかける機会を伺っている羽虫から彼女を守るべく、シエラとニケはミリアを囲むように位置した。
ニケとシエラからおすすめの料理を教えてもらいながらミリアは楽しく談笑していた。そう談笑して『いた』。
「…………」
「君ねえ、人の顔みて顰めるの違くない? それに普通なら僕の顔みて顔を赤く染めるはずなのに」
「……美味しいはずのご飯が、美味しくなくなった」
それもこれも全てジェレミアのせいだ。ミリアはジェレミアが入場してきたことには気がついていた。だが、だからなんだと言うのだ。
生憎と彼の顔に惚れるような性格はしていない。自意識過剰かもしれないが、ミリアは妖精と呼ばれた母親とそっくりなのだ。
(この人の顔を見て惚れているのなら、とっくの昔に私は自分に惚れてるわよ)
だから彼を見て顔を赤くしたりしないのだ。
「で、なんの用なの。私は見ての通り、楽しく談笑していたの」
「それはそれは、すまなかったね。ただ僕は一言言いに来ただけなんだ」
「絶対に聞きたくない気がする」
ミリアは皿を置いて両手で耳を塞ぐ。けれど手で塞いだところで完全に音が遮断されるわけではない。それにこの近さだ。
絶対に聞きたくなくても聞こえてくるし、聞こえなくても読唇術で言っていることは分かってしまう。顔を顰めながら言葉を待つと、彼は小馬鹿にしたような表情から一転、憐れむような表情へと変えた。
「結局、あれから僕には勝てなかったね。でも万年2位もすごいと思うよ。すごいすごい」
「なっ……!」
放たれた言葉にミリアはジェレミアを睨む。
『万年2位』という言葉はこの3年間でミリアへと付けられたものだ。と言ってもミリアを侮辱するものではなく、ずっと2位を保守し続けてたミリアに対しての賞賛の意味で付けられたものだ。
けれどミリアからすると1位を取れなかったことをありありと示しているその言葉が好きではなかった。だから誰もミリアをそう呼ばなかった。
けれどジェレミアはあえて『万年2位』という言葉を使ったのだ。
(くっ、事実だからこそ否定できないのが悔しい! でも私は彼の努力に勝てなかった)
ジェレミアに『次は勝つ』宣言をしてから、ミリアは図書館に今まで以上にこもり、教師にも教えを乞いた。
そして何度かジェレミアとは図書館で遭遇して、そこでミリアは彼の並外れた努力を再認識したのだ。けれども負けたくなかった。
しかし結果は万年2位。ミリアはジェレミアには勝てなかったのだ。
「……ふん、別に学園を主席で卒業してもその後のことは自分次第。だから気にしてないわ」
「ふうん? 気にしてない表情じゃない気がするけどね」
「気にしてない。全然気にしてないから!」
ミリアはニケとシエラの手を取って別のテーブルへ移った。これ以上あの場にいたらせっかくの卒業パーティーが台無しになりそうだ。
(第2王子が出席するパーティーにはもう絶対に出ない!)
ミリアは頬を膨らませて怒っていた。それを見てシエラとニケはため息をついた。
((なんで素直になれないんだか……))
そしてパーティーも終盤に差し掛かり、卒業パーティーの目玉であるダンスが始まろうとしていた。周りは誰をダンスに誘うか躍起になっている。
「ミリアは誰と踊るの? やっぱり第2王子?」
「なんでそこで第2王子が出てくるの。私は誰とも踊るつもりはないよ」
「え、でもせっかくの卒業パーティーなのよ? 踊らないと損じゃない?」
ミリアがダンスをしないことにニケとシエラは驚いている。学園の授業では一般教養として全ての生徒にダンスの授業がある。
それは卒業パーティーの日のためであり、身分関係なしにダンスを踊れるようにするためだ。
ミリアは公爵家でダンスを学んでいた。そのため、授業では好成績を収めていた。
「でも踊る相手もいないし。それよりもニケとシエラは踊ってきなよ。二人を誘いたい生徒たちはたくさんいるから」
「それはミリアの方だよ」
「そうよ? それにミリアのダンスは惚れ惚れするから見たかったのに……」
二人の言葉にミリアは苦笑いする。
「せっかくなのだし、1曲くらいは踊らない?」
「でもなぁ……」
渋っているとホールに音楽が流れ始めた。最初のダンスは比較的踊りやすいゆっくりしたテンポのものだ。
ダンスの音楽は後半になるにつれ、ステップの難しいものになってくる。だから貴族ではない一般生徒の多くは最初の方に踊る。
「なら気が向いたら踊ることにするから。ふたりは踊ってきて」
「でも、一人でいる間に誰かに襲われたりしない?」
「そんなことないよ。ほら、二人が楽しそうなら私も踊ってみることにするから」
背中を押して二人を送り出す。それと同時にミリアは壁の方へと下がる。
その途端にニケとシエラは多くの生徒に囲まれた。赤いドレスを魅力的に着こなすニケと侯爵家のご令嬢であるシエラは学園でも人気があったのだ。
ふたりはあたふたしながらも相手を見つけてダンスをし始める。その様子を少し眺めて、ミリアはジュースを片手にバルコニーへと出た。
人がいないバルコニーは羽を伸ばすのにはちょうどいい。設置されているふたり用のソファーに座りながら、音楽に耳を傾けた。
「星がきれい……。手を伸ばせば届きそう」
母親とクリストヴァールとミリアの瞳の色。いちごのジュースを飲みながら、ただ呆然と夜空を眺める。
「シエラとニケ、楽しくダンスしてるかな。ふたりはなんだかんだ私を大切にしてくれているから、ああでも言わないと私を優先してダンスをしなさそうだったよ」
二人がミリアを大切にしてくれているようにミリアもふたりが大切だ。だから、ふたりが楽しく卒業パーティーを終えられるようにしたかった。
「それにあの場にいたら私まで囲まれるところだったし」
やれやれと肩を竦める。恐らくニケとシエラはミリアがいないことに気づくだろうが、ふたりはダンスが終わった途端に他の誰かに誘われてそれどころではないはずだ。
後半のダンスは難しいが、二人なら踊り切れるだろう。
「このまま星を眺めながらパーティーが終わるのを待っているのもいいかもしれない」
ニケとシエラはせっかくのパーティーということでミリアにダンスをさせたかったようだが、ミリアからすると二人とパーティーに出席して楽しくおしゃべりできただけで十分だった。
「卒業後はどうしよう。ニケは王宮の侍女の内定をもらっているし、シエラは婚約者を見つけたらその人の元に嫁ぐんだろうな」
ならミリアはどうなのだろう。
「おじいちゃんの後継ぎは私しかいないから、きっと私が跡を継ぐんだろうけど」
そのために勉強もしてきたし、学園でも交友関係を広げるために友達も作った。しかし誰も本当のミリアを知らない。
「もっと早くに伝えとくんだった。でもなんか二人とも、私のこと気づいてそうなんだよね」
ミリアの予想の通り、シエラとニケはミリアが一般生徒ではないことに気づいていた。ミリアの容姿はとても目を引く上に、公爵家の令嬢として学んだ礼儀作法により要所要所にその気品が現れていた。
しかしミリアが知られたくなさそうだから気づかないふりをしていただけだった。
「卒業パーティーの後にでも話そうかな。でも終わりの時間はだいぶ遅いと思うし、後日手紙を出して公爵家に来てもらった方がいいのかな」
そんなことを考えているうちに、誰かがバルコニーの扉を開けた。全員とは行かないがほとんどがダンスをしているためバルコニーには来ないと思っていたのに、誰かが来てミリアは驚いた。
しかもその人物がジェレミアだということにも驚いた。
「はあ、ここにいた……。君ねえ、こんなところに隠れているなんて」
「隠れているわけじゃないし。それになんでここにいるの。今はダンスの時間のはず。今も音楽が流れてるし」
「君を探してたんだよ」
「なんで?」
「…………」
ジェレミアはそこで口を噤む。そして黙ってミリアの隣に座った。
「……ちょっと? ここは私が座っていたんだけど」
「ふたり用なんだから問題ない」
「問題しかないんですけど。それよりも私を探してたって言うけど、探されるようなことをした覚えはないんだけど」
ミリアは強気な態度を取るが、実を言うと少しだけ緊張していた。ここまで近い距離にいるのははじめてだし、隣に座っているしで男性に対する耐性が少ないミリアは少しばかり体を固くしていた。
それを誤魔化すようにジュースを飲む。なのにジェレミアは緊張した様子も見せない。
やはり王子ともあって女子たちからキャーキャー囲まれているため、これくらいの距離では動じないのだ。そのことに少し悔しく思うも、緊張していることを気づかれたくなくてミリアは平静を装う。
そのとき、ジェレミアはなぜかミリアの髪に触れた。指に髪をまきつけ遊んでいる。
「なにしているの」
「見て分からない? 遊んでる」
「それはわかるから。なんでそんなことをしてるのよ」
「触りたくなったんだよ」
意味がわからない。しかも髪に触れるためにジェレミアとの距離も近くなる。緊張で顔が赤くなりそうになり、ミリアは顔を背けた。
「あ」
その拍子に彼の指から髪が離れる。けれどなぜかまたジェレミアはミリアの髪に触れてくる。
「お、王子だからって勝手に淑女の髪に触れるのはどうかと思うわよ!」
「じゃあ触らせて。いいよね?」
「良くない!」
ミリアは彼の指にある髪を回収する。そしてこれ以上触られないように彼と対面し、髪を後ろに隠す。
しかしそれがいけなかった。
「……っ」
真近くにあるジェレミアの顔。その顔は確かに美しい。
(調子が狂う……)
いつもは試験結果のときに言い争うばかりで、こうして何事もなく話すことなどあまり無かった。だからなにを話せばいいのか分からないし、この空気をどうしたらいいのかも分からない。
「……っ、こんなところにいないで、さっさと誰かとダンスをしてきたら? きっと多くの女子生徒が待っているはずよ」
「誘いたい相手は他にいるから」
「? なら早く誘えばいいのに」
なぜ相手を誘わずにここにいるのか心底分からない。思わず首を傾げると、ジェレミアは大きなため息をついた。
「はあー、やっぱり君はそういうところがあるよね」
「人の顔見てため息つくのやめて」
「君だって僕の顔を見て顔を顰めるじゃないか」
「それはいいの」
「良くないから。…………ねえ、卒業したらどうするつもり?」
まさかジェレミアからそんなことを聞かれるとは思っていなかった。だから思わず彼の顔を凝視してしまう。
「別にただの興味心からだよ」
「ふーん、そう」
「で、どうするつもりなの?」
「……たぶん、おじいちゃんの後を継ぐんだと思う。そして誰か良い結婚相手がいたら結婚するのかな」
結婚なんて想像できない。貴族の世界を見てみて、結婚は一種の契約だということを知った。だからミリアもクリストヴァールの後を継ぐのなら、誰かと結婚することが必要になってくるだろう。
(でも政略結婚はいやだな)
自分の両親を見ているとそう思う。ふたりは常に仲が良かった。結婚するのならあんな夫婦になりたい。
しかし公爵令嬢という身分を持ちながらのその願いは難しいということを、それもまた両親の姿から知っている。
「おじいさんの跡を継ぐって、君のおじいさん何してるの? というか君がひとりだから後見人として公爵家がいるんじゃないの?」
「色々あるの。それに卒業後はお互い別の道を進むんだし、あまり深く聞いても仕方ないでしょ」
そうなのだ。学園を卒業したら成人と認められ、それぞれの歩みたい道へと進んでいく。公爵家のミリアと第2王子であるジェレミアはこれからも顔を合わせることがあるかもしれないが、それを知るのはミリアだけ。
(別に教えることでもないと思うし)
王宮で顔を合わせてジェレミアが驚くくらいだ。
「秘密は誰にでもあるもの。これ以上はだめ」
「……なら、結婚すると言っていたけど、誰とするつもりなの?」
「まだするつもりなんてないけど、いつかはしないといけないと思う」
「好いた相手でもいるの?」
ジェレミアはいつにもなく真剣な表情で聞いてきた。笑って誤魔化そうと思ったのに、彼の顔を見てなぜか正直に答えてしまった。
「いない、いないわよ。それに私、結婚するなら恋愛結婚がいいから」
そう。両親のように仲睦まじく、誰が見ても仲良しな夫婦になりたい。
「……ふうん」
「それよりもいい加減に誘ってこないとダンスの時間が終わるわよ。もうすぐラストダンスが始まると思うから」
ミリアもちょうどジュースを飲み終えたので、食器を片付けるためにソファーから立ち上がる。ついでにジェレミアが誘いたい相手でも見物しようかと思っていた。
「ほらさっさと行ってきなさい。グズグズしてると他の誰かに取られちゃうわよ」
「───それは困るな」
「え、なにか言った?」
「ん、別に。空耳じゃないかな」
絶対になにか言っていた気がする。なのに声が小さすぎてジェレミアが何を言っているのか聞こえなかった。
しかし大したことの無い話なら気にする必要も無いかと思い、ミリアはバルコニーから出るために扉に手をかける。
するとミリアに覆い被さるようにしてジェレミアは後ろに立ち、取っ手に触れたミリアの手に自分の手を重ねた。
「え」
「ねえ、君ってダンス得意?」
「急になにしてるの」
「それよりも、得意? それとも不得意?」
なぜこんな体勢になっているのか分からないが、ジェレミアの質問に対して『不得意』なんて答えたら最後の最後まで馬鹿にされる。
「ふん、もちろん得意に決まってるわ」
「ならこの最後の曲も踊れる? ステップが極めて難しい曲だけど」
「馬鹿にしてるの? 踊れるに決まってるわよ」
自信満々にそう答えると、ジェレミアは重なっていた手を離してくれた。これで中に戻れると思い、扉を開けるとミリアよりも先にジェレミアが中に入る。
抜かされたと思いつつ、ジェレミアの相手を見物する程度で見逃してやろうと思っていると、なぜかグラスを持っていない方の手を引かれた。
「え、ちょっ……」
「踊れるんでしょ? それが虚勢じゃないか確かめてあげるよ」
「でも誘いたい相手がいるって」
「そうだね。でももう大丈夫だ」
持っていたグラスを取られ、彼は自然と近くのテーブルにグラスを置く。そしてそのまま会場の中心へと連れていかれる。
周りを見ると誰もいない。
「なんで誰も踊らないの……?」
「この曲はステップが極めて難しいからね。それとも君もやっぱり踊れない?」
「───……」
その言葉にカチンときた。だからミリアは彼の手から一度離れ、その鼻を明かそうとした。
その微笑みを崩してやろうと。
そのためにミリアは渾身の礼を見せる。
「ジェレミア第2王子殿下。今宵の最後のダンス、是非とも私と踊ってください」
その場にいる誰もが見惚れる美しい礼をする。そしてクリストヴァールから『母親であるルリアーナにそっくりだ』と言われた妖精の微笑みを見せた。
「……!」
「ふふ、今宵は星々が美しく輝いています。あなたと踊る栄光を私めにお与えください」
「…………はは」
ジェレミアは小さく笑い、ミリアの手を取った。そしてレース越しにキスをした。
「このように美しい方と共にできるとは僕のほうこそ光栄だ」
そしてダンスは始まった。
この曲が難しいと言われる理由はリズムの緩急が激しいからだ。しかも一拍でも遅れてしまうと次のステップには間に合わずにダンスが乱れてしまう。
それをミリアは軽やかに踊っていく。ターンするときはドレスの裾がふわりと舞い、まるで本当に妖精が踊っているかのようだ。
ジェレミアも上手くリードしていて、ミリアはなんの障害もなく踊れている。
「それにしてもさっきのあれは驚いたよ。まさか君があんな挨拶をできるとはね」
「私だって努力しているのよ」
二人には会話する余裕まである。
「それよりも突然ダンスなんて。誘いたい相手はこれを見てどう思っているのでしょうね」
「さあ、どう思っているんだろうね。楽しんでくれていたらいいんだけど」
「別の女と踊っている姿を見て楽しいわけないでしょ。実は馬鹿なんでしょ?」
「それあと3時間後に言ったら不敬罪だよ。分かってる?」
「ふん、やれるもんならやってみなさい」
そのときは公爵家の力で隠蔽してやると息巻いているとジェレミアはため息をつく。
するとターンがないはずなのに腰を掴まれ、回された。
「!」
予定のないその行動に驚きつつも、ミリアは見事にターンをしてみせる。
「何するのよ!」
「ただ一瞬、君が憎たらしく思えてしまってね。ところで話は変わるけど、卒業後はおじいさんの後を継ぐんだよね?」
「まあそうなるわね」
「そして結婚相手も必要になってくると」
「まだまだ先の話よ」
話の趣旨が見えない。何が言いたいのか分からずにいると、彼は意を決したかのように口を開いた。
「なら、僕と婚約する?」
「はい……!?」
いま婚約、婚約といったか。どうしたらジェレミアと婚約するという話になるんだ。思わずステップを踏み間違えそうになったじゃないか。
「いまのは了承ってことでいいのかな?」
「……っ、そんなわけないでしょ! だいたい身分がおかしいわよ」
咄嗟のことで頭が回らないが、ミリアは渾身の言い訳を言う。
一応ミリアは公爵家が後見人なだけで一般生徒ということになっている。王子であるジェレミアと婚約できる身分の人間ではない。
もちろん、ミリアが公爵令嬢だということを発表すれば問題ないかもしれないが、今はただの一般生徒でしかないミリアと婚約しようだなんてどうかしている。
「私は貴族ではない一般生徒で、あなたは王子。身分の違いくらい分かるわよね?」
「それなら問題ない。学園を次席卒業した生徒だと言えば父上たちも納得するから」
「……っ、だとしてもわざわざ婚約する理由なんてない。私は結婚するのなら恋愛結婚がいいもの!」
「なら問題ないな」
「なんでよ!」
頭がぐるぐるしながらもステップを踏んでいき、ダンスは終わった。
その途端に会場中から歓声が湧き上がる。だがミリアはその歓声よりも目の前にいるジェレミアにしか興味は向けられなかった。
「君知ってる? 世の中の貴族は大体が政略結婚だ。でもそのあとに互いを愛し合い、恋愛結婚になることが多い」
「……つまり?」
「僕たちもいつかそうなるよってこと。というか君が僕を好きになればそれで終わりだよ」
思わずその言葉に首を傾げる。
(いまの言葉だとまるですでに私のことを好きだと言っているみたい……?)
そこでミリアはハッとした。つい先日のニケとシエラの恋バナを思い出したのだ。
『恋はある意味頭脳戦よね』
『頭脳戦……?』
『そう、先に好きになってしまった方が負けなの。だからお互いがお互いを騙し、騙され合うのよ。でもそれが楽しいの』
シエラはそんなことを言っていた。そこでミリアはいまの状況に置き換えて考えた。
(つまり私をまたしても負かそうとして、こんなことを言っているのね!?)
だがミリアはそれに気づき、勝ち誇った表情をした。
「残念ながら、その手には乗らないわ! 恋は先に好きになったほうが負けなら、私は絶対に負けないから!」
「…………」
話を途中から聞いていた周りはミリアの宣言に頭を抱えそうになった。それと同時に心底ジェレミアに同情した。
「……やっぱり馬鹿だったのか」
「そんなわけないでしょ! だいたいあなた私のこと好きじゃないくせに」
「……そんなのことない」
「いーや絶対に好いてない! だって好いている相手にあんな憎たらしい言葉は言わないもの!」
「…………」
そのとき初めてジェレミアは過去の自分を恨んだ。いくら照れていたとはいえそれが今になって仇で帰ってくるとは。
どうしたものかと思っていると、ミリアは勝ち誇った笑みを浮かべたまま、彼に提案した。
「でもね、私はいまチャンスだと思ったわ」
「チャンス?」
「そう、あなたを負かせるチャンスだと! 好きになった方が負けなら私は絶対に負けないわ! そのうえで私に惚れさせればいいのよ!」
ミリアの提案にジェレミアは形容しがたい表情を浮かべた。それは周りも同じく、ニケとシエラに至ってはもう頭を抱えていた。
「だから私と婚約できるというのなら婚約してもいい。その代わりに負かしてあげる!」
ジェレミアはどう対応すべきか深く悩んだ。婚約してくれることに喜ぶべきか、自分を好きにならないと言われていることに悲しむべきか。
しかしこれはジェレミアにとってもチャンスだった。
「……わかった。なら勝負といこうか」
「!」
これを逃せばミリアとの婚約はこの先ないかもしれない。そう思うとジェレミアは手繰り寄せたこの機会を逃すつもりはなかった。
「本気でいくから、覚悟してよね」
ジェレミアはミリアの腰を抱き寄せると耳元でそう囁く。周りはその行動に黄色い悲鳴をあげる。しかし誰よりも悲鳴をあげたのはミリアだった。
「ひゃあ!」
先程までの笑みはすっかり崩れ、耳元を押えて顔を赤くしていた。おまけに涙目になり、上目づかいでジェレミアを見上げている。
「な、なにするの!」
「これは勝負だって言ったのは君だよ? なら僕は勝つために手段を問わない」
不敵な笑みを浮かべ、ジェレミアはミリアを見下ろす。余裕のあるその姿にミリアは悔しそうな顔をして、彼を全力で押して距離を取った。
「……っ、今日はこのくらいにしといてあげる。だから離れて! まだ勝負は始まったばかりなんだから」
「僕としてはまだ構わないけど?」
「私は構わなくないの! それにこんなことをしていたらほかの人たちも帰れないじゃない!」
「一理あるかな。なら今日はここまでにしようか」
突然として始まったミリアとジェレミアの婚約騒動。その行方の先を会場にいた彼らはとても気になった。
しかし時間も差し迫ったことで帰らないといけないことが何よりも残念だった。この学園で知らないものはいないミリアとジェレミアのふたりの婚約騒動。
どちらが勝つか分からないこの勝負は今も言い争う二人を見ると行く末は不明だ。
しかしどちらが負けるのかはすでに分かっていた。
それはミリア以外のその場の全員。ジェレミアもその一人だ。つまり彼らは初めて、勝負でジェレミアが負ける姿を見たことになったのだ。
ずっと二人を見守ってきたのだから、周りは当然、彼の気持ちを知っていた。そしてミリア相手にはどうも素直になれないそんなジェレミアの一面も、この3年間で知ったのだ。
***
ジェレミアはこちらを可愛らしく睨むミリアを見て、つい笑いそうになる。
(好きになった方が負けというのなら、僕はとっくに負けている)
学園に入学し、初めてミリアを見てその容姿に惹かれた。しかし次に会ったときには容姿ではなく、彼女の中身に強く惹かれた。
(負けず嫌いで努力家。僕は君に負けるわけにはいかなかった)
それは天才と言われた人間が転落することを恐れたからじゃない。彼女に負けてしまえば、きっと彼女と話す機会を失ってしまうから。
それを恐れてジェレミアは誰よりも努力を重ねた。本来なら満点をとるだけの簡単な作業だったのに、ミリアはいつも満点を取ってくる。
彼女に勝つには満点以上を取らなければいけない。だから必死に努力した。
そして試験結果の発表日で自分の順位を見て安堵した。まだ自分はミリアが負けたくないと張り合える相手なんだと。
(もうそのころにはとっくに好きだったんだ)
しかし初めて好きになった相手にどう接すればいいか分からずに、あんな態度をとっていたのは今思うとガキだった。そのせいでミリアにひどく誤解されてしまっているのだから。
(でも、学園の中とはいえ僕たちには身分差があった)
好きだと伝えようとしても、自分のヘタレ具合と王子という身分が邪魔をして伝えられない。だから代わりに自分を見てほしいと、試験で勝ち続け、ミリアに見てもらっていた。
そして卒業パーティーのこの日にミリアに求婚するつもりだった。けれどやっぱり彼女相手だと上手く話せなくて、どうしてこうなったのか頭を悩ます。
しかしこれはミリアの言う通りチャンスだった。堂々と彼女を落とせるチャンス。
(父上には学園次席卒業者と婚約したいと伝え、了承はもらっている)
ここから先はジェレミアの腕の見せ所だ。ミリア公認の勝負なら、いくら攻めたって問題ない。
(負けてはいるが、勝たせもしない)
王家の血筋の人間はひどく一途だ。これに囚われた相手は生涯逃げられない。しかし対価として生涯絶えることのない愛情が与えられる。
「なに笑ってるのよ。言っておくけどこれは私に有利な勝負。負ける気がしないわ!」
「そう? それなら頑張って」
「そのむかつく笑顔も一緒に落としてあげる」
鐘が鳴り響く。卒業パーティー終了の合図だ。この瞬間から学園での身分平等はなくなる。
(王子の権力を使ってでも、逃がさないよ)
ジェレミアはミリアを落とすためにあらゆる手段を使ってでも、この勝負でミリアを勝たせるつもりはなかった。
* * *
ミリアとジェレミアの婚約騒動は大きく広がり、今では国のだれもが知ることとなる。そして同時にミリアが公爵令嬢だったことが明かされ、ジェレミアは一本取られたと可笑しそうに笑うが、勝負はまだまだ続いていく。
婚約者となったふたりは会う度に言い争うが、楽しそうに笑い合う二人をみて、周りも釣られて笑顔になる。どちらが勝ったのかはまだ分からない。
しかし以前よりも楽しそうな二人を見ていると、どちらも勝って、どちらも負けているような気がした。