思っていたディストピアと違う!
四月の晴れた寒い日の……いや春らしく暖かい朝の今日。「党」の独裁蔓延るこの国で、街の道行く人は明るくやる気がいっぱい。ぼくもあんな顔してみたいが、お生憎の無表情。
通勤先の役所までのキレイなビル街を行く。役所内に入り、端末にカードをタッチ。これにはボクの個人情報やら生体情報やらが入っている。端末から人工音声。「おはようございます! 健康状態良好! 党のため、今日も一日頑張りましょう!」
職場の席まで行く。壁もなく、上司から後輩まで全て見通せる一つの部屋。緑のカーペットに無難な蛍光灯。ぼくらは立って、朝礼を始める。
「えー、みなさん。おはようございます」役所のお偉いさんがマイク片手に喋る。「かつてこの国は空前の大不況に見舞われ、あわや崩壊の危機でした。しかし、我らが愛する党は国を立て直し、悪しき習慣を破壊し、労働は改善されました。おかげで定時で帰るのも休日があるのもハラスメントがないのも流動性があるのも」「透明性も」「福祉も」「ムカつく上司も」「上司も」「あんのクソ上司」「……」
仕事が始まる。党から与えられたぼくの仕事は個人情報の管理。近隣住民のウワサや評判、密偵からの情報を一つのデータにまとめている。
この仕事についたときはワクワクしたものだ。ぼくもついに党の特栽とその罪に加担できる、と。ジョージ・オーウェルの描いた陰惨な世界で生きることになると、そう思っていた。
運ばれた書類に目を通す。書類に書かれている女性は最近、党に対する悪口を公然で言ったらしい。データを検索、ヒット。見るからに一般女性。さて燃え盛るダストシュートを探したいところだが、彼女に対する罰は「警官による口頭注意」だ。きっと口汚く脅されたに違いない。
その様子を録音したテープも書類と一緒になっている。再生。
《奥さん、党に対して不満があるようですな》
《あるに決まっているでしょう。いったい、いつになったら水道は直るの!》
《それは党ではなく水道会社に言ってくださいよ》
再生停止。注意で終わるなんて平和すぎる。
次の書類。
こいつは男子小学生。党のポスターに落書きして罰金が命じられている。ははぁ、きっとこいつはこれから、学校で酷いいじめにあうぞ。党の反逆者扱いだ!
書類には注意書きが書かれている。”少年の学校生活に関して学校と協力しフォローすること”
いや、この優しさは党に恩義を感じさせるためのマッチポンプかもしれないぞ。
いや、何件かこういう事例は見たな。全部何もなかったな。
次の書類。
こいつは大物だ。ぼくが前から目をつけている爺さんだ。反乱の可能性ありとマークされている。そしてついに、反乱を企てて行動に移したのだ。だがぼくに情報が来ているということは消される可能性高し。この仕事で初めて蒸発者が、党に消される人が出る!
爺さんは精神疾患の疑いで病院送りになっている。
どうせそういう名目なんだ。証拠のテープを聞いてみる。
《党は悪鬼と契約しているのだ! まもなくこの国は悪鬼羅刹に支配されるのじゃあ!》
《はいはいお薬飲みましょうねぇ》
《申し訳ありません、うちの父が》
《いいんですよ息子さん》
《党がワシを見ている!》
《党だけでなくご近所さんも見ていますよ。さぁ車に乗ってください》
再生停止。ぼくが期待した相手は耄碌爺だった。
さて、昼になった。役所を出て、党が運営する飯屋へ。他にオシャレなチェーン店はあるが、ここは安いし多いし旨い。
コンクリ打ちっぱなしの壁と床。安っぽい椅子とテーブル。それをいろんな人が占めている。ぼくも空いた席に座ってラーメンを頼む。
出されたラーメンは、誰もが想像するような醬油ラーメン。ナルト、ほうれん草、チャーシューに煮卵。チャーシューはちゃんと部ただし、ほうれん草はほうれん草。代替肉ですらなく、付け合わせのビタミン剤すらない。ディストピア飯でもなく、党の健康管理もテキトーだ。
「……続いてのニュースです」テレビでは国営ニュース番組が流れている。「……で、偉大なる党の定めた法に反する行いをした犯罪者たちが捕まりました」
あれだろ、思想罪だろ?
「一人は万引き、一人は痴漢、一人は児童虐待です」
それはどの先進国でも犯罪だ。全く、ぼくが昔に憧れた、あの残酷な、全体主義世界はどこに行ったんだ。どうして誰もぼくに対して洗脳教育をしてくれないんだ。
党が政権を握ってから思っている不満を胸に、今日の仕事も定時で終わる。六時、夕日が光る街と別れを告げ、夜勤組がぼくと入れ替わる。
街を歩き、党首の像近く。人を待つ。
「おーい! 待った?」
呼ぶ声の主はぼくの彼女。交際してしばらく。これが反乱グループと密会だったらなぁ。
ぼくらは家に帰る。公共マンションの一室。お互いに着替えて、早速夕飯作り。レシピも具材も党から送られている。なんならぼくたちの交際も党が定めた。遺伝子の相性が云々だけで選ばれると思ったのに、性格の相性まで考えている。党はぼくに優しすぎる。独裁ならもっと疑心暗鬼にさせるべきだ!
食事は楽しいものだった。彼女は上司の愚痴を言い、ぼくが相槌して聞く。曰く「昔の大不況は酷かった。今は党のおかげで仕事できる」と言われ続けてストレスらしい。
「おいしいね、この料理。初めて食べる」
彼女はサケのアジア焼きを食べてそう言う。
「そう、だね」
ぼくは歯に何かつあったような苛立ちと共に答える。
「やっぱ、党が献立考えてくれるのは楽でいいね。党万歳だよ」
「アハハ」ハハハ。
食事を終え、皿を洗い、彼女がテレビをつけようとしたところで、
「話が、あるんだ」
ぼくは震えて言った。
「どうしたの? これから映画見るんじゃないの?」
「とても、大事な話なんだ」
どういうワケか紅潮した顔でうつむいた彼女は「うん」となまめかしく答えた。
テーブルを挟んでぼくと彼女は向き合った。
「ぼくはね」さっき思い浮かんだことが、理性を超えて体を動かす。
「党に反乱したいんだ」
「えっ」
ぼくの彼女さえ党に感謝している。役所の偉い人だって、そこらの道行く人だって、みんな党を信じている。反対するやつはおかしかったり愚痴だったりで大したことなく、みなを疑い合うような精神性は皆無。そのクセ党は独裁している。これじゃまるでユートピアだ。
党による独裁とは、不自由で、不足で、ディストピアでないといけない。大不況時、ぼくの青春はディストピア作品と共にあった。それらで描かれている世界はみな歪だった。正しきディストピアとは歪だ! この国は、党の支配は間違っている!
「だめだよ」彼女はぼくを止める。「あなたにいなくなってほしくない」
「ありがとう。でも」どう反乱するかはさっぱり思いつかないが、きっと秘密警察とかそういうのに連行され、悲惨な最後になるだろう。「でも、どうしていなくなってほしくないんだい」
「反乱するってことは、政府転覆を、党を打ち倒すってことだよね」
「その通りだ。党を破壊する」ノープランだけど。
「そんなことしたら捕まって、投獄されて、終身刑だよ! もう会えなくなっちゃうよ!」
そういえば党が死刑を禁止していたな。そういえばよく考えたら政府転覆って独裁関係なく大罪だな。
「じゃあ」ぼくは不安から尋ねる。「ぼくが捕まったら、キミはどうするんだ。反逆者の彼女になるよ?」いや彼女は反乱に反対しているからこの質問はナンセンスでは?
「そんなの決まっているよ」彼女は強い眼差しで言う。「いい弁護士をつける! 終身刑じゃなくて、いつかまた会えるようにする!」
いや。いやぁ、そうじゃあないだろう。もっとこう、党の意思に反するなんてーとか、私も党と戦うーとか、色々あるじゃん。これじゃあ安全な法治国家だよ。
もう、もういい。何を言われてもぼくは反乱するぞ。党を倒すぞ。
「待って!」
彼女の制止を振り切りマンションを飛び出した。
昼に働く人が深夜に出歩くことはいい目で見られない。見つかったら警察に捕まってお説教される(拷問じゃないのかよ)。
さてどうやって党と戦おうと悩んで公園に来た。そこには公衆トイレがある。党に雇われた人によっていつもピカピカ。異臭もない。
よし、ここを爆破しよう。爆弾はないけど。
男子トイレに立てこもり、党の公式SNSに爆弾予告を送った。SNSアカウントとぼくの全情報は繋がっているから、秘密警察あたりのブラックリストかなんかに載せられるハズだ。多分。
しかし、誰も来なかった。
SNSの投稿はスルーされていた。ふざけていると勘違いしているようだ。ぼくは手ぶらだが本気だ。党の公式ホームページ、その質問フォーラムに爆破予告を送ってやった。
十分も経たないうちに、パトカーのサイレンが近づいてきた。警察官が二人降りて、ぼくに接近。なめられたものだ。爆弾を持っている(持っていない)のに機動部隊の一人もよこさない。
「近づくな!」ぼくは警察官の男に叫んで言う。「トイレを爆破するぞ!」
「あぁそう」警官の野郎、あきれ顔だ。「で、爆弾はどこにあるんだ?」
「そんなのトイレの中に決まっているだろう」
「トイレの監視カメラにそんなものは写っていないし、だいたいキミの行動経路の中で爆弾を入手する機会はなかった。キミとの接触者の情報にも、キミが爆弾を入手する手段はなかったとある」
「そんなことはない!」高らかに発言。「色々と偽って隠れて反政府組織と接触して爆弾を手に入れたかもしれないだろう!」
「そうかな? キミの靴下はウソをつかない。GPS追跡でわかることは、平和な日常だけだったよ」
「え、靴下にGPSあるの?」
「キミ、署まで同行願おうか」
パトカーに乗せられ、警察署に連行された。手錠もなく署内に入り、目隠しさえなく尋問室に入れられる。古びたコンクリ、安物の蛍光灯、パイプ椅子と机。
先まで問答していた警察の男とぼくが向き合って座りあう。
「で」警官は前のめりで聞いてくる。「なんでこんなことを?」
「自由のためだ! 党は人々の自由を制限している!」
「はぁ。たとえば?」
「反乱の自由!」
「それはどこも制限するよ」
こちらは本気なのに、向こうは頭をかくなどして不真面目だ。警官はさらに問う。
「キミは何が不満なんだ。自由がないだって? おい、大不況を思い出してから聞けよ? 定時で帰れるし、仕事は楽だし、給料もそこそこ貰っているじゃないか。福祉はとっても充実して、最悪働かなくてもなんとかなりそうだ。健康は党が管理してくれて、文句なんて言っても政党ならば党は受け入れる。いいこと尽くめじゃないか。えぇ?」
「その全てが不満なんだ!」立ち上がる。「これのどこが独裁だ! どうせ監視しているなら少しでも党への反意があるなら悪いことして党に忠誠を誓わせろよ! ぼくを見ろ。党に不満タラタラだ!」
「はぁ。そっすか」
「民が少しでも批判的になったら弾圧する! それが全体主義とかファシズムとかディストピアじゃあないのかい!」
「あのねぇ。党はそんな弱腰じゃない」
ノロノロと立つ警官。しかし、漂う空気は途端に鋭く重くなり、ぼくは座ってしまう。
「確かに、国民の欲求に再現はない。一の批判が許されたら、千の批判も許されると思う。しかし、それは依存となる。党に対する執着となる。そして依存とは、苦痛ではなく甘えから生まれるのだよ」
警官は、彼の背中に黒板でもあるかのように歩き回る。ぼくのいる部屋は教室に変わっていた。
「キミに反乱の意思はない。我らが父母たる党に対して反抗期になっているだけだ。子供は常に親と対立するものでね。私にも子供がいるから解るよ。だが、子は親の意思通りでなくていい。しかし、しかしね」
机に手を置き、ぼくの目を貫き見る。
「今のキミはわれわれ抜きで生活できるのかね? キミがもし自由を手に入れて一個の人ととして闊歩して、今を超える安息を手に入れられるのかい?」
頭の中では「惰性な安息より厳しい自由を!」との声が密かに呟かれた。しかし、夕食の鮭のほうが強く思い出される。
「キミが漠然と語る自由は不健康だ」話は続く。「自由な世界では、仕事は体を壊し、金は人をだます仕事をして手に入れ、自由を誇示するため孤独となり、孤独であるために人をだます仕事をして体を壊して金を得るほかない」
「キミは自由なるもののために必死になり、栄養のないものを食べ、早死にしようと言うのだ。そういうストレスまみれの世界において、自由な批判精神はない。批判は非論理的になり、完全なる快不快によって行われる。今の世界とは大違いだ。少なくとも健康の観点からは」
「それは」ぼくは疑問を抑えきれず手を上げる。「自由の悪い側面だけを見過ぎですよ」
「その通り。しかしキミは不自由かね?」
上げた手がシナシナと下りる。
不自由、ではなかった。でも、彼の言うような不健康な自由は経験しなかった。しかし、不自由ではなかった。「いや、不自由では、ないです」
「では、反乱とはなんだ」
「政府、党を転覆させること」
「それがなくなったらどうすなる?」
「今までの生活が消える」
「それを望んでいるのか」
「……いえ」
「改めて聞こう。反乱とは?」
「生活の、破壊」
「その通り。キミは反乱なんて考えていない。ただ反抗期なだけだ。そしてなにより、われわれはキミの自由意志を壊さない」
突然の話題転覆についていけず、ぼくはボーっと彼を見上げる。
「キミは自分を不自由でないと知っている。しかし自由を経験した覚えがない。キミの記録は正直だ。そうだろう?」
「はい」
「キミの思っている自由とは、とても曖昧だ。具体的に何かと言えない。そんなの存在しているとはいえない。しかし安心したまえ。キミには自由意志がある」
なんのことだかさっぱり解らず、机に目を下げる。部屋に歩行音が響く。
「われわれは党への批判的意見を潰さない。なぜならそれは時に、われわれにとって利益になるからだ。そしてこのような意見は自由意志から、キミ自身から生まれる。さらに自由意志とは、われわれに管理された、日々の健康的な生活から生まれる。不健康な生活では精神がすり減り、本能的に活動するほかなくなる。それは自由意志とは言えないなぁ」
後ろに回った彼は、ぼくの両肩に手を置いた。
「われわれはキミの自由意志を壊さない。キミは、自分の自由意志で、われわれの利益となる行動をするだろう」
ぼくは、警察署から家に帰った。
「なんで反乱するとか言うのさ」
「党は民主制に移行すると言っている! 党内に反逆者がいるに違いない!」
かつてお世話になった警察署、その尋問室で、ぼくは自称反乱者と対峙している。彼女とも結婚して、警察になって、その後何事もなく平和だ。
「党は今まで通りの福祉を継続するし、キミの生活は壊れないよ」
「ウソだ!」反乱者くんは大興奮。「党の支配を壊す気だ!」
「あのねぇ」ぼくは立ち上がり、ウロウロし始める。「記録から見て、キミはとても聡明だ。だからキミはこれまで通りの生活を送りながら、自分の自由意志で候補を決め、自分の自由意志で投票する。そして社会の利益になることだろう。投票先が党でなくともね」