無自覚バレンタイン
「宮野瞳子」
よくある名字。あまりない名前。
珍しいとよく言われ、略されやすい。そのことを瞳子は少し気にしていた。それでもなぜか、嫌いにはなれなかった。
「 やってしまった……」
大量のクッキーを前に、瞳子は呆然としていた。
また、クッキーを焼きすぎてしまったらしい。お金も時間もかかることを理解しているのについやってしまう。
最近ストレスが溜まっていたからな……と瞳子は一人ため息をついた。そろそろこの癖をどうにかしたいところだ。
「作ってしまったものはしょうがない……」
一つ食べては味見をする。サクッといい音が響いた。
美味しいことを確認して、まだ粗熱のとれていないクッキーを半分ほどタッパーに詰め、瞳子は隣の家、相模原家へ向かう。
インターフォンを鳴らすも返事を待たずに家に入る。そして
「おばーちゃーん。瞳子ですー。陽太いるー?」
と大きな声を出した。すると茶の間からひょこっと小さいおばあさんが顔を出す。勝手知ったる相模原家だ。おばあちゃんと瞳子の幼馴染である陽太が二人で住んでいる。
「ひっちゃん、今日は寒いねぇ。陽太なら、ほぉら」
ドタドタと階段を降りる音がする。
古い家の階段は急で危ないから、と瞳子がちょっと心配していると、最後の段をジャンプするような阿保は馬鹿でかい声で叫ぶ。
「瞳子のクッキーだ!!」
「陽太煩い……。そう、またやっちゃってね」
「下さい!」
「はい、焼き立てをどーぞ」
飛び回って喜んだ後、嬉しそうにタッパーを受け取った。それを見て瞳子はちょっとだけ罪悪感が薄くなる。作ってよかった、と思えるからかもしれない。
少し満足気に、毎度の如くお茶を淹れようと居間の隣にある台所へ向かう。
一方陽太はこたつに入り、早速食べようとしたところだったが、なぜかピタリと手をとめた。
「あれ瞳子。なんか今日はいつもより少なくね? 機嫌悪くないのか?」
どうやらクッキーの数でストレスチェックされているらしい。ちょっと面白く思いながら、真面目に答える。
「いやまあストレスは溜まってたけど……バレンタインだから、ちょうどいいし半分は明日学校に持って行ってみんなに配ろうかなって」
「バレンタイン……?」
そういえばこの時期はよくお菓子を貰うな……と陽太は思い出した。
名前通り底抜けに明るい陽太は、周りから人気がある。
恋愛的でないにしろ、毎年多くのチョコやクッキーをもらっていた。
しかし、一番親しい瞳子からは一度も貰ったことがない。物心ついた時から一緒にいて、幼稚園、小学校、中学、高校全部同じだというのに。
なんで他の人はもらえるのに俺は瞳子から貰えないんだろ。
ほんの少し、引っかかった。
「そうだよ? 陽太、バレンタイン知らな……」
「俺、瞳子から貰ったことないじゃん」
お茶を入れていた瞳子の手もピタリと止まった。
そういえば、一度もあげたことがない。いや、何度かあげようとしたことはある。けれど、何故かどれも毎回渡さずにいた。
「……バレンタインとか関係なくいつもあげてるじゃん」
「たしかに」
さっきのなんかチリッとしたのはなんだったんだろ、と陽太は首を傾げながら瞳子の淹れてくれたお茶といっしょにクッキーを齧った。
「陽太にバレンタインか……」
と小さく呟かれた瞳子の独り言は誰にも聞こえることはなかった。
▽ △ □ ○
今年のバレンタインは火曜日。女子の一部は日曜日に作ったものを、「一日早いけど」と月曜日、つまり今日渡すつもりらしい。つまり学生にとっては今日がバレンタインだ。一日くらいは誤差である。瞳子も同じらしく、親しい友人に渡そうと準備した。
「じーぶーんで! 歩いてよー!」
「おへのあんじぇりか……」
「変な名前の枕呼んでないでおーきーろー」
快晴だと言うのに爽やかとは言えない朝、いつもの通学路で、いつも通り寝ぼけている陽太を引きずって、瞳子は周りの子たちが紙袋を持って歩くのを眺めていた。
頭をよぎるのは、用意していない陽太の分。昨日あげたでしょ、と思えば別にどうってことないけれど。
「相模原君にもあげるよ」
「うまそー! ありがとう!」
「あたしも陽太にあげる〜」
「これ義理だけど」
と次々に机の周りに人が来る。教室に入って席に着いた途端、こんな感じ。陽太も流石に教室につけば覚醒するらしく、いつも通り元気いっぱいだ。
小学生ですらもう少し意識するというのに、全く思わず純粋に喜んでいる陽太を尻目に瞳子は、よく疲れないなぁ……だなんて考えていた。何歳になっても相変わらずの人気ぶりにちょっとムッとする。きっと疲れるのだろうけど、人気者は羨ましい。
「え、あ、ありがとう!……え、めっちゃ嬉しい……あ、これよかったら」
それでも瞳子は瞳子で親しい人にクッキーを渡したり交換したり。意外なことに、そこまで仲良くなかったクラスメートからお返しをもらえてちょっと嬉しく思ったり。バレンタインらしい日を過ごしていた。
そんな瞳子を見て陽太は、俺にはくれないのに……いつもクッキー貰ってるけど……なんて思ったり思わなかったり。
騒がしい一日で終え、いつも通り陽太と帰ろうとした時だ。
「陽太、そろそろ帰……」
「瞳子ーー!! これどうすればいいんだよー!!」
「全く、そうなると思ったよ」
タワー、とまではいかないが、机の上は貰ったお菓子で山ができていた。
いくら人当たりがよく親切で明るく顔が整っているとはいえ、なぜここまで毎年……と瞳子は半分呆れながら、用意していた大きい紙袋に手際よく詰めていく。
全部義理のように見えるけど、本命があったらどうしようか、なんて考えながら。
そんなことを考えているとはつゆ知らず、陽太は手際の良さに感心して、「おー!」だの「すげえ!」だの言っている。
「さっすが瞳子!」
「そろそろ学習しなよ」
陽太は几帳面にきっちりと詰め込まれたその紙袋を受けとるとご満悦そうにニコニコしている。何やらパズルが完成した時のような感動があるらしい。
変なところで喜んでいる陽太を見て、まあいいかと瞳子は毎年思うのだった。
そんなこんなで、いつも通り家に帰る。お互いの家は、もはや第二の家レベルだ。
「「ただいまー!」」
「まぁたいっぱい持って帰ってきたなぁ」
「う~、さむさむ」
「コラ陽太、こたつの前に手洗いうがいでしょ」
「はーい」
洗面所の冷たい水で手洗いうがいをし、二人はようやくこたつに入る。
「ぬくい〜。あ、みかん食べよ」
「その前にこの大量のお菓子整理しなきゃでしょ」
貰ったものをこたつの上に広げ、賞味期限で分けるのはもはや恒例行事だ。もし本命があったら可哀想だが、こればかりはしょうがない。
改めてすごい量であることを確認すると、瞳子は違和感を覚えた。
なんで少しモヤっとしたのだろう……と不思議に思いながら、仕分けし終えた瞳子はみかんを手に取る。綺麗に剥いて、筋を取り、もぐもぐと食べる。どうやらすっぱいのに当たってしまったらしい。一方陽太はみかんで姫路城を作っていた。食べ物で遊ぶのはやめなさい、と瞳子が怒る。
そんな二人を見てふふふとおばあちゃんは笑って、もうくどいほど言ったであろうことを聞く。
「ひっちゃんは、ガッコに好き人とかいねぇのか?」
「またそれ。いないってば!」
「俺もいないー」
もう何度も聞かれている質問に瞳子は少しムっとしながら答える。照れ隠しでもなんでもない。そもそも照れる要因がない。
なぜおばあちゃん……というか老人というのは、何度も同じような質問をするのか、と。
「あ、そうだ。今日も夕食作っていくから、何か使った方がいい食材とかあったら教えて」
「いつも悪いねぇ。ミネさんから貰ったネギは余っちょって」
「足悪いんだから無理しないでいいんだよ。ネギならお鍋かな」
台所に行こうと瞳子が立ち上がると、ポケットから小さいチョコが落ちた。
余ってしまったクッキーを友達の友達にあげたところ、お返しで貰ったものだ。もらえるだなんて思ってなくて驚いた覚えがあった。
「瞳子、これ……」
「それはね……ってああ! 食べた!……別にいいけど、ちゃんと食べていいか聞いてよ」
「代わりに俺のやつあげるからいいじゃん!」
「いつも消費手伝ってるでしょー」
陽太もなぜ食べてしまったのか分からなかった。そもそも本来食べてはいけないものだ。
「それより瞳子、俺も手伝う」
「じゃあ野菜洗って」
今朝「好きな人から貰えたら、このチョコ渡すつもり」と誰かが言っていたのを、いつも数人が熱い目線で瞳子のことを見ていたのを、陽太は知っていた。
「なあ瞳子。俺、来年はバレンタイン欲しい」
「食いしん坊だなぁ。じゃあ貰いすぎないでよ? 消費できなくなっちゃう」
「おうよ!」
瞳子は自分の名前が好きだ。
陽太がずっと略さずに、そばで呼んでくれるたびに、嬉しい。けれど、気づいていない。
陽太は世話を焼いてもらうのが好きだ。
瞳子がずっと愛情を持って、こっちを振り向いてくれるたびに、嬉しい。けれどもちろん、気づいていない。
この二人、十年後、恋を自覚しないまま交際0日婚をしでかすのだが、それはまた別のお話……。
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↑その別のお話ですので良ければ…