第94話 ポリアス⑦
「あった……この電波だ……」
父はやけに大きくて、幾重にも分岐してる鹿の角のようなアンテナがついた機械をノートパソコンに繋ぎ、そのディスプレイとにらめっこしている。
「見て、この周波数!」
そう言って私に画面を見せてくるが、何が何だか全然わからない。
「900GHz……! 残留してる分だけでもこんなに高いなんて……」
頭を掻きながら、落ち着かなくウロウロする父の瞳は俄然光を帯びてきた。
「試してみよう」
父のパソコンからはケーブルが長く伸び、車に積んでいる大きなスピーカーやマイクと繋がっている。
「あー、あー、聞こえますかー? もしもーし?」
父は懸命にマイクに向かって語りかけるが、当然のように何も返ってこない。
私はこんなものであっちの世界と会話ができるなんて、少しも信じられなかった。
「もしもーし? ちょっと君、向こうの言葉で語りかけてみてよ」
父がソラリスの肩を叩く。言葉は分からないが、何となく察して同じくマイクに声を吹き込むソラリス。
ガルーアとの交信を試みるのはこの二人に任せて、私はさっきまでいた自宅でのことを思い出していた。
***
薄明かりに照らされた母の瞳は虚ろだった。
「梓……なの?」
その声でもう限界だった。
私は床に座る母に抱きついた。
「あずさぁぁ……! あずさぁぁー!」
私は声を出すことはしなかった。私とリリスの背格好は大体同じくらい。髪色も顔つきも、この暗い部屋ではわからない。声さえ出さなければ良い。でも、言葉はいらないだろう。私は私なのだから。
***
父が廊下の電気を消したタイミングに合わせて、私は部屋を出た。最後に力を込めて、母の背中を優しく叩いて。"絶対戻って来るから"
今頃は悪い夢でも見たと思っているかもしれない。
「……ダメだ。何の応答もない。やっぱり無茶な試みだったか……」
父が頭をガシガシ掻きながら顔を歪めている。
スピーカーからはジーッ、ジーッというノイズが流れてくるばかりだ。
そんな光景を見ながら、私の思考は再び母に、過去に戻っていく。
母はずっと、明るい人だった。今思い返せば、たまに虹立山に行って父が一人でウロウロ調べていた時も、『ピクニックだね』とニコニコしていた記憶がある。
その母が、私の事故以来ずっと心を痛めていたのならこれほど心苦しいことはない。
でも私は、あそこでアルハンブラさんに見出されたから今こうして生き延びられているのかもしれないし……
「……あ!」
そんなことを考えていたら、一番重要なことに気がついた。
「ねぇお父さん、私達ってガルーアと連絡を取らなきゃいけないんだよね」
「うん? うん、そうじゃないのかい? だから梓達がこっちに戻って来た時の"道"を辿って……」
「違うの。私達はこの世界にはガルーアから直接来たわけじゃないの。天界っていう場所を挟んでる。だからこの"道"は、ガルーアには通じてない」
「えぇっ!? そんな世界っていくつもあるの……?」
「ごめん言ってなくて。でも、だからガルーアに通じる"扉"があるのはここじゃない」
「山に戻らないといけないってことかい?」
「いや、もっと最近あったところ」
「……事故現場か!」
***
改めてここに来ると、やはり少し身震いする。痛みの記憶が、確かにここにあった。
いくら顔馴染みばかりの同級生とはいえ、華やかな高校生活が始まるはずだった。それが奪われたのだ。父に聞いたところによると、休学扱いにしてくれているらしい。
「大丈夫?」
ソラリスが寄り添ってくれた。
「うん」
こんな自分の心だけの問題に構っていられない。皆戦ってる。向こうで経験したことの方が、はるかにとんでもなかった。
「ある……ここにもある。だいぶ弱まってるけど……たぶんこの電波だ!」
私はマイクを奪っていた。
「誰か……誰か! 聞こえますか?」