第39話 冥界③
「落ち着かんか?」
メリルさんの家に戻り少し休んでいると、後ろからそんな声が聞こえてきた。まさかと思ったが、そこにいたのはアルハンブラさんだった。
「私が本当はやまなしあずさだったって言われても、まだ実感が湧かなくて……」
「すまなかった。本当は転移させた直後に説明するつもりだった。だが記憶を失っていたこともあって、あえてやめたんだ。同時に未知の人格を2つ自覚するのは危険だからな」
「そうだったんですか……」
考えれば考えるほど、どんどんわからなくなっていく。私は首をひねった。
「ふむ……今君の魂を覗いてみたが境界が曖昧だな。もしかしたら、記憶を失った魂が入り込んだことで2つの純粋な魂が混ざりあったのかもしれんな……」
「え……それどうなるんですか?」
「良い面と悪い面がある。まずはリリスの魂を救い出しやすくなった。だが早くお互いがそれぞれの人格を自覚して分離する方向に向かわないと、魂が完全に融合してしまう」
私の中では今、そんなことが起きているのか。
「どうすればいいんですか?」
「自分を見つめ直せ。記憶を手繰り寄せ山梨梓としての人格をもう一度形成しろ。その先にリリスがいるはずだ」
「ん……?」
「まずは瞑想だ」
***
梓のもとを離れた冥王アルハンブラに、今度はソラリスが近付いた。
「あの……」
「なんだ」
「前、ジャックさんが魔界の封印を締め直したら父を生き返らせてもらうことになってたと思うんですけど、あの約束は今どうなってるんでしょうか? 勇者の剣がなくなって、今ジャックさんが一時的に封印している状態ですよね」
「ああ、そうだったな……そこに来ている魂もその件じゃないか?」
「え?」
アルハンブラがテラスに続く大窓から視線を投げた先には、一つの青く細い炎のようなものが浮かんでいた。
「この魂ってもしかして……」
「ああ、君の父親、リゲルのようだな。まったく、列から勝手に抜け出してくるとは。君の気配を感じ取ったんだろう」
「お父さん!? お父さんなの?」
ソラリスがその魂に駆け寄る。
『ソラリス……』
微かに、父の声が聞こえた気がした。炎の奥には生前の父の姿もうっすらと浮かんでいる。
ソラリスはアルハンブラの前に土下座した。
「アルハンブラさん! 約束はまだ果たされていませんが、父を、父をどうか生き返らせてください! お願いします!」
アルハンブラは、そんなソラリスをじっと見つめていた。ソラリスが恐る恐る顔を上げる。
「本当は、ダメなんだ。だがしかしまぁ、息子も瘴気に干渉してるようだしな」
アルハンブラが苦笑いした。
「古い掟にとらわれることもないだろう。時代は変化する」
二人の目の前に空間の穴が開いた。
「身体は再生させておいた。クリル村に帰りなさい」
「あ、ありがとうございます!」
『ありがとうございます……』
魂がソラリスに近づく。
『ありがとう。ソラリスのおかげだ』
「んーん。良かったね、お父さん!」
ソラリスは必死に、幾重にも頬をつたう涙を拭う。
「どうする、君も帰るか? これは生身の人間でも通れるぞ」
アルハンブラがソラリスに声をかける。ソラリスはしばらく考えた。やがて、きっぱりと言い切った。
「いえ、私は残ります。ごめんねお父さん、私はリリスを支えたい」
『そうか……』
魂の奥の面影は、微笑んでいるようだった。
***
「随分優しいんだな。お前昔はそんなんじゃなかっただろ。頭が固い真面目一辺倒。おまけに軍神とも恐れられたほどの冷徹無比。そうじゃなかったか?」
ブルースは豪奢なバーカウンターにもたれていた。酒は飲んでいない。
「そんなことはないさ……軍神は別にいる」
「あ?」
「……いや何でもない。時間が経てば死神といえども、変わりはする」
「そうか。まぁ俺もすっかり衰えちまった。つい最近、久々に魔界の怪物を目の前にしたが怖くて膝が震えそうになったよ。他の連中には悟られないようにしたがな」
「それこそお前らしくもない。昔はどんな魔族や怪物が相手であろうと、そのリボルバー片手に渡り合っていただろう」
「フッ……もうそんな元気はない」
「その怪物だって、お前の二連撃ちには太刀打ちできないだろう。一撃目の直後に全く同じ軌道で弾を飛ばし、標的に当たった一撃目に激突させて押し込むあのとてつもない貫通力は、皆の脅威だった」
「10年前にできなくなった。二連撃ちをするためのファニングはまだできるが、完全に同じ場所に撃つことはもうできない」
ファニングとは、回転式拳銃のみで行える、引き鉄を引きっぱなしにして撃鉄だけを操作し、連射する技術だ。
「できなくなってから、強力な銃を沢山作らせたが、あの怪物には一切効かなかった」
「昔お前が言ってたんじゃないか。ただ撃つだけじゃだめだ。相手の急所に確実に2回撃つからこそ効くんだってな」
「そんな技術を持ったやつはもういねぇよ」
「ならお前が教えるしかないだろう」
「教えようとしたさ。だが平和な時代に、そんな技術はいらないと言われてしまった」
「時代は変わった。すぐにでも必要になる」
「そうなんだがな……」
「すぐにギルドに戻れ。あの子達は私が預かる」
「しかし……」
「悪いようにはしない」
少しの逡巡の末、ブルースは決断した。いや随分前に答えは出ていたのかもしれない。
ブルースはソラリスを呼んだ。
「俺は先に戻る。あの子を頼んだ」
「はい」
ソラリスの声と眼差しには、いつにも増した覚悟があった。