第30話 ゼリナス自治区②
人が全くいない見晴らしの良い海岸に上陸して、私達は新大陸に降りたった。
『バルサイ』が海に帰っていく。心優しいソラリスは手を振っていた。
砂浜から続いて、そのまま砂漠が広がっていた。荒野と呼んでも良いかもしれない。ビキニスタイルだったメイディとロマーナも、さすがにローブのようなものを羽織った。
そこから約三十分ほど、日陰もない中を私達は歩いた。
「私達の行きたい自治区はこのルートが一番近道だ」
祖父は私達にそう言ったが、そこは何の"ルート"もないただの荒地だった。
ようやく、蜃気楼の向こうに低い建物ばかりの街並みが見えてきた。
男の人が歩いてくる。後から聞いたら、その人の名前はニックというらしい。
***
西部劇で見るような木製のスイングドアの奥は、閑散としていた。バーテンダーの他は唯一、別の男性がいるくらいだ。
ニックさんはバーテンダーに声をかける。
「4WDを出す」
するとバーテンダーがニックさんに何かを投げた。
「どこかに行くのかい? 彼らは?」
その、もう一人の客が声をかけてきた。
「牧場だ。旧大陸から、ブルースさんに会いに来たらしい」
「へぇー。あ、ブルースさんなら今日は釣りに行くって言ってたよ」
「あの人また自然保護区で食糧調達してるのか……」
「しょうがないよ。あの保護区はそもそも彼が造ったんだから。僕も今から保護区に行くし、お客さんが来てるって伝えようか?」
「ああ。牧場に行くと伝えてくれないか。保護区からだとそっちのほうが近いだろう」
「オッケー」
そう軽く言って、その人は酒場を出て行った。
「まったく……あいつは自然環境保全委員としての自覚が足りんな。創始者でも容赦なく取り締まって来いってんだ……」
その後ろ姿を見ながら、ニックさんが呟いた。
案内された車庫で、私は腰を抜かしそうになった。自動車がそこにあったからだ。随分と久々に見た気がする。何故かすごく嫌な気持ちになった。呼吸が荒くなる。
「大丈夫?」と声をかけてくれたソラリスのおかげで、ようやく少し落ち着いた。
その3列シートの自動車に、ガンジスは随分興奮していた。新大陸の技術の結晶だと、噂に聞いていたらしい。
一方メイディとロマーナは平然としている。聞いてみると、これくらい知ってるとのことだった。
バーテンダーがニックさんに投げたのは、車のキーのようだった。ハンドルの近くに挿して回すと、景気の良いエンジン音が鳴り響いた。
***
後部座席の真ん中でソラリスとロマーナに挟まれてガールズトークをしていたおかけで、移動中はある程度落ち着いていた。
一時間ほど車を走らせると、そこには木造の平屋が何棟かあり、柵の中に動物が沢山いる、まさに牧場という場所に着いた。
柵の中にいるのは最初は牛や羊かと思ったが、よく見ると初めて目にする生き物ばかりだった。
向こうの方に、大きなフォークのようなもので干し草を集める老人がいた。白い、カウボーイのような帽子を被っている。
「おお! ブルースさん、戻ってたのか!」
ニックさんが大声で話しかける。その声に気付いた老人が、フォークを持ったままこっちに歩いてきた。
その時だった。黒い鳥が何羽もどこからともなくやってきて、牧場の上空を旋回しはじめた。最初はカラスかと思ったが、実際はそれよりもはるかに大きかった。
鳥は次に、私達に襲いかかってきた。
「皆、伏せろ!」
祖父の声が響く。だが祖父当人は特に慌てることなく、ステッキの先端から電流を飛ばして鳥を撃ち落としていた。
ブルースと呼ばれたその老人もまるで動じることなく、歩みを止めることもしなかった。
人間と同じくらいの大きさの鳥が一羽、ついにブルースさんに襲いかかった。
「危ない!」
だが、私のその声は口に出すまでもなかった。ブルースさんは、鳥が自分に最も近づいたその一瞬を狙って、持っていたフォークでその鳥の腹を突き刺した。それも片手で。
刺した後はようやく左手も添えて、フォークの向きをものすごい力で変え、鳥を地面に叩きつけた。
ちょうどその頃には、祖父が全ての鳥を撃退し終えていた。
ブルースさんはまっすぐ祖父を見つめていた。
「旧大陸から俺を訪ねてくるなんてのは、お前しかいないよな、ジャック」
「お久しぶりです」
ブルースさんのしゃがれ声に応じて、祖父がお辞儀をした。
祖父がこんなにへりくだっているところを見るのは、初めてだった。