第29話 ゼリナス自治区①
自治区に含まれてはいるが、人が住む中心部から外れている林の中に流れる細い川で、年老いたその男は釣り糸を垂らしていた。
元々不毛の地だった新大陸で、地下水を汲み上げ植樹をし、何とか生み出した"自然"だ。
老人は黄色いオーバーオールに青いニット帽、口全体を覆う真っ白な髭を蓄えていた。
それまでほぼ微動だにせず、目すら閉じていたその老人だが、唐突に立ち上がり、傍らに置いていたライフルを手に取り宙に向かって一発放った。
鳥が一羽、枝の間から落ちてきた。
老人がその鳥を拾い上げようとしたとき、川上から声がした。
「ブルースさ〜ん」
その声がしたのは、まさに川の上。小型のホバークラフトに乗って川を下ってくる男がいた。ホバークラフトには『自然環境保全委員会』の文字。
ブルースと呼ばれたその老人はそのホバークラフトを一瞥する。
「君か」
そのまま、自然環境保全委員のその男は上陸した。
「瘴気にやられてますか」
急所を撃ち抜かれたその鳥は、灰色に膨れ上がり、異様に紅い血管がまだ脈打っていた。
「ああ、そのようだ。随分と増えた。まったく……昼メシにしようと思ったのに」
「案外うまいかもしれませんよ?」
「冗談でもそんなことは言うな。先の大戦で食糧難が起きたとき、何人死んだか」
「すみません……」
「それで? 何の用だ」
「ニックさんが呼んでましたよ。なんでも旧大陸から客人が来ていると。牧場に行くと言ってました」
「ほう」
「じゃ、そういうことで」
自然環境保全委員はそれだけ言い残し、再びホバークラフトに乗って、川上に戻っていった。
ブルースは川岸に置いていた自分の荷物から、白く大きなテンガロンハットを手に取り、ニット帽を外してからそれを被った。
「珍しいな」
***
自治区の中心近くにある一番大きな建物は、酒場を兼ねた賞金稼ぎギルドだった。
昼間から酒を呑み、眠そうな顔でギルドから出てきたニックは、荒野の向こうから見慣れない人影が近付いてくるのに気付いた。
「珍しいな」
男が二人。女が四人。おかしいな。あっちは、海のはずだ。一番年上に見える男が話しかけてきた。
「君はギルドの人間だな。ギルドマスターのブルースはいるか?」
「ブルースさん!? あの人はもうマスターじゃないよ。2年前に引退した。もうギルドにもほとんど顔を出さない」
「そうか」
男は少し寂しそうな顔をした。
「会いたいんだが、どこに行けば良い?」
「んー、牧場じゃないか?」
「それはどこに?」
「あっちだよ」
ニックがその方向を指差す。
「ありがとう」
一行は歩き出そうとした。ニックは慌てる。
「おい、ちょっと待てよ! 君らは誰だ。見ない顔だ」
「私達は旧大陸から来た。ブルースとは古い友人だ」
「旧大陸!? 港はあっちじゃないだろう?」
ニックが、一行がやってきた方角に目をやる。
「色々あってな」
「怪しいやつらだなー。まぁいい。俺も同行する。どうせ牧場は歩いて行くには遠い」
そう言って、ニックはギルドの中に一行を誘った。