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若葉同盟  作者: 緋色ざき
第一章
8/31

図書室の天使

 放課後、生徒たちが次々と部活や帰宅のために教室を出て行き、ほんの五分足らずで人がいなくなる。あとには僕他若葉同盟の面子しか残っていなかった。廊下にも誰もいないことを確認して僕が三人に話しかけようとした矢先のことだった。稲城が若葉の席へ詰め寄った。

「おい、なんで今日の多数決のときに食品に手を挙げなかった」

 僕は稲城の言葉の意味が分からず固まる。稲城の席は若葉の斜め後ろで、おそらく僕と同じようにまわりの人の挙手状況を観察していて若葉が手を挙げなかったことも見えたのだろう。つまり、先ほどの疑問の答えはそれだったのだ。しかし、僕は稲城の語った言葉を受け止めきれないでいた。稲城が嘘をついているわけではない。それは声色や表情から読み取れる。それに、ここで嘘をつくメリットなんて欠片もないのだ。では若葉が裏切ったということだろうか。いや、それこそもっと有りえない。考えがまとまらずあたふたとしている僕の横でふっと若葉が微笑んだ。

「どうせ理由も分かっているんでしょ、稲城くん?」

 その煽るような口調に稲城は小さくハーとため息をついて、それから近くの机に腰掛けた。

「おおかた、ダンス部にマークされたくないとかそんな理由だろ」

 稲城はつまらなそうに吐き捨てて、天井を仰いだ。ただ、僕はそれを聞いて少しほっとしていた。一つ、不安要素が払拭されたからだ。

「ご名答。さすが、三バカの頭脳担当と言われるだけのことはあるわね」

 そう言って若葉は笑う。

「なあ、三バカってもしかして僕らのことか?」

 僕は恐る恐る聞いた。内心ではそうではないことを一心に願って。

「もしかしなくてもそうよ」

 しかし、その期待は一瞬で崩れる。僕はこの二人と同列のバカとして扱われている事実がとても悲しかった。そんな僕の気持ちを察してか、若葉は口を開いた。

「でも、私は別にそうは思わないわよ」

「わ、若葉」

「相模くんはバカだけどね」

「おい、待てー」

 見事なまでの上げ落とし。僕は先ほどよりもさらに大きな悲しみにとらわれ、膝から崩れ落ちた。みんな僕を馬鹿にする。もう、味方なんて誰もいないんだ。現実からの逃避行に走ろうとしたとき、稲城が僕の背中を叩いた。

「そんな悲観することはないぜ。バカだと思われて舐められている方がむしろ相手を油断させやすくなるだろ。ほら、よく言うだろ。バカとなんちゃらは使いようだって」

 そうやって立てられた親指を僕は即座にはねのけた。

「いってー、なにすんだよ」

「うっせー。みんな僕のことをバカにしやがって、バカヤロウ。僕の真の実力を見せてやる」

 それだけ吐き捨てると机の横にかけてあるリュックサックをつかんで勢いよく教室を出る。三人とも呆気にとられたようで誰も追ってくる気配はない。それを確認して少し落ち着きを取り戻した僕はふと、そこで三人を見返すいい方法を一つ思いついた。それは三人よりも早く四人目までの攻略を終えることである。僕は若葉にもらったプリントにもう一度目を通す。正直なところ、一人目の高尾くんに意識を持っていかれていてそのあとの三人の攻略者にしっかりと目を通していなかったのだ。僕は改めてプリントに目をとしてみて、そしてある共通点を発見した。三人とも同じクラスになったことがある生徒だった。二人目の高井健はアニメオタクで放送部員。そして登校時間はわりかし早めの生徒である。三人目は通称図書室の天使、吉寺秋。ほんわかとした癒やしオーラをまとった女の子で図書委員をしている。一部の男子から絶大な人気を誇っているらしい。そして四人目は、

「片倉か……」

 真面目男子、片倉康生である。片倉に関しては情報が不足していてあまりよく分からない。というのも同じクラスだったときに全く絡みがなかったからである。それに、今日のホームルームでの発言からも分かるように劇押しである。それを食品に曲げさせるというのは並大抵のことではない。とりあえず、どこかから情報を仕入れる必要性があると感じる。

 僕は一度落ち着くために大きく深呼吸した。それかた、いま行うべき最善事項について考え始めた。その答えはすぐに浮かんだ。僕がいま向かうべき場所、それは図書室だ。


 夕暮れ時の廊下は閑散としていて、現想的なオレンジと不安を誘う漆黒に彩られている。校舎の隙間から漏れて入ってくる部活動に励む生徒たちの声も収まりはじめ、最終下校時刻への近づきを感じる。僕はそんな校舎内を図書室に向かって一目散に走っていた。その目的は吉寺さんと接触することにある。この時間はまだ図書室の開館時間であり、仮に今日が吉寺さんの当番日でなかったとしても、他の図書委員から仕事の当番表を見せてもらうなどして予定を確認することもできる。時計に目を落とすと五時半を少し過ぎたところで最終下校時刻の六時まであまり時間がなかった。僕はさらにスピードを上げ、図書室に駆け込んだ。

 さて、結果からいうと、吉寺さんは図書室にいた。落ち着いた雰囲気でカウンターの椅子に座り本を読んでいた。その様子はまるで天使のようで、彼女の二つ名にも納得できる。

 僕はとりあえず椅子に座り、息を整えながら図書室を見渡した。吉寺さんの他にもう一人図書委員がいて、それ以外に勉強している生徒もちらほら見受けられた。しかし、みな何かに没頭していて僕の呼吸音がしっかりと聞き取れるくらいには静かな空間だった。そんな静寂に僕は少し居心地の悪さを感じて、近くの棚から本を取って読み始めた。その本のタイトルは「羽根をもがれた鳥」。一羽の鳥がいた、という出だしで始まるこの本に僕はなぜか惹きつけられ読み進めた。主人公の鳥、太郎は軍隊に所属していた。鳥たちは長年犬たちと抗争を続けていて、太郎は軍隊の一員として犬と戦っていた。あまたの戦いの中で鳥たちは次第に均衡を崩していき、ついに犬の領地の一部を占領することに成功する。ある日、太郎がその領地の見回りをしているとき、偶然にも傷つき瀕死の犬の戦士とその家族たちとのやりとりを見かける。太郎はそこで戦争というものがお互いを蝕むものだと気づく。そして、それからというもの、戦いに行こうとしても羽根が動かなくなり、彼は飛べなくなってしまう。そして――

「はっ、こんなことをしてる場合じゃない」

 あまりにも本に熱中してしまい、当初の目的を忘れかけていた。僕は思いっきり首を横に振って、それからはーっと息を吐いた。時計に目を向けると五時五十分。僕の周りで勉強していた生徒もいつの間にか勉強道具をしまい帰り支度を始めている。僕は頭を押さえた。これでは吉寺さんと話す時間を取れなくなってしまう。頭を回し、今できる最善の手を考える。吉寺さんと話す機会、それはこの時間かあるいは帰っているときかの二択だ。つまり、ここでだめだとして、帰り道で話しかけるという手が取れるわけだ。

「いや、しかしそれは部活終わりのクラスメイトに見られる可能性がある。というかそもそもそんなに話したことのない人に急に帰り道で話しかけるって、まるで告白みたいで恥ずかしいな」

 頭が混乱し始める。と、不意に背中を軽く叩かれる。突然のことに僕はうわっと少し上ずった声を出してしまう。

「あっ、ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったんですが……」

 耳元で申し訳なさそうな声が聞こえる。そして、ふんわりと良い匂いが僕の鼻孔をくすぐる。僕はその声に聞き覚えがあって、ゆっくりと振り返る。すると案の定、そこには吉寺さんが立っていた。

「済みません、相模くん。そろそろ図書室を閉める時間です。その本、借りていきますか?」

「えっ、あー、うん」

 なんとも曖昧な僕の返事に吉寺さんは優しくはにかんで本を受け取った。

「あっ、この本を読んでいたんですね。私も読んだことがあります。とても面白い話ですよね」

「そうだね。まだ途中までしか読めてないけどとても惹きつけられる話だよ」

「そうですよね。相模くんは普段本を読んだりするんですか」

 吉寺さんはカウンターに向かいながらそんなことを聞いてくる。

「えーっと……」

 しかし、僕はその答えに戸惑う。普段僕はあまり本を読まないが、そのまま答えてしまうのも少し違和感がある。というのも、先ほどまで図書室で本を読んでいたからだ。これで本を全く読まないなんて言ったらそれはそれで変な人間だと思われてしまう。

「あっ、すみません。なんだか相模くんが本を読んでいるイメージがあまりなくて、つい聞いてみたくなっちゃって」

 吉寺さんはそんな僕に申し訳なさそうに謝る。どうやら気を遣わせてしまったようだ。

「ごめん、実は普段全然読まないんだ。多分高校に入って今日初めて教科書以外の本を読んだかもしれないレベルで読まないんだ。ごめん」

 誠心誠意頭を下げる。なんだか話があらぬ方向へ飛んでいる気がするがおそらく問題ないはずだ。なんの言葉も返ってこないので少し頭を上げると吉寺さんは口元に手を当てて笑っていた。

「べ、別に相模くんが謝ることなんてないですよ。ふふっ」

 どうやらつぼに入ったようで吉寺さんしばらく笑っていた。笑うときでもさすが天使、口に手を当てていて上品である。

「こほん。それで、本なんですけど貸し出しは二週間です。それまでに返してくださいね」

「うん、ありがとう……。あのさ、す、少し話したいことがあるんだけど時間大丈夫かな?」

 できる限り自然な流れで話を切り出すことに成功する。吉寺さんは少し驚いた様子だったがいいですよ、と頷いた。

「えっと、文化祭のことなんだけど――」

「吉寺さん、ちょっとこっち手伝ってくれない」

 しかし、僕の言葉はもう一人の図書委員によって遮られる。そのタイミングの悪さに思わずため息をつく。なんというか、出鼻をくじかれたようで膝が折れそうである。そんな僕の気持ちを察してか、吉寺はもう一人の図書委員に少し待ってねと言うと僕の方に駆け寄り、胸の前で小さな手を合わせた。

「ごめんなさい。実は今日新しい本が届く日でこのあとその収納をしなくちゃいけなくて……。明日の放課後もここにいるのでそのときでもいいですか?」

「うん、大丈夫だよ」

「ありがとうございます。それじゃあ、また明日」

 そう言って、吉寺さんは胸の前で手のひらを小さく揺らして、それからもう一人の図書委員のところへ行った。僕はその背中にまた明日、と声をかけて図書室をあとにする。

 吉寺さんと話してみて、とてもいい子だなと思った。人気があるのもうなずける。

さて、それはそうと、今日のノルマは最低限こなすことができた。これで僕の最速四人攻略計画に一歩近づいた。

「よーし、帰ろう」

 僕は身体をぐっと上に伸ばして、それから軽やかなステップで下駄箱に向かう。なんとなく足取りが軽く感じた。


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