一人目の攻略
ジリリリリーーーーーーーーーーーー。けたたましい爆音が僕の耳を襲った。僕はパッと飛び起きてあたりを確認し目覚ましの頭をぶった。そして部屋に静寂が訪れる。部屋にかけてある時計を確認すると朝の六時。普段の僕ならあと長い針が一周しても起きていない時間である。なんとなく変な感覚がして立ち上がると、部屋のカーテンを無造作に開ける。途端、眩い光が目に飛び込んできて慌てて顔をそらす。それからふらふらした足取りで部屋を出て、洗面所で顔を洗う。そして、キッチンで水をゴクリと飲んで居間の電気をつけた。すると意識がしゃんとしてきて、僕はふと呟いた。
「早起きは三文の徳て嘘だろ」
しかし、閑散とした部屋から返事が返ってくるわけでもなく、なんとなく虚しさを感じて僕はハーッとため息をつく。
さて、こんなに早起きが苦手な僕がなぜ六時に起きたのかといえば、答えは単純で攻略のためである。昨日の永山の話によれば、高尾くんはかなり早く登校するらしい。具体的に言えば八時。授業開始が八時半なのを考慮すればとても早いことが分かるだろう。朝早くに登校する面子は他にも何人かいるらしい。そして彼ら、彼女らは物静かな人たちである。いわゆる陰キャである。ふと、僕はここでクラスカーストと登校時間には正の相関関係があるのではないかと思う。考えてみれば、クラスでイケイケな人種には遅刻者やギリギリで駆け込んでくる人が多い気がする。僕の考えは理にかなっているんじゃないか。僕は有頂天になった。自分はなんて頭が良いのだろうとも思った。そして、そんな幸せな気分で登校した。
「いや、それだとお前も陽キャってことになるだろ」
学校について早々、僕の持論は稲城により論破され、僕のテンションは滝のように下降した。
「い、いやでも、登校時間が遅いわけだから僕が陽キャだって確率もワンチャンあるだろ」
しかし、僕は食い下がった。この戦いに負けるわけにはいかなかった。そんな僕に、稲城はさらに畳みかけるように卑劣な言葉を浴びせる。
「お前が陽キャだったらこのクラスの奴らみんな陽キャだぞ」
グハッ、相模に一万のダメージ。相模は倒れた。
「というかその考えだとお前、陽キャの真似をしているイキリ陰キャっていうポジションになると思うぞ。本当の陽キャは自分のことを陽キャなんて言わないからな」
僕はゆっくりと顔を上げる。目の前には黒板がある。あー、チョークで綺麗な文字が書かれている。昨日の日直は誰だったんだろうな。そんなことを考えていると、不意にほっぺたに強い衝撃を感じる。
「なにすんだよ、稲城」
稲城に食ってかかる。
「いやさ、相模がどっかにトリップしちゃったんじゃないかと思って呼び戻したんだ」
稲城は悪びれる様子なく、ニヤニヤしている。僕はその鼻柱に一発入れてやりたいと思った。しかし、ここで小競り合いを始めてしまったら攻略に支障をきたしてしまう。僕は唇を噛みしめて踏みとどまると、腕時計を確認した。現在の時刻は七時五十五分。高尾くんは登校までおよそ五分ほどである。少しずつ、胸の鼓動が高鳴るのを感じた。柄にもなく緊張している。僕は落ち着こうとして、廊下の冷水機へ向かった。すると教室へ歩いてくる人影が目に入る。高尾くんである。登校いつもより早いことに少し焦りを感じたが、僕の脳内はすぐに攻略モードへ移行した。さて、こんなとき恋愛シュミレーションゲームの主人公はどういったかたちで接触を図るだろうか。やったことはないから分からないけれど、挨拶が定石のはずだ。
「おはよう、高尾くん。今日は良い天気だね」
「えっ、あー、おはよう。い、いい天気だねー」
とても微妙な反応だった。若干引いているようにも見えた。僕は急いでその理由と対策について考え始めた。高尾くんが口下手だったのだろうか。いや、言葉自体になんら不自然な点はないはずだ。だとするとなんだろう。僕は頭をひねる。高尾くんは依然として僕にやばい物体を見るかのような視線を向けている。僕はそれを見て、なにか根本的な問題があるように思えた。そこで、高尾くんと僕の関係に吟味することにした。僕と高尾くんの関係、それはクラスメイトというのがしっくりくるだろう。クラスメイトに声をかけるのはなんら不自然ではないように思える。いや、しかし僕と高尾くんはそんな親密な関係ではない。というか喋ったことすら一回もない関係だ。つまり、そう、高尾くんは喋ったことのない人にいきなり話しかけられて動揺したということだ。僕はそこで一つ脳内シュミレーションをすることにした。クラスで喋ったことのない人間として、僕はとりあえずダンス部の大沢を思い浮かべてみる。
――おはよう、相模くん。今日はいい天気だね。
控えめに言って怖い。これは軽く引いてしまう案件である。高尾くんも同じ恐怖を味わったのだろうか。単純に、そもそもが間違っていたのだ。普通の会話は無理だ。僕は思考をやめ、顔を上げた。しかし、すでに高尾くんは教室の自席に座ってしまっていた。
「小手先の技なんて僕は持ってないし、ここは正攻法でぶつかるしかないな」
時計を見ると五十七分。そろそろ他の生徒も登校してくる時間だ。場所は教室ではない方が良いだろう。僕は高尾くんの席の前へ歩みを進めた。
「高尾くん、さっきはごめん。ただ、高尾くんとどうしても話したいことがあるんだ。少し時間いいかな?」
僕は真剣なまなざしで高尾くんを見つめた。ここで中講義室にでも連れ出して勧誘を成功させれば任務完了である。肝心の高尾くんはというと、まだ少し疑っているようだったが、僕の真剣な思いが通じたのか、頷いてくれた。
「じゃあ、中講義室で話そう。大丈夫、そんなに時間はかからないから」
「う、うん」
高尾くんは小さく頷くと僕の後に続いた。
「それで、話ってなにかな」
中講義室についたところで、高尾くんから話を切り出した。その小さな瞳が僕をしっかりと捉えていた。
「うん、話って言うのは文化祭のことなんだ」
「文化祭……」
高尾くんの中ではまだ僕が何を言わんとしているか理解できていないようだ。
「今日、文化祭の出し物決めがあるじゃん?そこで食品に手を挙げて欲しいんだ」
すると、高尾くんはいろいろと理解したようで何か考え始めた。おそらく高尾くんの頭の中ではいま、リスクとリターンの計算が行われているだろう。永山の情報では高尾くんはあまり運動が得意ではない方らしい。ということは、普通に考えればあまりダンスには乗り気ではないはずだ。ダンス部に対抗して苦手な運動を回避しようとするか、ダンス部に恭順して苦手な運動に取り組むか。もちろんダンスには照明が必要だが、全員が照明になれるわけではない。下手をしたら踊らないときに照明を分担してみんなが必ず一度は踊るような制度を導入するかもしれない。また、うちのクラスには良くも悪くもいろいろなやつがいるわけで、照明の枠はかなりの激戦区になるであろうことが想定される。そんな状況もあって、もう一押しすれば高尾くんはこちらに転ぶだろうと僕は考えていた。
「ちなみにいまのところ食品のメンバーは僕以外に若葉と稲城、それに永山なんかがいるんだけど高尾くんが協力してくれると心強いよ」
高尾くんの肩がピクッと震える。若葉という名前に反応したのだろう。これが僕のいま切れる最強のカードだ。正直なところ、僕がダンスに対抗しようとしても、人を集めるのは容易ではなく、勝算は限りなく薄い。しかし、クラス委員長で誰からの信頼も厚い若葉がこちら側にいるという事実があることで、勝つ見込みのある戦いだと思えるようになるだろう。僕の予想通り、高尾くんはそれに頷いた。ミッションコンプリートである。それから、決選投票で来週勝負をつけようとしていることなど軽く作戦の概要を話した。高尾くんは真剣な眼差しで僕の話を聞いてくれた。
「まあ、そんな感じだからよろしくね」
「うん、何か協力できることがあったら言ってね」
僕はそれに笑顔で感謝して、それから怪しまれるといけないと思い先に高尾くんを教室に返した。そして誰もいなくなった教室で声をできるだけ我慢しながらガッツポーズをした。しばらくのあいだ、僕は興奮が冷めず廊下をぶらぶらした。