人と共生する白い虫
共生
異なる種の生物同士が、お互いに関係しながら生活すること。
自然界の生物同士で広くみられ、人間もその例外ではない。
定義については諸説がある。
自然の虫と共生する町。
地方の山間にあるその町は、知る人ぞ知る秘境としてそう紹介される。
山の森を切り開いて作られた町で、できる限り自然を残しつつ開発されてきた。
古くは小さな集落だったということで、
町のあちこちに風情ある古民家が残されている。
田畑では作物が農薬を使わずに栽培されていて、
それだけを食べても食事として満足がいくと評判。
そしてその町にはもう一つの特色、虫信仰というものがある。
その町では夏場、小さな白い虫が大量に発生し、
信仰の対象として崇められている。
白い虫が田畑に実りをもたらしてくれる。
白い虫が災いを遠ざけてくれる。
白い虫が健康にしてくれる。
町には時おり、白い虫から御神託を授かる人が現れることもあるという。
そんな町を雑誌で紹介して観光名所にしよう。
あわよくば、白い虫信仰の正体を解明して記事にできれば。
そんな算段で、雑誌記者の男がその町を取材に訪れることになっていた。
六月、梅雨の季節。蒸し暑い夏の始まり。
その男は、白い虫を信仰するその町へとやってきた。
しがない雑誌記者で、普段は地味な観光案内やオカルト記事などを書いている。
その男が目をつけたのが、その町。
田舎というほど山の中ではないが、交通の便がいいわけでもない。
自然豊かというほどではないが、古民家が残る町並みは風情がある。
そんな中途半端な町だが、白い虫信仰とあわせて記事にして、
観光名所に仕立て上げることができれば。
そんな下心のもと、その男はその町を取材対象に選んだのだった。
「ようこそ、いらっしゃいました。」
小さな電車の駅を降り立った先で、町の案内人の男が出迎えに現れた。
雑誌記者のその男が取材したいと事前に伝えたところ、
町が用意してくれた案内人だった。
健康的に日焼けした顔には朗らかな笑顔を浮かべている。
そんな案内人の出迎えに、その男は頭を下げて応じた。
「はじめまして、事前に連絡していた者です。
取材の案内をしていただけるということで、よろしくお願いします。」
「これはご丁寧に。
今日は我が町を一周して、一泊お泊りということでしたね。
古民家の民宿を手配しておきました。
早速、まずは宿にお荷物を置きに行きましょう。
さあ、車に乗ってください。」
「お世話になります。」
そうしてその男は、町が用意した案内人に連れられて、
まずは古民家の民宿へ向かうことになった。
案内人の男の運転する車が、車道を軽快に走っている。
車の窓から覗くその町は、都会から外れた郊外といった様相。
田畑が続いたと思えば民家が現れ、交差点には商店が点在していた。
その男が窓から風景を眺めていると、
早速、その町の洗礼を受けることになった。
車の窓に塵のような白いものがペタペタと張り付いてきたのだった。
案内人の男が前を向いたままで愉快そうに口を開いた。
「すごいでしょう?
窓についている小さい塵のようなもの、それは虫なんですよ。」
「これがお聞きした白い虫というものですか。」
「ええ、そうです。
毎年この時期になると、町のあちこちに湧いて出てくるんです。
おかげで前が見えにくいのなんのって。
でも、この町にとってはありがたい存在なので、
駆除するわけにもいかなくて。
その辺りの道ばたに白いわだかまりがあるのが見えるでしょう?
あれ、白い虫が集まったものなんですよ。」
「なんと、あれが全部ですか。」
言われてその男が窓の外を見る。
車道の脇や建物の屋根の上に、ふわふわと白い塊があるのが見える。
ふわふわもこもこと、数cmのものから数十cmの大きさのものまで、
それが全部、白い虫が集まったものだという。
都会であれば即駆除されているだろうが、ここは白い虫を信仰する町。
駆除するどころかむしろ、ありがたい存在なのだという。
案内人の男が、自慢の町についてペラペラとおしゃべりを続けている。
「この町は、白い虫のおかげで、
規模のわりには空気がきれいで自然が豊かなんですよ。」
「なるほど。」
鷹揚に返事をしながら、その男は内心で反論する。
この町の空気がきれいなのは、自然が豊かなおかげだろう。
切り開かれているとはいっても、元は山の森。
都会に比べれば自然は豊かなのだから、空気がきれいなのは当たり前。
そんなその男の腹の中の声が聞こえるわけもなく、案内人の男が話を続ける。
「白い虫のおかげで、この町は食べ物も美味しいんですよ。
この町で採れた無農薬栽培の野菜は、それだけで立派なおかずになります。」
またしてもその男が腹の中で反論する。
それはきっと、白い虫が害虫を駆除してくれるからだろう。
虫を使って害虫を駆除し農薬を減らすというのは、他所でも行われている。
「この町では、白い虫は多いけれど、害虫のたぐいはほとんど出ないんです。
おかげで殺虫剤いらず、虫が苦手な方にもおすすめです。」
それはきっと、白い虫が餌を食い尽くすからだろう。
益虫が増えれば害虫が減る、それほど珍しいことでもない。
そもそも虫が苦手な人はその白い虫も苦手だろう。
案内人の男が町の自慢をし、その男が腹の中で反論する。
そんなことを続けていると、今夜の宿泊施設である古民家の民宿が見えてきた。
宿泊施設として紹介されたのは、古民家を改築した民宿。
改築したとはいえ、手を加えたのは最低限の部分だけのようで、
ぱっと見には廃屋のように見えなくもないほど。
「どうぞ、こちらへ。」
案内人の男に促されて、その男は内へ足を踏み入れた。
古民家の民宿の中へ入ると、古びてくたびれた内部の光景が広がっていた。
古く使い古されて毛羽立った畳に、同じく使い古された座布団と机。
部屋の隅には、今となっては大型に見える古いテレビが置かれていた。
中も外も何もかもが古びている。
その男が面食らっているのを察して、案内人の男がカラカラと笑った。
「ははは、古民家の中も古くて驚かれたでしょう。
悪気は無いんです、ご容赦ください。
この町では古いものほど尊ばれるんです。
古いものの方が白い虫がつきやすいので、物持ちよくしてるんです。
ほら、部屋の中にもいますよ。」
案内人の男が指差す先、部屋の壁や天井にも、
白い虫が寄り集まった白い塊ができていた。
その男がおっかなびっくり白い塊に顔を近付ける。
綿毛のようなそれは、蠢く細かい何かの集まりで、
確かに白い塊は虫の集まりであるようだった。
白い虫一匹の大きさは数mm程度。
極小のモンシロチョウのような羽虫で、それ自体はかわいらしい外見。
しかし、それが集まって密集する様子は、
虫が苦手でなくとも抵抗を感じさせるものだった。
案内人の男が笑顔のままで釘を刺す。
「言っておきますが、取っちゃ駄目ですよ?
一応、この町の信仰の対象ですからね。
こちらから手を出さない限り、何もしてきませんので。」
「・・・ええ、わかってます。」
「それにね、白い虫は家の中にいても有益なんですよ。
部屋の中の湿気を取ってくれるから、梅雨の季節でもカビ知らず。
害虫も取ってくれて、古民家でも白アリにやられることがないんですよ。」
それはきっと、白い虫が湿気を水分として摂取しているからだろう。
白アリを防ぐということは、軒下も白い虫でいっぱいかもしれない。
その男はそんなことを考えながら、
ともかくも宿に荷物を置いて出かける準備をしたのだった。
その男は不要な荷物を宿に置いて、取材のために再び町へ繰り出した。
先ほどの案内人の男の車に乗ると、案内人の男がすまなそうな顔で言った。
「申し訳ありません。
白い虫から御神託を受けた方へ取材されたいということでしたが、
今日は先方の都合がよくないそうで、明日にしてもらえないでしょうか。」
「ええ、構いませんよ。
それなら、今日はこの町の名所を取材しますから。」
「そうしていただけると助かります。
じゃあ、ご案内しますのでいきましょうか。」
そうしてその男は、案内人の男の運転する車で、
その町の名所を巡っていった。
古民家が立ち並ぶ風情ある町並み、
のどかな田園風景、小動物が集う山の森、
自然を利用した公園や発電所、
都会ではお目にかかれないものが確かにその町にはあった。
そして、そのどこにでも白い虫が集まって塊を作っていた。
その男は目にする風景を写真に撮り、時には動画に収め、
記事にするための取材をしていった。
夢中で取材している間に日が暮れて夜になって。
「夜景がきれいに見える場所へいきましょう。」
案内人の男の先導のもと、小高い山の展望台へいくことになった。
小高い山から見下ろす町の夜景は宝石箱のよう、
見上げると夜空にも宝石のような星が瞬いていた。
きらびやかな夜景を写真や動画に収めつつ、その男は首をひねった。
「この町の夜景は見事ですね。
それに都会と違って夜空もきれいだ。
でも、失礼ですがこの町にあんなに建物がありましたかね?
夜空も、ちょっときれいすぎるというか。」
その男の疑問に、案内人の男が頷いて応えた。
「お気付きになりましたか。
その通り、あの夜景も夜空の星々も、すべてが本物というわけではありません。
白い虫ですよ。
白い虫は、夜に光り輝いて見えるんです。
夜空に羽ばたく白い虫が、まるで夜空の星や夜景の輝きのように見えるんです。
ただきれいなだけじゃありません。
夜空に光り輝く白い虫のおかげで、事故も少なく済んでるんですよ。」
「なんと、白い虫が光って見せてるんですか。
白い虫のあの輝きは、この町の人の心も体も守ってくれてるんですね。」
夜空に光り輝く白い虫の姿に感心しつつも、
まるで白い虫に欺かれたような感じがする。
その男が軽く身を震わせたのは、肌寒い山の夜風のせいだけではなかった。
そうしてその男は、一通りの取材を終えて、古民家の民宿へと戻ってきた。
古民家の民宿は比較的大きな一軒家だが、今夜の宿泊客はその男一人っきり。
静かな環境で執筆できるようにと、どうやら町が気を利かせてくれたらしい。
案内人の男が世話のためにそのまま泊まり込むということで、
広い古民家の民宿には、その男と案内人の男の二人っきり。
でかけている間に夕食も用意されていて、到着してすぐに夕食になった。
この町で採れた作物で作られた夕食に舌鼓を打つ。
評判通り、遠くまで来た甲斐のある味だった。
それから、案内人の男の晩酌のお誘いを原稿のために断って、
その男は入浴後、自室で机に向かっていた。
ただでさえ閑静な山の町で、広い古民家の民宿には宿泊客は自分一人きり。
聞こえるのは案内人の男が階下で動く物音だけ。
部屋の中は耳が痛いほどに静かだった。
賑やかしに、音量を小さくしたテレビを点けていた
ペンとメモを前に、その男は考え込む。
この町のほうぼうを取材して、改めて白い虫が重宝されているのがわかった。
山の空気がきれいなことも、害虫が少ないことも、湿気が少ないことも、
果ては夜景や夜空の美しさまで、すべてが白い虫のおかげだと、
少なくともこの町の人たちは思っているらしい。
それはもはや信仰と呼んでも差し支えないだろう。
この町では名実ともに白い虫が信仰されているのだった。
「それにしても、妙だな。」
その男は顎にペンを当てて考え込んでいた。
「白い虫は大量に、それこそこの町のあらゆる場所にいた。
あんなにたくさん湧いていて、白い虫自体が害にならないんだろうか。
例えばバッタは、数が少なければせいぜい子供の遊び相手だけど、
大量に発生すれば植物を食い荒らす害になる。
だったら、白い虫の餌は?
害虫それ自体か、あるいは害虫が食べるものと同じものを餌にしているのなら、
数が多すぎて餌を食い尽くしてしまわないんだろうか。
それから、白い虫は夏にたくさん湧くと言っていた。
じゃあ、冬はどこでどうしているんだろう?
どこかに巣でも作って、冬の寒さをやり過ごしているのだろうか。」
疑問を口にしながらメモにまとめていく。
どうやら取材することはまだまだありそうだ。
明日は白い虫から御神託、つまりお告げを受けた人に取材もしなければいけない。
そろそろ床につくとしよう。
その男がテレビを消そうとリモコンに手を伸ばした時、
テレビの画面に変化があった。
画面の上部がもやもやと白くわだかまって、何やら文字が表示された。
テレビでよく見かける、文字情報でニュース速報などを知らせるテロップ。
目を離した空きに何らかの速報が入ったらしい。
何か事件かと、その男の記者魂が湧き上がっていく。
画面の文字に目を通してみる。
警告。
地面の内部に異変の気配あり。
間もなく地震がくるものと思われる。
町の皆は注意されたし。
テレビの画面にはそのような文字が表示されていた。
目を通したその男は目をパチクリさせた。
「なんだこりゃ。
普通、ニュース速報のテロップといったら、
ニュース速報とか地震速報とかって出るよな。
警告なんてニュース速報、あるかなぁ?
それに、速報が出て数分経つけど、地震なんて起こってないぞ。
地震のニュース速報っていうのは、これからすぐ起こる地震か、
そうじゃなければ既に起こった地震の規模を知らせるはず。
これじゃまるで、地震速報じゃなくて地震の予知だ。」
その男が首を傾げていると、
ドタドタとけたたましい足音が近付いてきて、
藪から棒に部屋のふすまが開けられた。
現れた案内人の男が血相を変えて言う。
「テレビを見ましたか?
地震が来ます!すぐに表に出てください!」
「えっ?
今の本当に地震速報なんですか?
でもテロップが出てからしばらく経ってますけど、
地震なんて起こってませんよ。」
「これから地震が来るんです!
今のは、白い虫の知らせです。
この町では時々こうして、
白い虫が災いを事前に知らせてくれることがあるんです。」
「あれが白い虫のおかげ?
ただのテレビのテロップですよ?」
「いいから!早くここから外に出てください!
改築したとはいえ、
この建物は古いので地震の規模によっては危険です。
さあ、早く。」
案内人の男に急かされて、その男は取るものも取らずに部屋を出た。
去り際に部屋の中を振り返ると、
テレビの画面の文字がふよふよと波打っているように見えた。
案内人の男に連れられて、その男が外に出て、ほっと一息ついた頃。
地響きがしたかと思うと、地面がぐらぐらと揺れ始めた。
間もなく地震がくるものと思われる。
テレビの画面にあった文字の通りに、地震が起こったのだった。
地震の規模はというと、揺れは大きいが人が立っていられる程度のもの。
古民家の民宿は、みしみしと揺れて木くずやら何やらをこぼしたが、
建物が倒壊したり壁にひびが入るというようなことはなかった。
地震の揺れが収まってから、その男は案内人の男と顔を見合わせた。
「・・・収まった。
まさか、本当に地震が起こるなんて。」
「怪我がなくてよかったですよ。
周辺には異常はみられないようですが、
民宿の建物の方は、中を見てみなければわかりませんね。
お客さまには失礼ですが、町の者が来るまで外で待っていただけますか。
見た目は無事でも、建物の内部が壊れているかもしれませんので。
わたしはこれから内部を調べてきます。」
「お気遣いなく。
僕も記者の端くれです。
安全な場所で待っていたら、いい記事は書けませんよ。
それに、書きかけの原稿も回収しなければ。
僕にも協力させてください。」
「ありがとうございます。
では、お部屋がある二階の様子を確認していただけると助かります。」
「わかりました。」
その男と案内人の男は頷き合って、古民家の民宿の中へ入っていった。
古民家の民宿の中は、地震によっていくらかの損傷がみられた。
古い土壁の端が崩れ、土くずやら埃やら白い塊が積もっていた。
明かりは点いたままで、建物が倒壊するような危険は感じられない。
それでも慎重にその男は建物の中を進んでいく。
埃っぽくなった階段を上がって、割り当てられた部屋へ戻る。
部屋の内部はいくらか物の位置がずれていたものの、
大きな異常は見られなかった。
書きかけの原稿も無事。
荷物の鞄が倒れている程度で、その男はほっと胸を撫で下ろした。
しかし、その男がわざわざ地震直後の部屋に戻ったのは、
原稿や荷物の確認のためだけではなかった。
「部屋も荷物も大事ないようでよかった。
それはそれとして、ちょっと気になることがあったんだよな。
あのテレビのテロップ、どうも動いてたような気がする。
テレビの画面に映った文字としてじゃなくて、
文字自体が動いてたような気がしたんだよな。」
その男は荷物の確認もそこそこに、古いテレビの画面を覗き込んだ。
明かりと同じく、テレビも点けっぱなしになっていた。
しかし、画面の上部の文字は出たまま。
通常の速報の文字情報であれば、もうとっくに消えているはずだった。
「テロップが消えずに長時間残ってるだなんて。
古いテレビだから、画面に文字が焼き付いて残ってるのか。
・・・よく見るとこれ、文字じゃないな。なんだろう。
こっちのこの塊になってるのはなんだ?」
その男は何気なく、何の気なしに、テレビの画面に向かって手を伸ばした。
地震が起こった直後だということもあって、
この町で見聞きしたことをすっかり失念してしまっていた。
テレビ画面上部にわだかまっていた白いもやもや、
貼り付いた白い塊に、指先がそっと触れたその途端。
ぶわっと白い塊が膨らんで散り散りに弾けた。
「うわっ、なんだ?
そうか。これ、白い虫だ。
テレビの画面に白い虫がたくさん貼り付いて、
白い塊が文字になってテロップみたいに見えていたんだ。
まさか、白い虫が文字となって危険を知らせてくれたのか。」
もしも、白い虫が偶然ではなく意思をもって文字となっていたのなら、
白い虫は人間の言葉を理解しているということになりはしないか。
もしそうなら、何のために。
白い虫は何のために、人間に危険を知らせたのか。
人と自然の共生のために?
そんな可能性に行き着く。
「まさか、白い虫は人の言葉を理解して、人と共生しようとしているのか。
なんてことだ。
この町の人たちが白い虫を信仰しているのは正しかった。
地震の予知までしてみせて、白い虫の能力は神さまみたいなものだ。」
散り散りになって宙を舞う白い虫たちに、その男は手を差し出してみせた。
白い虫たちは興味深そうに近付いて、その男の周囲をぐるぐると漂い始めた。
白い綿毛に取り込まれたような幻想的な光景に、
その男はしばし目を奪われていた。
「きれいだなぁ。
そうだ。この光景を写真に撮っておこうか。
きっといい記事になる。」
そんなことを考えていて、その男は己に迫る異変に気が付かなかった。
ふわふわぐるぐると渦を巻いていた白い虫たちが、
自分の方に集まってくることに。
集まってきた白い虫が、その男の肌に貼り付いていく。
「おや、白い虫がくっついてくる。
思ったより人懐っこいな・・・痛っ!」
痛みを感じて腕をみると、薄っすらと血が滲んでいた。
「なんだ?白い虫に噛まれた?
痛い!こいつ、離れろ!」
腕だけでなく、手だの首だの露出した皮膚から、
貼り付いた白い虫が一斉に噛みつき始めた。
掻き毟って剥がそうとしても、小さな虫は皮膚に食い込んで剥がせない。
その男が必死に抗おうとしていると、やがて視界が真っ白に染まっていく。
視界が白く染まったのは、白い虫が眼球に食い込んでいるせいだった。
皮膚だけではなく、柔らかい眼球を狙って白い虫が飛び込んでくる。
その男はあっという間に視界までも白い虫に奪われてしまった。
こうなっては、もうその男にはどうすることもできない。
白い虫たちに全身を食い破られる苦痛に、その男はのたうち回っていた。
それからしばらくの後。
階上の物音を聞きつけた案内人の男が、その男の部屋を訪れた。
閉められたままのふすまをノックして声をかける。
「お客さま、大丈夫ですか?
ずいぶんと物音がしていたようですが・・・」
するとふすま越しに、その男の静かな声が応えたのだった。
「・・・これはお騒がせした。
こちらは問題ないので、今夜はこの部屋に泊まろうと思う。」
「そうですか?
実は、町に繋がる道路が地震で傷んでしまって、
復旧は明日の朝になりそうなんです。
ですので、異常がなければここに泊まっていただけると助かります。
わたしも下にいますので、何かありましたらお申し付けください。」
「気遣いなく。」
どことなくその男の様子が変わった気がして、
案内人の男は首を傾げながら階段を降りていった。
そうして夜が明けて次の日。
古民家の民宿の一階に降りてきたその男は、
すっかり落ち着きを取り戻していた。
あるいは、落ち着きすぎているというべきか。
ぼうっとした様子で、口元だけを笑顔にしている。
顔を合わせた案内人の男が心配そうに声をかけた。
「おはようございます。
昨夜は大丈夫でしたか?
朝食の用意はもうできていますので。
今日は、白い虫の御神託を受けた方へ取材されるというお話でしたよね。
車の準備ができていますので・・・」
するとその男は、ぼうっとしたままで流暢に応えた。
「ああ、取材の方はもういい。
世の中には、謎のままにしておいた方がいいこともあると思うからな。
もしも、神託の正体がわかってしまったら、
人は誰も神託に従わなくなって、せっかくの警告が無駄になる。
そうしたら、人は災いに晒され続けて、数を減らすことになるだろう。
そうなってしまっては、我々も餌や依り代に困ることになるからな。
人が言うところの共生というやつだ。」
「そ、そうですか?
それならいいのですが・・・」
その男が何を言っているのかわからない。
案内人の男が、その男の様子を恐る恐る伺うと、
薄笑いを浮かべているその男の目は白く濁っていて、
あの白い塊のようになっていたのだった。
終わり。
梅雨の季節になって虫が増えてきたので、虫をテーマにしました。
人と自然の共生というと、とかく人間が自然を従わせる関係を想像します。
しかし、寄生虫などの例もある通り、
逆に人間が自然に従わされる関係もあると思います。
その場合、自然は人に何を期待しているのだろう。
一例を考えて物語にしてみました。
作中の白い虫が巣を作る場所、白い虫の御神託の正体、
それらに人が気がついた時、それでも人と自然は共生できるのか。
人が自然との共生に期待するものが見えてくるかもしれません。
お読み頂きありがとうございました。