倭都軍の勝利は目前、そこに棍棒を担いだ大男が
ハル・サイマ帝の騎馬に、兎農のセラム大将が駆け寄って無事を喜び合った。それも束の間、マキム王から王宮を掃討せよとの伝令を受け取り、全兵が王宮内に駆け込んだ。
目指すは残兵を仕留め、カカミ国主を追い詰めて捕える。倭都軍の勝利は、もう目の前だ。
倭台軍と兎農軍が、王宮の裏庭で剣を交えていた時分、倭都本隊は神殿前の柵まで詰め上がった。もう柵の中にも、神殿にも敵兵の姿は見えない。
「柵を取り払うぞ。斧隊は前へ、槍隊は斧隊を援護。敵はどんな手を使ってくるか、上と左右の監視も怠るな。」
斧隊が柵を壊し始めると、神殿脇にある左右の繁みから三十人ほどの兵が飛び出して、斧隊に斬りかかる。
それを後方から槍隊が援護したので、あっけなく敗走。だが神殿の上層からも、五十本ほどの矢が降ってきた。
「上から矢だ、盾を頭に。奴らはまだ観念しておらんぞ。」
応撃に百本の矢を神殿上層に放ち、左右の繁みにも二十本ずつ射ち込んだ。もう矢の攻撃はなく、どこにも兵の気配は感じない。
大半の柵が払われて五十人が神殿内部を捜索。ここにカカミ国主はおらず、祠らしい奥殿がある中庭へ百人が走る。
そこに隠れていた兵が、少数ながら厳しく撃って出たため、捜索隊も数人斬られたが、半数以上を討ち取った。
十五
すると身の丈六尺は越えているだろう大男が、長さ五尺ほどの黒い棍棒を担いで、奥殿の出っ張った踊り場で仁王立ちして叫んだ。長い頬髭を横に伸ばし、兜や胴巻の黒と相まって、まるで閻魔そのものだ。
「各々、静まれ。おいはカカミ国主の副帥、シア・タマスと申す者。汝らの中で最も強い者と、おいと一対一で勝負して、戦さの決着を付けようではないか。」
大地に響くばかりの声に、倭都兵ばかりの中庭が静まる。
「汝らが勝てば黙って国主を差し出すが、負ければ直ちに引き上げろ。どうじゃ、我と思わん者は名乗り出よ。」
コレイ隊長が、長さ一丈の槍を右手で立て、シア・タマスに諭すような口ぶりで声をかけた。
「タマスとやら、戦いの決着は見ての通りで倭都軍の勝利だ。潔く負けを認めて、カカミを差し出しなさい。」
大男は肩に担いでいた棍棒を、中庭の中央付近に投げた。棍棒は地に刺さり、時を刻むかのようにゆっくりと倒れ、少し弾んだ。
やっと観念したかとコレイは思ったが、大男は聞く耳持たずとばかりに威勢を張る。
倭都兵が口々に叫んで降参を促すが動じる気配がなく、中庭の倭都兵を見回し睨む。
「タマス、もうやめろ。悪あがきは見苦しいぞ。」
大男が右手で棍棒を指差すと、男の後方にいた二人が中庭に降り、棍棒を持ち上げようとするが、ビクともしない。もう二人が加わって抱え上げ、四人で踊り場まで運んで立てかけた。
「あれは鉄の棒か、何という剛力。」
兵が四人がかりで抱え上げた黒く太い棍棒。てっきり木の丸太と思っていたコレイは、背筋が痺れた。片手で中庭へ投げた大男は、中庭に飛び降りて踊り場の棍棒を担ぐ。
「おいと勝負する手練れはおらんのか。武器は何でも良い、おいはこれ一本で戦う。どうだ。」
あの大男に理屈は通じないようだ。余計な殺し合いは避けたいが、誰かが出ないと倭都が恐れをなしたと笑われ、後世の語り草になりかねない。
コレイは肚をくくって王に目配せすると、小さくうなずいたので手を挙げた。
「拙者は、倭都軍第一槍隊の隊長コレイと申す。お相手いたそう。」
「勇気ある御仁だ。互いにどうなっても、勝負が決するまで一切の手助けは無用だ。良いか。」
コレイも身の丈は六尺に近いが細身で、大男のように漲る凄みや威圧感はない。手にしている槍は一丈の長さがあり、一尺半の鉄の穂先が光る。
大男はエノカを睨みつけたまま、両手で棍棒の中ほどを持つと、頭上で回し始めた。
その速さと空を切る音が、中庭の兵を圧倒する。大男はじわじわと間合いを詰めるが、エノカは大男を睨んで槍を構え、微動だにしない。
「え、あの重い鉄棒をクルクルと。まさしく怪物だ。隊長はあの男が疲れるのを待つ作戦か。」
「いや男は疲れないだろう。だが頭の上で回すだけでは、攻撃できない。回しながら投げ付けても隊長なら交わせるから、それはない。攻撃の形になる棍棒の動きを、待っておられるようだ。」
大男は頭上で回していた棍棒を止め、端に持ち替えた。今度は両手で大きな円を描くように回し始めた。低く重い音が響いて、取り巻く兵に風が吹きかかる。
なおも間合いを詰める大男に、エノカは下がる。右に回りながら、エノカも間合いを作って槍を出す時機を探る。槍が棍棒に当たれば、たやすく折れて砕け散るのは必至。やり直しのない一発勝負だ。
「やあー。」
棍棒がエノカをめがけて振り降ろされた。寸手のところで、エノカが槍を頭上に上げて横に跳び、身を交わす。棍棒が地面の土塊を掻き上げ、大男が一瞬止まった。
この瞬間が唯一、エノカの攻撃機会だ。
大男は素早く棍棒の端を持ち直して上体を反った。その両腕のわずかな隙間が胴巻の胸部で、絶対に外してはならない的となる。