恵枇軍が倭南州を焼き討ちして、わずか半日で壊滅
「纏向が倭南の壊滅を知って、気がこちらに向いている間に十人ずつの外交隊を放ち、穂積豪族と皮卦山賊を落とせ。相手が欲するなら食糧でも武器でも、魏の進んだ生活道具でも、莫大な褒賞でも何でもいい。その気になる話を持ち掛けて、同盟を結ばせろ。」
八
野山に草木が甦り、春の訪れが色濃くなってきた。農耕の民は温かくなった風を受けて、田畑に藁を撒いて土づくりに精を出している。自然も人々も活動的になる季節の到来だ。
纏向の宮廷。伝助詰所に伝助二人が走り込み、廷内では天皇、役人、各軍の長が政務の間に集まり、異様な雰囲気に包まれた。
報告によると、西国で恵枇の国主が兵五百を率いて倭南の政殿を包囲し、早朝から焼き討ちを仕掛け、燃えた政殿は見る見る崩れ落ちたと言う。
この急襲に倭南の兵が反撃する間もなく、矢と槍、剣の激しい攻撃で殺され、カマチ、シイラ、マスカの三政務官も討たれたと言う。
日が天頂に差し掛かる頃に倭南の政治拠点は、白い煙を巻き上げながら消滅した。恵枇軍は攻撃を終えると早々に引き上げ、姿を消したらしい。
天皇は報を愕然とした顔つきで聞いていたが、にわかに毅然とした顔に変え、鋭い声で伝助に問う。
「倭南州が、僅か半日で壊滅したと言うのか。この報は信用できるのか、恵枇の回し者が間に入って操作していないか確認する。口伝者の繋がりを申せ。」
ヒサラは真偽を確かめようと、伝助詰所に走った。天皇から直々に声を掛けられた伝助は、驚愕して床に平伏し、執拗に目瞬きしながら震える声で打ち明ける。
「私どもは難波津から駆け付けました。その前の伝助も二人で、備前津から船で難波津に入りました。最初の伝助は美々津を発ったと申しております。備前津と美々津の間は聞けませんでしたが皆、私どもの仲間でございます。恐ろしい内容の報告ですので、難波津で何度も繰り返し唱和し、しっかり覚えて参じました。」
恵枇の回し者が間に入って情報を操作した可能性はなく、伝助の報を疑う余地はない。つまり半日で倭南の政治拠点は、恵枇軍によって消されたのだ。
だがイ・リサネは、倭南はもとより倭台や兎農が、いとも簡単に警戒網を破られたことに、大きな不安を感じた。
「恵枇の動きは、倭南も倭台も目を光らせておった。予期できなかった攻撃と言うのが、どうも腑に落ちん。カカミ、いや恵枇タケル国主に戦策の長があったか、倭南に内通者がいたか……。うーん、考えるほど腹が煮え返る。」
その恵枇軍が勝利を見届けて、直ちに引き上げたのは倭台・兎農の反撃を避けた順当な戦法だと、イ・リサネ思った。
伝助詰所から戻ったヒサラに、天皇は事後策を指示した。政務官のカマチ、シイラ、マスカの犠牲に身が震える思いだが、これはハル・サイマ帝に委ねればならない。
「ヒサラ、急いで倭南壊滅の事情を書簡にし、倭台のハル・サイマ帝に伝助を送れ。報のとおりなら、直ちに施政の復興に取り掛かり、民の安全を確保するよう伝えよ。火良や笹台、周隣集落の被害確認も併せて行うように。」
ヒサラに事後の処置を命じた天皇は、ヒサラとイ・リサネに手招きして席を立ち、政務の間を去った。イ・リサネは集まった役人たちに一礼し、黙って天皇の後に付いて出た。
役人や各軍の長は座ったまま見送ったが、ヒサラの合図で互いに顔を見合わせ、深刻な雰囲気を残して解散した。ヒサラは天皇の自室へ向かう。
九
天皇の自室。イナビヒメ、ヒサラ、イ・リサネ、天皇の四人が卓を囲んで向き合っている。天皇は何かを覚悟した顔つきで、他の三人はどんな話が出るのか見当がつかず、戸惑った顔つきで言葉を待つ。
「カカミは、やはり曲者だった。儂がカカミを逃がしたので、多くの人命を犠牲にしてしまったことを、今更ながら悔やみ、責任を感じる。」
もう一度親征すれば倭南の弔いになり、再乱も封じることができると天皇は言っている。
ヒサラとイ・リサネも同感だが、もうカカミは動いている。急がねば後手に回って、戦略者のカカミに難渋する危険がないとは言えない。
「だが、カカミは魏の軍備や、戦闘力を擁して強くなっており、倭都軍の規模や戦法を知ったので、一筋縄ではいかない。ここに来てもらったのは親征準備ではなく、あのカカミひとりを討てば、大規模な戦いをしなくて済むと考えたためだ。」
二度目の親征は負けないまでも、兵や荷役人の動員、膨大な食糧、また同盟豪族の助力なども必要となり難しい。戦さも長引くと天皇は読んでいる。
規模の大きな戦さではなく、全く違った戦法を我々に考えよと、暗に言っている。しかも内密にとは、イ・リサネは焦った。
「戦さは騙し合いです。敵は焼き討ちという意表を突いた戦法で、倭南を叩きました。やるからには、敵の想定を超えねばなりません。また景行様はカカミ一人を討てば、魏は倭都に反感を持っておらず、倭台と兎農が睨みを効かせて効かせておるので、西国は大人しくなるとお考えです。」