熊曽のカカミが、恵枇タケル国主と改名して甦った
四
朝の早駆けは母イナビヒメに告げて出るようになり、数日に一回程度になった。だが早駆けの目的は、大田集落のアマミ。会って愛馬クララと二人乗りして湖南村へ、また東除川沿いを南へ駆けて松ノ原集落へと、範囲を広げている。
コウスはアマミの表情、声、仕草が心地よくて、夢のような幸せをかみしめている。
イ・リサネは行方知れずの嫡子オウスを懸念しつつ、第二皇子のコウスに君子の戦略を伝授すべきと、ヒサラやリ・シオラと共に準備している。
オウスが纏向から姿を消して一年が過ぎ、寒い冬の訪れが身に染みる季節になった。
天皇は宮廷の中庭に、役人や本殿の関係者と兵、そして周隣集落と村の代表者を集合させた。謁見の縁に立った天皇は、長い間にわたって行方知れずのオウス捜索、賊の手掛かりを探り続けていたが、もう打ち切ると宣告した。
「一年前、朕の長男オウスが何者かに襲われ、傷付けられて連れ去られた。あれより間断なく捜査・情報収集を続けたにも拘らず、襲われた根拠も、連れ去られた足取りも依然不明である。誠にもって悔しく残念であるが、長い月日が新たな情報を途絶えさせた。一年経った今、朕は息子がすでに現世におらないと定め、これ以上の捜査は打ち切ると決めた。捜査に尽力し、情報収集に関わった方々、長い間ご苦労であった。厚く礼を言います。」
集まった中庭の人々は、天皇の宣告を静かに受け止めた。その表情を黙って見回した後、続いて帰らぬ息子の葬儀を行うと付け加えた。
「五日後の朝、勇輪神社で遷霊の儀を執り行い、参拝者の代表に玉串奉奠を賜りたい。息子は行方知らずのため遺体がなく、生きて帰る希望もあるので埋葬の儀はない。これは纏向だけの密葬とし、各地の同盟には、捜査の打ち切りだけを告知するように。」
五日後、葬儀はコウスも加わった天皇の親族、役人と側近、纏向の民の代表者だけで粛々と執り行われ、以前の穏やかな賑わいが戻った。
天皇は偽りの葬儀を苦々しい心持ちで終え、自室で大きく息をついた。息子のオウスが行方知らずのまま、人の記憶から消え去るのを待つことにしたのだ。
五
西国のカカミ国主は倭都軍の攻撃から逃れ、倭南州の茶蓮山から南へ八里下った恵枇山に潜んだ。直ちに新たな州の創成を目指した国主は、恵枇山の南を開拓と整備にかかり、西方の櫛木津で交易市を開いていた魏人キル・タオと出会った。
魏国の高度な文明や武具に陶酔した国主は、蹉跌や銅が豊富に採掘できる地の利を売り込み、同盟を求めて交易を始める。
資源が豊富な土地と、強力な同盟を得た国主は、カカミの名を恵枇タケルと改名して、キル・タオを副帥に迎えた。さらに側近のウルクを将軍に、スモンを副将軍に立てて戦闘力の強化に励む。狙いは倭都への報復と、権力の統一だ。
改名のタケルとは、魏の言語で〝唯一無二の偉大な武者〟を指し、勇猛で強く、戦略に長けた者にしか許されない箔名という。いわば武者の大帝である。
恵枇山に定着した国主は、山麓の恵枇村に魏の文明を伝え、農耕や酪農を活性化させた。併せて各地から兵を集め、魏の高度な武具を使って育成、その数は千近くまで膨れ上がっている。
恵枇山の中腹に聳える恵枇軍の陣。大きな洞窟を隠すように幅半丁、高さ三丈はあろう木を組んだ柵と高い砦が一対あり、周囲に三百を超える兵舎や、工職人の住処・作業場が建ち並んでいる。
眼下には、大きな川を挟んで田畑が広がり、民の往来で活気ある恵枇村がある。南方を臨めば山頂から白い煙を吐く山と、青い海が果てしなく広がる絶景に、国主は満足気だ。
ある日、マキム王の後継者が、何者かに暗殺されたとの一報がタケルに届いた。国主は再起の到来を直感して暗殺の真偽を確かめ、状況も探るよう多くの嗅助と伝助を放った。
五年前、千二百の大隊で熊曽を壊滅に追い込んだ倭都に、いったい何が起こっているのか、周辺の豪族から叛乱の種が燻ってきたのか。マキム王への個人的感情や、政権に否定的な豪族は必ずいるはず。西国最強の戦闘力に加え、反旗を上げる豪族と手を組めば、倭都など恐れるに足らず。
「かくも憎くき倭都を潰す、またとない好機が来た。伝助の報が真で、倭都周辺に反旗を上げる動きがあれば、その豪族と結託して侵攻する準備を急ぐ。それとは別に倭南を取り返して陣を巡らし、倭台と兎農に邪魔をさせないよう手を打つ。」
兵数が千に届きそうなので、百人ずつの小隊に分けて、隊ごとに優秀で忠誠心の厚い小隊長を置き、一層の武術強化に励む。魏の武具は軽くて俊敏性が良く、剣や弓矢、槍などの武器も改良を加えられて進化している。
物資の輸送用として、二枚の木輪に芯棒を差して荷台を乗せた、回荷という運搬具が魏から入った。これなら悪路も坂も、大きく重い物資も、荷ぞりの半分以下の人夫で事足りて早く進める。正に画期的な作業具だ。