オウスの戯事で天皇は苦慮し、予期しない事件に発展
コウスも、オウスに劣らず得意とする俊敏性が一段と増し、走れば兵たちの間を目まぐるしく駆け抜け、跳べば大人の顔近くまで跳躍する。
得意とする剣術の上達は目を見張り、目にも留まらない縦横の振りで、連日多数の兵が怪我をする。
そのため鍛練では、呉から取り寄せた護謨の模擬剣を使っているほどだ。
十一
昨夜の強い風が収まり、日溜まりが温かい朝。謁見の縁でヒサラ、コレイ、リ・シオラを従えた天皇が、ハル・サイマ帝から贈られた椅子に座り、中庭の武術鍛錬を視察している。
今朝も正門の近くでは、弓士が騎馬で駆けながら次々に矢を的に放ち、中ほどでは五十人ずつに分かれて剣と槍による乱取りの最中。
リ・シオラが感心した顔で、天皇に言葉をかける。
「二人とも素晴らしい上達で、見ていて壮観です。景行様はお若いので、まだ四十年は皇位を続けられましょうが、大人になられたオウス様の将来が楽しみですな。」
「確かに。オウスが真っ直ぐに育てば、儂が垂仁天皇から皇位を受けた齢と同じ、十五年後くらいと考えていたのだが。」
天皇の、真っ直ぐに育っていないと言う呟きを聞いた三人は、目を丸くして驚いた。後ろにいたコレイが横に進み、天皇の顔をしげしげと覗いながら、呟きを否定するように手振りを交えて聞く。
「え、真っ直ぐにお育ちではないですか。元服も祝言の時も、凛々しく堂々とされ、ご立派でした。それに武術も、求心力も判断力も、すでに継承者の器だなあと拙者は見ております。」
だが天皇は腕を組んだまま、思い込んだ顔をしてコレイに目を向け、自らの思いを話し始める。他の二人も緊張した面持ちで、微動だにせず聞く。
「これからの十五年で、倭都を戦さや反乱のない国にし、豊かさや技術を競い合う、前向きの社会を目指しておる。この纏向も難波の交易が軌道に乗れば、往来する民が今の何倍にも増え、集落が繋がって村に、村が繋がって市になる。そんな夢を描いておるのだ。」
十五年後にオウスが天皇職を継ぐ纏向、そして倭都の将来を思う天皇。だがオウスが真っ直ぐに育っていないとは、一体何があるのか。コレイは戸惑いを隠せない。
「オウスは儂に忠誠を見せながら、思いもしない裏切りをした。今まで心技体すべてを偏ることなく教え、厳しく育てて来たと思っていたが。」
今度はヒサラが聞き違ったのかと、目を丸くして、少し震えた声で正す。
「まさか……オウス様が景行様への裏切りですって。それは何かの見当違いでしょう。」
「裏切りだ。久志村の娘子を迎えに行かせたら、別の女人にすり替えて戻りおった。あの日オウスと女人が自室に入った時、儂はすぐに別人だと判かった。あの場では黙って受け取ったが、その女人は名をモランと挨拶したが、声も語り口も違った。」
これは大変なことを耳にしてしまったと、三人は揃ってうつむき絶句している。
「倭台に神通力を宿したヒミコがいる。凱旋の祝宴で酌を受けた時、ヒミコと共通した神気が伝わって来た。モランは美しいだけではなく霊力を秘めており、倭都の発展に必要な女神になる。オウスは、それを……。」
天皇の高尚な思考と、将来の展望にいつも感服するが、宴で久志村の娘子を見染めたのではなく、倭都に必要な女神と直感し迎えたと言う。
オウスの所業を小賢しい真似と、天皇は怒っているのではない。国づくりの礎を取り払った、悪質な裏切り行為と責めている。
当人は巧妙に騙した程度で、まさか国の礎を取り払った裏切りとは、微塵も考えていないだろう。
天皇が好色だと、密かな流言話はある。ヒサラは軽薄にもその流言話を鵜呑みにし、側女ではなく寵妃に迎えたと思っていたことが、恥ずかしかった。
「親に対して小汚い手を使ったあやつを、どう罰したらいいものか。このままにしておくと、先々まで禍根を残す。」
それが心配だ、天皇はオウスをどう裁くか。騙されたままにして、知らん振りを決め込まないようだ。
ヒサラは、コレイとリ・シオラに、この事件を内密にして置こうと約束した。
天皇の自室。茶を点てて入って来たイナビヒメに、オウスの件で相談を持ち掛けた。天皇は感情の置き所を探しているようで、表情が苦しそうだ。
「なぜ、あんな事をしたのか私には判りませんが、あの子なりに思惑があったのかと。ここは親子の問題として心を鎮め、じっくり話し合っては如何かと存じます。ヒサラ様にご相談なされば、何か妙案が出るのでは。」
呼ばれたヒサラは、謁見の縁で事の次第を聞いているので、迂闊な発言を恐れて黙っていた。
だがイナビヒメからどう思いますかと聞かれ、答えざるを得なくなった。
「拙者も妃様に同感です。オウス様は元服されたとはいえ、まだ十六歳。失礼を承知で申せば、若気の至りで戯れ事だったように思われます。それより例え小さな罰でも、オウス様に傷が残るのではと、それが気掛かりに存じます。」
女人のすり替えを一目で見抜いたが、それを人前で暴かず配慮した天皇の真意を知らず、もう半年が過ぎた。
父を騙し遂せたと思って何食わぬ態度をとる、オウスの厚顔が天皇は許せないのだ。