己実と兎農を味方に付け、難攻不落の混台へ侵攻 一
百舌鳥のさえずりで、ふと目覚めたコウスは布団に包まれている。柔らかな感触が伝わり、本殿の寝床に運ばれて来たと判るのに、時は必要なかった。
「先生、軍師、オグナ、兄上が目覚めたよ。来て。」
弟チヒコの甲高い叫び声で、数人の足音が布団の周りに集まった。兄オウスの声が聞こえ、係付けの医官ラ・ウネと話している。
「もう安心です。額の腫れが少し引いておるで、目と耳に異常がなければ、これからは時の神が皇子を治して下さるでしょう。」
「目覚められて良かった。コウス皇子の上達が目覚ましいので、つい大人と同じように打ってしまった。もし目覚めなかったら、拙者は首を刎ねられると肚を括っていたぞ。コウス皇子は、まことに強い子だ。」
---どれだけ眠っていたのだろうか。
軍師の声の方へ頭を向けるコウス。だが顔中が布で覆われ、隙間から灯りは見えても、周囲の誰も見えない。首も腰も布で巻かれて動きにくい。
---朝の鍛錬で、大怪我をしたようだ。
「軍師の一撃でコウスが吹っ飛んだ時は、吾も胸が破裂しそうになった。気を戻してくれたし、怪我の他はどうもないと、ラ・ウネが言ったので安堵したよ。」
兄オウスの嬉しそうな声で、また怪我が治れば鍛錬ができると、コウスは身体中に力がみなぎってくる。
---吾は強い子か。
四
天皇は一年前、嫡子オウス十一歳、次男コウス十歳、三男チヒコ七歳の三兄弟を、軍師のイ・リサネに預け、武術指導や教育を任せて、西の熊曽国を討伐するため出立した。
纏向の兵五百人に同盟豪族の由埜から兵二百人、天皇の父親が治めている針間州から兵二百人の加勢を受け、隊名を倭都親征隊とし、自身をマキム王と呼ばせている総勢九百人の大隊だ。
纏向の統治は、軍政を呉から渡来して天皇に仕える軍師のイ・リサネに、民政と外交を甥のヒサラに、経済を学者のリ・シオラに、医療を医師のラ・ウネに任命している。
留守を受け持つ軍師のイ・リサネは、身の丈五.五尺あり、肌が黒く頬からアゴまで黒髭を蓄えた大男で、天皇に仕える渡来者十二人のひとり。
渡来者は呉に伝わる薬と医療法、製鉄と鍛造技術、土木技術、織物、農産物栽培、さらに物事の記録や伝達の手段となる文字を官民に教え、引き換えに倭都独自の言語・文化を勉強し、呉に伝えている。
「我が親征隊は九百人の大隊だ。熊曽の精鋭部隊は五百人程度で、いざ戦になると寄せ集め兵が千人ほど集結すると聞いている。寄せ集め兵は、周隣の農民や工職人ばかりで盾代わりだ。」
イ・リサネは、熊曽など大した敵ではないと豪語しているが、なにしろ西国は遠い。討伐を果たしても、王の帰還が何年後になるか。いや討伐の成果さえ定かではない。
文字を持たない倭都文化にあって、情報伝達は口伝えが一般的だ。
イ・リサネは五里ごとに設けた各地の宿場や隠れ家で、その地に溶け込んで待機する伝助と、豪族などの動向を観察する嗅助を数多く育成。
異変があれば、伝助の口伝えで届ける制度を確立した。
この制度によって、頻繁に伝助や嗅助が都と各地を往来するため、山道が網目のように出来ている。今ではその山道が物資や家畜などの往来にも使われ、盛んな交通網に発達した。
その伝助によって、親征中の天皇からも多々経過情報が届き、順調に進攻しているようだ。コウスの怪我の様子も伝えている。
時は流れ、オウスは十四歳、コウスは十三歳になった。宮廷の中庭では、いつものようにイ・リサネの指揮のもと、朝早くから兵の鍛錬が行われている。
オウスは騎馬弓術と槍術の習得に汗を流し、コウスは槍術と剣術に励んでいる。まだ二人とも前髪を上げていない童子姿ではあるが、武力は大人の兵に引けを取らない力強さがあり、正確な攻撃と体捌きも勇ましくなっている。
五
親征中のマキム王。長い航路を経て西国の入口、己実を抑えて地御山麓に拠点を設け、山菜や海産物など豊富な物資を得た。
次に南下し、鉄の鍛造が盛んで、農具や武器製造で発展している兎農に入り、熊曽が共通の敵であった当代のマセラ、呉の鉄工技師ソラ・フレイに対面。
天皇はすぐ協力関係を結び、精力的に弓矢を蓄え、剣を研ぎ、武備を増強する。熊曽攻撃を盤石にするため外部固めは順調に進んでいる。
態勢を整えた天皇は兎農軍を加えて、熊曽と親交のある北方の交易市、混台攻めに発った。混台は古くから辰韓人の渡来が盛んで、熊曽と交易して進んだ武器や武具を提供していると聞く、危険な市なのだ。
倭都軍は白い陣羽織と陣笠で陸路を、兎農軍も同じ白の装束で、己実津から船五隻を連ねて北上を開始。七日後に兎農軍が海側から入って西と北に迫った。
八日遅れて倭都軍が到着。赤い煉瓦造りで三層の巨大な楼閣と、周囲の商家・工房・民家が連なる市を南と東から包囲した。ここは倭都とは違う異次元の雰囲気が漂い、容易に近寄りがたい威容を放つ。