第7話 アウェイ・ヒーロー
それにしてもあの男、一体何が目的なんだ? 遺物を盗んで闇市で売りさばくのか? いや、金銭を目的としているならこんなリスキーな事をしなくても、魔術師なんだし一般人を襲って財布でも奪った方がよっぽど安全で効率的だろう。それに今回の事件は僕がこの国に到着してから起きた事も引っかかる。もしかして犯人は僕らに罪を擦り付ける為にこのタイミングで事件を起こしたのか? もしそうだとすれば、極秘任務がバレていたということになるじゃないか。それなら犯人は軍の関係者ということに…
「…こんな一大事だと言うのに、第一被疑者は優雅にランチタイムですか。いやはや、こちらの苦労も察して頂きたいものですね」
静かだが、どこか威圧感のある声がユートの思考を停止させる。視線を上げるといかにも軍人らしい純白の衣服に身を包んだ二人がそこに立っていた。今まさに言葉を発した方は至極落ち着いているように見えるが、語気が強かったので不機嫌なのかも知れない。その上、これまたユートよりも高そうな身長。年は同じくらいだろうか、わざとなのか元々そうなのか分からない暗い色をした細い目。念入りに整えられた短い金髪。どことなく不気味な笑みを顔に貼り付けた男性…それだけでユートは余り得意なタイプではないと察した。感情が読めない。もう一人は少しおどおどとした様子で恐らく年下の、黒で縁取られた大きな丸眼鏡に長い薄茶色の髪に金色の大きな目、身長は低めで、綺麗というよりも可愛らしいと感じる女性だった。
「勝手に疑っといて何を言ってるのか。迷惑してるのは私の方なんだよ。それにお前らは誰だよ」
「おっと、私としたところが名乗ってすらいませんでしたか。申し訳ない」
シルヴィアの指摘にも動じずに金髪男は続ける。
「私はラディスラヴィア連邦国軍中佐、カルラ・アルべリッヒと申します。以後、お見知り置きを」
カルラと名乗った男は言い終えるとその場で深く一礼をした。軍人らしい、動きの整った礼だった。
「そしてこちらが」
「フィ、フィーナ・アンネリーンです…こんなのですけど一応少佐です…よろしくお願いします…」
フィーナと名乗る女性はやっぱりおどおどとした挙動不審な様子で声を裏返しながら言い切った。二人ともかなり若いにも関わらずに軍に所属し、佐官勲章まで所持しているということはかなりの実力者なのだろう。それにこのフィーナと言う女性、僕と階級が同じだと…
「…で、何をしに来たんだ? 私の神聖なランチタイムを邪魔しないで貰いたいのだが」
シルヴィアは恐そうな雰囲気を出しているつもりなのだろうが、右の手に持ったサンドイッチをパクついている為か、ただ食事を楽しむ女性にしか見えない。詰まる所、全く恐く無い。
「こちらの目的としては貴女方容疑者を拘束し、先程起きた騒動の現場…第三遺物保管庫に至急、任意同行願いたい所でして…あぁ、別に同意が得られなくても構いません。力ずくでも連行しますので」
カルラは帝国の至宝とも言われる大魔術師を前にしても臆する事無く、こちらを舐めきった挑発的な言動をとった。だが仮にここで戦闘に発展したとしても、今のシルヴィアは魔術を行使出来ない上、僕も大して魔術を使った戦闘に慣れている訳でも無い。それに対して目の前の連邦軍人二人はこれまでの態度、行動、仕草の観察から予想するにそれなりに腕っぷしが立つのだろう。よって戦闘の結果は明白。こちらの敗北だろう。それなら今はおとなしく、相手の言う事を聞くのが賢明だ。
横に立っているシルヴィアは目元をひくつかせ、忌々しそうに二人を睨み付けている。まずい。この人、プライドが高すぎる。燃えるような憎悪の視線を察知したのだろうか、フィーナがひぃと弱々しい悲鳴を上げた。
「それに我々にはコレがありますので」
何かの革で出来た茶色のベルトから、何やら少々特殊な黒色の腕輪を取り出すとカルラはそれを得意げな顔で眼前に掲げた。あれは…少し前に何処かの国の科学者が開発した、一般人には只の手錠だが魔術師にとっては致命的と言える程凶悪な効果を持った魔術を封じる拘束装備、「術式封除」だ。
張り詰めた緊張感が昼下がりの料理店の前の数平方メートル間を支配し、店には近づきがたい、只の業務妨害とも取れる強烈な威圧感を作り出す。店の評判が悪化しそうだが、今回ばかりは運が悪かったと許して欲しい。それにしてもまずい。術式封除なんて掛けられたら事実上の詰みだ。ここはおとなしく従おう。そして隙を見て鍵を取り、解除すれば良い。
「…分かりました。ここは従っておきましょう」
「左様ですか。いやはや、物分かりの良い人で助かります」
「おい! 従うのか!?」
シルヴィアは視界が顔で一杯になる程ユートにその顔を近づけると腹立たしそうな声を上げる。すかさずユートはシルヴィアの耳元で囁く。
「今ここで戦っても勝ち目はありません。取り敢えず今は従っておきましょう」
流石に今戦っても良い事が無い事くらいは彼女も分かっているらしく、渋々とした様子で僅かに頷いた。
カルラはニコリと優しい笑みを見せるとゆっくりと近づき、続いてフィーナも近づいて来る。カルラに両手首を差し出すとカチリ、と音を立てて手錠が掛かった。冷たい鉄の感触が伝わったと同時に得も言われぬ脱力感が体を侵した。堪らずその場にへたり込んでしまいそうになるが、足の筋肉を総動員して何とか耐える。カチャカチャと金属同士の触れる音が聞こえる。シルヴィアの方を見ると彼女は先程とは異なった、憐れむような眼で目の前の小さな女性を見つめていた。それから数秒後、フィーナの方は手こずってはいたが、何とか手錠を掛けることに成功したようだ。シルヴィアの細く透き通るような白い腕と掛けられた黒色の手錠が何ともアンバランスで、まるで絵画のようだ。ここに芸術家がいたなら嬉々としてデッサンを始めるだろうなと、場違いにも思った。それからユート達は、カルラの先導の元、第三遺物保管庫へと向かった。
「…着きました。ここが第三遺物保管庫です」
第三遺物保管庫は端的に言えば損害甚大、と言った感じだった。正面のメインゲートは何か爆弾でも使ったかのように空洞が開けられ、所々が焦げ付いている。三重にも重なったゲートの固い防御すら突き破って、保管庫内部は嵐の後のような混沌と化して、貴重な遺物すら乱雑に放り出されたままだ。この状況から読み取れる事は、恐らく犯人達は荒らすだけ荒らし回ったがお目当てを見つけられず、その内彼らを見つけた警備に追われてまんまと逃げだしたのだろう。
「貴重な遺物を…許せん」
「えぇ、許せません」
貴重な世界の財産である遺物をこんな扱いとは、流石に僕もシルヴィアも怒りが湧いてくる。全く、魔術師が聞いて呆れる。少し遠くの臨時の捜査本部の方ではカルラ達二人と上官らしい男が何やらやりとりをしている。いくら僕たちを犯人扱いした所で無意味だとそろそろ分かって欲しい。
しばらくしてカルラが残念そうな顔をして戻って来た。何かあったのだろうか?
「…残念ながら貴女方は今回の犯行グループとは無関係な様です。よってこの場で拘束を解除します」
カルラはこれまた黒色の鍵を取り出すと手錠に付いた鍵穴に差し込み、回した。カチリ、と少し前に聞いた覚えのある音を立てて手錠が外される。途端、死の淵から舞い戻ったような、生き返るような感覚が体を駆け巡ると、体に以前の感覚が戻ってくる。数分間の拘束だったが、もう二度と同じ目には遭いたくない。
「ふぅ。それじゃあこれから自由行動といこうか」
何か話すのかと思っていたが、シルヴィアは拘束が取れるや否や、カルラに見向きもせずに踵を返し、現場にずかずかと入り込んで行った。
「あっ、ちょっと待って」
困惑したまま手錠を持つ腕は彫刻のようにピクリとも動かない、銅像のようにその場に硬直しているカルラに軽くお辞儀をしてから、ユートはシルヴィアの後を追う。去り際にちらりと視界の隅で捉えたカルラの悔しそうな顔が、妙に鮮明に脳裏にこびり付いた。
「さっきの話し声とこの現場から予想するに、盗まれた遺物は昇華装置らしいな」
「はい? どうしてですか? それにさっきの話し声って?」
「ん? あぁ、それか。さっきあそこにいる二人が話していたんだ。昨日盗まれたのは昇華関係の遺物だったってな」
そう言ってシルヴィアは少し離れた所…少しと言っても二十メートルは離れているが、とにかくそこにいる連邦の軍服を着た二人を指差す。これ程の距離が離れているというのに、彼らの会話の内容までもを正確に聞き取ったとは…いくら何でも耳が良すぎる。地獄耳とはまさにこの事だ。
「それに、今日が最終日だそうだ」
最終日? 一体どういう意味だ?
「何だ? さっきの馬鹿でかい声の機密情報の開示でさえもお前は聞いていなかったのか? もう少し聞き耳を立てる事を覚えた方がいいぞ。情報は有効な武器になるからな」
半ば呆れたような口振りが不快だが、聞いていなかったのは事実だ…また改善点が増えたな。
「…ならこの優しい私が、聞いていなかった愚かなお前に教えてやる。先の報告だと、ここを最後にこの国の全ての遺物保管庫は犯行グループに一度は必ず襲われたようだ。そして盗まれた遺物は昨日の昇華装置だけ。そしてその昇華装置は魔力を操作する際にのみ使われていたとされるものだ。このことから犯行グループの行き先が分かる」
昇華装置を使って魔力を操作する場所? そんな場所がこの国にあるわけが………いや、一か所だけあるな。あそこならば使える。
「お前も分かったようだな、あぁそうさ。「セントラル・ガイア」だよ。あそこなら魔力は腐る程大量に入手が可能だ。それに高純度のものがな。そして魔力はある操作を加えられると、簡単に人を殺せるほど強力な毒性を持つ。つまり犯行グループの目的は…」
全ての手掛かりが繋がり、一つの事実を指し示す。それは人の最悪、常人ならざる非道だ。
「毒散布…大量虐殺ですか」
「正解だ。お前も感が良いな」
僕たちに罪を被せ、その裏で行われようとしている完全犯罪。今、この国の疑いの目は完全に僕たちに向けられている。犯行グループは罪を被せた上に、この国の人々を抹殺しようとしている。その頭脳、完璧に思われた計画、見事と言っても良いが、知ったからには例え敵国でも、誰一人にも信用されていない完全アウェイな逆境でも、必ず守り切らなければ……それが果たして僕たちに出来るかどうかは分からないが…
「大丈夫だ。人は逆境の中でこそ、その真価を発揮するものだ。それにこの完全にアウェイな状況をひっくり返すのは、さぞ快感だろうとは思わないか?」
ユートの方にその手を乗せて、シルヴィアは楽しそうに言った。彼女と犯人のどちらが悪役か分からない程に悪い顔をしていたが、乗せられた手から伝わる確かな熱が、その時は心地良く感じた。
「そうですね。それはスカッとしそうでいいですね」
「そうだろう? だからやってやろうぜ。私たち二人で、奴らに目に物を見せてやろう。さぁ、反撃の時間だ」
二人はかの場所へと歩き出す。その背中は夕陽に照らされ、アウェイでありながらまるで救世主のようだった。