第9話 アウェイキング・ヒーロー
メインリアクターのある空間は広間のようになっていた。天井もここだけは少しだけ高く、遥か頭上に星の輝きも見えた。リアクター本体は傷ついていないようで、鉄製の分厚い装甲の中では魔力の源流が抽出されていて、呻き声にも似た音を発して不気味に作動し続けている。辺り一帯がプシューというスチームの噴き出す音と白煙で溢れ、魔力の抽出過程で発生した高熱で灼熱と化した内部はいつかの本で読んだ、ファラリスの雄牛を彷彿とさせた。
巨大なリアクターの正面、出力制御装置の前に、何らかの操作をしている人影が一つ浮かんでいる。もう言うまでもないが、やはりあの黒コート男だ。
「…見つけたぞ。おい、そこから動くな」
魔弾の射撃体勢を取り、シルヴィアはその指先を目の前の男へと向けると、平淡ながらも威圧感のある声で言い放つ。その声の放たれた方向、少し離れた位置に立った男はゆっくりと振り向くと、その視界にシルヴィアを捉える。その幾つもの傷が刻まれた顔に嘲笑を貼り付け、獲物を見つけた獰猛な獣の様に彼女の様子を伺っている。その双眸には、昏いながらも燃えるような獰猛な殺意を湛えて。シルヴィアは目線を男の手に落とす。その武骨な右手には何やら光を発する翠玉色の物質の入った容器が握られ、その物質と同じように淡く光を放つ右手には、どうも魔力が流れているらしく男は臨戦態勢を取っている。
「大人しくその手に持った物を置いて投降しろ。さもなくば貴様の身はこちらで拘束することになるぞ」
「ハッ! まさか今更、そんな安い詭弁を垂れる奴がいるとはな。だが悪いな、もう俺は戻れない所まで来ちまったんだよ。今や俺は遺物保管庫を襲撃し、遺物を盗み出し、国中を巻き込んだ大犯罪者だ。大人しく投降した所で待遇の変化も無いだろ? それに俺にはまだ役目がある。ここで終わる訳にはいかない」
男は容器をスチームの噴き出す天井に翳し、その輝きで眩しそうに目を細める。
「毒散布なんて馬鹿な事は止めろ。そんな事して何になるんだよ。組織の命令ならば、そんな頭のおかしい連中の言う事なんて聞かなくてもいいんだ。今ならまだ間に合う、大人しく私と一緒に来るんだ」
幼い子供に噛んで含ませる様な、諭す様な口調でシルヴィアは説得を試みる。だが、それは虚しく響いただけで男はまるで聞き入れようとしない。いや、寧ろ顔色を怒りの赤色へと豹変させると、その燃え盛る憤慨を露わにして怒声を張り上げる。
「黙れ! お前にあのお方の何が分かる! 何も知らない様な奴があのお方の計画に異議を唱えるだと!? 言語道断! 何様のつもりだ!」
先程の余裕も何処へやら、男は激昂すると声を荒げて叫ぶ。そして魔力の流れる指先をシルヴィアの方へと向けると、魔弾を彼女へ撃ち出した。突拍子のない攻撃だが、流石に予想が出来ていたらしく、シルヴィアは強化された足で左に跳んでそれを回避すると、お返しとばかりに魔弾を放った……どうやら説得は失敗のようだ。なら、僕の出番は近い。
静けさを押しつぶす轟音と大地が震えているような重い振動が「セントラル・ガイア」を比喩的にも物理的にも揺らす。轟音と振動の中枢、メインリアクターではシルヴィアと黒コート男が鎬を削って戦っていた。互いに息もつかせぬ一進一退の攻防が続く。だが、今のシルヴィアは魔術に制限のかかった状態だとはいえ、男に対して互角以上に戦えている。男の魔弾はいとも簡単に避けられているが、シルヴィアの魔弾は男の体を翳め、着実に疲労を蓄積させていく。この戦闘能力の高さと状況への適応能力こそが、彼女が天下の最上位魔術師たる所以だろうか。シルヴィアの放った魔弾が男の肩を翳め、黒コートが剥ぎ取られた。翻った黒いコートで、男の視界が遮られる。即ち、一瞬の隙が生まれた。
「今だ! 来い!」
「了解!」
シルヴィアの叫びに呼応するように、ユートは天井の僅かな隙間から飛び降りると、スチームで熱せられ高温の鉄板と化した床に着地。そしてそれに手を触れ周りの魔力をかき集めると、魔力を両足に集中させ、"強化"する。"強化"された足を曲げ、弾機の要領で弾かれる様に加速すると脹脛の辺りで魔力が炸裂するのを感じ取った。ユートは疾風の如き速度で駆け出し、熱風を切り裂いて男に迫る。男は信じられないとでも言いたげな顔をした後、すぐに防御態勢をとるが、余りにも遅すぎる。ユートは体を屈めて男の懐にするりと潜り込むと、その手に握られた折り畳み式の"強化"された短剣で男の体を横薙ぎに斬り付ける。肉体を切り裂く生々しい感触が柄を握り締めた手に伝わってきた。
「…ッぐうっ……! この餓鬼…!」
声とも言い難い程の短い悲鳴が聞こえた後、ユートは男から距離を取るとシルヴィアの前に盾になるように立つ。男を斬り付けた場所から鮮血が勢いよく噴き出すと、ぴちゃぴちゃと水音を立てて辺りに飛散し、熱せられた床にその赤色を残した。
———魔術による"強化"は確かに強力だが、それには唯一にして重大な欠陥とも言える程に致命的な弱点が存在する。普通、人間の体に魔力流すと、急激な神経への刺激により血圧は急上昇し、血流の速度も格段に速まる。その数値は毎秒2.4メートルを超えるものとなり、血管や心臓も"強化"しなければそれだけで死んでしまう程となる。そして、その高速で体内を駆け巡る血液の流れている血管を傷つけると、人体が一体どうなるかは容易に想像出来るだろう。もし血管に傷が付いた場合、破れた箇所から血液は凄まじい速度で溢れ出すと、何層にも折り重なった筋繊維すら突き破って身体から間欠泉のように血液は勢いよく噴出し、急激な血液の減少により対象に対して致命的な身体的損傷を与える事が出来る。魔力を使って戦うという事は、とても利点も多いが、その優位に対する重いリスクが必ず伴うのだ。
男が苦痛に脂汗を流し、顔を歪めて苦悶の表情を浮かべる。その体は左脇腹を斬り付けられ、黒いはずのコートも血の赤黒さでみるみる内に染まっていく。ユートの黒い軍服にも、ぽつりぽつりと返り血の赤色が散り、短剣の刀身に至っては目に痛い程に濃い色彩が鋼の白銀を塗りつぶしていた。
「はぁ…やっとか。もう少し早く来てくれてもよかったんだが」
「いやだって、そういう作戦だったでしょう!? それに貴女が考えたんじゃないですか!」
ここに来る前、巨大な扉の前でシルヴィアはある作戦を立てていた。それは男と戦闘になった場合、まずはシルヴィアが囮となり注意を引き付ける。そしてユートが隙を見て突入、男にダメージを与えるという……なんて捨て身な作戦だよ。男の隙を天井から伺っている間、シルヴィアが負傷しそうで胃がキリキリしっぱなしだったし、格好よく着地したつもりだが、足で衝撃を分散させるのを忘れていた。そのせいで足を変な方向に曲げてしまい、痛めた場所に未だにジンジンと鈍い痛みを覚えている。作戦自体は一応、成功したがもう二度とやりたくない。
「…テメェ、あの時の餓鬼だな? 不意打ちとは随分卑怯な事してくれるじゃねぇか」
男は怒りと痛みで顔を鬼の形相に変えて睨み付けてくる。先程とは口調も外見も打って変わり荒く、狂暴になっている。体を斬りつけられたんだ、当然と言えば当然か。
ユートとシルヴィアは男から目を離さない。男もまた、二人から目を離さない。しばらくして、ようやく動いた男は腰の辺りを探ると、黒い大きなナイフを取り出した。刀身が魔力の翠玉色の光を受け妖しく反射している…まずい、武器を出されると人数で勝っていても結果が分からなくなる。こちらは一人でも落とされると、まずい。まず落とされた一人が殺されるだろう。その後に戦力は半減し、只の貧弱な魔術師になったもう一人を追い詰め、掴まって男のナイフに捉えられ、そのまま一巻の終わりを迎えてしまうだろう。
………こうなったら、例の"必殺技"で決めるしかないな。
ユートは喉に詰まりそうな、大きな固唾を音を立てて呑みこみ、体中に魔力を流す。勝負は一瞬、チャンスは一度、外せば終わり。
このヒリついた絶体絶命的状況に、ユートの意識は飲みこまれていく。全てが終わり、最後に誰が立っているのか、それは神のみぞ知る。
————決着は、近い。




