楽園の箱、不朽の鳥籠、胸の花
サート家の姫は、生涯この城から出ることは無いのです。
楽園と言われる広大な城の中、自由奔放に、快楽三昧の日々を送ります。そして、子沢山なサート家の姫たちの中で、ほんの僅かの少女たちだけが、王家のための、箱に入っています。
箱の中。
サート家の城は、巨大な箱だと思うのです。その中の更に、狭い箱、王家のための特別な箱に、常に数人の女の子が入っています。
王家のためのお役目についていた先輩の一人は、お役目を終えて、狂乱めいた楽園の中へと身を投じたばかりでした。
その様子を見ることのできる窓から、彼女の胸に浮かぶ、王族の王位継承権の印である、光の花を見ています。
私は、もう一年くらいは、此処に居ようと思っています。
後輩が一人、近いうちに入ってくるはず。
そんなことを、ぼんやりと考えていると、
「ナイル、ナイル、大変よぉ。とうとう、リデラファン様、お子づくりを諦めた御様子なの」
私、レータナイル・サートと同じく、お役目の箱入りの、アリッファ・サートが、淑やかながら小走りで駆け寄ってきて、そう告げました。姓は同じサートですが、私と彼女は割合、遠縁です。
リデラファン様は、ユグナルガの国の現女王。この国は、代々、女系が王位を継いでいます。
天人の血を引く王家の女系は、皆、胸に光の花が咲いていて、衣を開ければ一目で血筋が分かってしまうのですが、意外にその事実を知るものは少ないといいます。
「え? 女王様、お世継ぎは、どうなさるの?」
代々、女の子が王位を継ぐ定めの国なのに、今の女王には、男の子が二人お生まれになっただけで、女の子はいないのです。
子沢山、しかも女の子が多いサート家とは真逆に、代々王位を継いで来ている方のクレン家は、子供が、特に女の子が生まれにくいようでした。
「ベアイデル様か、ベールゾン様が、サート家から后を迎えることになったのよ。恐らく、ベアイデル様が、お忍びでいらっしゃるわ」
アリッファの言葉を聞いて、私は、少し血の気の引く思いでした。
「私か貴女、どちらかが、箱から出ることになるの?」
箱どころか、城から出ることになるのです。王家のための箱入りの、今は二人だけのお役目のどちらかが。
「ええ。サート家初の后入りになるのよ」
聖王院の術に護られた、裏王家と呼ばれるサート家は、王家に女系が途切れた時のためにだけ存在しています。
その時が、とうとう来てしまった――。
遠い昔、天人の血を引く初代女王が産んだ二人の子が、クレン家とサート家に分かれました。
それ以来、ずっとクレン家は王位を継ぎ、サート家は万が一の時に備えて、王位継承はしないけれど天人の血を引く女の子を大量に存在させ続けていたのです。
サート家の姫は、全員、王位継承に必要な光の花を胸に咲かせています。
胸の花を、極秘に王家の男子に貸し与え、男王として王位継承をすることを可能にさせるのです。
確かに、私は、この楽園と呼ばれるサート家の城から、いつか、出て行きたいと思っていました。
血を継ぐために、屡々、招かれて来る客と、互いに恋に落ちて、城の中の別邸に移り住む。そして、男の子ばかりを産み落とす。
王家の血筋の女の子を残せなかった時にのみ、そして、恋を獲得していた場合のみ、囚われの身のサート家の姫は自由を得て、出て行くことが可能になるのだという話は、サート家の姫たちの間では、代々継がれて行く夢物語。
極々少ない例ではあるけれど、そうして外に出ていった姫の噂を聞いたことはありました。
だから、そんな風にして、きっと私は出て行くのだろう、と漠然と思っていたのです。
それ以上に、王家に后入りするなどと言う珍事は夢物語の中の夢物語でした。
あくまで、万が一のためのサート家なのですから。
私は、ぼんやりと、箱入りの中の自室に宛てられている広い部屋で、聖王院の術によって、城の彼方此方を映しだす、飾り装飾の華やかな、姿見ほどの大きさの鏡を眺めておりました。
王家のためのお役目につく特別な三人の少女には、それが義務付けられているのです。
他の、お役目につかないサート家の姫たちは、母や、乳母達との、幸せな子供時代から、王家に対する様々な教育を受けて育ち、頃合いの年齢になれば、楽園の中へと足を踏み入れます。
そして、女の子を身籠もるためのお役目につくのです。
暖かな城、巨大な浴槽の中、さんざめくような光の中、裸で水遊びに興じる姫たちは、皆、胸に光の花を咲かせています。同じ花が、私の胸にも咲いている。
だいたいが私と同じ、白い肌に、金の巻き毛。私の瞳は青いけれど、他の姫たちは、それぞれ様々な色合いの綺麗な瞳。
その水遊びに、時折、いえ、頻繁に、子作りのために、極秘に選ばれ招き入れられた男の方が混ざるのです。
男の方の好みのままに、一人を選んだり、次から次へと渡り歩いたり、どちらにしても、毎日、誰かが選ばれ、豪華な設えの寝室で、お役目につきます。
それを眺め、観察し、王家に后入りした時の子作りのため、技巧を学ばねばならないのです。
王家のための、お役目の姫は、きちんと作法に則って綺麗な衣装で着飾り、しとやかに学び、王家へと入った時のための様々な儀式について指導を受けます。
お役目の箱に居るのは、ほんの数年。長くて三年。
でも、大抵のサート家の箱入りの姫は、一年か二年経たないうちに、享楽のお役目の方へと飛び込んで行きました。
「ナイル、あなたが王家に后入りすることに決まりました」
女王が、お子づくりを諦めた、という噂を聞いてから、さほど日を置かずに、教育係のサート家の姫が、そう告げてきました。
「え? いつの間に、いらっしゃったのですか?」
「お忍びでいらして、先ほど、お帰りになられた御様子ですわ。ベアイデル様は、すぐにお決めになられたとのことです」
教育係の少し年上の姫は、そう言うと、深々と私に向かって礼をしたのです。
「ずっと、箱から出たいと思ってた。きっと、お客さまが愛する人になって、男の子ばかり産み落として、彼と一緒に、箱を出るのだとばかり思ってた」
彼女へ向かって、というよりは、ほとんど独り言のように、私は呟いていました。
「箱から出て、今度は鳥籠に入るのね」
楽園の狂乱は、すでに自分には無縁のもので、この城を出て行くことはできるけれども、更に逃れられない因果の鳥籠が待ち構えているのです。
「でも、いいわ。ここよりは、ずっと景色がよさそうな気がするの」
特殊なサート家の姫という気楽な存在から、王后になる、という宿命。私は既に選ばれてしまっていて、選択権はありません。
楽園を眺める立場から、多くの者々によって注視される立場に変わってしまう。
直ぐに、后入りの準備は進んで行きました。
もう、私は、箱からは出され、特別な、今まで一度も使用されたことのないという、后入りのための邸に仮住まいとなったのです。
サート家の姫たちの戯れを見ることは、もうありません。姫たちに逢うことも、無くなりました。
ほどなく、王家へと赴くこととなり、私は、仮住まいの邸から、厳重な警護の中、極秘裏に王宮に入りました。
そして、入れられたのは、設えこそ立派で居心地は悪くないものの、格子の檻に囲まれた座敷牢でした。箱に入れられた頃と、少しも変わらない。
聖王院の術のかかった、王家のための箱にいて、すでに身籠もっているなどということは有り得ないのだけれど、念には念を入れて、初の男王のための段取りはすすめられているので、仕方のないことではありました。
けれども、格子越しに、王候補のベアイデル様に逢うことができました。
「済まない、レータナイル姫。このような生活を半年も強いるものだとは、知らぬことであった。暫し、耐えてくれ」
長い金茶の直ぐな髪、金茶の眼。彼の対応は真摯で真心が籠もっておりました。王として即位することなど、あり得なかったはずの彼なのです。きっと、戸惑いは、私以上にあることでしょう。
「どうか、ナイル、と、お呼びくださいませ。それに、こうした住まいは、私、サート家の姫ですもの、問題ありませんわ。ここの方が、ずっと景色が良いの。貴方様にも、こうして直接、お目にかかることができて、嬉しゅうございます」
サート家のお客様の誰よりも、私にとって素敵なお方だと確信できました。
王宮は、箱ではなく、やっぱり鳥籠なのだな、と、思うものの、気持ちは、しっかりと彼に寄り添えそうだと感じることができたのです。
王になるべきもののために、自らの胸に咲く、光の花を貸し与える。
自分の胸の花の光は、僅かに弱まるが、王になるべきものの胸に光の花は灯るのだ。
半年後、座敷牢から出ることを許された私は、極秘の儀式を経て、胸の花を、ベアイデル様にお貸しすることが出来ました。
ベアイデル様の胸には、淡く、光の花が咲いて、無事、王位継承権を得たのです。
私の胸の花の光は、僅かに弱まりましたが、王になるべきものの胸に光の花は灯っています。
外向きの婚儀やお披露目は、ずっと先のことではありますが、晴れて時期国王の后としての住まいを得て、ベアイデル様と共に歩む、新たな日々が始まりを告げました。