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時代劇ショートショート【三方一両損】

作者: 音野内記

 神田川の北側、神田佐久間町の奥まった所に、九尺二間の家が5軒連なる割長屋が2棟並んでいる。ねずみ長屋と呼ばれるこの裏長屋には、様々な職種の者たちが住んでおり、その中には大工夫婦の牛五郎とお多江や棒手振りの魚屋の半吉もいた。

 井戸端で、お多江と半吉と話し込んでいると、牛五郎が道具箱を担いで仕事から帰って来た。

「お帰り。お前さん、今日は早いんだね」

「切りのいい所で早上がりになったのよ」

「今、半吉さんから聞いたんだけど、お奉行の大岡様が下総で宝探しをしてるらしいよ」

「面白そうな話だな。半吉、俺にも聞かせろ」

 半吉は猪口で酒を飲むしぐさをして、「それじゃ、一杯やりながら詳しく話しましょうか」と答えた。


 牛五郎と半吉は牛五郎の家の座敷で向かい合って座り、徳利を傾けている。土間では、お藤が夕げの支度をしていた。

「アッシが贔屓にしてもらっている馬喰町の旅人宿の奉公人が、『大岡様が人を集めて、下総の結城っていう所で穴掘りをしてる』って言うんですよ。下総ではその話で持ちきりだそうで、そっちから来た旅人が皆その話をするそうでさ」

「半吉よ、大勢使って穴掘りをしてるなら、何かの普請をしてるてぇことじゃねえのか。何で宝探しっていう話になるんでぃ」

「なんでも、宝を掘り当てた者には、多額の褒美が与えられるっていうんで、皆血眼になって掘ってるそうですぜ」

「そういうことか。それなら間違えねぇ。でもよう、その宝てぇのはどんなもんなんだ?」

「下総の大名だった結城春朝ていう殿様が、埋めた砂金や金塊ということでさ。その重さはなんと、合わせて10万貫(375t)」

「10万貫!」

 二人の会話を脇で聞いていたお多江が、素っ頓狂な声を上げてふらふらと座敷に座り込んだ。

「そりゃ、千両箱で何箱なるんだ?」

 牛五郎に訊かれた半吉が、指を弾きながら計算する。

「2万箱くらいになりやすかねぇ」

「2万箱!」

 今度は、牛五郎が素っ頓狂な声を上げて腰を抜かす。

「そんなとんでもない量の金が、本当に埋まってるのかい?」

 気を取り直したお多江が疑問を挟んだ。

「名奉行で名高い大岡様ですぜ、きっと確たる証拠てやつをつかんだに違いねぇ」

「半吉の言う通りだ。大岡様のことだ、その辺に抜かりはねえはずだ」

 牛五郎は半吉に賛同したが、お多江はまだ半信半疑だ。

「大岡様が何で埋蔵金探しなんてするのかねぇ? お奉行なんだから、お金に困る事なんてないだろうに」

「そうでもないかもしれねえ。大名なんかどこも借金だらけっていうじゃねえか。それによぉ、三方一両損ていうお裁きが有名になったじゃねえか……」

 牛五郎が言い終わらないうちに、知ったかぶりをしたい半吉が喋り出す。

「3両入りの財布を拾った左官の金太郎が、落とし主の大工の吉五郎に返そうとしたが、吉五郎は『懐から出た金はもう自分のものじゃねえ』と受け取らず、金太郎は『金が欲しい訳じゃねえ』と言い張って喧嘩になった。その喧嘩を、大岡様が1両加えて金太郎と吉五郎に2両ずつ渡し、『吉五郎は3両戻るはずが2両しか戻らず1両損。金太郎は3両貰えるはずが2両しか貰えず1両損。越前は裁きのために1両出して1両損。これを三方一両損と申す』と言って、丸く収めたやつでしょう」

「そんなこと説明されなくても、誰もが知ってら」

 話の腰を折られた牛五郎は、一言文句を言ってから続ける。

「三方一両損のお裁きを聞いて皆感心したが、そんな奴らばかりじゃあるめえ。二人で組んで3両を奉行所に持って行きゃ、4両になって戻って来るんだからよ、一儲けしようとした奴がたくさんいたんじゃねえか? それで、大岡様は金欠になったんじゃねえか」

 無茶苦茶な推理だが、半吉は「それだ!」と言って膝を叩いた。

「只者じゃねえと思っていやしたが、さすが牛五郎さんでさぁ。普通ならそんなこと思い付きもしねえ」

 半吉はしきりと感心するそぶりを見せる。何かたくらんでいるようだ。

 牛五郎は持ち上げられて満更でもない様子である。

「ところで、牛五郎さんは、落とした大金を届けに来た奴がいたら、どうしやす?」

 100文落としても「酒1升分を損した」と、しきりに嘆く牛五郎だ。大金を拾ったと届けに来る者がいたら、抱き付いて離さないに違いない。だが、牛五郎にも見栄がある。

「もちろん、受け取らねえ。余計な事をするなと突っ返えすぜ」

「そうでしょう、そうでしょう。牛五郎さんならそうするはずだ。仮にですよ、牛五郎さんが落とした3両を、アッシが届けたらどうしやす?」

「礼を言う」

 半吉はずっこける。

「そうじゃねえでしょう。『余計な事をするな』と言って、金を突っ返すんでしょう」

「おう、そうだった。突っ返すんだった」

「牛五郎さんに突っ返されても、アッシも江戸っ子でぃ、受け取る訳にはいきゃしねぇ。そうなると、3両の行き場がなくなる。それで『恐れながら』と3両を奉行所に届けたらどうなりやす?」

「大岡様が1両加えて、俺とお前に2両ずつくれる……。そうか! お前は3両拾ったことにして、一儲けしようてんだな」

「届け出るだけで、3両が4両になるんだから、悪い話じゃねえでしょう」

 悪だくみを聞いたお多江が、心配そうに言う。

「そんなことして、嘘だってわかったら、どんなお咎めがあるかわかりゃしないよ。止めときなよ」

「何言ってやがる。皆やってることでぃ。やらねえって法はねぇ」

 牛五郎の中では、自分が言った無茶苦茶な推理が現実のことになっている。

「大岡様のことですから、きっと埋蔵金を見つけ出すに違いねぇ。そのおこぼれを先にいただくと考えりゃいいじゃねえですか」

 半吉は牛五郎を後押しする。

「お多江、3両出してくんねえ」

「そんな大金あるわけないじゃないか。3分しかないよ」

「半吉、お前は幾ら持ってる?」

「1朱金が4枚しかありやせん。面目ねぇ」

「合わせて1両か……」

 牛五郎と半吉は腕を組んでうな垂れた。


 翌日、牛五郎と半吉の二人は、南町奉行所の門前に立っていた。1両しかなかったが、何とかなるだろうと勇んで来たものの、後ろ暗さがあるので、なかなか中に入れない。

 二人が躊躇っていると、声を掛ける者がいた。

「牛五郎じゃないか。何か用か?」

 町方同心の原田十内だった。牛五郎は以前に原田十内の家の修繕をしたことがあって、面識があった。

「原田様、ご無沙汰しておりやす。実はこいつと揉めやして、お奉行様に裁いてもらおうとやって来た次第でさぁ」

「お奉行の裁きを受けようなどと簡単に言うが、いきなりお奉行に訴え出ることなどできぬぞ。某がまず話を聞こう」

 半吉が原田十内の前に進み出る。

「牛五郎と同じ長屋に住む魚屋の半吉と申します。アッシから話をさせていただきます」

 半吉は牛五郎が説明するよりいいだろうと思い、自ら話し出したのである。

「アッシが牛五郎さんの財布を拾ったので、牛五郎さんに届けたところ、『自分で懐から出てった金だ、そんな金はいらねぇ』と突き返されまして、アッシも江戸っ子の端くれ、そんなことを言われて『はい、そうですか』と受け取る訳にはいきません。意地の張り合いで、財布の押し付け合いになり、どうにもならなくなりました。同じ長屋に住む者同士、何時までもいがみ合っては、他の住人の迷惑。それで、お奉行様に裁決してもらおうということになった訳です」

「話はわかった。その財布には幾ら入っていたのだ」

 半吉は「1両です」と言って、財布を差し出した。財布を受け取った原田十内は、中身を確認して懐に入れた。

「この1両は某がもらっておく。それで解決だ」

 牛五郎と半吉は慌てた。

「原田様、そりゃないでしょう。何で解決なんですか?」

「牛五郎も半吉も、この金は要らないんだろう。それでこの金の行き場がなくなり、困っていたのだろう。某が貰えば、金の行き場が定まり、解決ではないか」

「アッシらは、お奉行様にお願いしたいんです。だから、その金は大岡様にお渡しください。なあ、牛五郎さん」

「おう、そうでぃ」

「何としても、大岡様にこの金を渡せと言うのだな。よし、わかった。この金は大岡様に渡そう」

 牛五郎と半吉は、声を揃えて「おねがいしやす」と言って頭を下げ、お裁きが何時頃下るのか尋ねた。

「大岡様は寺社奉行になられた。だから、裁定は下されん」

 牛五郎は驚いて、思わず大声になる。

「それじゃ、大岡様に1両を渡してもらっても無駄じゃありやせんか」

「無駄ではないぞ。町人からの昇進祝いとして渡してやるから安心しろ。大岡様はさぞお喜びになるであろう」

 そんなことされたら、1両が丸損だ。半吉は食い下がる。

「アッシらは、お互いが納得する答えを出してもらいたいんです。そうでなければ、1両を返していただけないでしょうか」

「要らないと言っていた金を返せと言うのか。それでは、元の木阿弥ではないか。まさか、奉行所を謀ろうとしたのではあるまいな」

「滅相もございません。アッシらは互いがなるほどと思えるお裁きをしてもらいたいだけなんです。そうだよな、牛五郎さん」

「そ、そうでぃ。感服するようなお裁きをしてもらえれば、それでいいんでぇ」

「そういうことならば、既に解決しておる」

 牛五郎と半吉はどういうことかわからない。お互いの顔を見合わせていると、原田十内が得意そうな表情を浮かべて語り始めた。

「牛五郎は落とした1両が戻らず、1両の損。半吉は拾った1両を某に取り上げられて、1両の損。某は取り上げた1両を大岡様に渡す羽目になり、1両の損。これを三方一両損という。これにて一件落着」

 牛五郎と半吉があっけに取られていると、原田十内はそそくさと奉行所の中に入って行った。

 二人は肩を落として帰るしかなかった。

 夕日に向かって飛んで行くカラスの鳴き声が、牛五郎と半吉には「バカァー、バカァー」に聞こえた。


<終わり>

 三方一両損の話は、江戸時代の小説「大岡政談」に載せられた架空の物語ですが、大岡越前守が結城氏の埋蔵金を探したというのは事実です。将軍・吉宗に命じられて探したものの、結局見つけることはできなかったとのことです。

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