夢と現実
真っ赤な鮮血を撒き散らしながら、シェリスの首が飛ぶ。真っ青な髪が揺れながら、シェリスの頭が音を立てて地面に落ちる。
赤と青が混じり合うそれは、凄惨な光景でありながら幻想的な美しさを醸し出していた。
「シェリス!!」
黒い剣士は叫ぶと同時に目を覚ました。
そこは白い部屋。窓から入る月明かりが、クレスの眠っていたベッドを照らしている。
「……夢?」
クレスは一度周りを見回すと、自分の身体に目を移す。上半身は裸で至る所に包帯が巻かれ、肩や太股は熱を持っているらしくジンジンと痛む。
白い部屋には様々な薬品の匂いが漂い、クレスの嗅覚を刺激する。
そしてクレスは気づいた。自分がいる場所が医務室であることに。
クレスを焦燥感が襲う。医務室であることはいいとして、肝心の青が見当たらないのだ。
「……夢じゃなかったのか?」
凄惨にして美しい光景が、クレスの頭から離れない。もしあれが現実だとするならば、水の賢者はこの世にいない。
「そんなことない!!」
クレスは自分の考えを振り払う様に頭を振ると、シェリスを探すためにベッドから起き上がる。
『あれだけ強いシェリスが、死ぬはずがない』。クレスを動かすのはその思いだけだった。
そこで医務室の扉がゆっくり開く。月明かりだけしかない部屋に、扉の隙間から明かりが差し込む。
クレスは自然と身構える。オルグ達に自分が捕まった事も考えられたのだ。
クレスには体術の心得もある。剣が無くとも少しは闘える。
(来るなら来やがれ……)
「起きましたか、クレスさん」
扉を開けた人物が発したのは、クレスの名。柔らかなその声は、クレスが聞きたかった澄んだ声。
偉大なる水の賢者シェリス=ミアルタはいつもと変わらない真っ青なローブを着て、笑顔を浮かべながらそこに立っていた。
瞬間、クレスは走っていた。そしてシェリスを力一杯抱き締める。
「良かった!! 生きてたんだな!!」
クレスは自分が上半身裸なのを気にせず、シェリスを抱き締める。体の節々が痛むが、今のクレスには関係なかった。
シェリスが生きていた。その事実がクレスに痛みを忘れさせる。
「ク、クレスさん、苦しいです!!」
シェリスの声に我に返ったクレスは、シェリスの背に回していた手を一瞬にして引っ込める。
勢いで抱き締めてしまったクレスと、抱き締められたシェリスの顔が一気に赤くなる。その様は端から見れば滑稽で、しかし、見る者によっては初々しさを感じさせるだろう。
そこでクレスはある事に気づく。シェリスの首に、いつもは無い物が巻き付いている事に。白いそれは、包帯。怪我をした場所に巻くための物。
「シェリス、その首……」
そう言ったクレスの顔から、一気に熱が引く。夢で見た光景を思い出したのだ。
「あぁ、ちょっと斬られちゃいまして」
シェリスはそう言って微笑んだ。殺されそうになったにも関わらず、微笑みを浮かべるシェリス。
クレスは自然と、シェリスから顔を逸らしていた。
「……すまない」
顔を逸らしたクレスから漏れたのは謝罪の言葉だった。
「俺が弱いばかりに、お前に」
「クレスさん」
クレスが言葉を言い切る前に、シェリスの澄んだ声が部屋に響く。シェリスの声には、心なしか怒気が含まれていた。
「私は、この傷がクレスさんのせいだとは思っていません」
シェリスは自分の首に手をやり、クレスを見つめる。真剣な眼差しに見つめられたクレスは、思わずたじろいだ。
すると、シェリスが急にクレスの肩に触れた。包帯の上からだがクレスは一瞬痛みを感じる。だが、顔には出さなかった。
「クレスさんの怪我こそ、私の責任なんです……」
そう言ったシェリスの青い瞳が細くなり、憂いを帯びる。
「私がクレスさんを巻き込まなければ……」
遂にはシェリスの頬を涙が伝う。流れる涙は、不安からくる涙。
自分のせいでクレスが死にかけた。その事実が、シェリスの肩に重くのしかかっていたのだ。
「シェリス……」
クレスはこういう時にどうしていいか分からない。と言うか、今まで女性が目の前で泣いた事を見たことがない。
顔には出さないが内心慌てるクレスと、嗚咽を堪えて泣くシェリス。
この空気を何とかせねばと、クレスは頭の中で沢山の言葉を想像しては打ち消す。気が利いた言葉が全く浮かばないのだ。
「……おあいこ」
考えのまとまらないクレスから放たれた言葉に、シェリスはうるんだ目でクレスを見つめた。不謹慎にもそのうるんだ瞳が綺麗に思えたクレスは、ほんのりと顔を赤くする。
「おあいこって事にしとこうぜ」
それは、とりあえず何か言わなければ、そんなクレスの想いから出た言葉だった。
「俺も死にかけたし、シェリスも死にかけた。けど、俺たちは生きてる」
クレスはそこまで言ってから一度微笑むと、シェリスの頬を伝う涙を指で拭う。その急な行動にシェリスは顔を赤くするが、クレスはそれに気づかない。
月明かりとドアから入る明かりだけの室内は、まだ暗かった。
「それでいいだろ」
「……はぃ」
闇に消え入ってしまうんではないかと言う程に、小さくか細いシェリスの返事。
だがクレスにはそれで充分だった。目の前に存在する青は、闇に消え入るような存在ではない、クレスはそれを感じていたから。
「それに俺たちは仲間だ。『誰か一人に責任を押しつけるなんて、仲間のすることじゃねぇ!!』って、昔アレンが言ってた」
義父アレンの教え、それがクレスの中核を形作っている。
「……仲間」
「あぁ、偉大なる水の賢者と欠陥品。随分と不釣り合いな仲間だ」
クレスがそう言って笑顔を浮かべた瞬間、泣き止んだかに見えたシェリスの目から涙が溢れだす。
今度はクレスが慌てる事はない。クレスにさえわかっていた。
シェリスの涙が、嬉しさから来る涙だと。
暖かな涙を流し続ける青は誓う。黒き剣士を信じ続ける事を、仲間を信じる事を。
体中包帯だらけの黒は誓う。今よりも強くなる事を、青き賢者を護れるだけの強さを手に入れる事を。
人々が眠りに就く夜。その闇を照らすのは沢山の星と、真っ白な月。白き月と沢山の星は、黒き剣士と青の賢者の誓いをしっかりと受け取った。