『欠陥品』対『完成品』
「うっとうしい……」
そう言ってため息を吐きながら歩く青年。黒い髪に黒い瞳。パッと見整っているともいないとも言える、何とも微妙な顔。
クレスはセレッソの大通りを一人で歩いていた。沢山の視線に悩まされながら。
黒い髪に黒い瞳、それがクレスに視線を集めていた。肌に突き刺さる様な沢山の視線。その視線には畏怖と嫌悪が入り混じっている。
クレスにとってはいつもの事であるそれは、端から見れば異様な光景にすぎない。
(一緒じゃなくてよかったかな……)
宿屋に置いてきた青の女性、水の賢者を思い浮かべながらクレスは頬を掻いた。
シェリスは足の腫れはひいたが、まだ痛みが残っていたために宿屋で休んでいる。そのため今日一日暇になってしまったクレスは、こうして大通りを歩いているのだ。
(それにしても……)
クレスはさっきから自分に突き刺さる視線の中に、一つだけ異様な視線を感じていた。他の視線が異様でないとも言えないが、クレスからすればそれは受け流せる程度である。
クレスが感じているのは、自分に向けられている殺気。それも並の殺気ではない。
「誰だか知らないけど、売られた喧嘩は買ってやるか」
小さな頃からギルドのメンバー、特に義父アレンに言われ続けた『男なら売られた喧嘩は買ってやれ』という言葉。
クレスはその言葉を思い出しながら、大通りから脇道へと歩を進める。
昼間だと言うのに薄暗い脇道は、すんなりとクレスを受け入れた。
暗い路地に入ったクレスを最初に襲ったのは異臭。路地には至る所にゴミが捨てられていて、綺麗な大通りとの違いは歴然であった。
ただ、今のクレスにはそれを気にするだけの余裕が無い。喧嘩を買ってやると意気込んだはいいが、路地に入った所で先程から向けられていた殺気が、更に大きくなっていたからだ。
「しくじったか……」
自分に殺気を飛ばしていた者は、かなりの実力者である可能性が高い。それを肌で感じたクレスの口からは、自然とそんな言葉が漏れていた。
そんな中でクレスは思わず笑っていた。『男なら売られた喧嘩は買ってやれ!! 但し勝てない喧嘩はするな!!』。そんなアレンの言葉を思い出していたのだ。
しばらく歩いた所でクレスは足を止める。するとクレスに向けられていた殺気が、ピタリと止んだ。
大通りからの喧騒も聞こえない場所。クレスが足を止めた事で、ブーツとレンガのぶつかる音も消えた。それはまるで、嵐の前の静けさ。
「俺に何か用か?」
クレスはそう言いながら、今まで自分に殺気を飛ばしていた人物に振り返る。
そこにいたのは真っ赤な髪をした女性。短く切り揃えられた髪から覗く瞳は、髪と同じく赤。
茶色のジャケットから出た腕には程よい筋肉が付いている。そして、ジャケットの下に着た黒のシャツは、ヘソが見える程に短い。
だが目を惹くのはヘソではなく、その周り。鍛え上げられた腹筋が、その存在を主張していた。おそらく黒いズボンに覆われた下半身にも、美しいまでの筋肉が付いているだろう。
その女性が腰から下げるのは、闘うためだけに作られた物。それは女性が『剣士』であることを示していた。
クレスはその女性を、驚愕の表情を浮かべたまま見つめる。
クレスが驚いたのは、自分に向けられていた殺気が女性からのものだったからではない。クレスは女性でもそれだけの殺気を出せる人物を、数人知っている。
クレスが驚いたのは女性の容姿。シェリスも美人だが目の前に立つ二十代後半、もしくは三十代に届きそうな女性もまた、極上の美女だった。
「……悪いけど、死んでもらうわ」
女性の声が路地に響く。その次に響いたのは、女性が剣を抜く音。
「どうやら、俺はとことん……」
クレスは口を開きながらも手を動かし、背中に背負った剣を抜く。
「……美人と縁があるらしい」
クレスが言い終わると同時に、女性が動き出す。
赤い剣士は女とは思えないスピードでクレスに走り寄ると、クレスの首めがけて突きを放つ。最短距離を駆け抜けるそれは、並のスピードではなかった。
だが、クレスはそれに反応していた。突き出された剣を、自らの剣で横から弾く。そして女性の右肩めがけて突きを放つ。
戦場が狭い路地とあってか、突きが一番効率のいい戦法なのだ。振るう事も出来るがリスクが大きい。もし横の壁に剣が突き刺さろうものなら、待ち受けているのは、死。
女性はバックステップで距離を空ける事でクレスの突きを回避すると、また攻撃に移る。流れる様な動き。
そこからは両者共に譲らない突き合い。女性が突きを出せばレスが弾き、クレスが突きを出せば女性が避ける。まさしく一進一退の攻防。
暗い路地に響くのは、両者の剣が空気を切り裂く音と、ブーツとレンガが擦れ合う音だけだった。
だが、そんな攻防にも終わりは来る。
女性が突き出した剣を弾いたクレスは、今日一番のスピードで突きを放つ。女性はまたしてもバックステップで剣を避けるが、クレスの剣が一瞬速かった。
クレスの剣が女性の肩に触れる。その瞬間、赤い鮮血が宙を舞った。
「浅かったか」
クレスはそう言って顔を歪める。血は出たが、女性の傷は浅かった。
追撃しようとするクレスだが、女性が距離を空ける方が速い。いつの間にか二人の間に、大人四人は寝かせられるであろう距離が出来ていた。
「……やるわね。黒髪の剣士」
女性は傷口に手を当てると、まるで自分が怪我をしたことを喜ぶ様な顔を浮かべた。
「いい腕よ、殺してしまうのが惜しいわ……」
「そりゃどうも。出来れば回れ右して帰ってくれないか?」
クレスが場の空気にそぐわない声のトーンで、冗談混じりの言葉を放つ。クレスの口許は笑っているが、黒い瞳を携えた目は笑っていなかった。
「それは無理ね。依頼のためにも、貴方には消えてもらわなくちゃ」
女性がそう言った瞬間、路地に流れる空気が変わる。
クレスはその空気を知っていた。自分には出来ない芸当。
それは魔術。
「させるか」
クレスは走り出す。魔術を使われたら、自分に勝ち目はない事がクレスにはわかっていた。
クレスは女性の近くまで辿り着いた瞬間、高速で突きを放つ。だが、その突きは女性に届かなかった。
クレスの突きが放たれる瞬間、女性がまたバックステップで距離を取ったのだ。
距離を取りつつも、女性は詠唱を続ける。それは魔術師としても一流の証。
シンクロが上手くない人間では、動いた事によりシンクロが乱れてしまう事が多い。だが一流になると、それ位でシンクロは乱れないのだ。
クレスの剣を避けながらも、女性は詠唱を続ける。
「……フラウ・ヴァル」
女性がそう言った瞬間、女性の周りに数個の火球が現れる。触れた物全てを焼きつくすかの如く燃え盛る人の頭大の火球。
狭い路地と、燃え盛る火球。それはクレスにとって絶望的なシュチュエーションだった。
(避けきれるか?)
女性の周りに浮く火球は全部で四個。常人よりは反射神経がいいであろうクレスでも、この狭い路地では難しい。
そんな最悪のシュチュエーションの中、クレスの出した答えは。
「逃げるが勝ち」
逃げる事であった。回れ右をして、全力で走り出すクレス。
「させないわよ!!」
女性が叫ぶと、それに呼応するように火球が動き出す。高速で動き出した火球は、瞬く間にクレスに迫る。
クレスは一度後ろを確認し火球が自分に迫るのを確認すると、右側の壁に向かい大きく跳躍した。
「なっ!?」
火球の後ろを走る女性は、思わず声を上げた。それほど迄に、クレスの行動は予想外なものだったのだ。
右側の壁に向かって跳躍したクレスは、壁を蹴り更に上に跳ぶ。そして、次に左側の壁を蹴り上げた。
クレスに向かっていた火球が、クレスの真下を通っていく。
クレスは空中で体の向きを変え、右手で持った剣を両手で持つと、そのまま大上段に剣を振り上げる。
女性はその姿を見てようやく動き出す。まさか火球を避けられると思っていなかったため、行動が遅れたのだ。
迎撃体勢を取る暇は無いと感じた女性は、防御の体勢に廻る。剣を両手で持ち頭上で横に構える。
クレスは女性が防御の姿勢を取ったのを見ると、勢い任せに剣を振るう。落下で速度を増した剣は高速、否、神速。
クレスの振るった剣が女性の剣に当たった瞬間、甲高い音が薄暗い路地に鳴り響く。
次に響いたのは剣がレンガに落ちる音と、人が倒れる音だった。
「私の完敗ね」
クレスに押し倒された形になった女性は、やんわりとした口調でそう言った。そんな口調だが、女性の喉元にはクレスの剣が突き付けられている。
「紙一重だろ?」
「そう言ってもらえるとありがたいわ」
女性は剣を突き付けられているにも関わらず、綺麗な笑みを浮かべる。その笑みがあまりにも綺麗で、クレスは一瞬見とれてしまった。だが、剣は突き付けたままだ。
「何故俺を狙った?」
「依頼のためよ。ギルドのね」
クレスはそれだけ聞いて、依頼主を聞き出すのが不可能だと悟る。クレス自身、ギルドがどういう物であるかよく知っているからだ。
ギルドに所属する人間は、絶対他人に依頼主を明かさない。それが絶対的な決まりである。
「依頼内容は?」
「それくらいは教えてあげる。貴方と一緒にいる賢者様の殺害よ」
女性はそう言うと妖艶とも言える笑みを浮かべ、自分に剣を突き付けるクレスを見つめた。女性の赤い瞳とクレスの黒い瞳が交差する。
「いつからだ?」
「随分前からよ。あの賢者様、中々隙を見せないのよね」
剣を突き付けられていると言うのに、女性は全く気にした様子を見せずに言葉を紡ぐ。
「つまりは俺が邪魔だったわけか……」
「そういうこと」
女性の言葉から襲われた理由を大体察したクレスは、真っ黒な瞳を細めた。
「何で負けたのかしら……」
女性の呟く様な言葉に、クレスは眉間に皺を作ると難しい表情を浮かべた。
「貴方は魔術も使わなかった、なのに私は負けた……何故かしら?」
「一つ訂正だ。俺は魔術を使わなかったんじゃない、使えないんだ」
女性の目が見開く。信じられないものを見るような目。それは驚愕の表情だった。
クレスは思わず笑ってしまった。女性の行動が、予想通りのものだったから。
「……嘘でしょ?」
「こんな冗談考える奴の顔が見てみたいね」
クレスはそう言うと、女性に突き付けたままの剣を鞘に収めた。真っ赤な女性からの戦意が感じられなかったからだ。
「私は欠陥品に負けたのか……」
虚ろな目でクレスを見つめながら、女性が口許を歪めた。
何となくだが、その言葉を予想していたクレスは動じない。
欠陥品であろうと、クレスを必要としてくれる人間がいる。それだけで、クレスは強くなれた。
クレスは心の中で、青い賢者に感謝する。
「あんたは確かに完成品だ。しかも一流のな」
女性は間違いなく一流の剣士だった。普通の人間に言わせれば、クレスが勝つのは不可能。もし勝てたなら、奇跡と言うだろう。
だがクレスは勝った。クレスにとってそれは奇跡ではなく、ただの勝利。
「あんたが俺に負けた理由は……」
クレスはその黒い瞳に自信を湛えながら、血の様に赤い瞳を覗き込む。
「一流の『完成品』だからさ」
そしてクレスは不敵な笑みを浮かべた。
「一流じゃ、超一流には勝てない」
クレスが拳を振り上げる。そしてその拳を、女性の鳩尾に突き刺した。それは女性の意識を刈り取る一撃。
女性の意識がなくなった事を確かめると、クレスは立ち上がり、呟く。
「まぁ俺は、超一流って言っても、超一流の『欠陥品』だけどな」
誰も聞く者がいない言葉が、薄暗い路地に響いて消えた。