旅立ち
黒のズボンにいかつめのブーツ、そして肩が出る形になっている赤いシャツを着たクレスは、目の前にある扉を何度かノックする。ノックする腕は剣士にしては細いが、形のいいしなやかな筋肉が付いている。
「はい」
すると中から澄んだ声が聞こえてきた。
「クレスだ、入って大丈夫か?」
「いいですよ」
クレスはその声を確認すると、扉を開き部屋の中に歩を進めた。
クレスが足を進める度に、首から下げたペンダントの鎖がジャリジャリと音を立てた。鎖の先には、盾を貫く剣が付けられている。
「よっ、起きてたか」
クレスが右手を挙げながらそう言うと、ベッドに座った人物シェリスは、口角をほんの少し吊り上げ微笑んだ。
シェリスの格好は昨日クレスの膝で寝てしまった時と変わらない。白い半袖のシャツに青いズボン、そしてシンプルなブーツ。首からは、菱形をした水色の石のペンダントが下げられていた。
「えーっと、私は昨日どうしたんでしょう?」
シェリスが悩ましげな表情を浮かべながら、クレスを見つめる。
「酒飲んだ瞬間に俺の膝で寝た」
クレスは昨日起きた事を至って簡潔に言葉にした。するとシェリスの顔が真っ赤に染まる。
「す、すみません」
ちょっとうつ向いたシェリスがそう言うのを見て、クレスは微笑んだ。
内心では昨日の殺気を漂わせたシェリスとの違いに少しだけ驚いている。
「あの、私を運んでくれたのは……」
何故か恐る恐る言葉を発するシェリス。クレスはそんなシェリスを見つめながらも、事実だけを伝える。
「あぁ、俺だよ。軽くて助かった」
すると真っ赤になっていたシェリスの顔が更に熱を持つ。耳まで真っ赤にしたシェリスは、ゆでダコの様になっている。
「これからどうするんだ?」
クレスは真っ赤になったシェリスを見つめながら、これからの予定について尋ねる。旅の理由と目的は聞いたが、具体的にどうすればいいのかわからなかったのだ。
「とりあえず、王都ミルディアに向かいます」
「王都か……」
王都ミルディアはクレス達のいるザナリアからは、少なくとも五日はかかる。クレスはそれについて何も言う気はなかった。五日位の旅はクレスにとってどうって事ない。
「って事は先ずはセレッソか……」
クレスは顎に手を当てて、王都への道筋を思い浮かべながら言葉を紡ぐ。
「はい」
「野宿を避けたいなら、今すぐ出ないとマズイぞ」
クレスの言葉にシェリスがベッドを立つ。そして壁に掛けられた真っ青なローブを手に取った。
「今すぐ出ましょう。野宿はマズイです」
シェリスは焦った表情を浮かべながら、真っ青なローブを手早く着ていく。クレスにはシェリスの焦る理由がわからないが、とりあえず従う事にした。
「んじゃ、俺も準備する。準備出来たら下の酒場で待っててくれ」
クレスはそれだけ伝えると自室へと走った。走る必要はなかったのだが、シェリスに感化されたのだ。
さっきの格好の上に黒の半袖ジャケット、そして背中に剣を背負ったクレスが酒場への階段を降りると、既にシェリスの姿があった。シェリスの周りにはクレスの仲間達が集まっている。
「悪い、遅くなった」
クレスは仲間達を掻き分けてシェリスの隣まで行くと、華奢な肩に手を置いた。
「あっ、クレスさん」
それなりに楽しく話せていたのか、シェリスは笑顔を浮かべながら明るめの声を出す。
「悪いな」
「気にしないで下さい」
シェリスはそう言って微笑むと席を立った。
「もう行くのか?」
背後から聞こえた声にクレスとシェリスが同時に振り向く。そこにはギルド長であり、クレスの義父、アレンが立っていた。
「あぁ」
クレスがそれだけ言うと、アレンはポケットから何かを取り出しクレスに向かって投げつける。クレスは顔に向かって飛んでくる小さな物体を、寸での所で掴んだ。
「餞別だ、持ってけ」
クレスが手を開くと、そこには何か文字が掘り込まれた指輪。隣にいたシェリスは、それを見て驚愕の表情を浮かべる。シェリスの表情から指輪が貴重な物だとはわかったが、クレスにはその価値など全くわからない。
「何だよこの指輪?」
「いいから付けとけ。それとシェリスさん、いや、『水の賢者』様にはこれを……」
『水の賢者』アレンの一言に、酒場にいたギルドメンバー達が驚きに満ちた絶叫を上げる。そんな中で、シェリスは目を見開いていた。
「……何故それを?」
「俺は少しばかり博識でして」
シェリスの目の前まで来たアレンはそう言って微笑むと、シェリスに向かい握られた右手を差し出した。
「お受け取り下さい」
その言葉に、シェリスがおずおずと左手を差し出す。するとアレンの握られた手が開き、シェリスの手の平に指輪が落ちる。
落ちた指輪はクレスが受け取った物と違い、赤い宝石があしらわれていた。
「これは?」
シェリスは自分の手の平に乗った指輪と、アレンの顔を交互に眺めながら尋ねた。
するとアレンが申し訳なさそうな表情を浮かべて口を開く。
「精霊とのシンクロをしやすくするための物らしいです。賢者様にコレは失礼でしたね」
「いえ、そんなこと。ありがとうございます」
シェリスはそう言って笑顔を作ると、指輪を右手の薬指に付ける。指輪は丁度いいサイズだったのか、シェリスの指に綺麗に収まった。
「綺麗だな」
クレスはシェリスの指を眺めながら呟くと、自分の左手の中指にアレンから貰った指輪を付ける。付けられた指輪はシンプルなデザインでありながら、重厚なまでの存在感を醸しだしていた。
「なぁアレン、こいつの効果は?」
「さぁな」
肩を竦めて首を横に振るアレン。
「は?」
「知らんと言ってるんだ」
クレスは苦虫を噛んだ様な表情を浮かべながら、シェリスに視線を移す。シェリスがこの指輪を見て驚いた表情から、シェリスなら効果を知っているとふんだのだ。
「なぁシェリス、こいつの効果って?」
「……私も知らないんです。前に古代書に載っていたのを見たことがあるだけで……」
何かを思い出す様にしながらゆっくり紡がれたシェリスの言葉。クレスはそれだけ聞いて、自分の指に付けた指輪をまじまじと眺める。
「古代書に載ってるって事は相当な価値だな。本当に貰っていいのか?」
クレスはまじまじと見つめていた指輪から目を離し、指輪をくれたアレンを見つめる。
「餞別って言っただろうが」
アレンが平然とそう言うと、クレスは口の端を吊り上げ嫌らしい笑みを浮かべる。
「んじゃ、金に困ったら売り払うわ」
平然としていたアレンだが、クレスの言葉に内心では怒りの炎が燃え上がる。だが、もしかすると今生の別れになるかもしれない今、そんな事を口に出すわけにはいかなかった。
「まぁ、冗談だけどな。ありがとよ、親父」
クレスはそれだけ言って振り向くと、外に出るための扉に向かい歩きだす。それを見たシェリスも後を追うように歩きだす。
集まっていたギルドメンバー達は、自然に扉までの道を空けた。その空いた空間を歩くクレスに、周りからは次々と声がかかる。
「死ぬなよ!!」
「絶対帰って来い!!」
周りからの声は、まるでクレスが旅立つ理由を知っている様だった。
それもそのはず、昨日酔っ払ったアレンがギルドメンバー全員を集めて伝えたのだ。
だが、クレスはその声に答えはしない。ただただ扉へと歩を進める。
扉まで辿り着くと足を止め、そのままの状態で口を開く。
「俺が帰って来るまで、一人たりとも欠けるなよ!!」
仲間達に背を向けたまま叫ぶクレス。
それを側で見つめるシェリスは、自然と頬が綻んでいた。近くで見ているためか、クレスの肩が小刻みに震えているのがわかったのだ。クレスが体の脇で握った拳も、ほんの少し震えている。
クレスが扉に手をかけた瞬間、一際大きな声が響く。
「行ってこい『最強最弱』!!」
アレンの太い声が酒場に響くと同時に、クレスは両開きの扉を押し開き足を踏み出す。シェリスもその後を追った。
二人が出ていくと、ギルド兼酒場内は静まり返っていた。
だが、メンバー達の顔に悲しみは無い。まるで余韻を楽しむような笑みを浮かべている。ただ一人を除いては。
「アレンさん泣かないで下さいよ」
「クレスならその内帰って来ますよ」
大人気なくも鼻水を垂らして泣くアレンを、ギルドのメンバー総出で励ます。なんとも滑稽な光景である。
「それに、水の賢者様の手伝いをするんですよ? 誇ってやりましょう」
そう言ったのはスキンヘッドの大柄な男。ギルド『フォーセリア』でも古株にあたる者だ。長い間クレスの成長を見守って来た男でもある。
「わ、わかってる。け、けどな……」
涙を止めたアレンは、吃りながらも言葉を続ける。だが、鼻水は止まっていない。
「クレスのやつ、最後の最後で……」
そこまで言って言葉を切ると、笑顔を浮かべるアレン。アレンはその笑顔のままギルドメンバーを見回した。
「また親父って言ってくれたんだぞ!!」
そう叫んだアレンは、今度は声を出して号泣し始めた。
昨日もクレスに親父と呼ばれたアレンだが、さっきの場面で呼ばれた事が相当嬉しかったらしい。
(親バカが……)
そんなギルド長を見て、誰しもがそう思うのは自然であった。
ザナリアからセレッソへと伸びる街道を、黒と青が肩を並べて歩く。周りには見渡す限りの草原が続き、遮られる事のない風が二人の周りを駆け抜ける。
二人の後ろに映るザナリアは、未だに人々のざわめきが聞こえてきそうな大きさを残していた。
「クレスさん」
「何だ?」
ギルド『フォーセリア』を出てからほぼ無言でここまで来てしまった二人は、シェリスの声でようやく顔を見合わせた。
「さっきアレンさんが言っていた『最強最弱』って?」
「あぁ、あれか」
シェリスの言葉に、クレスは口角をほんの少し吊り上げて笑みを作る。
「あれは俺の呼び名だよ」
「呼び名ですか?」
「ギルドの奴等がいつの間にかそうつけたのさ」
ギルド内では、大抵の者に二つ名と呼ばれる呼び名がある。それは自分自身が考えた物や、いつの間にか他人から呼ばれる様になった物のどちらかである。クレスの二つ名は後者に分類される。
「何でそんな名前を?」
名前の理由が解らないシェリスは、首をかしげながらクレスを見つめた。
「俺らしいんだとさ」
シェリスの問いにそう答えたクレスは、自分の二つ名が付けられた経緯を思い出し笑みを浮かべた。その光景を隣で見ているシェリスには、全く意味がわからない。
「俺って魔術が使えないだろ?」
「はい」
「だけど、剣術だけならギルドで一番だったんだよ」
クレスは清みきった空を見上げながら、語り続ける。
「それでさ、剣術だけなら最強で、魔術だけなら子供にも勝てない最弱。だから『最強最弱』。単純だろ?」
そこまで言い切ると、クレスは空からシェリスへと視線を移す。
真っ青な空と変わらない、真っ青なローブと、それに負けない真っ青な髪。そして、まるで見るものを吸い込んでしまいそうな青い瞳が、クレスをじっと見つめていた。
「確かに単純ですね」
そう言って笑うシェリスを見たクレスは、顔が熱くなるのを感じた。
小さな頃からギルドで育ったクレスには、女性と接した経験が余り無い。あったとしてもギルドの女性陣であり、どちらかと言えば男性に近かった。
更に言えば、クレス自身から女性に接する事もしなかった。その原因はクレスの義父であるアレンにある。
アレンは若い頃は美人に目がなかった。所謂、面食いである。そんなアレンは美人と関わりを持っては問題を引き起こす。
それを見て育ったクレスには、幼いうちに今の持論が出来上がっていた。『美人は面倒事を背負ってやって来る』、コレは今もクレスの持つ持論で、間違いなく一番上に来る程に重要とされている。
今クレスの隣にいるシェリスは、間違いなく美人の部類にはいる容姿。そしてシェリスは、クレスの持論通りに面倒事を背負ってやってきた。
だがシェリスは面倒事だけでなく、クレスに自分の居場所を作るためのチャンスも背負ってきた。
「皆頭の中まで筋肉なのさ」
ほんのりと顔を赤くしたクレスは、それだけ言うと街道の先を見つめた。
草原はまだまだ広がっている。
(やれるとこまでやってやるさ……)
クレスはシェリスを横目で見ながら、自分にチャンスを与えてくれた水の賢者に負けない程の青い空に誓った。