ペンダント
澄み渡る青空と真っ青な海、見渡す限り青に近いそこに三人はいた。『そこ』とは、簡単に言うならば海の上。さらに的確に言うならば、船の上。
セレスタ国へと渡る船の船首、最も海風を感じるそこに黒と青、加えて金色が立っていた。三人はそれぞれ目を瞑り、海風に体を預けながら波の音に耳を傾けている。
「最高だな」
呟いたのは金髪の格闘家セヴァーン。肌にまとわり付く様な海風を楽しむその表情には、気持ちよさそうな笑顔が張り付いていた。
隣に立つ黒き剣士と青い賢者はセヴァーンの言葉に静かに頷くと、海鳥達の声に耳を傾ける。
「それにしても……」
シェリスの顔が優しい微笑みから、引き吊った様な苦笑いに変わる。
「貴方達は二日酔いという言葉を知っていますか?」
今朝方部屋に帰って来た二人を見つめながら、シェリスは呆れた様な声でそう言った。
するとクレスとセヴァーンは顔を見合わせ、二日酔い? と呟き合い始める。
クレスは幼い頃からギルドで育った。ギルドでの飲み物と言えば、アルコールが入っていない物の方が少ない。そんな境遇で育ったクレスにとって酒はジュースの様な物。つまり、クレスという人間は酒豪と呼ばれる人種なのだ。
そしてセヴァーン。彼の場合は単純な話で、酒を愛していると言っていいだろう。『酒を飲んでも飲まれるな、飲まれる位なら死んじまえ』。それがセヴァーンの持論であり、だからこそセヴァーンは酒に酔うような事はしない。
「……もういいです」
シェリスは溜め息を吐きながら、顔に張り付いた青い髪に手を伸ばす。海風に弄ばれた青い髪は少しベタつき指に絡み付く。
「ところでよぉ」
先ほどは気持ち良さそうにしていたセヴァーンも、次第に肌にまとわり付く海風を不快に思い始めたのか、顔を歪めながら口を開いた。
「何で昨日、俺の居場所がわかったんだ?」
セヴァーンが昨日マチルダに殺されかけた瞬間飛び込んだクレス。セヴァーンはあの後すぐに気を失ってしまったが、あの凄まじいタイミングが気になっていた。
「シェリスのおかげだ」
クレスはそれだけ言うと、白波が起つ海へと目を向ける。日の光を受けて輝く水面は美しいが、そのあまりの眩しさにクレスは真っ黒な瞳を細めた。
「正確には大精霊、イーユデッサのおかげです」
シェリスが虚空を見つめながらそう言ったのを見て、セヴァーンは一度頷いた。そしてセヴァーンはシェリスが見つめる先を見ながら笑顔を浮かべる。
「お前にも見えるのか?」
「いや、俺にはシンクロの才能があんまりねぇからな、見えやしねぇ」
セヴァーンは頭を掻きながらそう言うと、一度大きな欠伸をする。
「まぁ魔術使えねぇクレスよりはいいけどな」
セヴァーンはクレスが魔術を使えない事を知っている。旅を一緒にする事が決まってから、クレス自身が教えたのだ。
これは、一緒に闘う中で仲間の事を知っておくのは重要だというクレスの考えがあっての事だ。
「俺ちょっと中で寝てるわ」
明らかに寝不足なセヴァーンは吐き捨てる様に言うと、二人の返事を待たずに甲板を歩き始める。
明らかに野暮ったい動きをしながら歩いて行くセヴァーンを視界の端に置きながら、シェリスは隣に立つクレスを見つめた。
「クレスさんは大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ」
そう言ったクレスだが、実はかなり眠気を堪えていた。気を抜けば一瞬で瞼が落ちる、今のクレスはまさにそれだ。
だからこそ、クレスは少しでも気を紛らわすために、シェリスに聞いてみたかった事を口にする。
「なぁ、シェリス」
「何ですか?」
眠気に襲われているクレスにとって、優しげなシェリスの声は子守唄に聞こえなくもない。
「……大精霊はお前の側から離れないんだよな?」
言ってから、クレスは左手で目を擦り右手で欠伸を押さえる。
「はい、そうですよ」
シェリスは眩しいのか、海の様な瞳を細めながらクレスを見つめる。その隣には大精霊イーユデッサが佇んでいるのだが、勿論クレスには見えていない。
「じゃあ、何で大精霊はセヴァーンの居場所がわかったんだ? 前にも、俺が昨日の赤いのと闘ってるの知ってたし……」
クレスの言葉に、シェリスは気持ち程度口角を上げた後、頬を緩めた。
「イーユデッサが他の精霊に聞いたのを、私に教えてくれてるんですよ」
「他の精霊?」
クレスは自然と聞き返していた。
「はい。空気中には人間と契約をしていない、沢山の精霊達が飛び回ってるんですよ」
「そうなのか?」
クレスは自分には見えない事を知っているのに、キョロキョロと辺りを見回す。
クレスの真っ黒な瞳に映るのは、空の青と海の青だけだった。
「常識の一つですよ」
シェリスはそう言うと、キョロキョロしているクレスを楽し気に見つめた。そしてシェリスは確信した、クレスに少し天然な部分がある事を。
「一般的な常識は、俺には通用しない」
クレスは急に声のトーンを落とすと、首に下げたペンダントへと手をやった。
ペンダントのトップには盾を貫く剣。銀で出来たそれは、海面からの光を反射して煌めいていた。
少し顔を傾けペンダントを見つめるクレス。その顔に張り付いたのは、不適な笑み。
「俺は魔術が使えないんだからな」
そう言って顔を上げたクレスは、楽し気な笑顔を浮かべてシェリスを見つめる。
その笑顔を見たシェリスは、真っ青な瞳を細めクレスに返す様に笑顔を浮かべた。嬉しかったのだ、だが、何故嬉しかったかのかはシェリスにもわからない。
「そういえば……」
何かを思い出した様な表情を浮かべたシェリス、クレスはそれを見逃さなかった。
「どうかしたのか?」
「そのペンダントの意味、まだ聞いてませんでした」
その言葉に、クレスは右手で持ち上げていたペンダントを見つめる。そして思い出す、アレンが自分にこのペンダントを作ってくれた時の事を。
自身の記憶を探りながら、クレスは小さく微笑んだ。
「コレは俺が幼い時に、アレンが作ってくれたんだ」
「そこは前にも聞きました」
クレスは頬を掻きながら、自分を急かす様に見つめるシェリスを見つめ返す。
少し強めの風が、綺麗な青を揺らしていた。
「幼かった頃の俺はな、自分が魔術を使えない事が嫌で嫌で仕方なかった……」
クレスがポツリとそう言うと、シェリスの青い瞳に陰りが射す。そんなシェリスを見て、クレスは少し焦ると訂正するために口を開く。
「今は全然気にしてないんだから、シェリスが気にするな」
ちょっと慌てながら、クレスは体の前で手を振る。
「それでもその時のクレスさんの気持ちを考えると……」
少し小さめなその言葉。クレスはそれを何とか聞き取ると、少しうつ向いたシェリスの頭を掴んだ。
一瞬、ビクッと肩を震わせるシェリス。だがクレスはそんな事に構わず、シェリスの頭を掴んだまま離さない。
「そう言われるのが一番嫌いだったな」
クレスは自分が掴んだ青い頭を見つめながらそう言う。すると、シェリスの頭が更に沈む。
「……すいません」
またもや小さな声でそう言ったシェリスの表情は、クレスからは窺えない。
「けど、今は全く気にしてない。結局は過去だしな」
クレスが頭を掴んでいたシェリスの顔が急に上がる。真っ青な瞳は少し憂いを帯びていた。
「本当に、全く気にしていないんですか?」
「そう言われると、まぁ少しはあるかな」
クレスがそう言うと、シェリスはまた顔をうつ向かせようとした。だが今度はそれは出来ない、クレスの腕がそれをさせない。
「プッ……」
クレスは自分に頭を掴まれているシェリスを見て、思わず笑い始める。
「こんな話してる時に笑わないで下さい!!」
急に頬を膨らましながら騒ぐシェリス。それを見たクレスは、更に笑ってしまった。
笑い続けるクレス。それを見ていたシェリスは、自分が気にしていた事が馬鹿らしくなってきた。
何しろ自分が気にしていた張本人が、目の前で声を出して笑っているのだから。
「それで、魔術が使えない事を悩んでいた幼いクレスさんがどうしたんですか?」
だから、シェリスは言ってやった。皮肉めいたその言葉を。
「そんな俺にアレンがこれを作ったんだよ」
シェリスの皮肉など全く気にしないクレスは、青い頭から手を放すとまたペンダントを手に取った。
「盾は『常識』、それで剣が『俺』」
クレスがそう言うと、シェリスは首をかしげながらペンダントを見つめる。
そんなシェリスを見つめながら、クレスはアレンの言葉を思い出していた。
「盾を貫くには、普通の剣じゃ到底無理だ」
クレスが人差し指を立てながらそう言うと、シェリスはその言葉に首を縦に振る。
「ただ、名剣って呼ばれる剣の中には一撃で盾を貫く様な剣もある。アレンは俺に、『名剣になれ!!』って言ったんだ」
「名剣にですか?」
また首をかしげるシェリス。その青い瞳はクレスのペンダントを映す。
クレスは真っ黒な瞳を細めながら、自分の前に立つシェリスの行動を見つめた。そしてクレスは確信した、この賢者様は頭の回転はそこまで良くないと。
「アレンは幼い俺に『常識と言う盾を貫く剣になれ』そう言ったんだよ」
一段と強い風が、船首に佇む二人の髪を弄ぶ。黒い髪と青い髪は、風に逆らう事を知らない。
「幼い俺はその時誓った。いつか魔術が当たり前のこの世界で、一番強い戦士になるって」
そしてクレスは笑った。釣られる様にシェリスも笑う。
二人の間を駆け巡る風は、そんな二人の髪を揺らす。
それはまるで、これから先待ち受ける困難を知らない二人を嘲笑うかの様だった。