鈍感と役立たず?
外は既に日が落ち、夜の幄が落ちている。その闇の中で輝きを放つのは、沢山の星と白く丸い月だけだった。
時刻は、一般的に言うならば夕食時。潮風漂うサマスにある宿の食堂、三人はそこにいた。
一人目は左手に包帯を巻き、服を着ているから見えないが腹にも包帯を巻いている黒髪クレス。
二人目は右手に包帯をぐるぐる巻きにされ、服の下も包帯だらけの金髪セヴァーン。
そして最後は、全く怪我をしていない青髪シェリス。
食堂の一画にいる三人の顔には、それぞれ違った表情が浮かんでいた。
気の抜けた様な表情のクレス、笑顔を浮かべるセヴァーン、そしてむくれているシェリス。
周りにいる他の客達は、そんな三人を見て怪訝な表情を浮かべていた。
「うっめー!! この魚料理マジで美味い!!」
マチルダの剣を叩き折って怪我した右手の代わりに、左手にフォークを持ったセヴァーン。セヴァーンが笑顔を浮かべてそう言えど、黒髪と青髪は何も反応しなかった。
セヴァーンが怪訝な表情を浮かべて二人を見れば、シェリスはむくれた顔で食事を進め、クレスは呆けた様子で食べ物を見つめていた。
「なぁなぁ、シェリたん。俺が寝てる間に何かあったのか?」
『シェリたん』。そう呼ばれたシェリスは一瞬眉を寄せるが、敢えてそれについては触れなかった。短い付き合いだが、セヴァーンに何を言っても無駄だとわかっていたから。
シェリスは左の頬が腫れ上がったクレスを一瞥すると口を開く。
「どこぞの誰かさんが、美人に『キス』された位じゃありませんか」
シェリスの棘のある言い方に、呆けた表情を浮かべていたクレスが目をしばたく。そしてセヴァーンは、目を見開き驚愕の表情を浮かべていた。
「キ、キ、キスですとー!?」
セヴァーンは絶叫とも取れる叫び声をあげると、クレスに驚愕の表情を向ける。その目にはある種の殺気が宿っていた。
クレスはその目に多少身構えつつ、口を開く事はしない。言ったら間違いなく、セヴァーンからの『口撃』が飛んでくると予想していたのだ。
「シェ、シェリたん!! 相手は、相手は誰なわけ!?」
そんなクレスを見てか、セヴァーンはまたシェリスに話を戻す。クレスはその光景をハラハラしながら見守っていた。
するとシェリスが急に立ち上がり、両手をテーブルに叩き付けた。手を打ち付けられたテーブルが、激しい音を起てながら軋む。
「クレスさんと、あの女剣士ですよ!! セヴァーンさんはその時寝転がってただけですから、知らなくても無理はありませんね!!」
クレスは目を見開きながら、珍しい物を見るようにシェリスを見つめた。明らかに怒っているシェリスを見るのは、これが初めてだったからだ。
「大体、セヴァーンさんがあの剣士を倒してればキスに何てならなかったんですよ……」
明らかな八つ当たり。シェリスらしくないそれに、クレスは苦笑いを浮かべる。
八つ当たりされている当人は、何とも無様な表情を浮かべていた。
「……セヴァーンさんの役立たず!!」
シェリスはそう吐き捨てると、まだ残っている夕食を残し足早に食堂を立ち去った。
呆気に取られた二人には、その姿を呆然と見つめる事しかできなかった。
周りから沢山の視線が、残された二人に突き刺さる。
「なぁ、クレス」
「何だ?」
未だシェリスが出ていった食堂の入口に目をやりながら、二人は会話を始める。
「俺って役立たずなわけ?」
「……言葉のあやだろ」
クレスはそう言ってから自分の食事に目を移す。そこにはまだ手付かずの食事。
食事を取るのも忘れさせてしまう程に、マチルダからのキスはクレスにとって衝撃的だったのだ。
クレスは手付かずの食事を見て頭を掻くと、何となくだがシェリスが怒っている理由を察する。
(闘いの後なのに、食事取らないのはマズイよな……)
そしてクレスは大きな溜め息を吐いた。隣にいたセヴァーンも、同じ様に溜め息を吐く。
明らかに違った意味の溜め息を吐く二人は、同じ様な顔で食事を再開した。
◇
「何であんなこと言ったんだろ……」
安全面と金銭面から借りた二人部屋に戻って来たシェリスは、独り言の様に呟いた。二人部屋なのは、当然の如くセヴァーンをソファに寝させるためだ。
部屋に戻って来るまでに冷めたシェリスの頭を巡るのは、激しい後悔。
「謝った方がいいかな?」
またしても独り言の様なそれは、独り言ではない。シェリスを見守る大精霊、水の女神イーユデッサに語りかけるものだった。
「やっぱり貴女もそう思うわよね……」
心で会話出来るはずなのに、シェリスの口からは自然と声が漏れていた。
「セヴァーンさんに酷い事言っちゃったし。それに……」
シェリスは自分の言った事を後悔しながらも顔を赤くする。真っ赤になった顔は、高熱を放っていた。
「わ、笑わないでよイーユデッサ!!」
顔を赤くしながら虚空に向けて叫ぶシェリス。それは、端から見れば滑稽以外の何物でもない。
「……二人が帰って来たら謝らなきゃね」
シェリスはそう言うと、座っていたベッドに身を預けた。華奢な体がベッドに沈む。
シェリスは綺麗な青い瞳を細めると、そのまま瞼を閉じた。
数分後部屋に響くのは、規則的な寝息。クレスとセヴァーンの帰りを待つはずのシェリスは、深い眠りへと誘われた。
◇
食堂の一画には、食事を終えた黒と金が居座っていた。満腹になった二人の顔に浮かぶのは満足したそれではなく、何とも気の抜けた表情。
「なぁ、クレス」
「何だ?」
「酒が飲みてぇ」
項垂れる様な体勢からそう言ったセヴァーン。それを見たクレスが溜め息を吐く。
「お前のせいで金をあんまり使えないんだ、我慢しろ」
「そこを何とかさー」
手を合わせながらそう言うセヴァーン。いつものクレスならば、そんなセヴァーンを無言で黙らせているだろう。
だが、今日のクレスは違った。
「……俺も久しぶりに飲みたいし、たまにはいいか」
クレス自身、自分の口から出た言葉に驚いていた。何がそうさせたのか、クレスには分からない。
ただ一つ分かるとするなら、今日の自分が変な事。クレスに分かるのはそれだけだった。
「ぬぉ!? どうしたんだクレス!?」
「何がだ?」
酒を飲みに行けると言うのに、セヴァーンは喜ぶどころか目を丸めてクレスを見つめる。
明らかに驚いているセヴァーンは、瞬きの数が異様に多い。
「いや、断るんじゃないのか?」
「断られたかったか?」
疑問に疑問で返すクレスは、口元に小さく笑みを作る。酒を飲みに行くことを了承してしまった自分が、可笑しくて仕方ないのだ。
「んなわけあるかよ、驚いただけだってぇの」
セヴァーンがそう言って肩を竦めると、クレスは食堂の壁へと視線を移した。
「ここで飲むのか?」
食堂の壁には、沢山の食事メニューが貼られていた。勿論、その中には沢山の酒もある。
クレスの言葉にセヴァーンは一度壁を見渡すと、やれやれと言いたげな様子で溜め息を吐いた。
「せっかくの酒だぜ。こんなちんけな宿よりもちゃんとした所で飲もうぜ」
「それもそうだな」
クレスは傍らに立て掛けて置いた剣を掴み立ち上がる。そしていつもの様に剣を背負う。
それに続いてセヴァーンが立ち上がる。立ち上がる瞬間、体に走る痛みからかセヴァーンが顔を歪めた。
「お前その体で酒なんか飲めるのか?」
「無論!!」
顔を歪めながらも、親指を立てて了承のサインを出すセヴァーン。そんなセヴァーンを見てクレスは溜め息を吐いた。
「それによく言うだろ、『酒と美人は劇薬だ!!』って」
「……アホ」
クレスは平然と歩きだす、劇薬の正しい意味を理解していないセヴァーンを置いて。
結局、黒き剣士と金色の格闘家は次の日の朝まで帰らない。
そんな二人が青い賢者にまた怒られるのは、必然であった。