理由
「じゃあ、明日には旅立つのか?」
「あぁ」
酒場兼ギルドの奥にある一室。生活に必要な物以外は置いていない、至ってシンプルな部屋。
クレスとシェリスは、そこにあるソファに隣り合わせに座っていた。
その対面には、赤い短髪の身体付きががっしりとした男性。顎には無精髭が生えていて、それが渋さを醸し出している。更に特徴的なのは、身体中にある沢山の傷。その傷が、男性のこれまでの人生を表していた。
「寂しくなるな……」
この男性の名は、アレン=バーキンス。クレスの育ての親であり、ギルド『フォーセリア』の長である。
約十五年前、孤児だったクレスを拾い育て、名をやり居場所を与えたのが、アレンであった。
「俺がお前を拾ったのは、今のお前の歳位の時だった」
急にそんな話を始めたアレンに、シェリスは眉を寄せる。そしてクレスはまた始まったか、と言いたげな表情をしていた。
「あの時の俺はまだギルドに所属していなくてな、お前はまだ小さいし……」
黙々と話し続けるアレン。何故かその瞳はうるみ始めていた。
「あの、クレスさん」
「何だ?」
アレンに聞こえない様にと、小さな声で耳打ちをするシェリスと、全く気にせず本来の声量を維持するクレス。端から見ればそれは滑稽にしか映らない。
「アレは何です?」
そんなクレスを見てか、シェリスもいつもの声量に戻すとアレンについて尋ねた。
その間にもアレンは黙々と喋り続ける。
「アレンだ」
「名前はさっき聞きました。あの行動です」
シェリスはほんの少し眉を吊り上げながら、アレンを指差す。
指を差されたアレンは、そんな事に気づかず喋り続けている。遂には涙を流し始めた。
「……所謂、親バカだな」
「……なるほど」
クレスの言葉に、シェリスは納得する以外の行動が思いつかなかった。
クレスの言った通り、アレンは見かけと違い自他共に認める親バカである。その親バカレベルは酷い物で、クレスが仕事で二、三日ギルドを空けただけで、心配して飛び出した事がある程だ。
そんなアレンだからこそ旅立つ事を絶対に反対すると思っていたクレスは、ちょっと拍子抜けしていた。
(まさか、すんなりオッケーとはな……)
未だに喋り続けるアレンを見つめながら、クレスはまさかの事態にほんの少し困惑していた。
「ところで、旅の目的は?」
黙々と喋り続けていたアレンが、急に真面目な顔で真面目な話を振る。
シェリスは、それを見て一瞬目を見開く。クレスは慣れているのか、平然としていた。
「実は俺もまだ聞いてない。旅に付いて来て欲しいとしか……」
クレスはそう言って、隣にいるシェリスへと視線を移す。急に男性二人に見つめられたせいか、シェリスは一瞬たじろぐが、直ぐに冷静になると口を開いた。
「アレンさんは口が堅いですか?」
アレンは顎に手をやり、綺麗に手入れされた無精髭を擦る。アレンが考え事をする時の癖だ。
「それなりに堅い方だ」
(嘘つくな)
アレンが言葉を発した瞬間に、クレスは否定の意見を心の中で呟いた。アレンは秘密と言われれば言われるほどに、言いたくなってしまう性分だ。
特に酔った時のアレンは酷い。だからこそギルド内では、自分のプライバシーに関わる事はアレンに言わないでおくのが暗黙の了解となっている。
「それなら大丈夫ですね」
シェリスは笑顔で話し始める。その表情は完璧にアレンを信用していた。
「私の目的は、世界を救う事です」
唐突に、アッサリと、勿体振る様な仕草も無く言われた一言に、クレスとアレンの目が同時に見開いた。
「はっ?」
そう言ったのも二人同時であった。義理とは言えど、流石は親子である。
そんな二人を見て、シェリスは口角をほんの少しだけ吊り上げた。しかし、次の言葉を発するため一気に表情を強ばらせる。
「詳しく言うならば、四賢者の一人、『土の賢者』マクバル=オーキッドを倒すこと」
シェリスの澄んだ声は、ほんの少し緊張を含んでいた。
「四賢者を……」
シェリスの話を聞いたクレスは、ふと呟いていた。
『四賢者』、それはこの世界エルディアを支える四つの柱。そして、大精霊に愛された者達。魔術が使えないクレスでも知っている、一般常識。
『大精霊』、それはそれぞれの属性の頂点に立つ精霊を言う。エルディアの豊かな自然は、この大精霊の力によって維持されているのだ。
「何故土の賢者を倒さねばならないんだ?」
アレンが尋ねた言葉に、クレスも首を縦に振る。
賢者が一人いなくなれば、次の賢者が見つかるまで、世界の均衡が崩れる。世界の均衡が崩れれば、何かしら善からぬ事が起きる。それは周知の事実である。
つい最近では『水の賢者』が急に倒れたため、雨が降らなくなるなどの現象が起きた。幸い後釜が直ぐに見つかり、大事には至らなかったが。
「土の賢者は大精霊の力を使い、自分の欲望を満たそうとしているんです」
悔しそうな表情で、ゆっくりと言葉を紡ぐシェリス。その表情が、事の重大さを告げていた。
「それに、師の仇でもあります」
シェリスがそう言った瞬間、クレスの背に悪寒が走る。まだ知り合って間もないシェリスから発せられる殺気に充てられたのだ。
対面に座るアレンは、クレス以上に殺気に充てられていた。知らず知らずの内に、アレンの背中を冷たい物が流れる。様々な死線をくぐり抜けてきたアレンだが、これ以上の殺気に充てられた事は未だかつて無かった。
これ以上追求してはいけない、アレンの長年の勘がそう告げていた。
「シェリスの師匠って?」
アレンの考えなど知らぬクレスは、殺気を感じながらもどうしても聞いておきたかった。これから先旅を共にする仲間であるし、それくらいは知っておくべきだと思ったのだ。
するとクレスの言葉を聞いたシェリスが微笑む。これはアレンの予想外の事だった。
「最高の師でした。元水の賢者、ラムセル=アリディーニ。それが私の師です」
その名を聞いた瞬間に、クレスの中である疑問が生まれた。その疑問を解くために、クレスは口を開く。
「つい先日亡くなった水の賢者は病死って聞いたけど……仇ってどういう事だ?」
「あれは人々が混乱を起こさないように、作られた話です」
世界を支える四賢者の一人『水の賢者』が、『土の賢者』に殺された。その事実が人々に行き渡れば、混乱は免れない。それを隠すために作られた話。
クレスはその言葉に納得がいくと、目の前にあるテーブルに置かれたグラスに手を伸ばす。グラスを手に持つと、中に入った琥珀色の液体が揺れる。溶けた氷がグラスに当たり、小さな音を立てた。
「何で水の賢者は殺されたんだ?」
対面にいるアレンが口を開いた。その手には、クレスと同じ様に琥珀色の液体が入ったグラスが握られていた。
「我が師は、土の賢者の陰謀に気づいたんです」
「陰謀に?」
思わず、話を聞く側に回ろうとしていたクレスが口を出していた。
「えぇ、土の賢者は大国セレスタをのっとろうとしているのです」
この世界エルディアには四つの大きな大陸がある。その四つの大陸は、それぞれ国として成り立っている。
最も大きな大陸を統治するのが、話にも出た『セレスタ国』。次に大きな大陸を統治するのが、『アヴェルタ国』。そして一番小さな大陸は『カルサア国』が統治している。クレス達が暮らしているのは、『ハルメリア国』が統治する大陸である。
四つの国の頂点に立つのは、それぞれの国の国王。そして、それぞれの国の象徴とされているのが、大精霊であり四賢者である。
セレスタは土を、アヴェルタは炎を、カルサアは風を、そしてハルメリアは水を象徴としている。
四大精霊はそれぞれが一つの大陸を守護し、その大陸を動く事はない。そのために象徴とされ、人々の中にはそんな大精霊を『守護神』と呼び敬う者も多いのだ。
しかし、あくまでも大精霊と賢者は象徴に過ぎない。シェリス曰く、その賢者が国を支配しようとしているのだ。
「賢者が国を!?」
クレスはシェリスが言った事を信じる事ができなかった。否、信じたくなかった。
人々が安心して暮らすために世界の均衡を保つ賢者。小さな頃から英雄だと教えられてきた賢者が、何故国を支配しようとするのか、クレスには全くわからなかった。
「土の賢者マクバルは、セレスタ国を支配することで、他の国に戦争を仕掛ける気なんです」
「何のために?」
アレンがグラス片手に尋ねる。その瞳は、いつの間にか険しいものへと変わっていた。
「さっきも言いましたが、自らの欲望のため」
シェリスはそこまで言うと、自分の前に置かれたグラスに手を伸ばす。中にはクレスとアレン同様に琥珀色の液体が入っている。
「自らが世界の頂点に立つために……」
(……つまり土の賢者を止めることイコール、世界を救うって事か)
クレスがシェリスの言葉にそんな事を考えていると、シェリスは悔しそうな顔をしながらグラスを傾ける。琥珀色の液体が口に入った瞬間、シェリスは目を見開いた。
「こ、これ、お酒じゃないですか!?」
慌てた口調でそう言うシェリスに、クレスとアレンは同時に頷くと、美味いだろ、と言いながらグラスを口に運んだ。
「わ、私、お酒は……」
シェリスは最後まで言い切る前に、隣にいたクレスの膝に倒れこんだ。その様子は、まるで糸が切れたマリオネットの様だった。
「アレン、毒でも入れたのか?」
「まさか、『賢者様』が弱すぎるんだろうよ」
「賢者?」
クレスが首を捻りながら口にした言葉に、アレンが思わず溜め息を吐く。
「バカ息子、そんな事もわからないのか……」
アレンはそう言ってまた溜め息を吐く。クレスの膝の上では酒に弱すぎるシェリスが、いつの間にか寝息を立て始めていた。
「賢者の弟子だぞ。大精霊に愛されるには充分な存在だ」
大精霊に愛されるには、立派な魔術師であることが重要である。
この世界エルディアでは、精霊にさえ愛されれば魔術を使う事は出来る。つまりはクレス以外の人間全てだ。
だが、魔術と言えどピンからキリ。中にはほんの少し火を出したり、水をちょっとだけ操るなど、大した事しか出来ない者もいるのだ。クレスにはそれさえ出来ないが。
そのため、魔術師に成れる者は限られている。正確に言えば、魔術師を名乗れる者が限られている。魔術師を名乗るには、国が行う試験を通過しなければならないのだ。
更に魔術を使うには精霊とのシンクロが重要であり、沢山の魔術を使うにはそれだけ精霊とのシンクロができなければならない。
ちょっとしたシンクロならば誰にでも出来るが、高位魔術を使うにはより完璧なシンクロが必要になる。つまり、精霊とシンクロする素質が無ければならないのだ。
「けどそれだけで……」
賢者とは言えない、と言おうとしたクレスは、アレンが壁を見つめている事に気づく。正確には壁に掛けられた真っ青なローブ。さっきまでシェリスが着ていた物だ。
「お前はあのローブに付いてる石の意味を知ってるか?」
アレンの言葉に、クレスはローブの胸元に着いた石を見つめる。ローブと同じ真っ青な丸い石は、薄暗い中でも神秘的な光を放っていた。
クレスは必死に自分の記憶を呼び覚ますが、あの石に対しての記憶が何処にも無い。仕方なく、クレスは首を横に振った。
「まぁ知らなくても無理ねぇか。アレはそれぞれの賢者に受け継がれる魔石だ」
「そうなのか? ってアレンが何でそんな事……」
「これでもギルド長だ、色々と知ってんだよ」
アレンはそう言ってグラスを傾けた。妙に様になっているその姿は、クレスが幼い頃から見てきた姿と変わりない。
(少し老けたよな……)
いつもは全くそんな事は考えないクレスだが、何故か今日はそんな風に考えていた。
明日には旅立つ、それがクレスにそうさせたのだが、クレス自体はそんな事には気づいていない。
「それにしても、ようやく一人立ちするかと思いきや、それが賢者の手伝いとはな……」
アレンはそう言って、急に目頭を押さえた。
「……流石は俺の息子だ」
「……親父」
クレスが久しぶりに言った『親父』と言う言葉に、アレンは遂に嗚咽を耐えられず、鼻水を垂らしながら泣き始めた。
(……ホント、バカだな)
クレスがそう思ったのは言うまでもない。