疾風迅雷
町中に漂う潮の薫り、沢山の船とそれを乗りこなすいかつい男達。それらがシンボルとも言える街『サマス』を、三人と二匹が歩いていた。
黒、青、金、様々な髪色をした三人の人間と、角を隠した真っ白なチェバリス、そして金髪が盗んできた茶色の馬。統率感ははっきり言ってゼロ。
「疲れたか? シロ」
黒い剣士が、自身が手綱を握る真っ白なチェバリスに尋ねた。人間の言葉など分からないであろうチェバリスは一度鼻を鳴らす。それはまるで、まだまだ行ける。と言っている様だった。
「シロじゃありませんよ。『クレイア』にするって言ったじゃありませんか」
そう言って黒き剣士をたしなめるのは、青いローブを着た賢者。
クレスとシェリスがセヴァーンと出会ってから早三日、変わった事と言えばシロの名前が変わった事だろう。クレスがシロの名前を呼ぶ度にセヴァーンが笑い過ぎて死にそうになるので、シェリスがなんとかクレスを説得し名前を変えたのだ。
その新しい名前は『クレイア』。創造主クレイエントを基にした名前である。
「わかったよ」
クレスは残念そうに言葉を吐き出すと、シロもといクレイアの手綱を引く。
「なぁ、クレス」
「どうかしたか?」
クレスが声のした方に目をやれば、セヴァーンが道の後ろを振り向きながら自分の馬の手綱を差し出していた。
「俺の馬頼むわ」
ウィンクしながら手綱を差し出すセヴァーンというのは酷く気色悪いものだと思いながらも、クレスはその手綱を自然と受け取っていた。
「理由位は言ってけ」
クレスは受け取った手綱を握りながら、いつもより少し低めの声を出した。
その声に、走り出そうとしていたセヴァーンの足が止まる。セヴァーンは一度振り向きクレスとシェリスに目をやると、可愛い子がいたんだ。と言って、切実な表情を浮かべ走り出す。
そのスピードは正に風、セヴァーンはクレスとシェリスが口を開く前に遥か彼方に消え去った。
二人は顔を見合わせ大きな溜め息を吐く。そんな二人の顔には、明らかな呆れが浮かんでいた。
ただ、呆れながらも二人は気づいていた。セヴァーンが走り去った本当の理由に。
◇
石畳の道をいかついブーツが叩く。セヴァーンは走る、自分の任を果たすため。
誰に向けられていたかはわからないが、明らかに自分達に送られていた殺気。サマスに入る直前辺りから、ずっと向けられていた殺気を追い風の様に走る。
向けられていた殺気が、街の外れの林へ入る。セヴァーンは迷わずそれを追った。
全く手入れされていないそこには、手入れをされる事を知らない沢山の草が生えている。セヴァーンは自分の身の丈を越える程ある草を掻き分けて、殺気の『発生源』を追った。
幸いにも、草が少し倒れた場所を追えばいいだけなので、追跡は簡単だった。
しばらく行くと急に拓けた場所に出る。
その場所の中心に、セヴァーンが追ってきた『発生源』は立っていた。腰に手を当て、楽しそうな笑みを浮かべながら。
「あら、予想外の獲物が掛かったわね」
『発生源』は女。真っ赤な髪をした美女は、クレスがセレッソで退けた赤い剣士。当然、セヴァーンはそのことを知らない。
セヴァーンは赤い剣士の言い回しに舌打ちした。
「もしや罠だったわけ?」
セヴァーンは自分の迂濶さを後悔しながら周りを見回す。周りからは他に人の気配を感じなければ、特にトラップと言った物も見つからない。
「フフッ、別に何も仕掛けてないわよ」
そんなセヴァーンを見ながら女は笑うと、剣を抜いた。日の光に当たった剣が銀色に煌めく。
それを見たセヴァーンが身構える。
セヴァーンは武器を持たない、セヴァーンの武器は己の体。所謂、格闘家と言われる人種である。
「罠なんか必要ないもの」
その言葉が闘いの始まりを告げた。
女は剣を構え走り出すと、突きの体勢に入る。それを見たセヴァーンは、バックステップで距離を空けるために体重を少し後ろにかけた。
左右に避けた場合、突きを出した後に剣を振るわれればそれを避けるのが難しい。武器を持たないセヴァーンには、それを防ぐ手もないのだ。だからこそのバックステップ。
女が突きを繰り出す。その速さにセヴァーンは思わず目を見開いた。だが、しっかりとバックステップで距離を取りかわす。
「あら? 中々いい動きするじゃない」
突きを出した女はその場に立ったままそう言うと、剣を下段に構えた。
「こんな美人に誉められるとは、涙が出そうだぜ」
セヴァーンが軽口をたたきながら、真っ正面から突っ込んだ。
何の小細工も無い真っ正面からの特攻。それは、端から見れば無謀に過ぎない。
実際、剣を持った相手に対して武器を持たぬ者がそれをするのはあまりに無謀。
だが、セヴァーンにはそれが普通だった。幼き頃に格闘家を夢見たセヴァーンは、武器を持った相手とばかり闘ってきた。圧倒的に不利な中、生き残ってきた。
赤い剣士はセヴァーンが間合いに入った瞬間、剣を振り上げる。脇腹から左肩めがけて繰り出されたそれは、セヴァーンの服を掠めた。だが、肉は切り裂けない。
セヴァーンは剣が振り上げられた瞬間、十あったスピードを一瞬でゼロにした。肉体の限界を越える様な動きに、様々な所から悲鳴があがる。だが、セヴァーンは直ぐに次の行動に移る。
剣を避けられ驚きに目を見開いた赤い剣士の懐に飛び込む。超接近戦、それこそがセヴァーンの狙い。
剣は接近戦で扱う物である。だが、近すぎる相手に振るうのは難しい。
女はセヴァーンから離れようとバックステップをした。だが、セヴァーンは距離を空けさせない。女のバックステップに合わせる様に、力強く踏み込む。
そして腰の回転を使っての右フック、狙うは女の脇腹。先ずは剣士の足を止める、それがセヴァーンの狙いだった。
鈍い音が響くと共に、女の体がくの字に曲がる。
次の瞬間、女は呻き声と共に地面を転がった。
「やっぱり女だな、軽い」
セヴァーンは振り切った右腕を見ながら呟くと、直ぐに追撃に出る。
倒れた女との距離を一瞬で詰め、女の腹部めがけて足を振り下ろす。
だが、それは当たらない。女は地面を転がりセヴァーンの足を避けると、そのままの勢いで跳ぶ様にして立ち上がる。
セヴァーンは自分の足元から、立ち上がった女へと視線をやりながら一度舌打ちした。
セヴァーンの足元には陥没した地面。くっきりとブーツの足跡が残っていた。
セヴァーンのブーツにはちょっとした工夫がされている。蹴りの威力を高めるために鉄板が仕込まれているのだ。重さは増すが、セヴァーンからすれば大した重さではない。
「美人を痛めつけるのは心が痛むわけなんだわ。大人しく殺られてくれ」
「あら、もう勝った気?」
女がくすりと微笑むと、纏う空気が変わる。それに合わせ、セヴァーンも精霊とのシンクロに入った。
「リ・シュル・ラント……」
詠唱を唱えながらも、セヴァーンは赤い剣士への注意は逸らさない。一流の戦士ならば、詠唱をしながら動くのは簡単な事だからだ。
女の考えもセヴァーンと同じ様で、じっとセヴァーンを見つめていた。
「……フラウ・ヴァル!!」
「……ヴェン・レイム!!」
二人が魔術の名を叫ぶのはほぼ同時だった。僅かにセヴァーンが遅かったが。
セヴァーンの周りには沢山の風の刃、女の周りには沢山の炎の球が現れる。
セヴァーンは炎の球を見た瞬間に舌打ちした。風の魔術が炎の魔術に弱い為だ。
だが、そんなセヴァーンの考えを余所に炎の球は放たれた。
「相性は最悪ってか」
セヴァーンが呟くと風の刃が動き出す。炎の球に向かい風の刃が動く間に、セヴァーンは回避行動に移る。沢山の炎の球を見ながら避けられる場所を探す。
拡散して迫る沢山の炎の球には、避けるための隙間がない。
だが、セヴァーンは一つだけ穴を見つけた。炎の球が来ない一点、その一点に向かいセヴァーンは走った。
風の刃が炎に呑み込まれた瞬間、セヴァーンは炎の球を避けられる一点に到達した。
その場所に到達したセヴァーンの眼前に、赤い髪の剣士が立っていた。
剣士が大上段に構えた剣を振り下ろす。
セヴァーンが誘導された事に気づくのは一歩遅かった。直ぐに体を捻り回避に移るが、剣が右肩から左の脇腹にかけて走る。
瞬間、赤い液体が宙を舞った。
◇
「セヴァーンさん大丈夫ですかね?」
「相手次第だな」
宿に着いたクレスとシェリスは、部屋のソファに座りながらそんな話をしていた。
「セヴァーンさんって強いんですか?」
「実際はよくわからないが、名前だけなら超が付く一流の部類に入るな」
「『金色の風』っていうやつですか?」
シェリスが初めてセヴァーンと会った日を思い出しながらそう言うと、クレスは黙って首を縦に振った。
「あのセヴァーンさんが……」
シェリスが首を傾けそう呟くのを聞きながら、クレスはシェリスを護るために自分が闘った二人を思い浮かべた。
先ずは先日闘った、いかつい体つきをした男。明らかにクレスよりも格上だったオルグ、助かったのは奇跡だった。
そして、奇跡的に勝てた赤い髪の剣士。クレスはあれを奇跡だとは思っていない。クレスは気づいていた、赤い剣士が手を抜いていたのを。
◇
「驚いたわ……」
大して驚いた表情を浮かべてはいない赤い剣士は、赤く染まった剣を見つめた。
「……確実にやったと思ったのに」
赤い剣士が視線を移した先には、右肩から袈裟に斬られたセヴァーン。赤い液体がセヴァーンの体を伝う。
「もうちょい美人を見ていたいんでね」
セヴァーンは胸元の傷を押さえながら、不敵に笑う。胸元からは変わらず血が流れているが、傷は大して深い物ではなかった。
女が袈裟に振り下ろした剣はセヴァーンに致命傷を与えてはいない。
超反応とまで言える反射神経、加えて今まで養った経験、その二つがセヴァーンを助けたのだ。
セヴァーンの額を冷や汗が流れる。それは、女から発せられた殺気によるもの。赤い剣士は最初に会った時と、全く違った人間になっていた。
「手ぇ抜いてやがったな?」
「失礼ね、貴方を試してただけよ」
女がそう言った瞬間に赤い髪が揺れる。血の様に赤い髪の下に見えたのは、血よりも赤い瞳。
そこでセヴァーンはある事を思い出した。それはギルドの仲間が言っていた事。化け物の様に強い、真っ赤な女がいると。
「あんた名前は?」
「あら、急にどうしたのかしら?」
「美人に名前を聞かないのは失礼だろ?」
セヴァーンの言葉に、女は妖艶な笑みを浮かべた。それを見たセヴァーンの腕が勝手に震え出す。それは、セヴァーンにとって初めての経験だった。
「マチルダよ、マチルダ=クリシーズ。ギルド仲間にはよく……『赤の女王』って呼ばれるわ」
『赤の女王』、その名はセヴァーンが最も聞きたくない名であった。
「本気で行くしかねぇか……」
『赤の女王』その名はハルメリア国内のギルドに所属する者なら知らぬ者はいない、他の国の者でも知っている者はいるだろう。
どんなに危険な依頼であろうと引き受け、その依頼達成率は百パーセント。そして常に一人で行動するとされている、妖艶な赤き剣士。
そんな化け物を相手にしているからこそ、セヴァーンはこの闘いに全てを賭ける決意をした。
まだ出会って間もない黒き剣士と青き賢者、その二人を護るのがセヴァーンの役目。だが、セヴァーンに全てを賭ける決意をさせたのはそれではない。
自分よりも強いとされている者と全力でぶつかりたい。その想いが、セヴァーンに全てを賭ける決意をさせた。
「あんまり使いたく無かったんだがな……」
セヴァーンが小さく呟くと、身に纏う空気が変わる。すると、セヴァーンを中心に風が渦巻き始めた。
セヴァーンの返り血を少量浴びた赤き剣士は、ふっくらとした赤い唇を返り血の着いた腕に這わせながらそれを見つめている。
「リ・ディル・セン・プッシ・ゼード……」
セヴァーンを中心に巻き起こり始めた風が、今度はセヴァーンの身体にまとわり付き始める。
赤き剣士は唇を腕から離すと、微笑みを湛えセヴァーンのすることを見つめる。真っ赤な瞳を細め笑みを湛えるその顔には、圧倒的狂気が浮かんでいた。
「……テンプト・ヴェトム!!」
瞬間、セヴァーンを中心に小さな竜巻の様な者が発生し、周りにある物全てに風を叩き付けた。木々が揺れ、葉がざわめき、マチルダの赤い髪が揺れる。
荒れ狂う暴風が晴れた場所には、風の衣を纏ったセヴァーンが立っていた。
「……さて、行くぜ」
セヴァーンは口を閉じると動き出す。そのスピードは今までの比ではなかった。風よりも速いそれは、正に神速。
マチルダが目で捉えるよりも早く、セヴァーンはジグザクに動く。マチルダに見えているのは残像だけだった。
セヴァーンが唱えた魔術は自分自身のスピードを上げる物。その効果はマチルダが目で追えない程であった。
セヴァーンはそのスピードのままマチルダの真っ正面で腰を屈め、全力の正拳突きを放つ。音を立てながら空気を切り裂くそれは、一撃必殺の圧倒的破壊力を有していた。
真っ正面からのそれに関わらず、マチルダが回避をする事は出来なかった。否、出来る筈がなかった。
マチルダの真っ赤な瞳に金色が映ったのは、セヴァーンが正拳突きを放つ一瞬だけだったのだから。
雷が落ちたかと言うような凄まじい轟音、そしてマチルダが木に打ち付けられる。打ち付けられた木は、先ほどまでマチルダがいた場所から大人三人分は離れていた。
「……マジかよ」
攻撃を当てたにも関わらず、セヴァーンは悔しげな表情を浮かべる。
セヴァーンは焦っていた、今の一撃は確実に勝負を決めるために放った一撃。言うならばセヴァーンの切り札。それを『防御』された。その事実がセヴァーンを焦らせていた。
「……素晴らしい一撃ね」
マチルダが立ち上がる。何事もなかったかの様に平然と。
セヴァーンは見えていた。自分の拳が当たる瞬間、マチルダが拳の前に剣の腹を入れ、当たった瞬間後ろに跳んだのが。
あの凄まじい轟音は、セヴァーンの拳がマチルダの剣をへし折った音だった。
セヴァーンが地に膝を突く、それは諦めからのものではない。単にセヴァーンの身体が限界だったからだ。
セヴァーンが使った魔術は凄まじい効果を産み出す。ならば何故、セヴァーンがあれを常に使わず切り札としているか。
簡単に言えば副作用が原因であった。風を使い無理矢理にスピードを上げれば、それは身体に無理をさせる事になる。つまり、限界を越す動きをした筋肉の破壊を引き起こす。
セヴァーンの鍛え上げられた柔軟な筋肉は断裂などは起こしていないが、痙攣して動かせない状態だった。更に、所々痛みを放っている。
「フフッ……駄目ね。スピードが上がっても、その攻撃が当たらなきゃ」
マチルダはゆっくりとセヴァーンに近づく。その右腕には折れた剣が握られていた。
「……見えてたのか?」
「いいえ。感じただけ」
マチルダの返答にセヴァーンは笑みを浮かべると、その場にうつ伏せに倒れ込む。体を支えるのも困難になったのだ。
青々とした草達が、セヴァーンを優しく受け止めた。
「逆に聞くわ、何故真っ正面から攻撃したの?」
「どっから撃っても同じ気がしたんでね」
吐き捨てる様なセヴァーンの言葉に、マチルダは満足気な笑みを浮かべた。
「……さて」
マチルダは倒れたセヴァーンの隣まで来ると、折れた剣を大上段に構えた。狙いはセヴァーンの頭。
「……死になさい」
折れた剣が振り下ろされる。セヴァーンはその瞬間、死を受け入れた。
「死ぬのはまだ早いだろ?」
鉄と鉄がぶつかる甲高い音が響くと同時に、セヴァーンは声を聞いた。
セヴァーンの意識はそこで途絶えた。