予言の人
「よく食べますね」
沢山並べられたテーブルの一つに、沢山の食べ物が置かれている。そのテーブルには一組の男女。
黒き剣士クレスと盲目の魔術師サーシャは、向かい合わせに座っていた。
「精霊はそんなことも教えるのか?」
「私の目になってくれていますから」
クレスはサーシャの言葉に頷きながら、肉にかじりついた。クレスにかじりつかれた肉は、肉汁を撒き散らしながらクレスの口の中で咀嚼されていく。
「一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ん、ひょっとまっへ」
クレスは口に入っていた肉を一気に呑み込むと、食べ物からサーシャへと視線を移した。
サーシャはクレスの言葉が可笑しかったのか、口元を抑えて控えめに笑っている。
「……んで何?」
「クレスさんは魔術が使えないんですか?」
その一言に切れ長な目が見開いた。
サーシャに、自分が魔術を使えない事を一言も話した覚えがない。にも関わらず、サーシャは自分の欠点を言い当てたのだ。
クレスに明らかな動揺が走る。
「何でそれを?」
「精霊ですよ」
サーシャはそう言って、自分の右斜め上辺りの空間を指差した。そこにサーシャの精霊がいるのだが、生憎クレスには精霊が見えない。
「私の精霊が、クレスさんには精霊がついていないと」
クレスは、この間シェリスに聞いた事を思い出しながら何度か頷いた。
『一度人間を愛した精霊は、その人間から離れる事がない』。裏を返せば、『精霊がいなければ魔術が使えない』と言っているようなものだ。
「魔術無しで近衛師団のレイクスさんを破り、陛下とまで闘って怪我を負わせた……」
サーシャは満面の笑みを顔に貼り付けると、ゆっくりと言葉を発する。
「……流石は『予言の人』ですね」
そこで食堂に何人かの兵士が、何やら喋りながら入って来る。
だがクレスの注意はそちらには向かない。クレスは目の前に座る盲目の魔術師を、黒い瞳でじっと見つめていた。
「予言の、人?」
クレスはそんな言葉に全く聞き覚えが無かった。
クレスはその容姿や魔術が使えない事から、今まで様々な呼び名をつけられた事がある。だがサーシャが口にしたそれは、その何れにも当てはまらない。
「あら? シェリスから聞いていませんか?」
「いや、全く」
クレスの言葉に、サーシャは眉間に皺を寄せた。その顔に浮かぶのは明らかな疑問の表情。
「ホントですか?」
「嘘言って俺に得があるのか?」
「確かに……」
サーシャはそう言うと、顎に手をやり何やらぶつぶつ言い始めた。クレスは、仕方がないのでそれが終わるまでテーブルの上の食べ物を処理する事に励むことにした。
「では、私がお教えします」
サーシャがそう言ったのは、クレスがほとんどの食べ物を食いつくした後だった。
「頼む」
クレスはそれだけ言うと、水の入ったグラスを手に持つ。そしてグラスを口元まで運ぶと、その水を一気に流し込む。
クレスは一瞬で水が無くなったグラスを皿に重ねると、真っ黒な瞳に真剣な色を浮かべた。
「元水の賢者ラムセル=アリディーニの死後、シェリスが水の大精霊と契約し賢者を継ぎました」
それくらいはクレスにもわかっている。
土の賢者によって殺された元水の賢者ラムセル=アリディーニ、シェリスの師匠。土の賢者を仇と言った時のシェリスを、クレスは忘れたくても忘れられなかった。
「ただ、シェリスと水の大精霊は、先代の死後直ぐには契約出来ませんでした」
「……なぜ?」
一時期水の大精霊の力が弱まった事により、エルディアには雨が降らなかった。これは大精霊自体の力が弱まったのではない。
大精霊はその偉大なる力を、人間と契約することで初めて使えるとされている。この理由は未だ未知とされ、魔術師達の研究の的とされている。
「原因はシェリスの心……」
サーシャはそう言って口を接ぐんだ。目を閉じているからか、その表情からサーシャが何を思っているか、クレスには読み取れない。
「……シェリスの心は憎しみに支配されてしまいました」
ゆっくりと発せられた言葉に、いつの間にかクレスは頷いていた。初めて会った日の夜、シェリスが発した殺意は『憎しみ』と呼ぶに相応しい物だったからだ。
「自分の師であり、親とも呼べる先代を殺されたシェリスは、土の賢者への復讐を誓いました」
「だから大精霊はシェリスを愛さなかった……か?」
「はい」
だが今現在、大精霊はシェリスを愛し契約をしている。しかし、シェリスの中に憎しみの心は消えていない。
だからこそ、クレスにはその矛盾がわからない。
「なら」
「クレスさんは精霊に心があることはご存知ですか?」
クレスは矛盾を解くために口にしようとした疑問を言い切る事ができなかった。口を開けたまま、サーシャの言葉にゆっくりと頷く。
「大精霊は、シェリスを救ってあげたかったんだと思います」
サーシャはそう言いながら、自分に付いた精霊がいるであろう空間に顔を向ける。そして見えない目を開いた。白く濁った瞳が、何もない空間に向けられる。
クレスには精霊は見えない。ただ、サーシャを包む暖かい空気を肌で感じた。
「先代の賢者は、シェリスを我が子の様に育てました。常に側にいた大精霊も、それを感じていたんでしょう」
サーシャはそう言ってクレスに顔を向ける。サーシャの開いたままの目が、クレスに向けられた。白く濁った瞳が、真っ黒なクレスを映す。
見られてはいるが、サーシャにクレスは見えていない。その何とも言えない感覚に、クレスは何とも言えない表情を浮かべた。
「大精霊は、憎しみに縛られるシェリスを救ってあげたかった。この世界が出来てから長い間、人々を見守ってきた大精霊だからこそ、憎しみは何も生み出さないと知っているから……」
最後は消え入る様な声を出すと、サーシャはうつ向いた。微かに見えるサーシャの顔には、明らかな悲しみの表情が浮かんでいる。
何故サーシャがそんな表情を浮かべるのかクレスにはわからない。だからこそ、クレスは何も言わなかった。否、何も言えなかった。
クレスはうつ向くサーシャから、自然と目を逸らしていた。
テーブルを挟んで座った二人の間を気まずい空気が漂う。その空気の中、先に口を開いたのは盲目の賢者。
「話が逸れましたね。本題に戻りましょうか」
「あぁ、頼む」
クレスはぎこちなく頷くと、サーシャの透き通る様な声に耳を傾けた。
「シェリスが賢者になる時、つまりは大精霊と契約する時。シェリスはある言葉を聞いたんです」
「言葉? 大精霊が何か言ったのか?」
「いいえ、違います。何でも初めて聞く声だったらしいです」
サーシャの言葉にクレスは首をかしげた。そんなことがあり得るのかと思ったのだ。
そんなクレスに助け船を出す盲目の魔術師。
「私の予想では、声の主は創造主様ではないかと考えています」
「クレイエントか……」
創造主クレイエント、この世界エルディアを創ったとされる神。大昔から語られる神話では『創造主、世界を見つめ、世界の危機に地に降り立つ』と言われている。
「シェリスが聞いたのはこうです」
サーシャは右手の人差し指を立てながら口を動かす。
「……『大いなる闇動きし時、闇よりも黒き戦士立ち、全てを照らす光とならん』だそうです」
クレスはその言葉に唖然とした。まさに開いた口が塞がらない状況。
クレスは気づいてしまったのだ。どんなに頭の悪い者でも気づくだろう事に。 その予想を認めたくないクレスは、何度も頭を振ってそれを消し去ろうとする。だが、一度芽生えた考えはクレスの頭を離れない。
そんなクレスに向かい、サーシャは言葉を放つ。
「黒き戦士、これはほぼ間違いなくクレスさんだと思われます。他に黒髪で黒い瞳の持ち主なんて聞いた事ありませんし」
クレスはその言葉に右手で顔の上半分を覆った。自分の前に立つ美しき魔術師からの、死刑宣告の様な言葉を信じたくなかったからだ。 美しき死神とも呼べる魔術師は、白く濁った瞳を細め口角を気持ちばかり吊り上げる。
「頑張って下さいね」
美しき死神サーシャはそう言って前のめりになると、クレスが顔を覆っていた手を掴んだ。クレスの手に、しなやかで綺麗な指が絡み付く。
普段のクレスならばその行為に顔を赤くしていただろう。だが、今のクレスにはそんなこ気にする余裕はない。
(俺が……光?)
人とは違う黒髪と黒い瞳を持ち、精霊にさえ愛されなかった自分。そんな自分が『全てを照らす光』。
クレスはその言葉を全く信じる事ができなかった。例えそれが神である、創造主クレイエントの言葉であっても。
「……信じて下さい」
サーシャの急な言葉に、クレスは目を見開いた。慌てながら、空いていた左手を自分の口に押し当てる。
「何も言ってませんでしたよ」
サーシャはそう言って微笑むと、言葉を続ける。
「クレスさんの容姿も、精霊に愛されなかったのも、きっと何か意味があるんです。創造主を、自分を信じて下さい」
「何で」
「クレスさん!!」
何でわかるんだ。クレスがそう言おうとした瞬間、食堂に大きな声が響く。その声には明らかな怒りが込められていた。
大股で二人がいるテーブルに近づいて来るのは、青いローブを来た女性。その歩き方には明らかな苛立ちが見て取れる。
水の賢者シェリス=ミアルタは、真っ青な瞳に怒りの炎を燃やしていた。
「あっ、起き」
「何でちゃんと寝てないんですか!?」
急に真っ正面から放たれた声に、クレスは目を丸くした。その音量に離れた所にいた兵士達も目を丸くする。
「いや、だってな……」
「だってじゃありません!! 陛下との闘いで傷口が開いてしまってるんですから、ちゃんと安静にして下さい!!」
クレスの頭にシェリスの大声が響く。あまりの大きさに、クレスは自分の体よりも鼓膜を心配したくなった。
そんなクレスに助け船を出すのは、サーシャ。
「まぁまぁシェリス。クレスさんお腹が減ってたみたいだし、そんなに怒らなくてもいいじゃない」
そう言ったサーシャが、クレスには女神に見えた。さながら美の女神と言った所だ。
「サー姉がそう言うなら……」
そう言いながらも、シェリスはちょっと頬を膨らましながら一度クレスを睨んだ。
クレスは青い瞳に睨まれつつも、シェリスが口にしたサーシャの呼び方から、二人の関係が自分が予想していた以上に親密であると知る。
「それにそんなにうるさいと、クレスさんに呆れられちゃうわよ」
「べ、別に、クレスさんと私はそういう関係じゃ……」
「あら? どういう関係なの?」
サーシャがそう言って微笑むと、シェリスの顔が次第に赤くなっていく。遂には熟れた林檎の様になると、シェリスは勢いよくクレスの腕を掴んだ。
「と、とにかく、クレスさんはちゃんと寝てて下さい!!」
「もう少しサーシャと話がしたいんだが……」
「駄目です!!」
クレスの言葉に更に赤くなったシェリスは、青と赤のコントラストを浮かべながらクレスの腕を引っ張る。
左腕を引っ張られたクレスは、思わず痛みに悲鳴をあげた。左腕を引っ張られた事で、『戦神』の凄まじい一撃を受けた左肩が凄まじい痛みを放ったのだ。
「シェ、シェリス、腕が取れる!! 離せ、離してくれ!!」
真っ黒な瞳をうるませながらのクレスの言葉は、耳まで真っ赤になった賢者様には聞こえない。そして黒と青は、様々な視線を受けながら食堂を後にした。
「随分と面白い人だったわね」
二人がいなくなった後のテーブル、盲目の魔術師は独り言の様に呟いた。だがそれは、独り言ではない。
話し相手はサーシャを愛した精霊。名を『レイルフェルス』、水の上位に位置する精霊である。
「勝手に心を読んじゃ駄目? 読みたくなったんだもの」
サーシャはそう言って微笑むと、クレスが残していった食器に手をかける。
「片付け位ははしていってほしいわね」
盲目の魔術師はそう言って立ち上がる。開かれた目には、白く濁った瞳が浮いていた。
盲目の魔術師サーシャ=ライズディング、彼女はある特別な力を持っている。視覚の代わりに得たその力は、触れた者の心を読む力。
その力を持つ彼女を人々はこう呼ぶ、『心眼の魔術師』と。