成長
城にある唯一の訓練所は、沢山の兵士達で埋め尽くされていた。沢山の兵士と一国の主が見つめる先にいるのは黒き剣士。
その正面に立つのは白銀の鎧を身に纏う一人の青年。鎧と同じ様な色をした髪は長く、まるで女性の様に整った容姿をした青年の美しさを際立たせていた。
その青年が持つのは木造の槍。対してクレスが持つのは木造の剣であった。
「近衛師団レイクス=アルバートです。以後お見知りおきを」
そう言って笑顔で手を出すレイクスに、クレスは何とも堅い表情を浮かべながら差し出された手を取った。
クレスをそうさせたのは、レイクスから発せられる雰囲気。明らかに優等生の雰囲気を持つレイクスは、クレスが一番苦手とするタイプだった。
「クレスさん」
レイクスと握手を終えたクレスに声がかかる。声の出所は王の隣に立つ賢者。水の賢者シェリスは、青い瞳に心配気な色を浮かべていた。
「無理しないで下さいね……」
「わかってる、心配するな」
シェリスが最も心配している事は、クレスの身体中にある怪我。クレスが昨日受けた怪我はまだ傷口が塞がっていない。激しく動けば今以上に傷口が広がる可能性があるのだ。
「クレスさんと言いましたね」
「あぁ、そうだが」
シェリスに目を向けていたクレスは、目の前に立つ銀髪の優等生に視線を移す。
「賢者様に向かって口の利き方がなっていませんね」
レイクスの言葉に、思わずクレスの眉間に皺が寄る。
そして、クレスは確信した。レイクスと自分は間違いなく仲良く成れない事に。
「少々懲らしめてあげます」
そのレイクスの言葉と共に、クレスの腕試しが始まった。
先制したのはレイクス。槍のリーチを活かし、クレスの攻撃範囲外からの強烈な突き。
だが、クレスは慌てない。クレスは槍の特性を充分に理解している。剣対槍ではそのリーチ差から、先制されるのは当たり前。クレスはそう考えていた。
クレスは眼前に迫る槍を、首を捻るだけでかわす。だがほんの少し、槍がクレスの頬に触れた。すると頬に血が滲む。
レイクスの放った一撃は木製の槍ではあるが、確かな威力を持ち合わせていた。
(やるな……)
今の一撃でレイクスの力量を完全に計れたわけではないが、クレスの中でレイクスはかなりの強者であると位置づけられた。
そんな槍使いを前に、クレスは不適な笑みを浮かべる。レイクスの実力を計りきれたわけではない、だがクレスは確信していた。
(オルグ程じゃない……)
レイクスが次に仕掛けたのは、槍による横一線。
クレスの目の前を、勢いが付いた槍が走る。クレスはバックステップで距離を取りそれをかわす。
槍が巻き起こした風が、クレスの黒髪を揺らす。
揺らされた髪が元に戻るよりも早く、クレスが動き出す。大振りの後を狙うのは戦闘に於ける定石。
だが、クレスがレイクスの懐に入る事はなかった。クレスは自分から足を止めたのだ。
クレスが足を止めた理由は、レイクスの口元と纏う空気。世話しなく動く口と鋭くなる空気。それは間違いなく魔術の発動を意味していた。
「……ヴェン・フレチュ」
レイクスがそう言った瞬間、クレスに向かい風の矢が放たれる。
風で作られた矢は空気の歪みから目視することも可能だが、実際にそれをすることは難しい。
クレスは魔術に乗せられた殺気を肌で感じながら、弾ける様に横に跳んだ。
クレスが跳んだ瞬間に、レンガが敷き詰められた床に亀裂が走る。それを見たクレスは、思わず目を丸くした。
(あんなのくらったら、下手すりゃ死ぬな……)
そんなクレスの考えを余所に、銀髪の槍使いレイクスは追撃の手を緩めない。着地したクレスめがけて、初撃よりも明らかに速い突きを繰り出した。
魔術の着弾場所に目をやっていたクレスだが、その突きを身体を半歩ずらすことでかわす。
次に目を丸くしたのはレイクスだった。絶対に当たると思っていた突きを、簡単にかわされたからだ。
クレスは目を丸くしたレイクスから、再びバックステップをすることで距離を取る。
間違いなく懐に入れる、上手くすれば勝負を決められるチャンスだったが、クレスは敢えて距離を取る事を選んだ。自分の中に芽吹き始めた感覚を確かめる為にも、まだ勝負を決めるわけにはいかなかった。
オルグとの闘いで、クレスは目に頼らない闘い方をした。だがクレス自身、まだあの感覚がはっきりしていない。しかし、魔術を避けた時と今の一撃で明らかに感じたのだ、武器や魔術に乗せられた殺気を。
そしてクレスは行動に移る。それはオルグを追い詰めた時と同じ行動。
クレスは真っ黒な瞳を細めると、自身の視覚を切り捨てた。
「なっ!? 何をしているんです!?」
クレスの前に立つレイクスが叫ぶ。それに続く様にして、二人を見つめる沢山の兵士達からもざわめきが起きた。
その中で平然としている者が三人。国王ヴァルゼルフ、近衛師団団長ギルバート、そして偉大なる水の賢者シェリスであった。
「ふむ。随分と面白い男だな」
クレスのした行動を見つめながらそう呟いたのは、国王ヴァルゼルフ。その隣に立つギルバートは、国王の呟きに微笑んだ。
「面白くなんてありません」
ヴァルゼルフの呟きを聞いてか、シェリスが反論する。顔には出さないがシェリスは内心ハラハラしていた。胸の前で握られた手には、汗が滲んでいる。
実はこの王と賢者、非常に仲が良い。幼い頃から国の象徴である賢者の弟子として育ったシェリスは、源域の中で人生の大半を過ごしてきた。そしてその源域に立ち入りを許されているのが、国王とその側近達だけである。
したがってヴァルゼルフはシェリスにとって数少ない知り合いであり、言い方を変えれば『友人』なのだ。随分と歳の離れた友人ではあるが。
「陛下は『炎帝』をお忘れですかな?」
シェリスの『友人』の一人であるギルバートは、胸の前で手を握り締めるシェリスを見ながら口を開いた。
「十五年前の内戦で活躍した者か?」
「はい」
「確か……ア、アレスだったか?」
ヴァルゼルフは自身の名が付けられた内戦を思い出しながら、こめかみに手を当てる。
「アレンでございます。アレン=バーキンスです」
ギルバートはそう言って、顔に走る深い皺をより一層深くする。
「あれは、それの息子です」
ギルバートが言いながらクレスを見た所で、腕試しを見ていた兵士達から大きな歓声があがる。
その歓声の中心では、首に木造の剣を突き付けられた銀髪の槍使いが悔しそうな表情を浮かべていた。
「それまで!!」
クレスがレイクスの首に木造の剣を突き付けた所で、低めの声が訓練所に響く。それと共に、騒ぎ立てていた兵士達が一瞬で静まり返った。
一声で場を支配したのは、近衛師団団長ギルバート。ギルバートの隣では、国王ヴァルゼルフがその顔に笑みを湛えていた。
「素晴らしき闘いであった。クレス=バーキンス、『炎帝』の息子よ」
『炎帝』と言ったヴァルゼルフの言葉に、クレスの幼き日の記憶が蘇る。自分が幼き頃に、義父アレンがそう呼ばれていたのを思い出したのだ。
王の言葉に、一度は静まり返った兵士達がまたざわつき始める。
『炎帝』、その呼び名を知らない兵士はいない。卓越した剣術と凄まじい炎の魔術により、一騎当千と呼ばれた剣士。それがクレスの義父、アレン=バーキンスであった。
水の賢者シェリスも王の言葉に目を見開いていた。
『炎帝』、その呼び名はシェリスでも知っていた。だが、まさかあの親バカであるアレンが、『炎帝』だったとは思ってもいなかったからだ。
「さて、クレスよ」
「何でしょうか?」
ヴァルゼルフは楽しそうな笑みを浮かべながらクレスを見つめた。次第にその金色の瞳が細められていく。
「もう一勝負せんか?」
ヴァルゼルフの言葉にクレスは一瞬戸惑うが、静かに首を縦に振る。クレスをそうさせたのは、更に強い者と闘い強くなりたいという想い。
「ギルよ」
「はい」
「わしに剣を」
国王の言葉に、訓練所にいた全ての者が驚愕の表情を浮かべた。
ほぼ全ての者が驚愕の表情を浮かべる中、ただ一人だけは溜め息を吐いた。ギルバートである。
「だろうと思っていましたよ」
ギルバートはそう言いながら、まるで用意していたかの様にヴァルゼルフに木造の剣を手渡した。
ギルバートとヴァルゼルフには兵士と王、それ以上の繋がりがある。
ヴァルゼルフが幼き頃から城に仕えていたギルバートは、まるで弟の様にヴァルゼルフと接していた。それはまるで本当の兄弟の様な光景であった。
ヴァルゼルフが王に即位する時に、ギルバートは今の地位を与えられる。実際に若き頃のギルバートには、それだけの実力があった。
それから三十年余り、ギルバートはヴァルゼルフの右腕として、国に、王に尽くしてきた。そんな二人には、王と一兵士以上の関係が出来上がっていたのだ。
だからこそ、ギルバートはヴァルゼルフが発した言葉に驚きはしなかった。
「流石はギルだな」
そう言って満足気な表情を作り木造の剣を受け取ったヴァルゼルフは、訓練所の中心に向かい歩き出す。
その身に纏うは圧倒的存在感。
(格が違う……)
訓練所の中心に居座るクレスの手が震えだす。
今からクレスが対峙するのは、『戦神』と呼ばれ讃えられる人物。その存在感、威圧感は、今までクレスが闘ってきた全ての者と格が違った。
しかし、クレスの頬は自然と緩んでいた。何故そうなったのかは、クレス自身にも分からない。
クレスが剣を持つ手の震えは止まらない。その震えが恐れから来るものなのか、はたまた武者震いなのかはクレス自身にもわからない。