91.茴香のコンソメスープとその横顔
◆『見習い錬金術師はパンを焼く~のんびり採取と森の工房生活~ 1巻』11/12に発売しました!
ご購入頂きました皆様に感謝を…!加筆修正もしてますので、webで読んだ方にも楽しんで頂けるものになっているかと思います。
また、感想やレビューなどもお寄せ頂けましたら幸いです。よろしくお願いいたします!
◆活動報告にて1巻カバー・人物紹介イラスト、特典SSペーパーについてなど、詳細をお知らせしております。とても可愛くて素敵なイラストも描いていただきました。是非ご覧ください…!よろしくお願いいたします。
天幕のある拠点へと帰還したイグニスと三人は、戻るなりこの場所に残る匂いと気配に気付き周囲を見回した。
そして、あとで見せようと置いておいた『王女の白ばら』に目を留めた。
「アイリス、その花は?」
「あの……えっと、もらい……ました」
その瞬間、レッテリオさんが深く微笑んだ。
「……へぇ。なるほど」
「あの、違うんです! これはただのお礼として半ば強引に……!」
「お礼? 誰か来たのか?」
バルドさんが周囲に警戒を走らせ、低い声で言った。
「コルヌ」
ランベルトさんが魔石を掌に乗せ名を呼ぶと、ちょっと拗ね顔のコルヌが現れた。
「今日ハ精霊使いが粗くないカ? ランベルト!」
「悪い。だからほら、ちょっと大きい美味しい魔石でなんとか……な? 周囲の浄化を頼みたいんだ」
「ン? 臭いナー! ヨシっ、了解! アイリスたちチョット息止めてナ!」
「えっ……ッ!?」
何か言う間も息を止める暇もなかった。
コルヌの一角がその体長程に伸びたかと思うと、どこからともなく大波が現れ、白の天井から壁、地面に天幕、全てに覆いかぶさり、そして一気に去っていた。
「な……、あっ」
何だか……空気が違う? 輝いて見える気が。
「浄化完了ダ! もー今日は働かないからナ! 呼ぶなヨ!? ランベルト!」
「はいはい、悪かった。今日はもう呼ばないって約束する」
そう宣言したコルヌは、ちょっとくたびれた顔でパッと姿を消した。
「あの……」
「びっくりしたにゃ」
「やっぱりコルヌのそれ~かっこいい~! ぼくもやりた~い!」
今のは一体……? 周囲を浄化って……何!?
「イグニス、やっぱり……って、もしかして下の層でもコレやってたの!?」
「そうだよ~! これのおかげでね~コルヌより弱い魔物にはあわなかったんだ~!」
コルヌってすごい……! 先生の守護の結界とはちょっと違うけど、確かに『浄化』は水の特性だ。こんな使い方があるなんて……!
――やっぱり契約精霊って、契約者の発想によって見せる能力が変わるんだ。
イグニスが似たようなことをするなら……。炎に『浄化』の特性はない。できるとしたら――。
「炎で焼いて……消滅? あ、消毒っぽい感じ……昇華……?」
いけない。なんだか物騒だ。
「何だか良くない匂いだったからね。気付かない? アイリス」
「レッテリオさん」
クン、と鼻を鳴らし匂いを嗅ぐ。変わったと感じたのはやっぱり気のせいじゃなかった。じっとりとしつこく残っていた、あの重くて甘い香りがすっかりと消え去っている。
驚きと感動で立ち尽くす私の頭に、ポンと掌が乗せられた。
見上げてみると、いつも通りの微笑みのレッテリオさん。一瞬、『王女の白ばら』を渡された時のことを思い出してビクッと肩を揺らしてしまったけど、レッテリオさんはちょっと目を見開いただけ。何がおかしいのかクスリと笑われてしまった。
……何だか、ちょっと悔しいかも。
「それじゃ、何があったか話してくれるかな? アイリス」
「あ、はい。その、ちょっと変わった人だったんですけど……」
私は頷き、あの不思議な人のことを話し始めた。
◆
スープを温めカップへ注ぎ、茴香の葉と黄色の花を軽く散らす。作ってから少し時間が経っているから、茎の部分は少しトロリとなって味も染みているだろう。きっと花の香りがいいアクセントになるはず!
「一人で奥からだと? 副長以外にも単独で潜れる奴がいたとは……ところで美味しいな、このスープ」
「まぁ、いてもおかしくはないがな。王都にはそれなりにいるだろうが……薔薇色の髪の男で潜れそうな奴か。俺に心当たりはないが……これはあの携帯食セットの『コンソメキューブ』か。具材を入れるとまた変わるな。で、レッテリオはどうだ? 心当たり」
「……ないですね。少なくとも騎士団にはいないと思います。アイリス、他に何か気付いたことなかった? 例えば服や持ち物に紋章が付いてたとか……あ、スープのお代わり貰える? アイリス」
三人とも真面目な顔で私の話を聞いていたのだけど、スプーンが止まる気配がない。携帯食セットを持って行ったから合間にサンドウィッチを摘まんだはずなんだけど? スープだけじゃ物足りなかったかな……と思ったら、ルルススくんがバゲットを配っていた。
ああ、イグニスったらあんなに顔を突っ込んで食べてたらマントが汚れちゃう……!
「はい、お代わりどうぞ。えっと……気になったことといえば、見た感じ武器は持っていなくて手ぶらだったことかな? あとは何だか高そうで綺麗な服を着てはいたんですけど特に特徴は……」
やっぱり王都の人って可能性が高いんだろうか。ああもう、どうして名前くらい聞かなかったんだろう……!
あの人の特徴っていったら、あとはもうあの髪色しかないけど――。
「あ、そうだ。もしかしたらですけど、あの人、髪を染めてるのかもしれません」
「染めてる? 何か違和感でもあった?」
「いえ、でもあの人、私の髪を見て地毛? って聞いてきたり、自分はこの髪色を気に入っていないって言ってて……もしかしたら、元は違う色なのかな? って……」
あの髪色をキレイだって言った時のあの表情。びっくりして、それから凄く喜んでいたのが妙に印象に残っている。
「……有り得るな。我々が動いていることに気が付いてどこぞの奴が探りに来たか?」
「わざわざそんな変装してまでか? 観光に来た間抜けの方が現実味がありそうだがなぁ」
ランベルトさんとバルドさんはそれぞれ言ってレッテリオさんを見る。
「変装にしろ間抜けにしろ、公爵であるコスタンティーニ家に喧嘩を売る度胸がある奴がいるとは思えない。ランベルト、ヴェネトスの街に戻ったらそいつを探そう。一応祭りの期間動向を探っておきたい」
『公爵であるコスタンティーニ家に』と言い切ったレッテリオさんに、私は何故かドキリとした。
いつもよりちょっとだけ堅い口調とその声色。一瞬見せたこの顔は、きっと私の知らない、王都での――本来の立場のレッテリオさんなんだ。
そう思ったら何故か、胸にツキンと小さな痛みが走った。どうしてなのかはよく分からないけど、私は見慣れない横顔のレッテリオさんからそっと目を逸らす。
「レッテリオの言う通りだな。急ぎ行方を追わせよう」
ランベルトさんはサッと小さな紙片に何かを書き付けると、魔石を溶かし封をして、【鞄】の中へ放り込んだ。
あれはきっと簡易な転送便だ。手順を省略できる分短い文章しか送れないけど、指示を飛ばすには丁度いいだろう。
「やっぱり観光採取にしては深すぎるのが気になるし……いや、しかしそんな物好きがいてもおかしくはないのか? 実際『王女の白ばら』の為に深層まで来る男もいるし……」
ランベルトさんは、隣のバルドさんにチラリと目をやった。
「悪いか? カーラの為の『王女の白ばら』は自分の手で、最高の物を採ると決めてるからな」
ハハハ! と笑ったバルドさんは、腰の鞄から大輪の『王女の白ばら』を取り出して見せる。
わ、あの花、私がもらったのと同じくらい大きくて綺麗……! そしてやっぱりアレも【ふしぎ鞄】なんだ。みんな凄い鞄を持ってて羨ましい……!
「くふふ~ふくちょーはカーラが大好きなんだねぇ~」
「当然だ。あんなイイ女はいない」
「愛妻家にゃ。女子に大人気にゃ! 隊長はダメにゃね、女心が分かってないにゃ」
「だそうだぞ? ランベルト」
「ルルススくん、それは心外だ」
そう言うランベルトさんに、ルルススくんは「にゃにゃ? ルルススは街の噂を知ってるのにゃ!」と言い、何やら耳打ちをしている。ルルススくん……一体どんな噂を拾ってきているの……。
「ところでアイリス、その男、閉じ込められたって言ってたの?」
「あ、はい」
私は弾かれたように顔を上げ、レッテリオさんの言葉に頷く。その声も口調も、すっかりいつも通りのレッテリオさんで何だかホッとする。
「詳しくは聴けなかったんですけど、だから空腹で――って。でも足取りは普通だったしやつれた風にも見えなかったんで……数時間とか、長くても一日程度なんじゃないかなって思いました」
「……まぁ、なくはないか」
レッテリオさんたちは顔を見合わせ、頷き合う。
「落とし穴に落ちることもあるし、うっかり扉が閉まることもある。神殿の奥は迷宮そのものだからなぁ」
バルドさんは顎を撫ぜながら苦笑を見せる。
「まさにさっきの我々だな。私は前後に落ちてきた壁に閉じ込められたし、副長は突き出てきた石壁に打たれて穴に落ちかけたし……」
「えっ」
そう言えば、バルドさんの背中が汚れている様に見えたんだけど……もしかして、怪我してる!?
「バ、バルドさん! その背中! ちゃんと手当てをしないと……! 血が滲んでます!」
「アイリスのスープも飲んだしこの程度ならそのうち治――」
「駄目です! スープは体力しか回復しません! それに小さな傷から大変なことになったりもするんですよ? 手当するので脱いでください!」
「脱ぐのか?」とちょっと躊躇するバルドさんを天幕に引っ張って、私はリュックから薬袋を取り出した。