【幕間 1】師匠と兄
◆『見習い錬金術師はパンを焼く』1巻の発売日11/12まであと1日!
記念気分で連続更新です。本日は【幕間 01】、本編の裏側のお話です。
「はぁ……」
錬金術研究院、筆頭術師の研究室で、珍しい声色の溜息が一つ落とされた。
「どうかしたのか? イリーナ」
「あら、失礼。ちょっとこちらを見てくださる? クレメンテ」
研究室と続き間になっている応接セットには、部屋の主である筆頭術師クレメンテと、高位術師であるイリーナが向かい合い座っていた。
「ああ、例の見習いのレポートか」
「ええ。先ほどの会合の後に追加で届いた分なのだけど……」
はぁ。イリーナは再び溜息を零す。
「あの子……一体何を考えているのかしら?」
「先程の携帯食は良い内容だったと思うが? ――ん? 保存紙の他にも作っていたのか。……は? ゼリー?」
クレメンテは書類に落ちる長い金髪を掻き上げ、首を傾げた。
筆頭術師であるクレメンテのローブは深い闇色。その背には筆頭だけの紋が刺繍されているのだが、無造作に括られた長髪で隠されてしまい、それが見えることはほとんどない。
「そこでなくってよ。まったくあなたも変わったものがお好きなんだから。次頁の【保存容器】ですわ。また特許申請が増えそうで私の仕事が増えます」
「ああ、そこか」
クスっと小さく笑みを零し、長い指で頁をめくる。
「いえ、そこではないの。あの子……試験まで一年しかないのにどんどん新しいものを作って楽しんでいる様子で……。楽しむのは構わないけれど、試験という目標をちゃんと分かっているのかしら? と少々心配で……」
「契約精霊は炎の精霊だったな」
「ええ」
「炎の精霊の契約者が少ない今、有望な弟子ではないか。それもドルミーレのサンショウウオ似だろう?」
「ええ」
四大精霊の中でも炎の精霊はしばしば別格として扱われている。
他の要素も勿論、人にとって無くてはならない要素であるが、炎は人の生活を一変させた授かりものだ。食事の進化に始まり、現在では火薬や爆弾など『力』としての役割が大きい。
「弟子が魔術師団に取られるのではと危惧しているのか?」
「いいえ。あの子に限ってそれは杞憂よ」
「ん? 魔力が低いのか?」
「いいえ。魔力は高いのだけど……向いていないのよ。ああ、そうだったわ」
と、イリーナは腰のポーチ――【鞄】から【スライム容器】を二つ取り出した。
「お裾分けですって。あなたどうせ今日もこちらに泊まり込みでしょう? お食べなさいな」
「これは……」
半透明の【スライム容器(中)】に入っていたのは赤い液体と黄金色の液体――ミネストローネとコンソメスープだ。
「本当に……あの子、どうして炎の精霊を料理に使っちゃうのかしら? イグニスもお料理が得意みたいだし……もう、私には理解が難しくて。――面白いのですけどね?」
ニッコリとイリーナは笑い、挑戦的な目でクレメンテを見る。
「確かに面白いな。容器か……。――盲点だったな」
そしてクレメンテも、容器を揺らしながらニヤリと笑う。
「私たちは何でも【鞄】に入れてしまうからあまり考えませんでしたでしょう?」
「そうだな。【鞄】を使えばいいから保存瓶をそのまま使っていたが……弟子たちは喜ぶだろうな」
「ええ。それに要改良ではありますけど、水に浸け保存する素材などには是非使いたいところですわ」
「確かに。一つ一つが同じ大きさで重ねることができるのはいいな。中身も見えるし……棚が有効活用できそうだ。木箱よりも管理が容易そうだしな」
そして【スライム容器】入りのスープを重ねたところに、イリーナはまた【鞄】から袋を取り出し乗せた。
「これもお裾分けしますわ。あなたはサンプルを頂いてないでしょう? アイリスのパン」
「さっき一口食べただけだな。助かる。これで明日まで籠れる」
「本当にあなたは……。まあいいわ、お食べになって。味は最高でしてよ」
イリーナはついでにと、アイリスから送られてきた森の果実も追加してやる。皮を剥かなくとも食べられる王様葡萄だ。
「確かに美味かったな。発想は面白いし……一度会ってみたいものだな」
「あら、そうですの? お話が弾むかもしれませんわね、あの子はあなたと似ている部分がありますし」
「そうなのか?」
「ええ。例えばその髪」
「これか? 長い髪なら君も同じだろう」
「同じにしないでくださいな。私は好きで伸ばしてそれなりに手入れもしています。が、あなたとあの子は『面倒だから伸ばしっぱなし』でしょう?」
ひとつ瞬き、クレメンテはレッテリオと似た少し癖のある髪を指で弄び、イリーナを見る。
「……皆は違うと? いや、しかし面倒だろう? 髪を手入れする時間があれば本の一冊でも読みたいだろう?」
「ほらそこも。アイリスと似てますわ。あの子ってば本を読むのが好きというか、読み漁ることが快感だとでもいうように貪り読みますの」
「なるほど。気が合いそうだ」
クレメンテは、やっぱりレッテリオとよく似た垂れ目気味の目を細め頷く。
「気が合うといえば――レッテリオは彼女を随分と気に入っているようだったな」
パクリと葡萄を摘まみ、クレメンテが兄の顔で微笑み言う。
クレメンテとレッテリオは十歳年の離れた兄弟だ。そのせいか、クレメンテには兄として可愛がってやった記憶はあっても、日々を一緒に過ごした記憶はあまりない。レッテリオがやっと五歳になった頃にはクレメンテは十五歳。とっくに錬金術研究院に入っていたので、正直、弟のことはそれ程知らないのだ。
だからクレメンテは、今日の会合で弟を少し知れたようで何となく嬉しく思っている。
「彼女とどうにかなるなら早くしてほしいものだな。会うのが楽しみだ」
「やめてくださいませ。試験の前にどうにかされたら困りますわ」
「そうか? しかしほら、ヴェネトスにはあの夏祭りがあるだろう?」
伯母と従兄弟を訪ねて昔はよく遊びに行ったものだと、クレメンテは心中で思い出をなぞる。
引きこもり体質の彼ではあるが、行ってしまえば何事も楽しいのだ。幼い頃に従兄弟たちと行った昼の市の賑やかさも、最後に行った時の夜の眩しさも、今でも彼の胸を躍らせる思い出だ。
「ところでイリーナ、あの時の『王女の白ばら』はまだ白いままなのか?」
「さあ……? 保管庫に仕舞いっぱなしですもの。きっとまだ未成熟で白のままじゃなくって?」
微笑む顔は柔らかく、そしてやはり挑戦的だ。
そして「はぁ」と、いつもの溜息が苦笑と共に研究室に落とされる。
「まったく……待宵草とはよく言ったものだ」
――赤ばらが結実する満月を待つ、彼の宵はまだまだ長い。