88.お花畑
レッテリオさんを見送ると、ルルススくんが柱の陰からひょっこり顔を覗かせた。
「アイリス迎えにきたにゃ」
「み、見てた……!?」
ルルススくんは右手でお耳をかきかきし、ペロッと舌を出す。
「見ちゃったにゃ。あとルルススは耳がいいから全部聞こえちゃったのにゃ。……ごめんにゃ?」
い、いいけど……! 別にいいけど……でも、ちょっと恥ずかしい!!
「い、今のはみんなには秘密にしてね……!」
「了解にゃ~」
イグニスに秘密にするのはちょっと罪悪感があるけど……ちょっと、こう……気持ち? がなんだかフワフワしてまだよく分からなくて……とりあえず、今は採取に集中だ!
気分を切り替えていかなくちゃ!
「レッテリオさんてば、騎士のくせに迷宮内であんなこと言わないで欲しいよね……?」
まったく。「気を引き締めて」なんて言うくせに!
◆
「お花畑まではすぐにゃ! すっごいんにゃよ!?」
スキップをしながら私の前を行くルルススくんは興奮気味だ。
それはそうだろう……だって、あの雄たけびだもんね! どんな場所なんだろう? 『お花畑』!
「でもほんと……地図がないと迷っちゃいそうだね」
私は改めて辺りを見回した。
白い石壁の中、等間隔で並んだ柱とアーチを描く天井。どこからか差し込む光は薄らボンヤリとしていて、三十五層はヒンヤリとしている。
「そうにゃね。でも……どこか神殿っぽくにゃいのにゃ」
「確かに……あ、ちょっと殺風景すぎる感じ?」
そうだ。神殿といえばもっと彫刻があったり薔薇窓があったり、装飾が施されているイメージだ。それと薄暗くとももっと柔らかかったり、穏やかな雰囲気がしたりする。
「あ、あの角を曲がると回廊に出るにゃ」
「『お花畑』は中庭だったよね」
「そうにゃ! なかなか広かったにゃ!」
回廊があり、中庭に畑や薬草園があるのは神殿の定番の造り。
神殿は大小、各地様々な精霊を祀ったものがあるけど大体が似た造りだそう。あ、祀っている精霊によっては地下神殿とか岩窟神殿、変わったところでは海中に本社がある神殿なんかもあるらしい。
海中神殿……いつか行ってみたい!
ちなみに私の故郷にあった一番大きな神殿は炎の精霊の神殿だ。火山と温泉の村だからね! 他には大地の精霊を祀ったものなど四大精霊全ての神殿があった。あとは特に「これを!」と、願い別にそれが得意な精霊を分けてお祀りしてたりもする。
精霊も人と同じで、その属性の中でも得意不得意があるのだ。司る属性の中でもコレ! というものを必ず持っている。
レグとラスでいえば畑仕事が得意だし、コルヌは多分、水の精霊の中でも海を司り、波を操るのが得意なのだと思う。イグニスは……燃やすこと? かな? 炎の精霊はあまり枝分かれしてなくて、分かりやすいかもしれない。その属性の性格なんかも関係してるのかなぁ?
「そういえば地図には祭壇がなかったね」
祭壇は祈りの魔力を捧げる場所……媒体かな? 例えば豊穣を願ったとして、捧げたその魔力が集まり大地の精霊へと届き、大地に還元されるのだ。だから神殿に祭壇は必須。
「そうにゃね。にゃんか元々にゃいみたいにゃよ? さっき会った採狩人に色々聞いてみたにゃ。だからここは通称の神殿にゃんだよって言ってたにゃ」
「へぇ~……」
そうなのか。
でもこの迷宮、前回入った時にレッテリオさんから聞いた話だと……『こことは違う別のどこかの場所』かもしれない……って感じだったけど……。
「もしもここがどこかなら……祭壇や他の施設もどこかにあったりして……?」
ふと、そんなことを思った。
ここではないどこかの神殿――もしかしたら、私の知らない錬金術に出会えたりしないかな。
「アイリス早く~! そこにゃ! この角を曲がると――」
「わっ……!」
角を曲がった途端、フワッと爽やかな香りが。そして一瞬感じた眩しさに、私は目を二、三度瞬いた。
そこに広がっていたのは紛れもなく『お花畑』。
真っ白の神殿の中庭に、真っ白な待宵草――『王女の白ばら』が一面咲き誇っている。
「すっごいね……!」
「すっごいのにゃ! もうルルススはウズウズが止まらにゃいから、採取を始めようにゃ!」
「うん!」
各々鞄から採取袋を取り出し、いざ『お花畑』へ。
待宵草は『野ばら』の一種。花はあまり大きくないけど背丈は高い。性質上、月光を求めて上へ上へとぐんぐん伸びていくのだ。
だから満月を控えた今、その背丈は私と同じくらい。採取するには待宵草の林の中を掻き分け中を行くしかない。ルルススくんは私の膝程度の身長だから、すっかりすっぽり緑の中に埋まってしまっている。
「ルルススくん大丈夫?」
「平気にゃ! こんにゃのへっちゃらにゃ! にゃ、でもアイリスは棘に気を付けるのにゃ」
ルルススは毛があるから痛くにゃいけど。と、ルルススくんは私の太ももまでの靴下をグイーッと伸ばし、素肌がむき出しになっていた部分を隠してくれる。
「ありがとう」
「いいのにゃ! アイリスが怪我したらレッくんがうるさそうにゃし」
「い、いまレッテリオさんは関係ないし!」
「レッくんは独占欲が強いオスにゃとルルススは思うんにゃよね?」
――ルルススくん! 今は! 採取に集中したいの!
私はちょっと熱い耳を自覚しつつ、ぐんぐんと待宵草の中を進んでいった。
『お花畑』にはそこそこの数の採狩人がいるが、皆刈り取った『待宵草』を肩に担ぎ、また『待宵草』を刈り取っていっている。
「すごい……これだけの人が採っても全然なくならないんだね」
「きっと迷宮の魔素と、お月様の力にゃんにゃにゃい?」
ルルススくんはスッと上を指さした。
「今は霧でモヤってるけど、多分夜は晴れて月がでるんにゃ。そうじゃにゃいとこんなに待宵草が育つはずがにゃいのにゃ」
「月の魔力を浴びさせるために中庭で育ててるんだね」
――誰が育てている? いた? のかは分からないけど。
「見るのにゃアイリス! こんにゃに実になる部分がパンッパンにゃ! すごいにゃ!」
「ほんとだ~! うっわぁ……そうだ。これ、半分は未成熟のまま素材に加工しよ!」
半分は白のまま、もう半分は赤にして使おう!
『待宵草』は魔力を溜めたり吸収したりする性質がある。だから白のまま加工すれば【魔力を吸収】する素材に、赤ならば【魔力を補給】する効果の素材へと変化するのだ。
「使い分けるんにゃね。例えばどんにゃ【錬金術製品】ににゃるんにゃ?」
シャッ、すぅ……っ。
そんな音がルルススくんの方から聞こえていた。
ルルススくんは待宵草の林の中でにゅっと爪を出すと、自分の頭の上の高さで茎を掻っ切って、そのまま【ふしぎ鞄】へと落し入れていっている。
き、器用……!
「アイリス?」
「あ、えっとね、赤は魔力回復の為のアイテムだけど、薬じゃなくて器具の【充填用魔石】とか【人工魔石】にするのが多いかな。白は逆に【吸収魔石】にするの」
「吸収? 迷宮にゃんかでの【魔素回収】用にゃか?」
そういう商売があるのは知っている。迷宮など魔素の濃い場所に、カラの魔石を持って行き魔力を補充する商売だ。
魔石というものは、自然魔石は使い切ると消えてしまうが、『待宵草』で作った【人工魔石】は、使い切ってカラになっても形が残り、魔力を補充できるのだ。
だから人工魔石は、様々な魔石製品の充填用として家庭に常備されている。
「それもあるけど、研究院とか工房では、魔力暴走を止めるために作るのが多いかも。魔力暴走を起こしそうな魔石製品が爆発する前に、余分な魔力を吸い取るの」
「にゃ~錬金術師工房はそうにゃよねぇ。にゃんでか季節毎にどこかで爆発してるのを見るにゃ」
うん……。みんな実験好きだから……。いやでも、結界も張ってるし、絶対事故防止の人工魔石も取り付けてあるはずだし、そんなにしょっちゅう爆発はしていないと思う。
「ルルススは旅をしてるから本当のことにゃよ? ルルススの中では季節の風物詩にゃ」
「そんな風物詩やだ~。あ、一応言っておくけど私は爆発させたことまだないからね?」
「それはイグニスのおかげにゃにゃい? 炎の精霊にゃから燃やし尽くすか爆発を吸ってくれるはずにゃ」
くっ、バレてる……! 確かにいつもイグニスが燃やし尽くしてくれてる!
「おい、そこのローブの子!」
「え?」
採取の手を止め顔を上げると、少し離れた場から採狩人の男性がこちらへ向かって来ていた。
「ここの採取ルール知らないのか?」
「えっ……ご、ごめんなさい! 知りませんでした……!」
「ごめんにゃ、ルルススもまだ聞いてにゃかったにゃ」
私の少し後ろでルルススくんがピョーン! と飛びあがり、顔を見せた。
「ああ、さっきのケットシーさんか。今日刈っていいのはこの水路までだ。この先は明日からだぜ?」
指さしたのは、白の回廊の脇に造られた浅い水路。それがいくつか細い筋に別れ、この花畑へ引き込まれている。
「あの赤いリボンが目印。リボンとリボンの間だけが今日採っていい範囲」
「ああ! 柱に結んであるアレですね」
そうか。こんなに沢山生えているのは乱獲をしていないからなんだ。
「沢山採りたいのは分かるがな。この時期は稼ぎ時だから、沢山採りたければ早朝か泊りで入るようにした方がいい」
「はい。教えてくださってありがとうございます」
「にゃあにゃあ、採取数に制限はにゃいんにゃ?」
「ああ、それは特にない。だがよ、人ひとりが持ち帰れる分量なんざたかが知れてるだろう? それに独り占めなんかしたら商売やってけねぇさ」
「そうにゃね! 仁義ってやつにゃね」
ニャシシ、とルルススくんがちょっと悪い顔で笑っている。商人モードだなこれ……。
「アンタは錬金術師さんだろ? 品質の高いものが欲しかったらやっぱり早朝をお薦めする。悪いが最高品質のはもうオレたちが採っちまった」
確かに。私たちが入った時にはもう先を行く人たちがいたもんね。あの人たちは泊まり込みだったのかもしれない。
この人も、肩には束にした待宵草を担いでいる。よく見てみれば、さっきレッテリオさんにもらった待宵草以上に輝いている。――これは本当に最高品質だ。
「あの、質問なんですが、その待宵草……」
「あー……本当なら少し分けてやってもいいんだがなぁ」
男性は何とも言えない不思議な顔をして、どうしてか気まずそうに視線を逸らした。
「オレから女の子にこれを渡すのはマズいし……ほら、さっきの騎士さん……アンタのツレだろ?」
「正解にゃ! アイリスにあげたらまたレッくんがヤキモチ焼きそうにゃ」
「あー……あんな貴族っぽい騎士に睨まれるのは勘弁だなぁ~」
ニャハハハハ、アハハハハ! と笑う二人の間。私はまた頰が熱くなるのを感じ、ひたすら下を向いて顔を隠していた。
あ、熱い……! さっきからもう……! もう!
だから! 私は! 採取に集中するんだって……ば! もう!!