60.商人と錬金術師と買い出しと
「んにゃ? 割引? 製法を売るんにゃら、もっと儲かる売り方もできるのに?」
割引という言葉に浮かれた私を横に、ルルススくんは耳と髭をピピッと立ててそう言った。
図星だったのか、エマさんは一瞬グッと息を呑んだが、すぐにニコリ笑顔を返して再び口を開く。
「まだ詳細な製法は確立されていませんよね? 本当に高品質の保存紙ラップが出来るのか、効率はどうか、どこまでの細かさが最良なのか、素材の配分はどうなのか……。実験も実証も下処理をする工房待ちです。アイリスさんが持ち込んだのはアイデア未満の切っ掛けです。それに対する対価としては、割引で十分ではないかと思います」
「んー……そうにゃか? アイリスはどうにゃ?」
「うーん……」
ルルススくんの言うことも、エマさんの言うことも分かる。
商人としての立場と目線の違いで意見が食い違っているのだろう。
そう。二人は商人なのだ。
商人だから技術や製法に値段を付け、その価値を測るのだろう。
でも私は商人じゃない。
錬金術師でもないただの見習いだ。
そりゃ錬金術師にとっても技術や製法は大事だし、門外不出なんてものもある。
だけど私個人としては――知識は共有したいと思う。
私の頭には沢山の、有象無象の『レシピ』が書き込まれている。
だけど私は五年目の見習い錬金術師で、知識があっても技術がなく、それを活かすことができないでいる。
知識はただ持っていても宝の持ち腐れだし、知っただけでは誰でもが上手に使えるものではないのだ。
それに、今回のことは偶然だ。
スライムを乾燥させたのも、沢山獲れたのも、依頼相談をしたのもエマさんが保存紙工房から話を聞いていたのも。全部がただの偶然であって、私は特に努力も何もしていない。
乾燥スライムを使うことが保存紙の製作にどのように、どこまで役立つかなんて考えていなかった。
気付いていたり考えていたのなら、私だって最初から「製法を売るので協力してくれる工房を紹介してください」と言っただろう。
だから、答えは決まっている。
「保存紙工房で実験してもらってください。エマさんが紹介してくれる工房なんですよね? 信頼してお任せします」
ニッコリと笑って言った。
能天気な私でもこれくらいは分かっている!
エマさん――商業ギルドが取り持つんだから、下手な工房じゃあないよね? 組合員がお任せするんだから損をするような取引にするわけないよね? と、そういうことだ。
「にゃっ! ルルススにも工房の紹介をお願いしたいのにゃ! 紹介料はサービスで良いと思うのにゃ!」
きっと本当は、割引だけでは私が損をしているのだろう。エマさんは快く了解です! と言い、二人はニンマリ笑顔で握手を交わしていた。
何あの商人スマイル……どんな含みがあるの……?
錬金術師には分からない!
「では早速、ご紹介する工房をご紹介しますね。保存紙工房の老舗、引退した宮廷錬金術師さんが設立した『ツィツィ工房』さん、ご存知ですよね?」
「えっ」
知ってるに決まってる! 街にはあまり来たことのない私でも知ってる工房だ。
むしろ知らないわけがないレベルだ。都会であるヴェネトスなら色んなメーカーの保存紙が売ってるけど、外では保存紙といえば『ツィツィ保存紙』の事を指すくらいの大手工房。
「さあ、割引でお話詰めていきましょうね」
「だから言ったのにゃ。ツィツィにゃんて超大手にゃんだから、先を考えたらもっと貰ってもいいのにゃ!」
う……っ。
「確か……に?」
ちょっと不安に思い、エマさんに視線を向けた。
本当に大丈夫? と。
「大丈夫ですよ。あちらも有名な工房ですし、無茶はしません。それに色々な工房から見習いさんを預かって育てたりと、育成に力を入れてる工房です。信用にも関わりますし、見習い錬金術師さんに損はさせません!」
言い切ったエマさんを信用するしかない。
どっちにしても私に交渉は向いてないし、そこはプロに任せよう。
とにかく私は、乾燥スライムを粉々に粉砕してもらえれば良いのだ!
そして、ずっと静かだと思っていたイグニスはというと――。
「んん~~? あ~おはなしおわったぁ~?」
私の頭の上で熟睡してたね……。
ごめんね。この後はスイーツでも食べようね!
◆
さて。今日の買い出しは自分たち用と、レッテリオさんへの納品用、それから新携帯食の開発用だ。
「小麦粉とオリーブオイルは配達にしてもらって……塩と砂糖も配達で……でも調味料はちょっと見ていこうかな? あとはえっと……保存食のお店も覗きたいな」
私は買い出しメモを見ながら、お店を巡る順を考えていく。
試作品と日々の食事に使う程度なら、野菜は工房周りで採れる分で問題ない。
あっ、そうだ。森から移植した赤茄子なんかの畑の具合も見なくちゃ。上手く根付いていたならもっと増やして携帯食作りに使いたい。
「お肉とお魚も欲しいけど……」
お魚は朝市の方が良いかな? そんな風にちょっと悩んでいると、ローブの袖を引っ張られた。
「アイリス、ルルススは『高脚蜘蛛の糸』の加工依頼をしてきたいんにゃけど、別行動してもいいかにゃ?」
「あ、うん! それじゃ後でどこかで待ち合わせしよっか。えっと……」
「ふくちょーのとこ〜! ルルスス『金の斧亭』ってしってる〜? お肉とスイーツが美味しいんだよ〜!」
「知ってるにゃ! 前にお魚を売ったことがあるにゃ! 美味しくていいお店にゃ!」
ルルススくんとは昼三刻半の鐘が鳴った頃に『金の斧亭』で落ち合うことにして、私はお店巡りスタートだ!
「うーん……やっぱり木の実は品薄かぁ」
それに思った通り高い。
扁桃は夏から秋にかけて、胡桃もその他の木の実類も秋以降が主だ。
だから初夏の今は一番高い時期……。
「ううーん……」
「お姉さん、木苺はどうよ? どっちも木になる実だよ!」
店のおじさんが試食してみ! と樽に山盛りの、色とりどりの木苺を勧める。
「アイリス〜これ甘いぃ〜! おじさんの苺はすごいねぇ〜〜!」
「お? おお……っ? 精霊さんか!」
尻尾を振り振り、木苺をべた褒めする見慣れぬ精霊イグニスに、店主は目を瞬きつつもご満悦の様子。
私もツヤツヤの王様木苺を一つ試食してみる。
普通の木苺の倍の大きさがあるこの木苺は、工房の森ではまだ採れない、人工的に作られた品種だ。
「いただきまーす」
あーん、と大口を開けて一口でパクリ!
しまった。口の中がいっぱいになってしまって噛めない! 何とか舌で押し潰そうとしても全然無理。
私は仕方なく、ちょっと口を開け奥歯で齧ると……プツリ! と実が弾け、途端に甘酸っぱい果汁の味と香りが広かった。
「うわぁ……美味しい……!」
イグニスが絶賛するはずだ! これはきっと、他の苺類にも期待が出来る。
「今年は良い出来だし豊作でね! お勧めだよ!」
これは確かにお勧めだろう。さてお値段は……と横目で確認してみると、山盛り一籠で1500ルカ。
えっ、安い!? この品質なら2500ルカしたっておかしくないのに!
――買いだ。
「おじさん! この王様木苺一樽ください!!」
「は!? 一籠じゃなくて!?」
「はい!! あ、配達お願いします!」
「やった〜〜! アイリス、 王様木苺でなに作る〜〜?」
「ふふっ。蜂蜜ダイスの夏限定版を作っちゃおうと思います!」
そう! 秋の木の実が高いなら、今の時期にたくさん採れる苺類や柑橘類で作ればいい!
美味しいし、木の実とはちょっと栄養価は変わってしまうけど、レッテリオさんが欲しいのは『美味しくてポーション効果が付いているもの』だから多分、大丈夫。
もしレッテリオさんが駄目でも王様木苺はジャムにして、ソースにも使えるし薬にも使えるし、染料にも出来るし、あっ、白玉檸檬と王様木苺のタルトとかケーキとか……最高じゃない!? 明日作ろう!
「ね〜〜アイリス〜? でも蜂蜜が足りなくないかなぁ〜?」
「……うん。工房にあるだけじゃ絶対に足りない」
大地の精霊との契約がない今、森から蜂蜜の恵みを頂くのは難しい。それに森の恵みは大量には無理だ。
だから工房では、薬の素材用としては森で採れた蜂蜜を、お料理用には養蜂家さんと契約しているのだけど……。
「夏の納品はふた月先だし、注文もその時にするしかないし……」
さて、どうしよう?
溶かせて、固まって、甘くて栄養価が高いもの――。
「あ、チョコレート……使えないかな?」