39.ヴェネトスの迷宮・第1層
「アイリスはどのくらい戦える? 魔物を見たことは?」
「うーん……普通の森で自衛する程度ですね。魔物はスライムとか角兎とか初心者向けまでです。えっと……それも訓練とか先生たちの引率ありで……」
中層まで潜っていく賑やかな騎士さんたちに手を振って、私たちは一層の草原を歩いていた。
迷宮の入口は石窟寺院のような荘厳な門だった。大岩に取ってつけたように門だけが存在していて、外から見るとその中は真っ暗。迷宮は階段があり地下に伸びているだろう構造なのだけど、入ってみて改めて確信した。
迷宮はこの世の理とは別のものだと。
だって、草原や沼地が地下にあるのもおかしいし、空も風もある。自然の営みが感じられる。それに何よりも広さがおかしい。ここが本当に地下ならばあるはずの、壁は見えずにどこまでも草原が広がっている。
この草原……一体どれ程の広さなんだろう?
「じゃあ目的の三層までにちょっと戦う練習していこうか。基本的には護衛の俺が守るけど、何があるか分からないのが迷宮だからね。それからアイリスは俺の前には出ない、杖はいつでも使えるように。採取がしたい時は一言かけてね。あとイグニスはー……」
「ぼくも戦えるよ〜! アイリスよりつよいよ~! だってサラマンダーだから〜!」
「うん。アイリスの背中を守ってあげて」
「ま〜かせて〜!」
「よろしくお願いします……」
戦力として役に立たないどころかお荷物で申し訳ないと思いつつ、二人に守られて草原を行くとあちこちに薬草が生えていた。
特に珍しい種類ではないし、基本的に迷宮では深い所の方が品質が高い。それに三層の湿地帯の方に、普段あまり採取できない薬草があるのでそちらを優先だ。私のリュックには限りがある!
「あ、スライムだ。アイリスやってみる?」
「はい! ……ん? どこ……?」
レッテリオさんは前方を指差して言ったのだから、前にいるのだろう。だけど……見えない!?
「ふふっ、よく見て? 五メトル前方に大きいのが一匹、小さいのが二匹。草の合間にいるだろう? 半円状で薄い緑と濃い緑色をしてる」
五メトル前、緑色……。
「あっ、はい! 分かりました!」
「スライムは保護色なの知ってる? 周囲の環境で色を変えるから、三層までに目を慣らして見落とさないように」
「はい。では――いきます!」
スッ、と杖を前方に向ける。
スライムは私たちの存在に気がついているだろう。目や口はないけどこちらを見ているような気がする。
魔術はイメージだ。この杖にはイグニスから力を借り『火』の魔術を使う為の錬成陣が仕込んである。
だから、私が魔術を使う上で必要なことは『どの様に火を操りたいのか』をハッキリと頭に描き、そして発動の引金となる『ことば』を言う。それだけだ。
私もスライムを睨んだまま、ひと呼吸。
狙いはスライムのほぼ中央部分、微妙に色の濃い『核』と呼ばれる部分だ。魔物はここを破壊すれば絶命する。
「点火! 火の礫よ貫け!」
『点火』が私の発動の『ことば』
呟きと同時にヒュッと杖先から指先ほどの火の玉が飛び出し、大きなスライムに命中する。
ぽむん、と吸い込まれるような音がしたので火力不足だったか!? ヒヤッとしたけれど、一瞬暴れたスライムが急にペチャン! と水溜り状になり、核が破壊されたのだと分かった。
さあ、残りは小さいのがあと二匹。力加減と発射速度は今と同じで良いだろう。
「点火!」
再度呟き、杖に魔力流して火の礫を練り出す。勢い良く飛び出した直径二セッチ程の『火の礫』は、パシュ、パシュン! と無事に小スライムを貫いた。
「アイリス上手いね? これなら三層まで直行しても大丈夫そうかな」
「ほんとですか? 私、杖での攻撃魔術なんて本当に久しぶりで……倒せて良かったぁ〜」
剣を収めたレッテリオさんは「お疲れ様」と付け足して、ガチガチだった私の肩をポンと叩いた。
「アイリス〜! 屑魔石あるよぉ〜〜」
倒したスライムを覗き込んでいたイグニスの声だ。
全ての魔物はその『核』の奥に魔石を持っている。魔石は『核』という魔力の源から作られているから必ず付属品のようにくっついているのだとか、逆に魔力の塊である魔石の成れの果てが『核』なのだとか、魔石については諸説尽きない。
「はーい! 貰っていくよー! ……ヨイショ……っと!」
ぐちょん。
私はスライムに走り寄り、でろっとなった体内に手を突っ込んだ。
躊躇などはない。だって屑とは言え魔石は魔石! 命を頂いたその糧は有難くいただきます!!
「レッテリオさーん! 魔石も緑色でした〜!」
キレイ! とキラキラ輝く迷宮での初獲物を掲げると、レッテリオさんは苦笑……じゃ、ない?
あれっ、若干遠い目というか優しげな垂れ目がドコカノスナギツネの様にうろんに……?
「わぁ……錬金術師ってたくましいー……」
その視線の先は、緑色の粘液(スライム体液)でデロぐちょになった私の右手ですね……。
うん……たくましくなきゃ錬金術師――特に、優秀でもない見習いなんてやってけないんです。
「えへ……?」
「アイリスの勇姿をあいつらにも見せてやりたいよ」
「くふ〜〜びっくりしちゃうんじゃない〜? 騎士くんたちってばアイリスの見た目にだまされちゃってたから〜」
くふくふふ~! とイグニスは更に笑う。
「あー……やっぱり? なんか申し訳ないんだよねそれ……」
私の「銀の髪」と「青紫色の瞳」、それからここ一年は試験対策で錬金術工房に引きこもっていたせいか、無駄に「白い肌」から勘違いされることがまぁまぁ良くある。
儚げだとか、おっとりとしてるとか、いわゆる『可愛いく淑やかな女の子』という、そんな印象を持たれることが多いのだ。
ちょっと話せば私のこの体たらくに気付いてくれるのだけど。でも残念そうな顔を見る度に、夢を壊して申し訳ない気持ち半分、残念がらないでよ!? とその顔に浮かぶ二つの『残念』の意味に憤ったりもする。が、まぁ慣れた。
「でももう一人暮らしですし! 前より採取にも出るしもっと日に焼けて筋肉つけて腕っ節も上げて、私はそんな詐欺級第一印象を葬ります!!」
まだ生っ白い二の腕をローブから晒し力こぶを作って見せる。だが力こぶはまだ無い。
「……うん。アイリス腕しまって……。あとそんな気軽に一人暮らしとか言っちゃ危ないし細腕も出さないで」
「あ、そうですよね。不用心ですよね」
工房と森には守護精霊がついているので、つい気を抜いてしまう。でも一人なんて言いふらして無用なトラブルを抱え込むことはない。
たとえ不埒な輩は森にも工房にも近付けないと言ってもだ。
「俺は中身がたくましいアイリスを知ってるし好きだけど、外身は可愛らしいままなんだからほんと気を付けてね?」
「はやく外身もたくましくなりますね!」
「くふ〜アイリスってほんと残念でぼくも大好きだよ〜〜!」