132.迷宮の核のクピド
「……もしかしたら、この陣にとっても誤算だったのかもしれないわね」
本当に正しく作動したのか、負荷超過で弾けたのではないかと調べていたぺネロープ先生が呟いた。
「二百年前、これを設置したときよりも迷宮が随分と拡張されているでしょう? そのせいで『核』としてのクピドの魔力の器が大きくなりすぎていて、封印にも予想外の魔力が必要だったのかもしれないわ」
「そうねっ! ペネロープちゃんの言う通りねっ! それに迷宮の方で、何か魔力のせめぎ合いを感じるわっ!」
レグとラスもヒクヒクと鼻を動かし頷いている。
工房の森と迷宮には何か繋がりがあるようだったから、森に住む大地の精霊には何かを感じているのだろう。
「街に変化はまだないようだ」
「掛けられた【眠り】の魔術はそのままにゃねぇ……困ったにゃ」
確かに街は未だ静かなまま。人も街も眠ったままだ。
クピドを封印し直せば魔術は解けるのかと思っていたのに……この術を解除するには一体どうしたら……?
「……せめぎ合いか」
ぽつり、レッテリオさんが呟いた。
「術師ペネロープ、どう思いますか?」
「……そうね。ポッレンが言う『せめぎ合い』はクピドの魔術のせいかもしれない。封印の効力と、クピドの【眠り】の術がぶつかり合っているのかも……。まあ、可能性ですけどね」
大きな魔術と魔力、それからクピドの特殊な術がぶつかり合い、絡み合っているような状態なのか。術が渋滞しているということかな……?
「なるほど」
頷くと、レッテリオさんは城壁に嵌め込まれた銀時計を手に取って、そして盤面を確かめた。
「……うん。迷宮に行ってくる」
「えっ、今すぐ……ですか!?」
私は思わずちょっと大きな声を出してしまった。
だって、迷宮は今『せめぎ合って』いる状態だ。迷宮にどんな異変が起こっているかわからない。前みたいに階段が伸びているだけじゃなく、変な空間に繋がっているかもしれないし、もしかしたら空間の狭間に落っこちてしまうかもしれない。
それにクピドだって、本当に封印されているのかまだ分からない。
そんな不安定な迷宮に向かうだなんて……。
「番人だからね。最後まで責任を持たないと。それにせめて朝までには、街の皆の目を覚まさせてやりたいし」
「レッくん~ぼくもいくよ~!」
「イグニスも? それは頼もしいし有難いけど……」
いいの? と、レッテリオさんの目が私に訊いている。
「じゃあ私も行きます! ペネロープ先生、先生はここで封印の陣を見守っていてくれませんか? あと街の様子も……」
「街は任せるにゃ! ルルススとランベルトとバルドで見てるにゃ!」
そう言いトタタン! と足を鳴らして、ルルススくんは一回転して見せる。が、その隣では、大小のハリネズミたちに囲まれたペネロープ先生が渋い顔で腕を組んでいた。
「……先生」
「ハァ……。ポッレン、レグ、ラス。魔石の残りはある?」
「ありますわっ!」「あるぜ、あるぜ、」「これね、これね」と、三姉弟が背中の針に隠していた虹色魔石を取り出した。さっき使ったものよりは劣るけど、それでもこの魔石の魔力は大きい。
多分、一つで普通の魔術師一人分の魔力量はあるだろう。
「アイリス、お守り代わりに持って行きなさい。何かあったら惜しみなく使うんですよ? でも無理はしない! それからあなた、アイリスを頼みますよ……?」
私に虹色魔石を持たせ、そしてレッテリオさんをジロリと睨み付けて言った。
「はい。今度こそ守ります」
ローブに隠れた私の手が、ギュッと握られた。
◆
いつもなら探索隊の騎士さんが立っている迷宮の入り口には誰もおらず、迷宮は封鎖されていた。
夜だからだろうか? 迷宮前広場の屋台は今日はみな店仕舞いをしているし、立ち並ぶ冒険者たちの天幕も静まり返っている。
「なんか、ちょっと不気味ですね……?」
「ん? ああ、今日は真っ暗だし静かすぎるもんね。種蒔きもあったし、閉鎖されちゃったから今日は皆祭りに行ってるんだよ」
「そうだねぇ~! あの串肉屋さんも~お祭りで見かけたもん~!」
イグニスはあの甘辛いタレの味を思い出したのか、お口をペロリと舐めてくふくふ笑っている。
「ほんと? 私も食べたいなぁ~! イグニス、明日買いに行こうね!」
「いこ~!」
美味しいものの話をしていたら、さっきまで感じていた不気味さなんて薄れてしまった。まったく我ながら現金……!
「アイリス、イグニス、ここから行くよ」
入り口をぐるっと回った岩の陰でレッテリオさんが言った。
ここにあるのは、クピドがいるだろう、あの檻の部屋に通じている転送陣だ。
◆
転送陣に魔力を流すと、パッと白い空間へ放り出された。
「えっ……!」
そうだった! あの転送陣が繋がってる先って天井だから……! 思った瞬間、落下する感覚がして思わず身を縮めたが――。
「風よ!」
レッテリオさんにグイっと手を引かれ、風が足をフワリと掬い上げた。
「ごめんアイリス! 俺は種蒔きで何度か来たから慣れてて、言うの忘れてた」
「い、いえ! 私こそうっかりしてました」
「くふふ~ぼくもうっかり~! レッくんアイリスをありがとう~」
そのままフワフワとゆっくり下降していって、床に足が着きホッと一息つくと檻の中から声が掛けられた。
「嫌味な奴。僕から奪ったアイリスの肩なんか抱いちゃってさ。何しにきたんだよ、番人」
「クピド」
「わ~ちゃんと閉じ込められてるねぇ~くふ~!」
私の目の前では、クピドが檻の中で寝転んでいた。くふくふ笑うイグニスに呆れたような目を向けている。
先生やハリネズミたちが言った『魔力のせめぎ合い』とは何なのか、クピドの封印が上手くいってるのかを確認しにきたんだけど……。以前は開いていた檻の扉は閉じられているし、封印はしっかりと発動しているようだけど……?
「何しに来たって、お前と迷宮の様子を確認しに来たに決まっているだろう」
レッテリオさんは檻越しのクピドの前に立ち言った。
「へえ。残念ながらこの通りだよ? もう炎竜も出せないしフラフラ迷宮内やどこかの世界に出掛けることはできなそうだ。満足だろう?」
「街の人間に掛けた【眠り】の魔術の解除がされていない。何故、解除しないんだ」
封印は上手くいってるし、迷宮に異変はなさそうだし……でも、それじゃあ『魔力のせめぎ合い』って何なんだろう――?
「【眠り】が……?」
クピドは少し不思議そうな顔をして、先っぽだけに炎の魔力の名残を見せる髪を掻き上げ、身を起こした。