131.大きなイグニスと小さなイグニス
「クピド、お前に伝えておく。番人とカストラ子爵の名を受け継いだ者として、迷宮とカストラ領を守り慈しむ。そこに住む人々と精霊を支える騎士になると誓うよ」
クピドが目をパチパチとまばたき、何かを言おうとしたその瞬間。陣が起動し強い光を放った。
――そして、クピドの姿は消えた。
「やった……! っえ!?」
その瞬間、私の中からゴソッと魔力が奪われた感じがした。
クピドを転送させたからだろうか? それとも封印の負荷? あまりにも急激に大きな魔力を引きだされた私は、貧血を起こしたように目の前が暗くなり、壁にもたれ掛かった。
「アイリス!?」
「アイリス! 真っ青よ、手を離しなさい」
駆け寄ってきたレッテリオさんとペネロープ先生が何かを言っているがよく聞こえない。
魔力を流し続けている震える手を取られ、ほとんど無意識に私はその手を払い除ける。
「だめです。まだ魔力が取られてるってことは……まだ、クピドの封印ができてない……」
「私が代わります! 早く手を離しなさい!」
ペネロープ先生の声に頭を振り、私は壁にしがみ付く。
駄目だ。誰かに代わってもすぐに同じ状態になってしまう。だって、この中では私が一番魔力に余裕があったはず。それに皆もそれぞれ魔力を使った後だ。
「これは、私の役目だから……」
「アイリス……」
レッテリオさんに支えられた身体がフラ……と傾いたのが分かった。気を失っちゃいけない、まだ――と、思ったその時。頬に『ペトリ』とした生温い何かが触れた。
「アイリス~ぼくが~代わるよぉ~!」
「……イグ……ニス?」
頬に触れていたのは大きくなったイグニスの指だった。
あんなに小さかったイグニスが指一本で私を支えているなんて、なんだかとっても面白い。思わず微笑むと、ドスンという大きな足音がして、私の手は銀時計から離された。
「んん~? これすごく魔力取られるねぇ~? も~……むかしの王女さまってば~むちゃくちゃ~」
ぼんやりしている視界の先で、大きなイグニスが赤く発光している。
クピドの転送は完了したというのに封印までにここまで魔力が必要だったなんて、本当に誤算だった。
「んん~……もうちょっとぉ~……!!」
イグニスが尻尾を上げて更に魔力を籠めて、一、二、三秒刻。パン! と、何かが弾けるような音がして、発光し続けていた『封印の転送陣』は動きを止めた。
「えっ」
「にゃっ!?」
「あれっ」
「おッ?」
「おっと」
「あら」
「おいおい!」
「まあまあ!」
「ちょっとちょっとっ!」
皆からそんな驚きの声が上がって、へたり込んでいた私も思わず声が出た。
「あ……イ、イグニス!? 戻ったの!?」
目の前にはいつも通り、小さな小さなイグニスがふよふよと浮かんでいた。
「くふ~! ちっちゃくなっちゃったねぇ~」
私が手を伸ばすと、イグニスはストンと掌に乗って私の指に頬ずりをしてくれる。するとその指先からじんわりと、イグニスの温かな魔力が流れ込んできた。
「えっ、イグニス」
「アイリスに魔力をあげたんだよ~! ど~お? もう大丈夫でしょ~?」
言われてみれば、暗かった視界が回復しているし、思い切りレッテリオさんに寄りかかっていた体も普通に起こすことができる。
「……うん、大丈夫。ありがとう、イグニス。でもイグニスは大丈夫なの? 魔力使いすぎちゃったんじゃ……?」
「くふふ~! だいじょうぶだよ~! ママ似の竜からもらった魔力~まだいっぱい残ってるんだぁ~。ぼく好きな時に~また~おっきくなれるよ~!」
「そうなんだ!?」
また大きくなるのか。
イグニスはとっても嬉しそうだけど、私としては小さなイグニスの方が一緒に色々なことができて嬉しいけど……。でも、まあいいか。
今また私の掌に戻ってきてくれたということは、しばらくは小さなまま暮らしてくれるのだろう。
「それにしても……イグニスがあんなに大きな竜になるなんてびっくりしたよ?」
「くふふ~ぼくもだよ~! ……あのね~アイリス~……あの竜ねぇ……ママじゃなかったよぉ~」
イグニスはちょっとしょんぼり尻尾を下げた。
ああ、確かに炎を飲み込んだイグニスがそんなことを言っていた。『ママ似の竜』だと。それに『クピドが作った』とも言っていたけど……?
「あの竜はねぇ~眠るママが送りつづけてた魔力で~クピドが練り上げたはりぼてだったんだぁ~」
「張りぼてにしちゃあ強かったがな」
「本当ですよね。まあ、源は炎竜の魔力ですしそう考えれば……納得ですかね」
少しスッキリしたような顔をしたバルドさんとランベルトさんが笑う。
「くふ~。ぼくのママは~いちばんおっきくて強い炎の精霊だったんだもん~!」
それじゃあママはどこに……? 確かイグニスは、最後に『ママいたもん~』って言っていたと思うけど……もしかしてあの炎竜の魔力を手掛かりに見つけたとか?
「イグニス、ママ見つかったの? 魔力を辿ったの?」
もし見つかったのなら早く会わせてあげたい。まだどこかで眠っているのだろうか?
「くふ……。みつかったよぉ~! あのねぇ~ぼくが~ママだった~!」
「…………えっ?」
イグニスは掌の上で嬉しそうに尻尾を振り、くふくふと笑っている。
私は訳が分からず、隣のレッテリオさんやペネロープ先生を見上げた。それからランベルトさんもバルドさんも不思議そうな顔をしていて、ルルススくんは首を傾げながら臭い匂いを嗅いだときのあの顔になっている。
「あのねぇ〜眠っていたママの~分けられた魔力で~ぼくが生まれたみたい~?」
分けられた魔力……?
二百年前の王女の炎竜は、クピドの封印に力を使いすぎてドルミーレの火山で眠りについた。
そして眠りながらも封印を維持するために魔力を送り続けていた。しかしその魔力はクピドが奪っていて……結果、クピドは迷宮の核になっちゃったんだけど……んん?
「うふうふ、そういう事でしたのね! 炎竜はいつまでもクピドに魔力を吸い上げられてしまって、なかなか回復できませんでしたのね」
「そっかそっか、だから自分自身の復活はひとまず諦めて、『イグニス』っていう分身を生み出したってわけか! そうだろ? イグニス」
「そうだよ~! だから~ぼくはママなんだぁ~!」
そっか……そういう事だったのか!
イグニスを作り上げたのはママだけど、だけどイグニス自身がママでもあるのか。
「そっか……。だからイグニスは小さくても凄い炎の精霊だったんだね」
「くふふ……ぼく~これからも~っとすごい炎の精霊になるからねぇ~! だってママだったんだもん~!」
くふふ、くふふ~! とイグニスは嬉しそうに笑う。
「でもねぇ~この『封印の転送陣』すっごい魔力をつかったよぉ~。ぼくもう少しおっきなままでいたかったのにぃ~戻っちゃうくらいすっごくつかった~」
「えっ、そうなの?」
あの大きなイグニスが魔力を凄く使っただなんて……そんな規格外すぎる消費魔力の陣、ちょっと考えられない!
「……もしかしたら、この陣にとっても誤算だったのかもしれないわね」
本当に正しく作動したのか、負荷超過で弾けたのではないかと調べていたぺネロープ先生が呟いた。